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虚偽申告

 授業後、ひよりは魔法少女ワイルドチェリーへと変身し、さちえの自宅周辺に住んでいる住民に聞き取り調査を開始した。

 調査内容はほたて殺害当日の芭蕉さちえの動向について。ひよりはこの街の有名人なので、この格好なら大抵の人間が快く事情聴取に応じてくれる。訪問理由を聞かれたときはさちえが悪の組織が企む事件に巻き込まれたためとお茶を濁しつつ、とりあえず十数件ほどの家庭を歩いて回った。

 案の定というべきか、芭蕉家の評判は最悪だった。

 町内会にも出席せず、ゴミ出し当番も滅多にやらない。当然のことながらご近所づき合いも一切せず、夜になると自宅から有希のものと思われる怒声がよく聞えるらしい。

 肝心のさちえの動向については一向にわからなかったが、芭蕉家に対する恨みつらみは頼んでもいないのにドンドン増えてひよりの頭を圧迫していった。

 ――うんざりうんざり、もううんざり。

 さちえの家庭事情は、親というものに憧れを持っていたひよりの幻想をぶち壊すのに十分すぎた。こんな親なら確かにいないほうがマシかもしれない。

 地域住民の芭蕉家に対する聞きたくもない愚痴を我慢して聞き続けているうちに日が暮れてきた。これ以上の収穫は望めないとひよりは捜査を打ち切り帰宅することを決める。

「あっ、ワイルドチェリーだ! 悪の組織を退治しにきたの?」

 とぼとぼと家路につくひよりに声をかけてきたのは、この辺りでよく仲間を引き連れて遊んでいる評判の悪ガキグループだった。

 リーダー格の少年がスカートをめくろうと手を伸ばしてきたので、すかさず手刀で叩き落す。今どきパンチラで男性視聴者の関心を得ようなどとは時代遅れの発想だ。

 ――そういえば、子供には話を聞いていなかったわね。

 どうせたいして得るものもないだろうと思ったが、念のために事件当日にさちえをどこかで見かけていないか訊いてみる。

「その日なら、さちえ姉ちゃんは公園にいたと思うよ」

 ――えっ。

 思わず声が出てしまう。思わぬ収穫にひよりは興奮を隠せない。

「それってホントなの?」

「その日に限らず、さちえ姉ちゃんは夕方になるとよく公園にいるよ。公園の端っこの目立たない場所で秘密特訓をしてるんだ」

「そのことをなんで君は知っているの?」

「それは俺たちの秘密基地がある場所だからさ。さちえ姉ちゃんにはいつも良くしてもらってるから特別に貸してやってるんだ」

「ちょっと待って、そんな遅くになんで公園に? そこに居た時間は? 秘密特訓ってどんな特訓? 家には帰っていないの? その時さっちんはなにか言ってた?」

 なんでなんでと必死な形相で詰め寄るひよりを少年はうざったそうに手で押し返す。

「詳しい話はさちえ姉ちゃんに聞きなよ。今晩も同じ場所にいると思うからさ」

「わかった、そうする。それはともかく君、名前と住所を教えてくれないかな? もしもの時は証言台に立ってね!」

 少なくともこれで事件当日、さちえがこの街に居たことは明らかになった。

 少年――名前は純太というらしい――の住所を書き写しながら、ひよりは有力な証人の出現に興奮を抑えきれないでいた。

 去り際に結局スカートをめくられたが情報料ということであまり怒る気にはなれなかった。温故知新、いつの時代であろうと良いものは良いのだ。


 夕食の時間まで、まだもう少し猶予がある。ひよりは散歩がてら住所と一緒に純太から教えてもらった秘密基地のある場所へと向かった。

 普段純太たちが遊んでいる公園は、さちえの居る住宅地より歩いて十数分のところにある地域住民の憩いの場だ。サッカーや野球の球場や陸上競技場もあり、スポーツの助っ人家業に明け暮れるさちえにとっても馴染みの深い場所だ。

