第六章 135話 家督と年賀式
1555年1月5日
今年も、新年となり本日、年賀のため家臣一同が政庁に集まることになっている。
俺も今年で16になった。
今年から当主となる。そのため年賀の会で挨拶をすることになっている。
年末年始の大晦日から昨日までは、学校も政務も休みだったため、妻たちや小姓たちとゆっくりと過ごした。
大晦日の日は、屋敷内の家臣がやってくれる東館、中館、西館、それに武道場や弓道場の大掃除を手伝い、午後は城下町をぶらぶらと散歩した。夜は年越しそばを食べ、年が明けると、善光寺に初詣にも行った。
おみくじをひいたら大吉だった。今年はいいことがありそうだ。
元旦の日からは、お屠蘇を飲み、おせちやもちを食べ、そのまま酒を飲み、妻や小姓たちと松の間でぐだぐだと過ごした。
夜は、春、愛、直、佳の部屋で一日ずつ泊まった。
正月気分も今日で終わり、今日からまた色々とすることがある。
とりあえずは今年から当初の予定通り貨幣制度を始める。それに当たり、甚右衛門に貨幣供給について教えてもらうことになっている。
朝から政庁に家臣たちが集まり、父上からまず話が始まった。
政庁の巨大な大広間に中級、下級の家臣も含め、三百人くらいが集まっている。
正面の一段上がったところに父上と、今年は俺も座っている。
あとは、一門家老たちから順にこちらと対面する形で畳の上に座っている。
父上が後ろにも聞こえるように大きな声で話す。
信秀「皆、新年おめでとう。昨年も一年を通して様々なことがあったが、皆のお陰で乗り切ることができた。礼を言う。本年もさらなる飛躍のために力を貸して欲しい。そして、そのさらなる飛躍のためにも、既に聞き及んでいるかもしれないが、わしは隠居し家督を武衛に譲ることにする。これからも大峰のために、そして武衛のために励んでくれ。合わせて三家老家も家督を嫡男に譲ることになった。今年から大峰の新しい時代が始まる。本年も宜しく頼む。」
一同「ハァッ!」
信秀「では、武衛。」
信輝「はい。」
立ち上がった。
信輝「今、父上から話が合ったように本日これより私が大峰の当主となった。まだまだ未熟な部分もあり、皆に迷惑を掛けるかもしれないが、家臣の皆や、その家族のためにも、大峰が発展していくように全力を尽くそう。いずれは天下に名乗りを挙げたいと思っている。そのためにも皆の協力が必要だ。これから宜しく頼む。」
頭を下げた。
一瞬静まり返る。天下という言葉に反応したようだ。
一同「ハァッ!」
少しして、先ほどよりも大きな家臣たちの声が響き、大きなこの部屋全体の空気が高揚しているのがわかる。
前の方に座っている、三家老家の前当主の三人、十神隊の将たち、采女、又兵衛、小太郎、上泉師匠、そして義輝様も嬉しそうにしてくれている。祖父も満足そうだ。まだ正式に家臣にはなっていないが綱成殿、康成殿もここにいて、家臣のように頭を下げてくれている。後ろに控えている小姓衆からも言葉にならない興奮が伝わってくる。
越前「皆、やりましょう!!」
空気を読んだのか、読めないのか越前が大きな声で叫んだ。
また一瞬静まり返る。
一同「おーーー!!!」
先ほどよりもさらに大きな声が。その後もしばらく大きな声が響いた。
近くの者たちと、
「やろう!」「やってやろうぜ!」「大峰のために!」「武衛様のために!」「殿のために!」
という声が聞こえる。手を叩き合ったり、拳を叩き合ったり突き上げたりと、じっとしていられないようだ。
しばらく俺は上座からそれを見ていた。
頑張ろう。
備後がその場を収め、政庁の中にある、大広間よりも大きい宴の間に全員を移動させた。
いくつかの部屋を襖をはずして大きな部屋にしている。
そこで、何列にもなった長い長い長机に家臣たちが座り、屠蘇が配られ宴となる。
ここでは上座に、いくつもの長机と垂直になる形で俺の席を用意させた。
そこに、家臣たちが順々に挨拶に来る。下級の家臣でも、俺のところにきてよいとしたので、長時間、宴の間中、挨拶を受け続けることになった。それでも少しでも、皆の士気が上がればと受け続けた。
黒田掃部叔父、鎌田内膳叔父、湯塚玄蕃叔父や高梨、島津、小笠原の叔父たち、真田、馬場、内藤のように城主として動けない者たち、その家臣を除き、ほとんどの者の挨拶を受けた。
大工衆の岡部、甲良、鍛冶師の中村親子、山師の藤井親子、水軍衆の奈佐、船大工の土肥、八善屋の甚右衛門、甚兵衛親子も来ており、挨拶を受けた。皆のお陰で今の大峰があるようなものなので、こちらからもいつものお礼を言い、これからのこともお願いした。
岡部、甲良の二人はあっちこっちと俺がいろんな建築を依頼するから、ものすごく忙しいらしい。十月から始めた第二須坂練兵場の建設は順調だが、建築予定の物が多くてまだしばらくはかかるらしい。とりあえず、今のところはそれの次の依頼は考えていないから、須坂のことをお願いした。
鍛冶師の中村治平は忠兵衛に、山師の藤井与平は与右衛門に、これを機に家督を譲りたいと申し出たので、二人もまだ仕事を続けてくれるように頼んだ上で、許した。鍛冶師も山師も人数がめちゃめちゃ増えているので、二人にはまだそのまとめ役もお願いしたいという話をすると、喜んで受けてくれた。
この二人とも付き合いは長くなってきた。二人とも、初めて会ったときは、8歳の子供が話すことを聞いて驚いたそうだ。あの時、俺に従って頑張ってきてよかったと言ってくれた。よかった。
水軍衆の奈佐日本助と船大工の土肥孫兵衛は竜骨船建造に苦労しているらしい。とりあえず造ってみたというので、近々また直江津に出向くことにした。
甚右衛門とは明日からの貨幣制度のことを話した。甚右衛門も近く甚兵衛に当主の座を譲ろうと考えているらしい。今後も大峰との商売がメインとなるのでその時は頼むとお願いされた。甚右衛門が、隠居するなら大峰に常駐して助けて欲しいとお願いすると、検討してくれることになった。
その他にも普段はあまり話す機会がない家臣たちと話すことができて、有意義な時間となった。
毎年これは続けていこうかな。
昼過ぎまで宴は続き、その日はそれで解散となり、皆それぞれの屋敷へ帰って行った。




