雨の日にさよなら
わたしは、雨が嫌いだ。雨の音も、雨の雫も。雨の日独特の土埃の匂いもすべて嫌いだ。雨はわたしに嫌な事を思い出させる。あの時の事。誰にも話したくないこと。思い出したくは何だけれど思い出してしまう。
しかし、雨はわたしを惹きつける。雨が降っているとわたしは必ずと言っていいほど窓際に行く。そして窓から外を眺めつづけた。
冷静に考えると、それの何がいいのかなんてわかりはしないのだけれど、わたしは窓の外を見続けた。
水が粒となり空から降りそそぎ、わたしの目の前にあるガラスに当たって砕け散る。ただそれだけの事なんだけれど不思議と見入ってしまうのだ。
働いていた会社を辞めてから数か月。わたしは何もしていない。貯金はそこそこあったものだから、世間一般にいわゆるニートになっていた。働くことは何もせず、ただただ毎日を無意味に過ごしていた。そして雨の日になると窓に張り付いて雨を眺めつづけている。トイレの時以外。そうやってこの数か月間生きてきた。
ふと、玄関の方に置いてある電話が鳴った。
無気力に立ち上がったわたしは気怠そうな足取りで電話へと向かい受話器を取った。
「もしもし。」
相手はお母さんだった。元気?だとか最近どうしてるの?とか典型的な事を質問してきたので、わたしは包み隠すことなくすべてを話した。会社を辞めたこと、毎日自堕落な生活をしている事。化粧もしなければ髪の毛の手入れもしてないから伸び放題でボサボサな事。そんな事をしているから彼氏にも振られたこと。わたしとしてはこれが一番衝撃的な出来事だった。
こんな娘を電話口で怒るのかと思いきや、お母さんは、うんうんと素直に聞いてくれた。怒るどころかわたしに優しい言葉を投げかけてくれたのである。わたしは泣きそうになったけれど、何故か我慢してしまった。お母さんの。親の前なのだから泣けばよかったのに、恥かしかったからか強がってみたからなのか平然としていた。
しこたま話して電話を切るときにとても優しい言葉を投げかけられた。お母さんは分かっていたのである。娘が強がっていることを。
電話を切った後、わたしは泣いた。大きな声で泣いた。近所の人にはかなり迷惑になっているのだろうと思ったけれど泣かずにはいられなかった。
泣きながら窓辺まで這いずって行った。相変わらず、空からは大きな雨粒が降り注いでいた。わたしの目からも同じものが出ている。空と、同じになった。
その日はもう、泣き疲れて寝てしまったいた。
明くる日、目が覚めると、空は晴れていた。快晴とまではいかないものの雨は降っていない。お母さんに励まされ、いつまでもくよくよしてはいけないと思ったわたしは外に出ることにした。手始めに美容院に行くことにした。近所に予約しなくても行ける美容院があったのでそこに行ってみた。平日だから人も少なかったからかすんなりと入れた。店内に入った時に美容師さんがギョッとしたのはあまりにも残念な風貌だったからだろう。
髪の毛は美容師さんのお任せで切って貰ったらセミロングになった。
切る前はボサボサのロングだったのだけれど、これで少しは軽く見える。
髪を切ったついでにメイクもしてもらった。かなりナチュラルなやつ。
それも終わって鏡を見てみると、つい数時間前とは別人がそこにはいた。自分でも、かなり「女性らしさ」を取り戻したと思った。
美容師さんにも「あとは服ですね」なんて冗談めいた感じで言われたけれど、それは自分でも思っていたので服屋さんにも行った。
店員に勧められて買った服は「女性らしさ」と言う割には「女の子らしさ」だった。それでも今のわたしに似合っていたからよし買った。
鏡を見て、思ったのは、2,3歳若返ったように見えたこと。
外に出て、自分を改造していくうちにどんどん気分も変わっていった。空が晴れるのと同じように心も晴れていった気がした。
行動力も上がった気がしたわたしは、ふと、自分が前に働いていた職場が気になった。
おそるおそる、向かいのカフェから覗いて見たのだ。
しかし、すぐに好奇心は後悔へと変わった。
そこは、わたしがいなくとも何も変わらずに物事が進んでいたのだ。
わたしは働いていた時はかなり仕事をしていた。その私が抜けたんだから少しはあわただしくなったのかと思いきや何も変わってはいない。それどころかわたしを陥れた張本人たちは笑顔で働いている。何の苦もないように。