 もっとも、今回用事があるのは運動場のある方ではなく、こども広場の更に奥にある植林地帯だ。

 夕方の植林地帯は閑散としていて趣がある。明るく活発なさちえには似合わない場所だと思ったが、何しろああいった複雑な家庭環境だ。どこか心の落ち着く場所が欲しいと思っても不思議ではない。

 むせかえるような新緑の匂いに包まれながら、ひよりは少年たちが根城にしている秘密基地を探す。さちえは今ごろ部活の助っ人でいないだろうが、居心地のいい場所だったら自分も少しお借りしようかと邪なことを考える。いくつになっても心根が少年なのがひよりのいいところであり悪いところだ。

 ――見つかった。

 周囲の木々の中でもとりわけ大きな樹木の枝の間に秘密基地は設置されていた。

 基地は予想よりもはるかに立派なものでひよりを軽く驚かせる。八畳ほど広さの木造の小屋は寝泊りするには十分。有希の証言がもし事実だとすれば、事件当日さちえはもしかしたらこの秘密基地で寝泊まりしたのかもしれない。

 仮にそうだとしたら、それを証明できる何かがあそこにあるかもしれない。淡い期待に胸を膨らませながら、ひよりは秘密基地へと向かう足を早めた。

 しかし急いだその足はすぐにその勢いを殺すことになる。

 秘密基地には先客がいた。思わずひよりは木陰に隠れて様子を伺う。黄を基調としたドレスを着たその人物に見覚えがあったからだ。

 ――さっちん、なんでこんなところに!

 大樹の近くに佇んでいた人影は魔法少女モンキーバナナに変身済みの芭蕉さちえだった。双眸を閉じて呼吸を整え、精神力を高めている。

「たぁっ!」

 掛け声と共に虚空に向けて正拳を繰り出す。

 魔力は一切篭っていないが、その無駄なく鋭い一撃は、怪人は無理としても特別な力を持たない構成員程度なら打倒するのに十分な威力が乗っていた。

「はっ!」

 放った拳を引くと同時に回し蹴りを繰り出す。そのまま回りきって反対側の足で後ろ蹴りを放つとすぐさま体勢を戻してワンツーのコンビネーションに移行する。

 一連の動作はすべて流れるように行われ、しかも彼女自身はその場から一切動いていない。格闘技については素人のひよりだが、そうとうな訓練を積んでいなければこのような動きはできないだろうということはわかる。

