序の怪「黒い影」
(一)
世の中には霊能者を自称する人、或いは自分は霊感が強いと思っている人、又は過去に霊の存在を見たり感じた経験をした人まで合わせると、それなりの数は存在するだろう。その真偽のほどは、ともかくとしてだが。
しかし、わたしの場合は確かに、何か超自然的な存在がいると断言できる。
何故なら――そう、見えるからだ。
我が家の家系は、数世代前までは霊感の強い者を大勢輩出していたそうだが、わたしが最初にその存在に気付いたのは五歳の頃だった。
元々わたしの一族、八上家は地方の旧家の出。過去へと系譜を紐解けば出雲を発祥とする渡り巫女の一団であり、歌舞伎の元祖とも言われる出雲阿国にも繋がる由緒正しいものであるらしい。さらに大昔まで遡れば、嘘か真か、あの邪馬台国で有名な女王卑弥呼にまで辿り着くと家伝にはある。
とはいえ我が一族の中に、もはや神職に携わる者などすでに絶えて久しい。元々渡り巫女は寄る辺となる社を持たない漂泊の神職。明治の世の改革で廃止に追い込まれた職業のひとつでもあるのだ。
今では法事などで親類一同が集まる場などで、たまに家系の話に及ぶ事もあるが、それも誰それの祖母、又は曾祖母の霊感が強かったとか、頼まれてよく探し物を見付けていたとかの噂レベル程度の話でしかない。
時代は令和へと変わり、科学万能が幅を利かすこのご時世に、神について真剣に語る者など八上家の親類縁者の中にも誰一人として、今はもういないのが実情だったりする。
だから皆が集まりこの話題になると、必ずといって良いほど母や姉たちは露骨に嫌な表情を浮かべたものだった。
というのも、卑弥呼云々の話はさすがに胡散臭い事この上もなく、それに元来、渡り巫女とは祭神具を携え各地を遍歴し、神楽舞や祈祷、占いや口寄せによる神託などの神事を取り行っていたようなのだが、中には時に客と閨をともにする遊女紛いの巫女もいたようで、現代でも口さがない人々が知れば恰好の噂の的にも成りかねないからだ。
とにかくそんな八上家だが、その家系の特徴なのか、我が一族は典型的な女系家族だったりする。親類縁者を見渡しても、その殆んどが女の赤子しか産まれていない。そんな中、本家筋にあたる八上家に、久方ぶりの男の赤子が授かった。それが、わたしだった。
もっとも、本家分家などと呼び習わす風習も今は遠い過去となった一族なのだが、不思議なもので本家に赤子が生まれ、しかも男子ともなると、親類一同が集まる席で昔の風習を復活させようとの話も出たりする。
それは大昔の渡り巫女時代からの風習。当時は女性ばかりの巫女の集団の中に、男子が産まれるのは不吉だとされていたようなのだ。
元来、巫女といえば神に仕える神聖な職業。まだ未婚の、穢れなき清浄な女性が求められたりするものなのだが、明治以前の古代から中世においての日本では、戦国期に訪れた宣教師ルイス・フロイスが記していたように、性風俗に対しては大らかであり寛容な時代でもあった。大社に縁付くような巫女ではなく、様々な土地を彷徨う渡り巫女のような女性が、土地の男性と恋に落ち肌を重ねるのも無理のない事だったのだろう。また、渡り巫女の集団を次の世代へと残すためにも、訪れた土地で戦災孤児などの赤子(女の子)を貰い受けたりするだけでなく、男性と関係を結び子を産むのもまた、一族を維持すためには黙認されていた面もあったらしい。
しかし、産まれてくるのが女の赤子であれば、次代の渡り巫女として一族内で養育もされるが、これが男の赤子ともなれば話もまた違ってくる。男の赤子は一族に災いをもたらす不吉な忌み子と見なされ、産まれて直ぐに里子に出されたり、酷い話になると、そのまま路傍に打ち捨てられるなんて事もあったらしいのだ。一方で巫女とはいえ、それでも手放したくないと思う者もいたりするのもまた、子を思う母親の心情としてはごく自然なものだったろう。頑なに子を手放すのを拒む者が出た場合、仕方なくせめて五歳になるまではと、女の子として養育されるのが習わしとされていたのだ。
母の妹でもある叔母からその話が出た時、最初は母も「この平成の世に」と、時代錯誤も甚だしいと冗談めかして笑い相手にもしなかったようだ。しかし、この叔母が曲者で、親類の中で唯一「私は霊感が強いのよ」などと広言している人物――今のわたしからすると、それはただの勘違いとしか言えない程度のものなのだが。
