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 彼女は目を腫らし、頬に青い痣をつけてやってきた。彼女の人間関係に傍観者を気取っていた私だったが、さすがに看過できなかった。口を出さざるを得なかった。

「どうしたの?」

「彼氏にバレちゃった。」

 そう話した彼女は笑みを浮かべ、気丈にも涙を見せなかったが全身は小刻みに震えていた。

「その青あざ、殴られたのか?」

「うん。」

 彼女は涙ぐんで口を開いた。

「もう彼氏と一緒に居たくない。今までもDVっていうのかな。ずっとされてた。」

 かなり俯瞰的に見ているつもりだった私だったが、気づかなかった。落ち込んだ雰囲気や体調の悪そうなときは確かにあった。でもバイトだったり勉強だったりのせいだと思っていた。気づけなかった自分に、眩暈がするほどの怒りがなだれ込んできた。それと同時に口をついて出たのは、自分でも思ってもみなかったことだった。

「うちにこい。しばらく彼氏から離れよう。」

 彼氏の怒りが収まるまでしばらく掛かるだろう。一日二日でなんとかなるようなものでない。

 心の中では、これ以上家に人を招きたくないと考えていた。長時間人と一緒にいるのが苦痛な私にとって、狭い六畳の部屋にしばらく一緒に過ごすというのが耐えられそうにないからだ。

 しかしかわいい彼女と、事情は何であれ、同棲ができることを思い描き、ショートケーキを目にした女の子のように喜んでいた。その相反する感情の中で彼女は告げた。

「彼氏から離れることはできない。申し訳ないけど数学教えるだけにして。」

 彼女は濡れた目で私を見つめながらそう言ったのだった。

 心理学を大学で学んでいた私が思いついたのは、共依存という用語だった。彼女は彼女自身のことはさておき、彼氏の世話をすることに夢中になりすぎ、彼氏が背負うべき責任まで彼女が背負ってしまってる状態だった。

専門家ではないので断定することはできないが、私の頭にある知識の中でしか考えることなどできないのだから、それだと思うしかない。このような第三者がなかなか踏み込めない問題は解決するのが難しい。

 彼女は彼氏に必要とされていると硬い石のように思い込んでいるから、ちょっとやそっとのことでは動かせない。多少無理矢理にでも動かさないと、このままではまずい。精神を病むことの大変さは経験から十分わかっている。

「それ共依存って状態だよ。自分ではわかってないと思うけど、一旦冷静になって話きいて?」

「うん……。」

「共依存ってお互いに依存しあっている状態なんだ。このままの状態が続くとお互いだめになるよ。一度うちに泊まって、彼氏との関係性をもう一度考えよう?」

「でも……。」

「いざとなったら守るから。」

「そこまで言うならわかった。でもとりあえずは少しの間だけね。」

「うん。」

 なんとか思いとどませることに成功した。

 問題を整理しておこう。二つの問題がある。一つはDV彼氏から守ること。もう一つは大学の友人たちとうまくやっていくことだ。

 家に連れてくる前に、いやもっと前から危惧していなければいけなかったのがあった。 

これまた私は心理学に通じている部分があるので思いつくのだが、ザイオンス効果だとか返報性の原理だとかだ。これには十分注意しておかねばならない。バイアスに惑わされないよう俯瞰的に物事を見つめ、自分の行動、心理を吟味しよう。

 さて。

 家に帰ってごはんを食べてお風呂入ってその後勉強して、ご褒美に深夜にコンビニ行ってアイス買ってあげた。まるで彼女だった。

元カノとは距離的な問題や周囲の人との関係から、こういうことはできなかった。今もなお付き合っていたとすれば、こんな感じなのかなと思い巡らし、雲に少し隠れた月明かりも相まって、感傷的な気分だった。

 やっぱり忘れられていない。忘れたくはないけど徐々に忘れていってしまってる部分がある。そんなことに思い耽った彼女との一夜だった。

 普段友人が家に来るとほぼ確実に寝られないのだが、このときばかりは眠れた。どこか安心するような感じ。自分のことは案外わからないもので、なぜ安心するのかは誰も知らないが、推測すると私は相手が女だからだったと思う。

 私は別に女性の全てを見下しているわけではない。男性は男性で、女性は女性で得意なことがある。私は知能と論理的思考は強い正の相関があると思っている。そして男性は女性より論理的思考力が優れている。私がそう思ってるだけでなく、脳科学的にも医学的にもそう言及さている。すなわち、私は知能という面で女性を見下しているわけだ。加えて、体格や力は誰が見てもわかるように、男性の方が優れている。そんなことで安心したのではないのだろうか。

 確認しておくが、何もなかった。元カノの影響が大きいせいか、立たないのである。援助交際やデリヘルなども試してみたがそれでもだめだった。別に女の子が苦手とかではないのだが、それでも体は言うことをきいてくれないのだ。そもそもしたい気持ちもなかったが。強がりではなくて。