 ――怪人と闘うための特訓をしてるんだ。

 自分に黙ってやるなんて水臭いなあと思いながらも、ひよりは訓練の邪魔をしないよう木陰に隠れたまま、シャドーを続けるさちえを静かに見守った。

「特訓、終わった?」

 しばらくしてようやく動きを止めたさちえに、ひよりは明るく声をかけた。

 懸命に訓練を続けるさちえを見守っているうちに夕日はとっくの昔に沈んでいた。

 時間を忘れて見入るとはこういうことを言うのだろう、それほどまでにさちえの躍動感溢れる動きは美しかった。

 やはり彼女は魔法少女を続けるべきだ。ひよりはそう確信する。

「ひよりん……見てたんだ」

 ひよりの姿を認めたさちえが、珍しく元気のない声でぼそりと呟く。

 特訓で疲れたからだろうか。残暑の薄闇がさちえにかかりその全身を覆い隠しているため、顔色からはそれを読み取ることができない。

「もう、さっちんったら水臭いなあ。特訓だったらいつでもつき合うのに。それより部活の助っ人のほうはどうしたの? もしかしていつもより早く終わっちゃった?」

「……助っ人の話はお流れになったの。用事があって休む予定だったレギュラーが予定を変更して出ることになったから」

「あっ、そうなんだ。呼びつけておいて失礼な話ね。どこの部の連中? 今度会ったら私が文句を言ってあげるわ」

 ひよりが怒る素振りを見せると、さちえは突然けたたましく笑い出した。

「んなわけないじゃん。あたしはどこの部だってエースをはれる実力を持ってるんだからさあ」

 ――どこか様子がおかしい。

 心配したひよりはさちえに駆け寄る。そこで初めて、暗くてよく見えなかったさちえの表情を確認することができた。

 あまりの衝撃に全身が金縛りにあったかのように硬直した。

「あたしの言うことならなんでも頭から信用するんだ。ひよりんってほんっと馬鹿だよね」

 キッとひよりを睨みつけるさちえの顔は、他人と見間違うほど醜く歪んでいた。

 感情の機微に疎いひよりでも、自分に対する深い憎しみの念がありありとわかるほどに。

「ひよりんってあたしのことぜんぜん知らないんだよね。あたしはひよりんのやってることぜんぶ知ってるってのにさ。ゼロムのこと先生にチクったのにあなたの携帯のことを知らなかったりとか、勉強嫌いのあたしが事件当日たまたま自宅で勉強してたとか。ちょっと考えれば全部まっ赤なウソだってわかるでしょ? それともあたしのことホンキで三歩歩けばすべてを忘れる山猿女だと思ってた? ひよりんって酷いよねぇ」

 さちえの発言をまったく疑っていなかったといえば嘘になる。しかしそれでもひよりは信じたかったのだ。一番の親友だと一方的に思っていた少女の言葉を。

「よくもあたしの聖域にズケズケと土足で入り込んでくれたわね。しかも一番見られたくない奴に一番見られたくないところを見られた! ぜったいに許せない!」

「そんな……みんなに隠れて秘密特訓なんて立派じゃない。グータラな私は新人時代だってそこまで真面目に特訓をしたことなんて――」

 ひよりが話し終える前に、さちえは素早く跳躍していた。

 一瞬のうちに間合いを詰められると、空気をきり裂く音と共に、弾丸のような拳がひよりに向かって飛んでくる。先ほどまでの訓練とは違い、拳には研ぎ澄まされた魔力と明確な殺気が篭っていた。

 それは本気でひよりを殺すつもりで放たれた一撃だった。

 慌てたひよりは半ば反射的に腕を動かしその拳を掌で受け止める。

 互いの魔力の相殺により起きた衝撃波により、周囲の木々が激しく揺らめき、足元の地面は大きく抉り取られる。吹き荒れる疾風が砂煙を巻き起こし二人を包み込んだ。

「ひよりんにはわからないよ。 <ジャンヌ・ダルクの剣> の一振りであるあなたには、決してわからない」

 さちえの声は小さく震えていた。砂埃の隙間から垣間見える彼女の瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。

「どれだけ努力しても、あなたの足元にも及ばないあたしの気持ちなんてわからない!」

 さちえが渾身の力で放った一撃は、棒立ちだったひよりの身体をわずか後ろにずらすことすら敵わなかった。もしも攻守が逆だったとして、仮にひよりがさちえに本気で魔力を放ったとすれば、この植林地帯ごとさちえの身体を跡形もなくこの世から消し飛ばすことが可能だろう。

 それが魔法少女のトップランカー。世界に十人、この国に三人しか存在しない聖天界最大戦力―― <ジャンヌ・ダルクの剣> の一振りたる桜桃ひよりと、どこにでもいる普通で平凡な魔法少女にすぎない芭蕉さちえとの、努力や根性では決して埋めることの出来ない決定的な才能の差だった。

「知ってる? 実はあたしね、うっかりでスティッキを忘れてきてるわけじゃないんだ。使いこなせないから仕方なく置いてきてるの。別に好き好んで徒手空拳で戦っているわけじゃないんだよ。

 要するにあたしには才能がないってわけ。全開で使うと危ないからってスティッキに封印を施しちゃってるひよりんとは雲泥の差よね。もっとも見ての通り、素手同士で戦っても素人同然の物腰のあなたに冷や汗のひとつもかかせられないのだけれど」

 さちえの言葉とは裏腹に、ひよりの全身は冷たい汗でびっしょりと濡れていた。彼女の攻撃に身の危険を感じたからではない。生まれて初めて仲間から、それも親友と思っていた少女から向けられた強い殺意と憎しみに心の底から恐怖し怯えていたのだ。

