第三章 48話 元服と婚姻
1550年9月3日
翌朝、父上と俺は大広間に通された。
義輝「民部よ。こたびは大義であった。改めて礼を言うぞ。」
信秀「ハッ。」
義輝「そこで、この感謝をいくつか形で表したいと思っておる。黙って受け取ってはもらえないだろうか?」
信秀「それはものによりますが……。」
義輝「うむ、それもそうじゃな。では一つずつ話していこう。まず、民部には、空いた管領職として我が幕府に仕えて欲しい。」
信秀「それは恐れ多いことでございます。信濃の領地もございますれば。」
義輝「そう言うとは思ったが、ずっとここにいてくれとは言わん。形だけでも受けてはくれぬか?」
信秀「しかしながら、我が大峰家では家格が。」
義輝「そこでじゃ。まず、現在小笠原家がなっておる信濃守護職を民部に命ずる。これだけの功があり、力もある民部じゃ。さらに小笠原は武田に圧迫され信濃を治める力ももはやない。嫌とは言えぬ。」
信秀「はい。でもそれだけでは。」
義輝「まだある。松若丸を余が烏帽子親となって元服させる。」
信秀「ありがたき幸せ。」
義輝「そしてじゃ、松若丸に余の妹の詩と婚姻を結んでもらう。さすれば足利家と大峰家は縁戚じゃ。」
信秀「そこまで…。ありがとうございます。」
義輝「これで管領を引き受けてくれぬか?」
信秀「申し訳ございませぬ。やはりその義ばかりは。」
義輝「そこを曲げて頼む。」
信秀「それだけはご勘弁下さいませ。」
義輝「そうか。わかった。そしたら管領職だけは勘弁しよう。他は受けてくれ。」
信秀「ハッ。謹んでお受けいたします。」
義輝「松若丸、そういうことじゃ。余はそちにとって義兄となる。宜しく頼むぞ。」
松若丸「ハッ。宜しくお願い致します。」
こうして、さらに翌日元服の儀が行われた。
父上は信濃守護となり、義輝様の奏上により、改めて正式に正五位下、民部大輔となった。
俺は義輝様に烏帽子親となって頂き、元服し信輝となった。同時に義輝様の奏上により、従五位上、右衛門佐になった。
大峰右衛門佐信輝と名乗ることになった。
これに合わせて俺の小姓たちも元服し、千凛丸は室賀備前守輝賢に、竹千代は山下肥後守輝和に、辰千代は中村陸奥守輝憲に、長福丸は大久保近江守信幸に、鷹千代は黒田下総守信達に、源太郎は真田左衛門尉信綱、秀胤が上泉伊豆守秀胤、満親が須田長門守満親、忠頼が中野大蔵少輔忠頼となった。
さらに俺の願いにより、馬場信房を馬場美濃守信春に、源四郎を山県三郎兵衛昌景に、工藤源左衛門を内藤修理亮昌豊に、名前を変えてもらった。
今回の旅で家臣にした者たちも、前田犬千代は前田又左衛門利家に、佐々松千代は佐々内蔵助成政に、日吉丸は藤吉郎にした。
これですっきりしたな。
元服の儀では、義輝様より、また刀と脇差を頂いた。
ついに天下五剣の一つ、童子切安綱と、脇差にと骨喰粟田藤四郎吉光を頂いた。刀剣好きにはたまらない一品たちだ。
そして足利家の詩と婚姻を結んだ。と言っても、詩はまだ5歳なので形だけ。
でも、俺は将軍の義弟となった。
ここで、なぜ父上が援軍に来てくれたかを聞いたが、戸隠衆にお願いした手紙を、その戸隠衆が俺に頼まれたからと張り切って、なんと京を夜に出て、翌日の夜に届けてくれたらしい。
父上が、そこで即断即決し、翌日には八善屋に無理を言ってお願いした船で直江津から三国湊まで行き、そこから朝倉領を金子をばらまきながら全力で駆けつけてくれたらしい。
本当にありがとうございました。
この後、室賀備後が摂津、河内、和泉を平定し、足利幕府直轄領とした。ただ、幕臣には人が少ないため、あまり強い支配はできず、一応幕府領だが、それぞれの領主が治めているような形になった。
三好家は三好長慶殿亡き後は、その子の三好義興殿が後を継いだが、本領の阿波に戻って行った。
