第四章 49話 大峰城と三年
1553年9月1日
山崎の戦いから三年が経った。
俺は14歳になった。
三年前、父上が助けに来てくれた時は本当に感動した。あの時のことは生涯忘れないだろう。
父上たちは京を平穏に導くとすぐに帰って行った。
父上たちが大峰に帰ってからも色々とあった。
領地である信濃の水内郡、高井郡、埴科郡、更科郡、小県郡、安曇郡、筑摩郡、佐久郡の土木工事や、殖産を進めている。これによって領地の石高は、九十万石近くにまでなっている。スコップなどの道具によってかなり工事がはかどったらしい。
新商品の開発はできていないが、商品の稼ぎも引き続き大きい。
領内の人口も増えている。
鉱山開発も順調。
そしてこの三年で一番大きなことは、本拠大峰城を建設したことだ。
これには、岡部又右衛門と甲良光広に頑張ってもらった。安倍家の農業土木集団とは別に、二人の配下の、建築専属の土木集団も作った。
築城には、一度俺らも大峰に帰り、縄張りを行い、設計図を描いた。
今までの大峰山にあった詰めの城や、麓の住んでいた大峰館、周りにあった家臣たちの館は一度全て取り壊した。
そして新しく、大峰山全体、隣の葛山、そこから善光寺付近や上松、浅川辺りまでの東側全てを城郭とする広大な城を建設している。まだ全ての工事は終わっておらず、続いている。
山を切り崩して段々と平地を造り、山頂から麓の平地まで、父上の館や、別に新しく大きな俺の館や、弟たち、一族、家臣たちそれぞれの館も新しく建てられた。
城郭の北側は浅川園やその近くの祖父の隠居寺までも取り込んだ。
大峰山の山頂には小さいが天守閣も建造した。
犀川、千曲川を利用した水堀や、石垣も造った。
城下町は、善光寺の門前町も取り込み、東南北に広く町割りを行い、大峰城下町として大きな町に変貌を遂げた。
また同時に、領内の拠点として、南西の筑摩郡に松本城、南東の佐久郡に龍岡城を造った。北の飯山城も造り直し、上田城も完成した。これにも岡部、甲良の二人とその配下が活躍してくれた。
それぞれの城には、上田城に大久保伊勢守信宣、龍岡城に黒田掃部頭信隆、松本城に鎌田内膳正信克、飯山城に湯塚玄蕃助信直の叔父たちが城主として入り、周りに睨みを利かせ、城下を発展させ、軍備を増強している。
松本城は美濃や武田の領地である諏訪郡、伊奈郡を見張り、龍岡城は甲斐との国境、東の上州との国境を見張っている。叔父たちはそれぞれの城と大峰城を忙しく行き来しているようだ。
軍は、大峰城に一万五千、それぞれの城に二千ずつ、計二万三千が常に動かせる兵としている。調練を続けているため、山崎の戦で見せたような働きができる兵たちだ。
軍馬も充実、大峰銃も充実している。銃に関しては、山崎の戦いを参考にして馬上でも撃てるように改良した。別に馬上筒を作ろうかとも思ったが、区別するのではなく、全ての大峰銃を改良することにした。
大峰領は問題なく発展している。
周りもこの三年はあまり大きな動きはない。
武田は諏訪郡、伊奈郡の領地経営をしていて、ずっと狙っていたはずの佐久郡には今のところ手を出してきていない。
関東管領の上杉憲政様は北条に圧迫を受け続けているが、なんとか平井城を保っている。
上杉家からは、俺が足利義輝様を烏帽子親として元服し、正室をもらったことを聞き、俺のすぐ下の弟の烏帽子親をしたいと名乗り出、父上が受けたため、弟は大峰武蔵守信政となり、上杉憲政様の娘の竹姫を正室として迎えた。
越後の長尾家は未だに内紛が収まっていない。兄の晴景殿を大峰が支援しているため、弟の景虎殿も攻めきれずにいる。大峰家としては、京との行き来に直江津を使うので、春日山城にいる長尾晴景殿とは仲良くしたいという思惑がある。三年前のあの時も、晴景殿が黙って軍を通してくれたため助かったということがある。当然、後からお礼はしたが。
今川も領地経営に力を入れていて動きはない。
北条は関東支配のため各地で戦をしている。
そろそろ武田、今川、北条の三国同盟がある頃だがどうなるか。
織田信長殿は、史実通りに、去年家督を継ぎ、今年の四月に舅の斎藤道三殿と正徳寺の会見を果たしている。
俺たちは、今京にいる。築城や、大峰銃の改良の際には少し帰ったりしたが、この三年間ほとんどの時間は京にいた。足利家の家臣のように動いている。
過去の小姓衆の面々は、今でも俺に付き従ってくれている。近臣衆と名前を変え、備前を中心にして以前と変わらず俺を助けてくれている。
前田又左衛門利家、加藤正左衛門清忠、加藤作左衛門清重も近臣衆として加わった。
また、新しく小姓として今、仕えてくれているのは、竹中半兵衛重治9歳、竹中久作重矩7歳、真田源五郎6歳、本多鍋之助5歳、榊原亀丸5歳、奥田三右衛門6歳たちだ。
三年前に家臣となってくれた者たちも皆大峰家のために働いてくれている。
俺の家臣となってくれた一部の者たちには弟たちの家臣となってもらった。
足利領でも、平穏な日々が続いている。
山城、摂津、河内、和泉、南近江は完全な支配はできていないが、表面上は何事もなく過ごしている。
朝廷でも近衛前久様が中心となり、一時のような困窮はなくなった。
しかし、朝廷には力をつけさせ過ぎないように注意している。近衛様がいるうちはいいのだが、他の公家は信用できないことを三年前に学んだからだ。
三好家が衰退し、独立した松永久秀殿は大和で力をつけてきている。興福寺などの寺社勢力とも和解したようだ。堺の商人とも手を結んでいるという噂もあるが、これはよくわかっていない。
史実では、この松永久秀殿と、三好三人衆が義輝様を襲うので気を付けなければならないが、三好三人衆はもういない。松永久秀殿だけでも何か仕掛けてくるだろうか。
六角、細川は三年前に甲賀に行ったという情報を最後に何も聞かなくなった。さすがの戸隠衆も甲賀には入っていけないので、それ以上は調べようがない。これが新たな火種にならなければいいが。
当初の予定よりもだいぶ長くいたが、そろそろ大峰に帰ろうかと思っている。
三年を過ごした大峰京館にももう慣れたが、やはり大峰が気になる。
まだやりたいこともあるし。
義輝様に言ってみよう。