「さ……さっちんには、運動の才能があるじゃない。魔力を操ることぐらいしか取り得のない私より、よっぽと優秀だよ」

「そーだよ、あたしは何をやらせたって誰よりも上手くこなせた。才能があるなって自分でも思ってたし、それがあたしの唯一の自慢だった。

 そんなあたしのプライドを最初にズタズタにしたのがあなた! コンビを組んでからこのかた、劣等感を感じなかった日は一度たりともなかった! 悪の組織と戦うたびにどうしようもない才能の差ってやつを嫌ってほど感じさせられた! この世界じゃ多分あたしは下から数えたほうが早い!」

 否定の言葉が浮かんでこなかった。

 魔法少女としてのさちえの才能のなさはとっくの昔に気付いていた。最近魔法少女になったばかりの巨峰みやびにもいずれは――いや、すでに抜かれているかもしれない。

 だが、気付いていながらもひよりは、さちえと一緒に魔法少女を続けたかった。だからこそ今までずっとフルーティアーズを維持してきたのだ。大切な親友と一秒でも長い時間を共有したいという一念から。

 しかし、それはさちえを傷つける時間をただいたずらに延ばしていただけかもしれないと、ひよりは今さらになって思い知らされる。

「……だったらさっさとやめたらどうだって言いたいんでしょうけど、そういうわけにはいかないのよ。魔法少女は子供の頃からのあたしの憧れだったし、負けっぱなしで終わるなんてプライドが許さない。それに魔法少女をやめたら、あのひとにもう会えなくなる。それだけはぜったいに嫌」

 ――あのひと?

 ひよりが聞き返すとさちえは意外な名前を口にする。

「ゼロムよ」

 ひよりは首を傾げる。自分の担当魔法生物と会えなくなることにいったい何の問題があるのだろうか。

「ナイショにしといてって頼んでたからひよりんは知らないかもしれないけど、あたしはゼロムに家庭のことや今の仕事について相談に乗ってもらってたの」

「その話はつい最近知ったばかりだけど……確かに魔法少女の心のケアも魔法生物の仕事のひとつだけれど、あなたの担当はイチゾウでしょう? なのに、なんでわざわざ……」

「あいつが相談なんかに乗ってくれるわけがないでしょう。心中じゃあたしのことなんか馬鹿にしてるんだから。なんにもしゃべんないけどそのぐらい眼を見ればわかる」

 だから今までゼロムが代わりにさちえの相談役をしていたというわけか。彼がイチゾウに対して職務放棄だと憤ってたのは、きっとそれが一番の理由なのだろう。

「ゼロムはあたしの話をいつも親身になって聞いてくれたよ。特に家庭環境のことについては、まるで自分のことみたいに怒ってくれた。あたし、すごく嬉しかった」

 家庭では虐げられ、職場では劣等感にさい悩まされる。さちえの心労は計り知れない。

 そういうことであれば、これからもちょくちょくゼロムを派遣してあげようかな。そう思っていたひよりの耳にとんでもない爆弾発言が飛び込んできた。

「だからあたしはゼロムのことを好きになってしまったの。愛してるっていったほうが伝わりやすいかな。あたしの将来の夢はあのひとのお嫁さんになること。だから魔法少女はぜったいにやめられない」

 ――え、ええっ!

 一瞬耳を疑った。いくらなんでもそれは無理でしょとひよりはさちえを説得する。

「しょ、正気に戻ってさっちん! 見れば判ると思うけど、ゼロムは魔法生物よ? 外見だって毛むくじゃらの野うさぎよ? 彼のことを好きになる理由はわからないでもないけど、結婚っていうのはちょっと……」

「恋愛に種族はカンケーないでしょ! 好きになったから一緒になりたいの!」

 恋は盲目という言葉があるがさちえはまさにそれだった。

 ゼロムをよく知るひよりとしては、大事な親友をあの悪兎の毒牙にかけるわけにはいかない。なんとか想い直させないと。

「さっちんは怪人との対決のときとか相談に乗ってもらっているときしか会っていないから知らないのも無理はないんだけど、あいつはホントに酷い奴なのよ。上品そうにしてて実は口は悪いし、私に内緒で冷蔵庫のにんじんをぜんぶ齧ったり、変に小賢しくて裏ではいっつも悪いことばっかり考えてる甲斐性なしロクデナシよ。美人でスレンダーで運動神経が良くてオリンピック代表選手だって夢じゃない将来有望なアスリートのさっちんには不釣合いな相手よ」

