願いの先にあるものは
時計の針は止まることなく一秒一秒を刻んでゆく。それは変えることのできない時の流れを人間にも目でわかるように表したもの。その時の流れを止めることができたとしたら、いったい何が起きるのだろうか。
桜舞い散る春。新しい出会いの季節でもあり、また別れの季節でもある。学校の一本の大きな桜の木の下。そこに一人の男が立っている。芳野秋路。秋に生まれたからこの名が付けられた。なぜこの男がこの桜の木の下に立ち尽くしているのか。しかも彼の頬に流れる涙の理由を説明するには数分前に遡る。
この学校にはひとつの伝説がある。伝説というか迷信というか噂というか…。
“この学校で一番大きい桜の木の下で卒業式の日に好きな人に告白すれば必ず成功する”
というものである。
非常にベタでありきたりかもしれないが、生徒の間では先輩から後輩へ代々語り継がれていて知らないものはほとんどいないというものである。
そのうわさを信じるものがここにも一人。芳野秋路である。彼には好きな女の子がいた。同じ学年の古都吹美鶴という背の高くていかにも「カッコイイ」という言葉が似合う髪の長い女の子である。高鳴る鼓動を抑えつつも、美鶴を呼び出すことに成功した秋路は勇気を持って告白を試みた。
結果は言うまでもないだろう。振られた。彼は桜の花びらが舞い散る校庭のすみで愛しの彼女にその思いを告げると、彼女は申し訳なさそうな顔をして「すまない。私には潤がいるから…」とだけ言いその場を後にした。彼はなすすべもなく、この3年間が今無に帰した事を後悔やら悲しみやら、その他たくさんの気持ちが渦巻く中硬直してその場を動けずにただ涙を流しその場に立ち尽くしていたのである。
一方美鶴の言う「潤」とは彼女の幼馴染みであり家が隣だ。二人は別に付き合っているわけではないのだが、いつも一緒にいて美鶴は密かに彼のことを思っていた。つまり最初から秋路にはチャンスはなかったことになる。
ここで思うのが「あれ?伝説は?」と。確かにそのとおり。というかそんな伝説があり誰も彼もが告白をして成功するのならその木は長蛇の列である。そんな都合のいい伝説はなかったようだ。
秋路はいつまでもその桜の木の下で呆けてる訳にもいかないので、涙を拭いながら家に帰ることにした。いつもと同じ道でもなんだか今日は違う景色に見えた。卒業式という特別な日だからだろうか。もうこの道を通ることがないのかと感傷に浸っていた。
「あれ?ここどこだ?」
気がつくと秋路は本当に知らない道にきていた。自分の住む町なのに知らない景色。少し奇妙である。秋路がふと後ろを振り向くと、入り口に擦れた朱色の鳥居がある長い階段が樹木の鬱蒼と茂る小高い山の中へと続いていた。
「なんだこれ…」
奇妙に思いながらも秋路はフラフラと引き寄せられるかのようにその階段を上っていった。どれだけ上っただろう。上れど上れど先は見えず、ふと下を見ると自分でも驚くほど下にあった道と鳥居が小さく見えた。それでも秋路はその足を止めなかった。
「やっと終わりか…。最後の一段!」
少し経つと秋路はやっとの思いでその階段の一番上まで上った。そこは開けた土地になっており奥に古ぼけた大きな神社と脇に小さな小屋が建っていた。
「すいませーん。誰かいませんかー?」
そう神社の本殿の中に叫んでみるも中からの反応はなく秋路の声が虚しく響くばかりである。秋路は身を乗り出して中をキョロキョロと見回していると、淵の方で何かが光った気がした。一瞬しか見えなかったが、それを彼は何かの目だと認識した。
気味の悪くなった秋路はそそくさと神社を後にすることにした。
「うわっ!い、いつの間に!」
秋路が帰ろうと後ろを振り向くと、さっきまではいなかった彼の半分くらいの身長しかない少女が無言で立っていた。
「なんでこんなところにこんな子供が…」
そういうとその少女はむっとした顔をして秋路の左足を思いっきり踏んだ。小さい女の子といえど足の指先を思いっきり踏まれては悶絶する痛さである。
「いった…」
「子供とは何事ぞ、我はこの神社の主であり、この一帯を統治する神なるぞ。もっと我に敬意を払え。まず我のことを子供と言った事に礼を貰わねばならんな。」
「な、何を言ってるんだ。」
「む、まだ信じておらんな。」
そう言ってその少女は再び秋路の左足を思いっきり踏みつけた。するとあまりの痛さに飛び上がった。
「信じたか」
「は、はい…」
秋路はこれ以上足を踏まれるのも勘弁してほしかったので少女の言葉にあわせることにした。
「それよりお前。失恋したろう。」
その一言に彼はハッとした。
「な、なんでわかったんですか?」
「だから言ったじゃろう。我は神だ。神にはあらゆることがお見通しなのだぞ。」
その神様は腕を組みいかにも鼻高々である。
「む?お前、その制服、仙河高校の生徒だろう。」
「はい。」