とにもかくにもその時は、叔母いわく「このままだと家に災いが降りかかるわよ。それにこの子も、いずれ幽界に連れて行かれる事にもなりかねないわ」などと宣うものだから母も心配となり、親類一同に勧められたのもあって渋々ながら従った経緯があったようだ。
そんな訳でわたしは幼い頃、女の子として過ごしていたらしいのだが、五歳の誕生日を迎えようとしていた数日前に大病を患った。最初は家族もただの風邪だと思って少し軽く考えていたみたいだったが、元々が生来の虚弱体質な上にその時は酷い肺炎を伴い、病院で治療を施しても徐々に病状は悪化する一方だったらしい。後から家族に聞いた話だと、生死の境をさ迷うほどの病だったようなのだが、幸いな事にちょうど誕生日を迎えた日の辺りから病状は、次第に快方へと向かったのだ。
病にふせっている時はかなり苦しんでいたとも聞いているが、28歳となった今のわたしには、まだ幼かった当時の記憶を殆ど覚えていない。当時の事で、うっすらと朧気に脳裏に浮かぶのは、病が回復した後の病室で、件の叔母が「ほら、言った通りにしていたから助かったのよ」と、得意気な顔をして胸を反らしている姿だったりする。
思い出すのが、心配して四六時中わたしに付きっきりの看護をしていた母や姉たち家族でなく、未だに実家に訪れてはあれこれと口煩い叔母なのだから笑い話にもならない。
だが、その生死の境をさ迷った病を経て以来、わたしは見えるようになったのだ。
いわゆる見鬼とも呼ばれる霊能者。退院した直後から、何もない空間を指差し「あれは何?」とか言って、家族を困惑させていたようだ。小学校に入学してからも、同級生やその親からは気味悪がられ、家族や親類からも戸惑いの目を向けられ続けた。
まぁ、親類の中にも若干一名「先祖の血が覚醒したのよ」と大喜びしている女性もいたが。
ともかく、その後の中学、高校と続く学生時代に知り合った友人や知人たちも、見えることを知ると「へぇ、霊感が強いんだ」と最初は興味を持ち割と好意的な目を向けてくるが、やはり最終的にはわたしの事を変人扱い、又は信用できない奴と不快感を示して去っていく。
当時は深く傷付いたものだったが、今にして思えばそれも当然の結果だったのだろうと思う。何故なら、いくら熱心に説明しようとも、彼、彼女らには何も見えていないのだから。
そんな経験を幾つか積み重ね、わたしも少しは学んだ。この霊視とも言うべき能力は、余程の場合以外では他人に明かすべきものでは無いという事をだ。
そんな事を言えば随分とご大層な能力のようにも聞こえるが、わたしの場合は単に見えるだけの、他にこれといった取り柄もないただの一般人に過ぎない。アニメや小説などの物語の中に登場する主人公のように、実戦的な古武道を収めていたり怪しげな秘術などを用いる事もなく、人ならざる怪異を除霊したり戦闘を繰り広げるようなこともない。ただ見えるだけのごくごく普通の人に過ぎなく――学生時代には、この能力を使って心霊体験で困っている人に役立てようと考えなくもなかったが、変に関わって死ぬほどの怖い思いをしたことも数度。それからは「見ない、聞かない、触れない」と、オカルト的な事象には関わらないようにする事が、今のわたしの生きる上での信条ともなっていた。
だが、極力関わらないようにしてきた積りでも、ふとした弾みで関りを持つこともある。
そう、こちらが望もうが、望むまいが関係なく、向こうから怪異はやって来るのだから……。
(二)
あれはちょうど一年半ほど前の事だったろうか。
その頃のわたしは、有名な大手の設計事務所で数年間の実務経験を経た後、若いながらも個人で建築関連の設計事務所を開いたばかりだった。とはいっても、まだまだ経験も浅い新人の設計士。仕事といっても、工務店や大手の設計事務所の下請けの下請け、いわゆる孫請けといわれるものが大半だった。しかし、多くの仕事が舞い込み――あちこちの業界に顔の広い世話好きの叔母が大勢の顧客を紹介してくれたお陰なのだが、その紹介の仕方に少々問題があって忙しかったのだ。
