主人公の大活躍
昨今の作品の覆う大事な点が分かった。主人公活躍系、すなわち俺TUEEEだ。ただ以前から私は最強とかバトルに限定されるので、あまり俺TUEEEは本質的じゃないとしてもっと奥底に眠る様々なものに適用できるものを探ってて、主人公活躍系として、これは過去の主人公いじめ型の物語作りからの脱皮になる。それぐらい物語の作り方が違う。
主人公いじめ型もアニメ漫画の範囲内では苦難を乗り越えて最後に大活躍がパターンなので、その前段階に過ぎないって見方もある。ただ問題はその割合の方が多い場合、これは主人公活躍だと言えるのか?と言うと私は微妙だと思う。その理由として、主人公の活躍が重視されない物語も非ラノベでは数多いからだ。そういった作品と境目を考えると、これも主人公いじめ型の一種だと見てる。
多くの場合はメッセージ性などで誤魔化されるが、主人公いじめ型の本質はワイドショーにある。他人事ゆえの事件の面白さにある。そういうのは悲惨なほど良い。自分に降りかかって嬉しいわけが無い。
他には物語の本質として、怪奇譚の面白さを忘れてはいけない。非ラノベや小説に毒されると漫画アニメの中にある怪奇譚の面白さが分からなくなる。それはホラーじゃない。突飛で奇抜な話し。旅行譚なんてその良い例で、ガリバー旅行記がそれに当たる。あれは作者なりの社会批判が目的だけど、子供向けの冒険譚としても楽しめるようになってる。なろうファンタジーの魅了はこういったもので満たされている。その根源は好奇心になる。元々好奇心と恐怖心が絡んだものがホラーだと見てて、怪奇譚は恐怖心だけの面白さじゃない。ホラーとして生み出された吸血鬼がそれを離れて魅力的なキャラとして何度も使われるのは、恐怖心だけじゃ説明が付かない。
主人公活躍系の類型みたいのを考えると主人公いじめ型の面白さが分からなくなる。当たり前の面白さとして両方分かって無いと、おそらくどちらかを間違った物語として否定しまうことになる。どちらも物語の正しいあり方で、否定されるものじゃない。古典的な主人公活躍系は過去のようにまた消えてしまうのじゃないか?と言うと、私はそれは無いと見てる。
そもそも大半の漫画アニメは苦難が長すぎてわからなくなっただけで、主人公が大活躍ぐらいするのを誤魔化してるだけ。何故じゃ大活躍をそのままストレートに出来ないか?リアリズムだろう。そんな事は無いってさめた目が出てしまうから。じゃ何故今それが強くなってきたのか?それは漫画アニメが小説とは独自の進化をし始めたから。
過去と違ってもう消えないと見てるのはここがある。過去何故消えたのか?で大人向けとしての漫画アニメの脱皮がリアリズムの取入れだったから。なら退化したのか?と言うとそうでもない。大人向けとしての移行が達成したら、それをする意味が消えたから。過去はリアリズムに拘らないといけないって流れがあって、それがある程度達成されると、そういった目的以外の部分に眼を向けられる。ここからアニメ漫画独自の面白さが重視されて、ラノベがその先端となる。
今度は逆にリアリズムの軽視が始まる。この独自の刺激の進化のため犠牲になっていくから。これが過去とは違うって理由になる。主人公活躍系を縛っていたものが、もう崩壊してるので過去には戻らないって話しになる。
じゃ異世界や転生はどうでも良かったのか?と言うとそうじゃない。そもそもアニメ漫画は隠れ主人公活躍系が多かった。だから本質的には劇的な変化が無い。ただリアリズム重視の物語になれた人には限度を知らない酷いとされるようなものが増えただけで。それゆえ、その他の部分が重要に成る。実際は根本的には何も変わってなくて、異世界や転生転移こそが重要なキーとなるようになってる。
それでも昨今の流行を見てると、隠す必要の薄さが出てるなと言うのが強い。なるべく、これは主人公が活躍しますよって分かり易い形が望まれるようになってる。その分かりやすさが今の流行じゃないか?と見てる。
異世界はもう嫌だと思う作家の人達、騙されたと思ってこれから書くべきものを私が教えよう。主人公活躍系の舞台を異世界から変えれば成功するチャンスは増えます。ただ分かりや少なくてはいけません。隠れなら何十年も前からアニメ漫画の重要なキーなのだから。
私が何故この考えに至ったかと言うとここ最近のヒットで異色だと思う作品が一つあって、例外でずっと片付けてきたが、実はこれ主人公活躍系なのではないか?と思いは直し始めたから。それはやはり俺の青春ラブコメは間違ってる、所謂俺ガイルです。この作品何から何まで異色です。もしこれが今から5年前の作品なら納得できた。と言っても実際そんなものです。だがアニメ化はそこまで前じゃないです。どのみち内容がそういった時代さえも超えた異色の作品です。
根本的にはハルヒから続く謎部活のラブコメって良くあるものです。だが、そこにはがないのボッチ要素を加えて、独特の作品に仕上げています。他にも数限りない独特の部分があります。そういった型にばかり目が行っていましたし、実際それがポイントになります。だがそれらだけを取り出すと個性しか見えてきません。
俺ガイルは独特だったからヒットしたとの結論を私は出していました。例外として片付けたわけです。今になると分かります。小説ではなくアニメ1期だけの範囲ですが、あれは主人公活躍系だと思います。今時珍しい内省的で古風な文学っぽい作品だと思い込んでいたのですが、実際は1期の時の様々なトラブルを独自の方法で解決するヒーロー像そのものでした。
舞台は関係無いです。どうやって主人公を大活躍させて、それに自己投影させるか?そこにあると思います。
ガンダムの安良氏が今のアニメ漫画はゲーム的だと語ってて、その理由が主人公が大活躍し過ぎるからだそうです。ええそれ大事な事じゃないの?って思うからものすごく違和感があるわけです。これが30年以上前のヒット作を作っていた人の考え方の違いです。実際は当時からニュータイプがおかしいと思ってて、そこからすでに今の萌芽があるわけです。
ガンダムと言えば典型的な主人公いじめ型でのちに大活躍で溜飲を下げるようなつくりです。だが前半はとにかく陰気な流れが続きます。上の人間であるブライトがアムロを否定します。これが執拗なほど。これはいじめてるわけじゃなくて、増長して欲しく無いから厳しく接して逆効果になります。結局は大活躍で終ります。典型的な隠れタイプの作品だと思います。
富野監督は知りませんが、安良さんは全くガンダムを違うものにする構想があったようです。多くの人間の中のたかだか一人に過ぎない。そういったリアルさを書きたかったと話しています。作る目的が根本的に違う。面白いってポイントが全く違います。
全くずれた視点の意見を聞いてると、なるほどなろうと俺ガイルって似てるんだと分かりました。すでに隠れで当たり前に漫画アニメにあったのですけどね。私がなろうがゲーム的だと書いたのですが、主人公活躍タイプって基本ゲーム的なようです。個人にとってままならない現実があるからです。
リアルは英雄になったら駄目なんですよ。