六角、晴元の方は、六角定頼殿が実は流れ弾で亡くなっており、六角義賢殿が後を継ぎ、義兄の細川晴元を擁することになった。しかし、六角家の力は弱まり、近江の領主たちは足利家に忠誠を誓い、南近江にもいれなくなった六角義賢、細川晴元は甲賀に逃れた。
これにより南近江も足利幕府直轄領となった。
当然、山城も直轄領になったので、足利幕府直轄領は山城、摂津、河内、和泉、南近江となった。石山本願寺や各地の寺社衆などや、堺もあり、従うのを良しとしない豪族たちもいるので全てを完全に支配できているわけではない。だが、反乱を起こしたりということはなくなった。
父上たちは年内には帰る予定だ。その前に大峰兵がたくさんいるうちにやることをやっておかなければならない。
まず、都の清掃をした。これにより死骸は綺麗になくなった。
長屋をたくさん建築した。街にあふれていた家を失った者たちに住む場所を与えた。
現代の二条城の場所に義輝様のために二条城を建築した。これには町にいた仕事の無い者たちに給金を与え働かせた。かなりの人数を入れたのでぎりぎり帰るまでにはできた。
これにより、町は綺麗になり、住む場所が与えられ、仕事もお金ももらえたので京は見違えるようになった。
また、朝廷に献金を行い、内裏の修理を行った。
朝廷では三好家の没落により、二条、九条の力が弱くなり、かつ、足利家が力を取り戻したので、近衛家の発言力が大きくなった。そして、近衛稙家様の嫡男、前久様が関白左大臣となった。
俺にとっては妻の、兄の、妻の、兄にあたる人。
最期に、二条城の少し離れた四条烏丸に京の大峰館を建てた。ここにちょうど大きい土地が空いていたからだ。これは大峰兵で建てた。かなり広い敷地だったが安く買えたらしい。すぐ近くに八善屋の支店もあるので便利だ。
そして俺は義輝様に懇願され、しばらく残ることにした。
父上と相談し、政治的にもこのまましばらく京に残り、足利幕府と朝廷との結びつきを強くしておこうとなったからだ。
俺と一緒に残ることになったのは、新しくなった名前で呼ぶと
室賀備前守輝賢、
山下肥後守輝和、
中村陸奥守輝憲、
大久保近江守信幸、
黒田下総守信達、
真田左衛門尉信綱、
上泉伊豆守秀胤、
須田長門守満親、
中野大蔵少輔忠頼、
山県三郎兵衛昌景、
前田又左衛門利家、
佐々内蔵助成政、
木下藤吉郎、
それから名前は変わっていない
木下小竹丸、
竹中半兵衛重治、
大岩又兵衛、
戸田采女正信員、
出浦清種、
村上義清、
加藤正左衛門清忠、
加藤作左衛門清重、
福島市兵衛正信、
蜂須賀彦右衛門正勝
も残ることになった。
即戦力である馬場信春、内藤昌豊、森可成、それに蒲生賢秀も先に父上たちと大峰に行ってもらった。
俺たちは残ることになった兵五百と、新しく建てた大峰京館に入ることになった。
そして、信濃では義輝様から守護職を譲るように言われた小笠原長時は領地も城も全てを大峰に譲り、自身は京に上り幕臣となり、新しく幕府の直轄地になった中から領地をもらうことになった。
これにより信濃筑摩郡は全て大峰領となった。
また、父上が信濃守護になったことを知った佐久郡の豪族たちも大峰に全てを委ね臣従した。
早くも足利家との結び付きの効果だ。
これにより、父の弟がまた小笠原佐八郎長信、笠原弥九郎清信、大井勘十郎貞信となって信濃でそれぞれ家を継ぐことになった。
そこまでを見届け、予定通り年が変わる前に父上たちは帰って行った。
ここ、大峰京館で俺はしばらく過ごす。
父上や一族家臣たちもたまに京館に来たりすることになっているらしい。
ただ、また新しい領地の経営をしなくてはならないので、忙しくなりそうだ。
第三章 終了
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