まぁ、その話は別の機会に譲るとして、とにかくその頃はストレスや疲労をかなりため込んでいた。あまりの忙しさに上手く思考が働かない。些細なミスを連発して、何をやっても上手くいかない時期――わたしを取り巻く環境は、そんな状況だった。
その日も仕事の打ち合わせで隣町に訪れていたものの、顧客との間に問題が発生して――いや、これは大部分はわたしに責任がある。設計上の内容に記載ミスがあったのだ。それは本当に些細なものだったが、相手によっては大いに揉めることにもなりかねない。疲れていたからこその、チェック時の見逃しという凡ミス。しかし、そんなものは、この業界では言い訳にもならないのだ。働き方改革が声高に叫ばれる世の中でも、未だにブラックな面が見え隠れするのも、この業界ならではなのだから。
この時も取引先の建設会社の担当者にミスを指摘され、わたしは平謝りに謝り大幅に時間を取られてしまった。幸いにも相手の担当者はそれほど問題視する事もなく、最後には笑って許してくれたのだが、相手先の会社を後にする頃には、すっかりと陽も傾き夕闇の迫る時刻へと変わっていた。
時節は初冬。陽が落ちるのも早く、夕刻ともなると肌寒い風が吹き抜ける。忙しい最中に半日近く時間を取られた事にぼやきつつ、上着の襟を掻き合わせて急ぎ足で駅へと向かう。そんな帰り道、足下のアスファルトは斜に差し込む陽光によって橙色に染め上がり、頭上を見上げれば夜の闇が空を覆い尽くそうとしていた。
昼と夜が交差する時間帯。昔から現世と幽世が重なり合うとも言われる。
別名――逢魔が刻。
わたしが最も嫌う時間帯でもある。古来より大禍時とも呼ばれ、大きな災禍を蒙るのもこの時刻だと信じられていた。実際、人や物がぼんやりとして、はっきりと判別がつき難くなるこの夕闇の時刻に、わたしもよく怪異と出くわすのだ。
しかしこの時、わたしは心身共に疲れはて、それに仕事上のトラブルがひとつ片付き、ホッと一息ついて胸を撫で下ろしている時でもあった。だから、何時もより警戒心が薄くなっていたのだろう。
注意力は散漫となり、安易に行きとは違う道を辿ってしまった。眼前に現れた鬱蒼と繁る樹林、この公園を突っ切れば駅へと向かう近道になるだろうと。
しかし、それが大きな間違いだった。
蓄積された心身の疲労から集中力が落ちていたと言えばそれまでなのだが――。
(三)
足下の砂利の角を踏んだ僅かな痛みに、ふと我に返る。気付くと、目の前には一メートル四方はあるかと思われる石畳が規則正しく一列に並び、左から右へと連なるように延びていた。
その時になって初めて分かった。何処にいるのかをだ。
石畳の左の先には、その存在感を誇示するかのように、夕陽を浴びて真っ赤に染まる大きな鳥居が。そして右側の先には、静まり返る樹林の間にひっそりと佇む本殿らしき社が、夕闇の中にぼんやりと浮かび上がっていた。
そう、そこは見知らぬ神社の敷地内だった。
――何故。
と、ここを公園と勘違いしていたのか不審を覚えるのと同時に、ぞくりと体が震える。粟立つような妙な気配が背筋を這い登り、全身が小刻みに震え出すのだ。その時に感じたのは、体の隅々までを舐め回すような視線だった。
ハッとして視線の元へと体を向けると――本殿脇で大きく枝を広げる大樹。その陰の暗がりの中に、そいつはいた。
薄らとした闇の中で、尚かつ墨を垂らしたようにくっきりと浮かぶ黒い影。人の形――いや、頭と四本の手足を持つ人と似た形をしているが、その輪郭はぐにゃりと波打ち周囲の闇に溶け込む。
そこに居たのは、明らかに人に非ざる怪異だった。
――まずい、気付かれたか。
と思い慌てて目を逸らすが、すでにもう遅い。その異形の影と、一瞬ではあるが確実に視線は交差し、しっかりと絡み合っていた。
怪異と出会った時は、決して視線を合わせてはならない。それが今までの経験上で得た、わたしの教訓でもあった。
視線が合う、それはすなわちお互いを認識した証でもあるのだ。その事に気付いた怪異は必ずといって良いほど興味を示し、わたしに対して粘着することとなる。
そう、今風にいえばストーカーと化すのだ。
その多くは大した力を持たないのか、いつの間にか背後に佇んでいたりして、わたしを驚かせ慌てさせるような悪戯程度の害しか及ぼさず、その内自然と消えていなくなっていたりする。だが、時には死の淵を覗き込むような、恐ろしい体験を伴う怪異に出会うこともある。そして、この時も――。