「うるさい! のろけ話はもうやめて!」

 のろけ話などしたつもりはまるでないのだが、そう言われては黙るしかない。

「この際だから言わせてもらうけど、あなたとゼロムがイチャイチャしてる姿を見ると胸がムカムカするのよ! 悪の組織との対決のときだけならまだしも、校内まで見せつけようとするなんて許せない。授業中まで耐えなきゃいけないあたしの身にもなってよ!」

「も……もしかしてゼロムのことを先生に話した理由って……」

「そぉーだよ、あなたたちの仲を引き裂いてやろうと思ったの! あたしって悪い女よね!」

 ――いや、それは別にいいんだけど。

 生まれてこのかた、恋愛に興味や関心を持ったことのないひよりには、まるでわからない感覚。ただ、ゼロムのことに必死になるさちえはなんとなくかわいいと思った。

「さあ、これでわかったでしょう。あたしがファミレスであなたにウソをついた理由」

「……?」

「にぶいわねぇ! あたしにはあなたを陥れる動機があるってこと!」

 自分のことをおサルおサルと言ってて自分はそんな簡単なこともわからないのかと今度はさちえがものすごい剣幕でひよりに詰め寄る。そんなことを言われても、わからないものはわからないとひよりは首をかしげるばかりだった。

「ひよりんさえ消えてなくなれば、あたしがゼロムのパートナーになれるのよ」

「えっ? それはどうかなあ。たぶん無理だと思うけど」

 ひよりも長く魔法少女をやっているが同じチーム内でのパートナーチェンジという話は聞いた事がない。自分がいなくなった場合、おそらくゼロムはいったん聖天界に戻り他の魔法少女に宛がわれることになるだろう。

 ひよりは思ったことをそのまま伝えると、さちえはゼロムに頼んでなんとかしてもらうと返答する。最初はちょっと無茶振りじゃないかとも思ったが、さちえに罪を着せる工作ができるのだから、そのぐらいのことは可能なのかもしれない。

「動機も十分、おまけにアリバイもないときたら、まっ先に疑われるのはあたしだからね。だからひよりんたちにはウソの証言をしたんだよ。どう、驚いた?」

「驚いた。けど、だとしたらそんな話、私にしないほうが良かったんじゃ……」

 当然の疑問にさちえは歪んだ笑みを浮かべる。

「あなたみたいにおめでたい頭をしているお人よしだったら、話してもいいんじゃないかなって思ったのよ。どぉーせあたしを売る勇気なんてないでしょお?」

「……」

 確かにない。微塵もない。だがそれはひよりだけの話だ。

 ゼロムはひよりを守るために、さちえのことをヘクセンナハトに売り渡そうとしている。

 そう言いかけて、ひよりは躊躇った。自分が一番信頼している相手に裏切られようとしている事実をさちえが知ったら、心の病んでいる彼女がどうなってしまうかわからなくて、それが怖かったのだ。

 さちえは、そんなひよりの心境を汲み取るかのように、トーンの落ちた声で続ける。

「ひよりんが言いたいこと、なんとなくわかるよ。あなたにナイショでゼロムとはよく話をしているけど、彼が私に何かを隠してるってことぐらい、なんとなくわかる。

 あのひとはあたしを、ほたて殺しの犯人だと疑っている。ううん違うかな、たとえ冤罪であろうとあたしに罪を着せてやろうとさえ考えているかも。ひよりんを単独行動させてる理由が他に思いつかないし」

