ナツノキオク
今年もこの日が来た。一年に一度、どうしてもこの日だけは仕事を休む。
今年は気温はさほど高くないけれど、湿度が高くじめじめと蒸し暑い。去年とは正反対だ。そんな暑さは俺を不快にさせる。
「はぁ。」
思わずため息が出てしまった。
けれども俺は家の外へと出た。
外へ出た俺が向かったのは近くのホームセンターだ。地味な黒のTシャツにジーパン、帽子姿というはたから見たら少し怪しいんじゃないかという服装で入店すると、案の定店員は俺を見ていた。何を思われているのかは知らないけれど大体察しはつく。
買うものは決まっているのでそれが陳列されてる棚まで一直線に向かった。数種類ある中で迷わず一番高いものを買う。まぁ高いと言っても線香花火なので値段はたかが知れたものだった。
家に帰ると買い物袋ごとつくえに放り投げると帽子も取らずにベッドに倒れ込む。柔らかい布団が俺の身体を包み込むと、そのまま身体が溶けて行ってしまいそうな感覚に陥った。
柔らかい布団、あいつと一緒に選んだんだ。
少し高かったけれどこれがいいってダダこねて。結局俺が折れてこれを買った。
普段仕事ばかりしてなるべく思い出さないようにしている事でも今日は思い出してしまう。
家のどこを見ても。
俺は手をうんと伸ばしてクーラーのリモコンのスイッチを押した。あと10分もすれば部屋が冷える。それまで目を瞑っていよう。あいつの事をいつまでも忘れないように。
あいつは夏が好きだった。プールだとか海だとか山だとか祭りだとかイベントごとが多いからだ。
そう言えばこの部屋にあるものはあいつにせがまれて夏に買ったものがほとんどだなぁ。
もう五年も立つのにあいつの物が何一つなくなってない。捨てられないんだ。
壁に掛けてあるあいつの服。あいつが使っていた物。あいつが選んだ家具。いなくなった今でも俺はあいつに包まれている気がした。それらを眺めているうちにいつの間にか俺は寝てしまっていたようだった。
ふと目覚めた時には辺りはもう薄暗くなっていた。半端に寝たからか少しだけ頭痛がした。
身体を起こすととりあえず電気をつけた。
机の上に置いたままだった花火を持ちマッチをズボンのポケットに入れると窓を開けた。
ベランダにサンダルを履いて出ると深呼吸をする。生暖かい空気が俺の肺を満たす。どう考えても部屋の中の方が涼しく心地のいい空気だった。
それでも俺はベランダに折り畳みの椅子を二脚広げた。その一方に俺は座る。
もう一方の椅子にはあいつの位牌を座らせる。
ふう。
一息ついて線香花火をあけた。
一本目。火をつけた。じりじりとゆっくりと紙の先端に付いた火の玉が大きくなっていく。やがてそこから小さな火花がパチパチという音を立てて出始めた。
あいつは毎年こうやって俺と二人きりで花火をやる事を楽しみにしていた。
「花火をしながらいろんなことを話してくれたっけな……。将来の夢。看護婦になりたいって言ってたっけ。人を看護して助ける側の人間が先に死んでどうすんだよ。ばかだなぁ。夢って言えば、俺とそのうち結婚したいねなんて言ってたよなぁ。俺もそうだよ。お前と結婚したかったよ。裕福じゃなくても幸せに暮らしてさ、子供は二人くらいがいいとかさ。」
大きくなった火花も次第に小さくなっていって最後には火の玉も寂しくポトリと落ちた。水を張ったバケツにそれを入れると二本目に火をつけた。
「なぁ知ってるか?俺な、お前がいなくなって五年もたつけれど、毎年欠かさずにこうやって花火してるんだぜ。お前が好き。本当に好きだったからさ。好きすぎて部屋だってまったく変わってないよ。馬鹿だろ?あれから彼女も作ってないしさ。…俺だってな。お前と結婚していつまでも一緒に居たかったんだよバカやろう……。なぁ、最後のキス、覚えてるか?病院でさ、ごめんねってキスしてくれたよな。辛い筈なのに精一杯笑顔でさ。もう血の味しかしなかったよ。それでもお前の味だ。いつまでも忘れないよ。」
いつの間にか火は消えていた。僕の目から出る涙で消えていたようだった。
三本目、四本目と線香花火を火をつけて行った。あいつと過ごした五年間。あいつがいなくなってからの五年間を思い出しながら一本一本大切に楽しんだ。
最後の一本だけは無言で火をつけた。
線香花火ってさ、なんか人の人生と似てるよな。
火をつけたら生まれて。成長してだんだん大きくなってどんどん元気に輝いて行って、それでどんどん弱くなっていって…。最後には生涯を全うしたように弱弱しくなって寂しく落ちる。
お前はこの線香花火みたいに最後まではいけなかったけれど、俺の中ではいつまでも生き続けるから。お前の一番元気な姿のままで。
最後の線香花火の日が落ちる頃には俺の涙も止まっていた。
ベランダを片付けると部屋に戻る。外が暑かったっていうのもあるけれど、部屋の中が何だか肌寒く感じた。そう言えば暑がりの俺が冷房を効かすと、電気代がもったいないってあいつは設定温度を上げてたっけ。
俺は設定温度を2度上げた。
「なぁこれでいいだろ?」
そう言った時、窓に吊るしてある風鈴が微かになった。まるであいつが「それでいいよ」って言ってくれてるみたいに。
寝るとき。クローゼットから彼女の服を1着出してきた。俺はそれをギュッと抱きしめて眠りについた。1年に一度の楽しみ。あいつは多分怒るだろうけど今日くらいは許してくれよ。お前の服、すごく落ち着くにおいがするんだ。お前の匂いがさ。
あいつに包まれているように安心してすぐに眠りにつくことができた。
朝起きると、エアコンは不思議と止まっていた。タイマーをセットし忘れていたはずなのに。それに……夢だとは思うけど、夜中にあいつが俺にずれた布団をかけ直してくれた気がした。それで、キスをして、笑って消えて行った。
よく覚えてはいないけれど、幽霊であれなんであれ、あいつが一瞬でも俺に会いに来てくれたということが本当だったらいいのになって……ないか。
また、来年な。
あいつの位牌に挨拶をして、頭をなでてやると俺は仕事に出る。
あいも変わらず暑い日差しだった。
いってきます。
いってらっしゃい。