真っ黒で歪な影には、目や鼻や口といった顔がない。それでも、わたしには視線が交錯したように感じられた。
すぐに視線自体は逸らしたものの、その瞬間、心臓が迫り上がるかと思うほど、どきりと高鳴る。
そして同時に、取り巻く空間そのものが変容した。
ぬちゃりと、体に触れる空気は粘り気を帯びたものへと変わり、わたしを搦め取るかのように纏わりつく。それはまるで、海の底にでもいるかのような感覚。周囲を取り巻く空間の全てが、粘着性を持った液体と化して全身に重くのしかかってくるのだ。
しかも、黒い影はゆらゆらと揺めき、ゆっくりと此方へと近付いて来るのが、視界の端に映った。コマ送りの映像を見るかの如く、まるで空間を切り取るかのように、すっ、すっと移動して来るのだ。その姿に、形容し難い恐怖を覚え、
――ひいぃ。
思わず悲鳴をあげるも、声にはならず口中へと消えていく。
見えるからといって、恐怖が減少する訳でもない。逆に増幅する場合の方が多い。今、目の前でゆっくりと近付くそれも――直感的に、こいつは関わっちゃ駄目な怪異だと、わたしは一瞬で、そう覚った。
――早く逃げないと。
などと慌てて考えるも、周りの空間がねっとりと体に絡み付き、重しとなって行動を阻害する。
思うように動けない。
こうなると、もう視界の端に映る異形の影から目が離せなくなる。そして、体の奥底からわき上がる恐怖も倍増していく。人間の根源、純然たる本能に根差した恐怖の感情を刺激するのだ。
眼前にいる怪異は、今まで出会った数々の怪異とは比べ物にならない存在だった。こいつは別格。悪戯程度のなんて可愛らしいものじゃない。死の淵どころか、目の前にいる存在が死そのものに感じられたのだ。
恐怖のあまり体は硬直し、思考さえも痺れ霞んでいく。喉がからからに干上がり湿り気を失うのとは反対に、全身の毛穴という毛穴が全て開き、どっと嫌な汗が滝のようになって噴き出す。額に浮き出た汗は、頬を伝って顎先からポタリと滴り落ちていく。
――声を……。
それは、生への執着。頭の片隅に残った僅かな意識が、自分を叱咤し、ごくりと喉を鳴らす。
「…………ぁぁ……」
か細い声が、微かに喉を震わせる。だが、これでは駄目なのだ。
オカルテックな知識だけは無駄に有している叔母から聞いた事があった。
「金縛りで体が動かなくなった時は、それは霊と波長が合って引きずられているからなのよ。そんな時はいい、おへそから拳一つ分ぐらい下の所に力を込めて、大声を出せば呪縛から解放されるわ」と。
もう一度、今度はお腹の底から絞り出すように。
「……ぅゎぁ……ぁぁあああああ」
徐々に大きくなるそれは、もはや悲鳴というよりも、恐怖に煽られた心が軋み掻き鳴らす音。しかしそのお陰で、全身を蝕む呪縛が僅かに緩んだ。
迫り来る死の影を横目に、ようやくの思いで一歩踏み出す。早く早くと急く思いに促され、さらにもう一歩と足を動かした。
がくがくと、自分の思いとは違ってちぐはぐに動く手足。
それは、意識と手足の途絶とでもいうのだろうか。まるで他人の手足を動かしているような感覚だった。
しかしそれでも、不格好で緩慢な動きながらも「早くこの場から逃げ出さなきゃ」との思いに突き動かされ、わたしはどうにか境内の外に向かって走り出す事ができたのだ。
この時ばかりは、いつも口煩いだけの叔母に対して、頭の片隅で感謝の言葉を並べる。
静寂に包まれた境内に、石畳の上で鳴らす靴音だけが響く。後ろを振り返ることなく、いや、すぐ側まで迫っている怪異の気配を感じて、背後を確認するのが恐ろしかったのだ。
だが、それもまた失敗だった。
ちょうど鳥居の下を潜ろうとした時に、派手に転んでしまった。
恐怖に煽られ焦るあまり、足下への注意も疎かになっていたのだろう。
石畳は唐突に終わり、そこから先は普通に舗装された道路が続く。足裏の感覚、僅かな差違の違いに気付いた時にはもう遅く、その微かな段差に躓いたのだ。その後は、前のめりの姿勢となって、まともに道路に向かって身を躍らせた。
辛うじて頭は庇ったものの、ガリガリと肘が道路を擦っていく。シャツの袖は大きく破れ、むき出しの肘先からはダラダラと血が流れていた。
――痛っ!