その瞬間、わたしの数か月間は意味がなかったのだと気が付いた。
とても複雑な気持ちになった。あれだけ悩んで仕事をやめて、心が、体が苦しくて、精神までおかしくなりかけて。昨日だってあんなに泣いて。
わたしが苦しんでいた間もあいつらは楽しそうに過ごしている。なんでわたしだけが。
そう思った時、何もかもがどうでもよくなった気がした。泣いて、励まされ、髪型を変え、メイクをして、服も変えて、明るくなった気がして、浮かれて。
何をやっているんだろう。
急にさっきまであった根拠のない自信を無くしたわたしは、カフェの会計を済ませ、無表情のまま、とぼとぼ帰路に立った。
俯いて歩いていると、頭のてっぺんに何か落ちた。
上を向くと額にも。
雨粒だった。
一滴、二滴、どんどん雨粒は空から落ちてきて雨になった。
突然の雨に、ほとんどの人は屋内に駆け込んだりして雨をしのいでいた。
その中でわたしは一人、歩き続けた。濡れることなんかまったく気にせずに。
服も、髪の毛もびしょ濡れになり、メイクは全部落ちてしまった。
その時、わたしは泣いていたのだけれど、どこからが涙で、どこからが雨なのか解りはしなかった。
少し歩くと、小学校の時に友達とよく遊んだ公園についた。
歩くのに疲れたわたしはそこで休むことにした。びしょ濡れのまま屋根の下にあるベンチに座ると空を見上げた。
やはり雨の日は良いことなんて無い。雨の日は嫌いだ。外なんか出るんじゃなかった。また、わたしの目から涙がこぼれてきた。
ふと、遠くから走る足音が聞こえてきた。公園の入口からカバンを傘代わりにしたサラリーマンがやってきた。
わたしは涙を濡れた袖で拭うと、何事もなかったかのようにサラリーマンの方を見た。
サラリーマンはわたしのいるベンチまで来て、顔を見るなり私の名前を呼んだ。
どうして知ってるの?とわたしが問い返すと、そのサラリーマンは中学の時の同級生だった。
彼の家はすぐそこで、雨宿りしていかないかと誘われたので、わたしはついていくことにした。
シャワーを借りて、服を借りた。わたしの後に彼もシャワーをして服を着替えた。
二人してベッドに座ると、しばらく沈黙の時が流れた。外から聞こえる雨音と、壁に掛けてある時計の秒針の音がやけに大きく聞こえて一分一秒がすごく長く感じた。
「あ、あの…ありがとう。」
「え、ああ、うん。」
それだけ言うとまた沈黙。
雨が、少しだけ弱くなった気がした。
「雨、弱くなった気がするし、わたし、もう帰るね、ありがとう。」
と、わたしが立ち上がろうとすると、袖を引っ張られた。
「待って。」
彼の震える声にわたしはもう一度ベッドに座る。
「なに?」
「あ、あの…さ。いま、恋人とかいるのか?」
「今はいないよ。ちょっと前に振られた。」
そう言うと、彼は少し明るいトーンで頷いた気がした。
そして深呼吸する彼。
「お、おれさ、中学の時さ、君の事が好きだったんだよ。で、でもあのときはなんだかこっぱずかしくて話しかけられなかったんだ。でも、こうして大人になって、偶然かもしれないけど君に逢えたこと、俺は偶然じゃないと思ってる。あ、何言ってんだろ…ははは。あ、で、あの…さ、君さえよかったら、俺と、付き合ってくれないか?公園で泣いてたように見えたんだけど、そんな辛い事俺が忘れさせてやるからさ!」
予想はしてたけどね。
なんか複雑な気持ち。この二日くらいでいろんなことがありすぎた。
「よく…そんな言葉恥ずかしげもなく言えるね。」
私は笑ってしまった。
「で?どうなの」
「いいわよ。わたしでよければ。」
そう返事した時、彼はとても大きな声で喜んだ。案の定その叫び声は隣の人にも聞こえていたみたいで、壁を叩かれた。
それでも嬉しそうな声で彼は謝った。
「それで、しないの?チューとか。」
そう私が言うと彼の顔は真っ赤になっていた。
雨の日には嫌な思い出がたくさんあるけれど、これからはいい思い出も増えそうな予感がした。これまでではない。これからをどう生きてゆくか。それが大事。わたしを必要としてくれる人がいればわたしは心が満たされた。
彼と唇を重ねた時、ふと、窓から空を見てみると、一瞬だけ青空が見えた気がする。