 鋭いとひよりは思った。同時に今までの鈍感なさちえは本当にねこを被っていただけなのだと理解して少し寂しい気持ちになる。

「そこまで気付いているならもう、隠すことは何もないよね。ゼロムはさっちんをほたて殺しの容疑者として聖天界に報告しようとしている。私はそれを阻止するためにあなたのアリバイを探している。これからも魔法少女を続けたいのなら協力してよさっちん」

 意を決して放ったひよりの言葉を聞くと、さちえはどういうわけか腹を抱えて笑いだした。ひとしきり笑い終えた後、力ない声で呟く。

「皮肉な話よね。大好きなひとに嵌められそうになり、大嫌いなひとのほうが救おうと動いているなんて。でも、考えるまでもなく当たり前の話よね。あたしの代わりなんていくらでもいるけど、あなたの代わりなんていないんだから。世のため人のため、そして何よりゼロムの地位と名誉のため」

 さちえはぎゅっと強く眼を瞑ると、震える声で次の言葉を搾り出した。

「――あたしが、もっと強ければ!」

 自分が強ければ、ひよりと同じぐらいに強ければ、ゼロムの傍にいられるのに――さちえの告白はあまりに悲痛だった。その想いの強さは先ほどの特訓を見てもよくわかる。

 しかし足りない。あまりにも足りない。多くの魔法少女を見てきたひよりには、さちえが強くなるために決定的に足りないものがわかってしまう。

「さっちんは、事件当日はここにいたのよね。だったらそれを本部に証言しましょう」

「……そうよ。遅くまで訓練していたせいで母さんに閉めだされちゃったから、その日の晩はここで寝たわ。でも、それを証言してどうなるの? そのアリバイを証明してくれる人なんてどこにもいやしないんだから」

「広場で遊んでいる子供たちは? ここを教えてくれたのも彼らよ」

「海岬ほたての死亡推定時刻をご存知? とっくの昔にご帰宅よ。彼らにはあたたかい家庭があるの。あたしと違ってね」

 他に何かアリバイになるようなものはないかと訊ねるも、さちえは首を横に振るばかり。そんなものがあるなら初めからウソなどついていないとのことだった。

「そろそろ帰ってくれないかな。身の振り方とか、色々考えることも多いから」

 愛する者から手酷く裏切られたのだ。独りになりたいさちえの気持ちは痛いほど理解できる。ひよりは無言で頷くと変身を解いてさちえに背を向けた。

「今なら私を殺せるよ。どうしても私が憎いならお好きにどうぞ。私、さっちんに殺されるなら本望だから」

「殺人は犯罪よ。あたしの経歴に傷がつく。あなたなんかで人生棒に振るえないわ」

 ――さっちんは、後先のことを考えすぎだよね。

 愛が勇気が夢が希望が、そして何よりもファンタジーが足りない。それが芭蕉さちえの魔法少女としてもっとも欠落した才能だとひよりは看破していた。

 現実的かつ打算的な思考は往々にして体内の魔力の循環を妨げる。もちろん現実的な思考を持ちつつも才能のある魔法少女もたくさんいるが、そういう人間はたいてい脳内で現実と空想の切り替えが上手くできている。

 しかし、さちえはそれが上手く出来ていない。いや、そもそも最初からそういう思考をほとんど持ち合わせていないのだ。

「今後のことは良子ちゃんとでも相談して決めるわぁ。バイバイひよりん」

 想像力の致命的な欠如。それは芭蕉さちえの――いや、魔法少女モンキーバナナの最大の欠点だった。

 それはすなわち不思議な魔法を自在に放てると思わないこと。空を自由に飛びたいと思わないこと。愛と勇気と意志の力で世界を変えられると思わないこと。夢や希望が未来に待っていると思わないこと。

 それはすなわち、目の前にある現実だけがすべてだということ。

 幼少時代に絵本も読んでいないというさちえにとって、魔法少女という存在は生まれて初めて触れたファンタジーだろう。荒んだ現実から逃避したくても逃避できなかった彼女が手放したくないと思う気持ちは理解できるが、それ故に壁にぶち当たり、今以上の強さを得られないのだ。