痛みに顔を歪めるも、それは一瞬。すぐに恐怖の感情が勝り、痛みを上書きしていく。
――黒い影は……。
慌てて振り返ると、死の影はもはや傍へと距離を詰め、こちらに向かって覆い被さるように――わたしは諦め半分、もはや頭を抱えて蹲る事しかできなかった。
だが、何も起きない。
不審に思い、そっと顔を上げると、死の影――黒い影は、何故か鳥居の柱に寄り添うように佇むと、ゆらゆらと揺らめきながら此方を窺っている。
「ひぃ……」
思わず漏れ出る悲鳴を飲み込む。
道路にへたり込んだまま後ろに手を突き後退るも、何故か此方に向かってくる気配がない。
――これは……。
鳥居の真下で躓き転んだわたしは、鳥居を境界線としてこちら側に、そして、黒い影はあちら側。
――もしかして、この黒い影は鳥居からこちらへ……境内から外には出られないのか。
そんな考えが浮かぶと同時に、さっきまで感じていた全身に絡み付くような重しが消失している事にも気付く。
――どういう事だ。
と疑問に思うも、今はそんな事を考えている場合でもないし、そんな余裕もない。
今やるべき事はひとつだけだ。文字通り脱兎の如く跳ね起きると、後はもう転がるようにこの場から逃げ出すのだった。
その後も、駅へと向かう道すがら何度も背後を振り返りつつ走り――もう無が夢中で、どこをどう走ったか分からない状態ではあったが、しばらくして、ようやくの思いで駅へと辿り着く。その時には全身は汗にまみれ、肩を激しく上下させて荒い呼吸を繰り返す。そのうえ着衣も乱れ、破れた袖からは血が流れる酷い有様へと変わり果てた状態だった。
駅構内は夕刻の込み合う時間帯。勤め先からの帰宅途中、或いは学校からの帰り道といった人たちでごった返す。そんな行き交う人々からは奇異の目を向けられるも、この時ばかりは羞恥心が沸き上がるより先に、人混みに紛れた事で、ようやくホッと安堵の吐息も漏れ出た。
「ここまで来ればもう大丈夫だろう」と。
同時に、忘れていたズキズキとした痛みも戻って来る。
擦り剝いた右ひじを庇うように左手をあて顔をしかめつつ、この時になって初めて気付いた事がひとつ。それは、取引先の会社から見て、駅へと向かう方角とは全く違う方向に件の神社があった事をだ。もしかすると、取引先の事務所を出た時からすでに、わたしは怪異に魅入られ引き寄せられていたのかも知れない。
その事に考えが及んだ時には、心底ゾッと怖気に全身を震わせるのだった。
(四)
神社で出会った心霊現象、その恐怖体験から数日、帰宅してからも、オカルト的な何かが起きるかもと身構えていたが、拍子抜けするほど平和そのものだった。やはり、あの怪異は今も、神社から外に出る事は出来ないのだろう。
――結界。
そんな言葉が、ふと思い浮かんだりする。
元々、神社とは怨霊等の霊的存在を封印するために創建された場所だとの話を聞いた事がある。いわゆる怨霊信仰と言われる説だ。太古における神社とは、怨霊等の負のエネルギーを浄化、又は災害などから国や土地を守護するエネルギーへと転換するためのシステムだったとも言われていたりするのだ。
あの後、気になったので少し調べてみたところ、人伝ではあるが、神社創建時の縁起にまつわる話を聞く機会があった。
その話によると、あの神社の近くには隣町との境にもなっている川が流れているのだが、大昔は暴れ川としても有名だったそうだ。そこで川の主でもある龍神を鎮めるためにと、土地の領主や名主たちの寄進によって建てられたのが、あの神社らしい。
まぁ、ここまでなら地方に行けばよく聞く話なのかも知れない。
