耳の中の世界
私は普段、あまり電子機器を持ち歩かないし使わない。私の持ち歩く電子機器と言えば携帯電話くらいなもの。いわゆる「アナログ人間」というやつだ。
日々進化する機械に、私はついてゆけない。
この時期にはめずらしく、よく晴れた青空で太陽が眩しい今日。私は少し遠出をすることにした。
昨日、久しぶりに遠くの友達から連絡があり、会おうと約束した。突然のことである。多分また恋愛がらみの相談だろう。
私はあまり利用しない電車に乗る為に駅へと足を運んだ。
切符を買い、ホームへと階段を上がる。まだ少し時間より早かったようで、目的の電車が到着するまでに5分ほど時間があった。
何をするわけでもなくホームに立っていると、私の体を冷たい風が吹き抜けてゆく。
もう冬か……。と、改めて思い知らされると同時にもう少し厚着をして外に出てくれば良かったと少々後悔していた。
駅の鼻にかかった声のアナウンスが聞こえると、間もなくホームにものすごい速さで電車がやってきた。そんな速さで来るにもかかわらず、ちゃんとした位置で電車は止まる。まったく運転手さんの技術はすごいものである。前に一度、友達に電車のゲームをやらせてもらったことがあるが、全然うまくできなくてその友達に笑われた事を思い出した。
時間が時間なので、朝の通勤ラッシュよりは幾分かはましだが、それでも乗客は沢山乗っていた。心のどこかで痴漢に会わないかと心配しながらドアの近くへと移動する。それと同時に車掌さんの笛の合図でドアはゆっくりと閉まり電車は一定のリズムを刻みながら走りだした。
私は移動するとき。特に電車では何もすることがないから、そんな時間でいろいろな事を考える。
明日は何をしようだとか。今日の夕食はどうしようだとか。友達の事、仕事の事、恋人の事など様々だ。
今日も目的の駅に到着するまでの時間にいろいろと考えるだろう。
あと何駅だっけ?
そう思い、ドアの上に掲示してある路線図のような物に目をやると、まだかなりの距離があることがわかった。
それを確認し終えた私は、ぼんやりと外を見て時間をつぶすことにした。
常に一定のリズムを刻んで走る電車。それに合わせるように景色も移り変わる。住宅街が見えたり、犬の散歩祖をしている人や公園で遊ぶ子供たち。堤防や橋に差し掛かればジョギングしているお兄さんや釣りをしているおじさんなんかも見えたりする。こんな寒い季節だというのに、川の中まで入って行って何が釣れるのやら。
その景色を見る度、そこの人々の生き方を想像してみたりもする。
気が付くと、電車は大きな街の大きな駅に停車していた。この駅で降りる人もいれば、逆にこの駅で乗る人もたくさんいた。
さっきよりも車内の人数が増えたから、私のスペースも心なしか少しばかり狭くなった。
窮屈に思いながらも、あと少しだと自分に言い聞かせて我慢することにした。
人を腹いっぱいに詰め込むと、電車はまたその口を閉じて走り出す。
さっきまでは外ばかり見ていた私も、今度は車内に目を向けてみることにした。
当たり前なことながら様々な人が乗っていることに気が付いた。高校生に大学生たち。主婦のような人に、疲れ果てたおじさんに、髪の毛がすごい派手な色をしているおばさんまで実に多種多様だ。
そんな人たちを見ていると、一つ気が付くことがある。
それは、彼らのほとんどが。いや、ほぼ全員が耳にイヤホンを付けている事だった。それはウォークマンや携帯電話などの音楽再生機器につながっていて、大半の人は音楽を聴いていて他者との関係を拒絶し、自分だけの世界に没頭しているのであろう。この電車は一つの世界見えて、人の数だけの世界があるのだ。
まるでイヤホンを付けて電子機器に繋がっていない私の方がおかしいと思えるくらい、誰しもが耳にイヤホンを付けている。
ふと、私はこんな事を思った。
あのイヤホンの先は、みんながみんな同じ所へと繋がっていて、洗脳され、一つの意識へと統一されているのではないかと。それで急にみんなが一斉に同じタイミングで私の方を向き、イヤホンを強要し、私を同じように洗脳する。なんて。
そして、あのイヤホンは脳と深く繋がっており、他者の私なんかが気軽に抜いたりすると、耳から、その繋がった脳の一部がジュルリと出てきて聞いたこともないような悲鳴を上げてその人は倒れ、死ぬ。なんて有り得ないことを考え、心の中でほくそ笑んでいた。
この電車の中にいる人々が、何を考え何を想い生きているのかは、私には知る由もない事だが、彼らにも私と同じように何か想うところがあり、自分の世界を持っている。
耳にイヤホンを付け音楽を聴くという行為は単なる暇つぶしかもしれないが、各個人の世界を形作る一因となっているのかもしれない。
そうこういろいろ考えているうちに、電車は私の目的とする駅へと到着した。
私は久しぶりに会う友達の事を思いながら、その一歩歩踏み出した。
改札を出たところに彼女が立っているのが見えた。声を掛けようとしたとき、その耳にイヤホンが差し込まれていることに気が付いたので、私は声をかけることを止め、近くにより肩を軽く叩くことにした。さて、今日はどんな話が聞けるかな。