 翌朝はいつもより気持ちよく目覚められた。

 ふと考えると、誰かと寝て、しかも気持ちよく目覚めたのは初めてかもしれない。そう思うと彼女は私の稚拙な予想を上回る意外な人だったようだった。

「おはよう。」

「おはよ。」

 彼女はもう既に勉強に取り掛かっていた。

 私はインスタントコーヒーを入れ、煙草に火を付け、一服をした。いつの間にか習慣となり、これがないと一日が始まらない。

「これが普通なのかな。」

「ん?」

「こうゆう日常が普通なのかな?殴られることに怯えず、ごはんたべてお風呂はいって、レイプまがいのこともされないで。こんなに安心したのいつ以来だったんだろ。」

「大変だったんだね。」

 知らないとこでだいぶ酷いことをされていたと再確認した。

 このとき私は気分が良かったのだろう。普段の目覚めはよくないのに、今日は起きられた。昨日は元カノとの幸せな記憶を追体験したようだった。私はこのとき後悔すべきだったのだ。普段なら熟考していただろうに。

「今日も泊まったら?帰ったらまたひどいことされるんじゃない?」

「迷惑じゃないの?」

「もう散々迷惑はかけられてる。」

 いかにも芝居じみた口調でそういった。

「じゃあ泊まろっかなー。」

 満足げな表情で彼女は勉強に戻った。

 これを機に、彼女のバイトを辞めさせた。衣食住は提供できるので、バイトの時間を勉強に当ててほしかった。

 私も大学の勉強に取り掛かった。後期は実験が多くなる上、彼女の勉強の面倒もみなければいけない。今のうちに先取りしておいて損はないはずだ。余暇として趣味の数学にも取り掛かる。

「xとyの基本対称式って?」

「x+yとxyだよ。」

「xとyとzだったら?」

「x+y+zとxy+yz+zxとxyzだよ。」

 こんな会話も当たり前になってきた。高校のときの彼女であればこんな話をできるなんて思いもしなかっただろう。

 そういえば基本対称式の定義とはなんだっただろうか。知らないことに気づいた。一度どこかでみたことがあったと思うが覚えていない。高校数学の範疇を超えているが、彼女と数学を学んでいるうちにこういうことが幾度とあった。案外、提案を受け入れたことは正の方向に進んでいるかもしれない。

 九月末、大学が始まった。前期よりも少し大変そうだがなんとかなりそうだ。問題は友人たちとの関係だ。日本語が通じる人たちなので話せばわかるだろうが、それでも疎遠になりうると考えている。

 一回目の一年生のとき、大学にこれなくなったときに友人関係が続いた要因は、一に駅近くにある私の家、二にお金を出す私の存在。彼らにとって私の家は気を遣わずに使えて、居心地が良いらしい。こんな家を手放したくないだろう。

 家にきたときの飲食代は全て私がもっている。彼らの金銭的負担が減るのも利点の1つだった。

 どこまでも卑屈な私だが、これが全てではないと思う。私は気づいてないが私にも良いところがありそれに惹かれているのも事実だろう。外面もその人の一部だが内面をみてほしいというのもあるが。

上記のような利点がなければ私と彼らは大学であって挨拶する程度の関係性に転じていたと推測できる。

 もちろん私は、お金を貪りストレスを増大させる友人たちを心から好いているわけではない。どちらかといえば、嫌っているといると言ったほうが正確だ。それでもなお付き合っているのは損得勘定に由来している。つまり上下とのつながりが切れれば過去問や情報が入らなくなり、単位の取得が危うくなってしまうのだ。それを回避するために付き合っていると言っても過言ではない。

 同級生には友達はいないので、作っていないので、横のつながりはない。だから結局は上とのつながりに頼る他ないのである。

 それから数日後の夕方、彼らが泊まりに行きたいとのことだった。家で話すわけには行かず、彼女を家において重い体を大学へと運んだ。

 図書館や通路で話すには重々しい話題だったので、大学内の談笑スペースに誘った。そこには主観的にしか物事を考えられない猿のような大学生も多くいたがそんなゴミには目もくれず、自分を聡明だと思っていた私は彼女の説明をするために口を開いた。

「……こういう状況なんだ。」

「まあしょうがないか。」

「ごめんね。しばらく泊められないけど許して。」

「全然いいよ。不満だけど過去問とかもやるよ。」

「ありがとう。」

 彼らはそう言ったがゆくゆくは疎遠になることを確信していた。私が得てきた経験則によるものだ。元カノともだいぶ仲良かったが、浪人して物理的距離が離れてすぐに自然消滅してしまった。あれだけ毎日ラインしようと元カノの方から言ってきたのに、離れたらこうだ。こんなんだから卑屈になって、うつになって、留年したのではないか。

「合鍵返してもらってもいい?あると便利でさ。」

「はー、これで家なくなっちまったなあ。」

 彼らは冗談を言うように笑いながら言ったが、あながち間違いでもなかっただろう。

 初めはほぼ毎日大学に通っていた。前期もそうだったが、うつが影に潜んでいるのでたまに休むことはあった。それでもがんばって通っていた。

 私が大学にいる間、彼女が何をしていたか。

もちろん勉強だろう。自分の目で見たのではないから、確信をもって言うことはできないが、私の家、喫茶店、ファミレス等で勉強しているらしい。本当だろう。これまでみていて真剣なのはわかっている。

 私が授業で学生証を使わないときは彼女にそれを渡し、彼女は大学の図書館で勉強することもあった。彼女は文系の大学に通っていたので、理系の大学の理系チックな書籍が多くある図書館は初めてだったようだ。それに感銘を受け勉強にはげんでくれて私はなんだが嬉しかった。

十一月末。

 私はもう既に、周りが見えなくなってしまっていたのだとこのとき気づくべきだった。


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