だが、この話には他所とは違って少し異なる続きがあった。これはあくまで噂や都市伝説の類なのだが、それでも鎮まらない川に業を煮やした時の領主は、人柱としてまだ若い生娘を無理矢理川底へ沈めたなんて話もあったようだ。しかも、あの神社に纏わる怪し気な話は、まだ続きがあって、あの神社では近年――昭和初期の戦前の頃までは、その娘の怨みに思う念を利用した呪殺が盛んに行われていたとの噂だった。
白衣に、蝋燭を立てた鉄輪を頭に被り、藁人形を五寸釘で打ち付ける。いわゆる丑の刻参りといわれるものだ。そして、その場所こそが、社の傍らに植えられた御神木との話だった。
そう、あの黒い影が寄り添うように佇んでいた大樹に、藁人形が打ち付けられていたのだ。
あれが何だったのかは、今もはっきりとは分からない。大昔に神社へと封じられた何か、或いは人柱として沈められた娘の怨霊、もしくは近年まで続いた丑の刻参りで蓄積された負の怨念が凝り固まった存在。いや、もしかすると、その全てが合わさった怪異だったのかも知れない。
それに、あの怪異が何をしたかったのか、それもよく分かっていない。
あの世と呼ばれるような場所へと引きずり込みたかったのか、それともわたしに取り憑き境内から外へと抜け出したかったのか、それも定かではない。いずれにしろ、この世のものではないのは確かであり、あのまま捕まっていれば碌な結果にはなら無かったのだろうとの想像は容易にできる。
今回ほどの恐ろしい経験では無いものの、幼い頃より神社仏閣で不思議な体験をする機会は多々あった。だから、出来るだけ避けるようにしていた積もりではあったのだが――やはり、わたしにとって神社等の霊的現象の起きやすい場所は鬼門。今回の事で、出来るだけとは言わず確実に避ける場所だとの認識を新たにする事となった。
とはいえ、聞くところによると、国内の神社総数は九万近くもあるとか。しかもこれは、確認されているものとの括りの中でだ。摂社末社、私有地などに存在する小さなお社や、お堂、祠まで入れると、その数はおおよそながら二十万とも三十万とも言われている。
町でよく見かけるコンビニの数が約六万店ほどなのだから、神社の総数がいかに驚くべき数字かよく分かるというものだ。ある意味、日本そのものが霊的な聖域とも言えるかも知れない。わたしにとっては、なんとも嫌な数字でもあるのだが……。
近頃はパワースポットがちょっとしたブームとなり、神社に足を運ぶ人も多くなったと聞く。それに、地方の自治体も力を入れて観光客を誘致し、海外からも多くの外国人が神社仏閣に訪れるとも聞いたことがある。しかし、そんなにわかファンの中には、知ってか知らずか、最低限のマナー(服装、出入りでの一礼、参道の歩き方、手水を取る、拝礼など)さえも守らず、撮影禁止の看板があっても勝手に写真や動画を撮る人もいるようだ。
だが、その行為は他人の家に無断で土足のまま上がり込み、勝手に撮影するような、かなり無礼な行為に等しい。
本来、境内は聖域であり、社は神の家なのだ。
昔は境内で悪さをすれば罰が当たると言われたものだが――罰イコール祟りでもある。神社等の敷地内は、畏れ敬うべき神域あり、そこを荒らすような行為は控えるべきはずなのだが……わたしとしては、此方にとばっちりが来ないように願うばかりだ。
相変わらず仕事に忙殺される毎日が続き、その合間に、わたしはそんな事を考えていた。
ふと、窓の外へと視線を向ければ、あと少しで陽が沈む夕刻。差し込む夕陽の眩しさに目を細め、
――今日も黒い影は、御神木の側に……。
そんな想像を巡らす。
黒い影は何十年、何百年とあの場所にひとり佇み、わたしのような者が現れるのを待ち続けていたのかも知れない。そして、それはこれから先も……。
そう考えてみると、少し哀れであり、わたしは物悲しささえ覚えるのだった。