1 異都
環が岩天井の隙間から見上げると、照りつける日差しが彼女を見ていた。
外の日差しは焼け付くように熱く、昼に出たりなどしたら半刻もしない内に倒れてしまう。だから人々は土を掘り、迷路のような坑道の中に住処を作っていた。
「環は外に出ないの?」
「悪いことだもの」
「みんなやっているのに」
岩室で女性たちは甘いお茶を飲んでいた。ガラスの器が差し出されて、環もちょっとずつ口をつける。
「太陽の下は神様の領分なのでしょう?」
環は年上の女性たちに言い聞かされたことをそのまま言った。
「お前はいい子だね」
女性たちは笑ってうなずき返した。
みなはこの街を異都と呼ぶ。周りは一面砂漠で、いつどうやって人がやって来たのかを知る人はいない。地下水脈でささやかな作物を育てて、街の者たちだけで食いつないでいた。
「悪いことをしたって、夫にお仕置きされるだけよ」
壮年の女性がいたずらっぽく言う。環はうろたえて身を引いた。
「ひどいことをされる?」
「時々ね」
女性たちが秘めやかに目配せする。環はどうして彼女らが愉快そうに話すのかわからず、深刻な顔をして黙った。
「すずめの洞の岩盤が落ちて……」
「ああ、聞いた。気のいい子だったけどね」
「こけの姉さんが再婚するって」
「あさひの時はいつもあざだらけだったが、今度はうまくいくといいね」
もう彼女らは環のことなど忘れたように、訃報も朗報も混じる世間話の渦の中にいた。
ひんやりとした風が流れ込んだのはまもなくのことだった。
楽しげに談笑していた女性たちは口をつぐみ、頭を低くして目を閉じる。
人形のように動かなくなった女性たちの中で、環も目を閉じていた。
闇から伸びた手が環の頬を包む。
十六歳になった今、環に触れる異性は一人しかいない。
冷たい、固い……怖い。
夫の腕に迎え入れられて、環はらせんに巻き込まれるように体を強張らせていた。
柳石は、異都に住む天使だと言われる。
黒髪黒目の人々の中で、金髪に緑色の瞳をした彼は異質だった。迷宮のような坑道のすべてを知っているのも、人々の羨望と共に恐れの対象だった。
柳石と環が結婚したのは、去年の夏至の日だった。
二人の洞の入り口には、今も祝儀の品が積まれたままだ。
閨に焚きしめる香、血止めの油。そろって禍々しい赤い紐で縛られたそれらは、異都の人々の祝福で、欲望の形だった。
他人の洞で何が起ころうと構わない。けれどできるなら身震いするほど倒錯した交わりであるようにと、人々は願った。
柳石は浅い眠りから覚めて、ゆっくりと目を開いた。
背中から腕を回して妻の髪を梳く。起きている気配はするが、冷えた汗で髪が頬にはりついていた。
「環、着替えて食事にしよう」
妻の体を起こしてやると、こちらを向かせて座らせる。
環の目は開いているが、顔色は青白く、言葉を話す気力もないようだった。
柳石は枕元の水を張った桶から布を絞った。環の汗を拭いて着替えさせると、炊事場に向かう。
かまどから鉄の鍋を下ろし、山芋をすりつぶして混ぜ、とろみをつけた粥を器に盛って戻って来る。
「ゆっくりお食べ」
柳石はさじをすくって一口ずつ環の口に粥を運ぶ。
環は、お腹が空いて食べている様子ではない。ただ心臓が勝手に動くように、体に入ってくるものをどうにか飲み下す。
ふいに環はせき込んで粥を吐き出した。
「いいんだ。無理をするな」
柳石は眉を寄せて環の背をさする。水差しを当てて口をすすがせて、環が落ち着くまで背を抱いていた。
やがて環の咳はやみ、虚ろな目で水差しに手を伸ばす。
「待っておいで」
柳石は環を抱き上げて、洞の奥に向かう。
二人の新しい洞の奥には地下水が湧いている。銀色の砂利を詰めた漏斗で飲み水に変えていて、水を汲むたびにしゃらしゃらと音が鳴った。
柳石はそこから冷たい水を汲むと、綿に染みこませては環の口に少しずつ含ませる。
新婚生活というよりは、まるで重病人の看病をするような日々を続けている。
柳石は手を止めて彼女をみつめると、頬に自然と微笑みが浮かぶのを感じた。
「愛している、環」
柳石は誓いのような……呪いのような言葉を口にして、妻を腕に抱いて背をなでる。
水が鳴る音が、洞の中に響いていた。