「ふん、やっぱりな。じゃと大方卒業式に日に桜の木の下で想い人に告白してあっさり振られた口だな。」
「そ…そこまで。」
「貴様あんな伝説を信じておったのか!?ソンナ伝説の木が一介の高校にある訳がなかろう。馬鹿かお前。」
飽きれた顔をする神様の目の前で、秋路は明らかにしょんぼりしていた。
「しょげるな。そんなお前にいい事を教えてやる。あの高校にはな、恋が叶う伝説の木なんてもんはないが、願いが叶う碑石ならあるぞ。」
「碑石?」
「そうじゃ。58年前、あの学校ができたときに地脈を安定させる目的で我が置いた。そのものが本気で願えばどんな願いでも叶うぞよ?」
神様は自信満々の表情でそれを言うが、秋路にはいまいち信じられなかった。それもそうだろう。いきなり出てきた少女にこんなことを言われては、信じる方がどうかしている。
「むむ、その顔。おぬし、信じておらんな。」
「まぁ。」
「とにかくじゃ、高校に戻って碑石を探してみぃ、ヒントは薄暗い物置じゃよ。」
「はぁ。とにかく行って見ますよ。」
そういうと秋路はとぼとぼと長い長い階段のほうへと足を伸ばした。
「あ、そうじゃ。帰り道ならこっちをとおるとええ。」
神様が手招きをすると境内の裏手に小さな細い階段があった。その怪談は短く、目に見える位置にもう道路が見えていた。
「え?こんな道が…」
秋路はその階段を通り、後ろを振り向くともう階段はなかった。それどころか神社のあるはずの小高い山はなく、目の前に広がるのは一軒家の並ぶ住宅街だった。
「あ…れ?」
不思議に思いつつも秋路は高校へ向かった。
もう校門は閉まっており中には教師を除いて誰もいないようだった。周りの目を気にしつつも校門をよじ登った彼は、開いている扉を探して校舎の中へと侵入した。
「物置とか倉庫とかってこの学校にいっぱいあるよなぁ。どこにいきゃあいいんだ?」
そう考えて校舎の中を思い出していると、ひとつだけ秋路が3年間学校を通う中で一度も扉を開くところを見たことがない古い倉庫があることに気がついた。それに気づいた彼は教師たちに見つからないように慎重に東校舎1階階段下の倉庫に向かった。
「あれ?」
いつもは厳重に南京錠のかかっている倉庫の扉に今日はなぜか南京錠は掛かっていなかった。秋路は恐る恐る扉のノブに手をかけてみると以外にもすんなりと開いた。中は真っ暗で人間の目には何も映らなかった。秋路は制服のポケットから携帯電話を取り出すとライトを点け辺りを照らした。すると壁にスイッチを見つけたのでそれを点灯させると天井の裸電球に明かりが灯り部屋の中がぼんやりとかろうじで見えるほど薄明るくなった。
「これかな」
奥に進むとひとつの大きな石のプレートが立っているのを派遣した。近づいて携帯電話のライトで照らしてみると、その石一面に見たこともないような文字がびっしりと刻まれていた。たぶんこれだろうと判断した秋路は早速願いをしてみることにした。
「僕に恋人がほしい。僕に恋人がほしい。僕に恋人がほしい…」
そうぶつぶつと呪文のように唱えていると石が静かに光りだした。びっくりしつつも秋路はさらに強く願いをこめた。
「僕に恋人がほしい。できれば古都吹さん。古都吹美鶴さんのよな彼女がほしい!」
そうはっきりと願いをこめると石はさらに輝きを増して周囲にパリパリと電気のようなものまで発し始めた。
「古都吹さん。古都吹さん。古都吹さん。古都吹さん。」
石の輝きで部屋中は真っ白になった。その光は倉庫の扉の隙間から漏れ出すほどだった。
「あぁ!」
秋路は一瞬考えてはいけないことを考えてしまった。その瞬間石の輝きは最大のものとなり、光は秋路を包み込んだ。一瞬意識が遠のいたが、我に返ると石に光は失われ、元の薄明るい倉庫に戻っていた。
「やばい!まさか!」
血相欠いて秋路は倉庫から出て外を見ると入学式の垂れ幕が校舎にかかっていた。しかも日付は3年前。ちょうど秋路が入学した年である。
そう、秋路が一瞬思ってしまった事とは、“入学したときに戻って好きな人との関係を最初から作れないか”ということである。
外に出た秋路はチラリと校庭をのぞいた。すると彼の目から光が失われた。
数秒を経て彼が正気に戻ると、何事もなかったかのように入学式の列へと並んだ。
「そうだ…今日は入学式だった…」
倉庫の奥。石碑には今は誰も読めない文字で最後にこう書いてあった。“この石碑はどんな願いも叶える事ができますが、その代償はあなたの記憶です。使用する際は自己責任でおねがいします。BY神様”
秋路はまた3年間を過ごすことになる。前と同じ3年間になるかそうでないかは彼次第だが、彼の魂が変わらない限り何も変わらない。その性格も、その行動も……
「あーあ。やっぱりこうなってしまったか。あの石碑、失敗だったかのう。これであの“秋路”も3万6589回目じゃの」
どこからか神様の嘲笑う声がしたがその声に秋路が気づくことはなかった。