第六章 153話 北条勢の退却と夜明け
1555年2月8日
まだ暗い中動き出した。灯りを増やすと北条勢に気取られるため、最低限の明るさの中準備をしている。
日の出まであと二刻くらいだろう。
雪は止んだが、とにかく寒い。積もった雪は膝のあたりまでの高さがある。
その雪を昨日のうちに兵達に辺り一帯踏み固めて通行できるようにさせている。川のこちら側は移動に支障はない。
天幕の中は暖かいので、ぎりぎりまでは天幕の中にいようと思っている。
蜂須賀党が昨日昼のうちに無事に北条勢の陣に入ったのは確認した。
北条勢が後方の雪掻きをしているのも確認した。
俺の軍だけでなく、掃部叔父、播磨、鉢形城に、北条の陣から火の手が上がって、北条勢が退き出したら追撃するように命じている。
そのために掃部叔父も播磨も少し南に移動している。
後は蜂須賀党が予定通り上手くやってくれれば、すぐに出陣するだけだ。
側には采女、主殿がいる。小太郎はいない。
そろそろ采女の配下が知らせに来るはずだ。
と思っていると、采女の配下が采女に報告しに来た。
まだ外で騒ぎは起こっていないようだが。
采女「殿、北条勢から大道寺隊四千、笠原隊四千が西に、遠山隊の二千が東に動き始めました。」
信輝「西は鉢形城の抑えだとして、東に?播磨の方の抑えかな?」
采女「そこまではわかりません。わかり次第またご報告します。」
信輝「蜂須賀党はまだ?」
采女「今のところ騒ぎはありません。」
信輝「そうか。でもそろそろだよね。外に出てみるか。」
采女「ハッ。」
采女と主殿を連れて外に出てみる。
ちょうど南の方で明るくなったのが見えた。
信輝「采女、彦右衛門がやってくれたな!北条が退き出したら追うよ!出陣準備を!」
采女「ハッ。」
采女がここにいる青龍、朱雀、獅子、大蛇、霊亀、八咫烏に配下を走らせる。
俺も兜をかぶり馬に跨った。
遠くで騒ぎが起きているのがわかる。
すぐにでも駆け出したいが、逸る気持ちを抑え、青龍の方へ合流する。
隊は加藤兄弟と又左衛門がまとめ、上野と大蔵は兵百と一応ここの陣に残すことにした。
正左衛門「殿、いつでも出れます。」
信輝「ああ、ありがとう。」
又左衛門「殿が仰った通りになりそうですな。」
信輝「蜂須賀党が上手くやってくれたみたいだね。」
采女の配下が来た。
采女「北条勢退き出しました。」
信輝「そうか!よし貝を吹かせて!行こう!」
采女「殿、お待ちください。先ほどご報告した遠山隊は東側に残っているようです。大道寺隊、笠原隊も今は動いていません。」
信輝「じゃあどこの隊が退いているの?」
采女「氏政殿の本陣と太田隊、成田隊、松田隊、清水隊、足利隊は南に向かっています。」
信輝「じゃあさっきの三隊以外は退いてるってことじゃん。」
采女「はい。そうなのですが、火の手が上がって混乱して退き出したという感じではないのです。」
信輝「北条勢の罠か。」
采女「そのような気がします。」
信輝「采女がそう言うならそうなのかもな。でも出陣はしよう。もしただの退却だったら蜂須賀党の仕事が無駄骨になっちゃう。それにこのままここで動かないよりはいい。」
采女「ハッ。」
信輝「貝は吹かせて。出陣はする。でも罠かもしれないって朱雀、獅子、大蛇、霊亀、八咫烏に伝えてゆっくり進ませて。北条の陣があった辺りまでは進まないように。先鋒は霊亀、その次に大蛇、獅子、朱雀、八咫烏、青龍の順で進む。前と離れないでなるべく固まって進むように。」
采女「畏まりました。」
采女の配下が散っていく。
ブォーーー!ブォーーー!
法螺貝の音が暗闇に響く。
すると、松明の光があちこちで点き始め、前方に光の道を作り始めた。
それぞれの隊に案内の戸隠衆がついている。
信輝「采女、掃部叔父と播磨のところにも北条が退却を始めたこと、でも罠かもしれないことを伝えて。」
采女「ハッ。」
徐々に軍が松明の光を頼りに南へ進んで行く。
まだ日は昇らない。
最後尾の俺たちも荒川を超えた。
何も起きない。
先頭もまだ北条勢に追い付かないようだ。
そんなに距離あったかな?
ん?先の方の松明が止まったように見える。
そして、後ろの隊が徐々に合わさっていくように見える。
陸奥の霊亀が止まって、肥後の大蛇と一緒になったのか?
と、その時。
小太郎「殿、罠です。これ以上はまずい。」
突然現れた小太郎が前置きもせずに話しかけて来た。
信輝「そうか。罠か。」
小太郎「南から足利隊、清水隊、東から遠山隊、西から大道寺隊、笠原隊で囲む策のようです。」
そこに今度は大きな声が聞こえて来た。
「伝令――!!御大将に伝令――!!」
信輝「采女ここに案内して。」
采女「ハッ。」
「蜂須賀党の者でございます!策は失敗です!火の手を上げることはできませんでした!北条勢の罠でございます!これ以上進むことは危険です!陸奥様にお伝えしたところ、前線は霊亀隊、大蛇隊、獅子隊に任せて御大将は退かれるようにとのことです!」
信輝「そうか。ご苦労。蜂須賀党は皆無事か?」
「ハッ!蜂須賀党は死者は出ておらず全員なんとか逃れました!」
信輝「怪我した者はいるんだな。彦右衛門は?」
「無事です!今は陸奥様と最前線に!」
信輝「わかった。」
「ではこれで!戻ります!」
蜂須賀党の者は夜目が効くらしい。灯りも持たずに走って行った。
退けと言われてもな。
信輝「采女。八咫烏と朱雀と合流する。青竜はこのまま動かない。孫一、源左衛門、武蔵に隊を青竜に合流させるように伝えて。」
采女「ハッ。」
前の方で喚声が上がった。北条勢が攻めてきたようだ。
攻めて来たと言ってもまだ暗い。大きな戦闘にはならないだろう。
信輝「又左衛門。ここに篝火を焚いて青竜の旗と九枚笹の旗が遠くからでも見えるようにして。」
又左衛門「ハッ。」
信輝「采女、前の三人にこの旗目指して引いてくるように伝令出して。」
采女「ハッ。」
信輝「正左衛門、作左衛門はいつでも戦えるように構えて。」
正左衛門「ハッ!」
信輝「小太郎、北条の狙いは?」
小太郎「狙いはあくまで鉢形城です。殿を討ち取ろうとまでは考えていません。大峰勢に打撃を与え、退かせることで鉢形城を手に入れようとしています。」
信輝「でも、俺がここにいるのがわかったら手柄を立てたくなるだろう。」
小太郎「それは、そうですな。」
小太郎が笑う。
信輝「わかった?じゃあ行って。」
小太郎「殿がここにいることを北条勢に知らせればいいのですな。畏まりました。」
小太郎が闇に消える。
信輝「主殿、頼んだよ。」
主殿「お任せください。」
信輝「采女、せっかく罠だって注意してくれたのに悪いね。」
采女「いえ。」
信輝「誰か釣れるといいんだけど。」
采女「そこまでお考えでしたか。」
信輝「まあ動かないことには何にもならないしね。大きい獲物だったらいいな。」
少しずつ明るくなってきた。
さあ長い一日が始まるぞ。