「……さよなら、さっちん。また明日」

 そこまで気付いておきながら、ひよりはさちえにそのことを話さなかった。説明したところで無意味だし、かえって逆効果になることも多いからだ。

 ――自分にできることは、さっちんがファンタジーに目覚めることができるぐらいの、心のゆとりを作ってあげることだけ。

 さちえは極めて常識的かつ打算的な思考をする少女だ。だからこそ彼女は犯人ではないとひよりは確信している。どこか頭のネジが一本外れていなければ殺人などという馬鹿な行為はできないとはあやめの弁。ひよりもその言葉には同意だった。

 芭蕉さちえに人殺しはできない。それは事件解決の小さくも確かな一歩だった。


「おかえりひより、今日は遅かったね」

 自宅に帰るとダイニングで聖天界に報告するため資料をノートパソコンで作成しているゼロムの姿があった。もちろんウサギに指などあるはずもなく、代わりに魔法を利用してキーボードを叩いている。

「あいかわらず便利な魔法ね。私は戦闘オンリーにしか使えないのに」

「人間と魔法生物の資質の違いだね。僕たちは広く浅く、君たちは深く狭くだ。もっとも、そうでなければ僕たちは君たちと手を組んで戦ったりはしない」

 基本的には魔法というものは聖天界の技術。魔法少女はそれを一時的に借りて戦っているにすぎない。

 愛や勇気や希望といった清く正しい心の力を魔力に変えてマジカルドレスに送り込むのが魔法生物の役割であり、そのエネルギーを加工して魔法という芸術品を生み出すのが魔法少女の役割だ。魔法少女を電化製品とするならば魔法生物はコンセントである。コンセントがなければ電化製品は動かない。それが多くの魔法少女が魔法生物を手元に置いておく大きな理由のひとつである。

「サイコキネシスなんて魔法生物の使える魔法の中じゃ基本中の基本さ。それを使って君の夕飯も作っておいたから食べるといい」

 ――本当に万能なのね。羨ましいわ。

 ひよりは椅子に座ると、お言葉に甘えてゼロムの作ったという夕飯をいただくことにする。

「……で、その夕飯というのはどこにあるの?」

「何を言っているんだい。今、君の目の前にあるだろう」

 ひよりの目前にあるのは大雑把にスライスされたにんじん、じゃがいも、キャベツ、茄子――そのすべてが野菜である。もちろん火など一切入っていない。

「知ってるゼロム、夕飯っていうのはね、ちゃんと調理しなきゃできないの。原材料をそのまま出すのは料理とは言わないの」

「君の目は節穴かい。ちゃんと丁寧に切ってあるだろう。君は肉食系女子だから少しは野菜を摂ったほうがいい。好き嫌いは良くないぞ」

 ひよりは無言でゼロムの首根っこを掴んでバスルームまで持っていき、昨夜入れてそのままになっていた風呂の残り湯の中に放り込んだ。

「なっ、何をするんだひより! 僕が泳げないってこと知ってるだろ!」

「だったら練習なさい。好き嫌いは良くないわ」

 ――さっちんはこんなダメうさぎのどこを気に入ったのかしら。

 必死に両足をバタつかせながら風呂の縁にしがみつき抗議の声をあげるゼロムに、ひよりは冷ややかな目を向けた。

「あんまり僕に余計な魔力を使わせないでくれよ。いくら魔法生物でも無尽蔵に魔法が使えるというわけじゃないんだから」

「そんなことより事件に進展があったわ。やっぱりさっちんは犯人じゃないわ」

 ずぶ濡れになった全身をタオルを拭いながらゼロムはひよりの話に耳を傾ける。

 ひよりは今晩さちえと話したことを――彼女のゼロムに対する恋愛感情については伏せて――かいつまんで話した。

「結論から言うと、それはさちえが犯人ではないという根拠にはまるでならない」

 話を聞き終えたゼロムの言葉はひよりの予想通りのものだった。しかし彼女はそれでも食い下がる。

「私の感覚が信用できない? 私はこれで魔法少女になったようなものなのに」

「こと芭蕉さちえに関してはその通りだ。君は彼女に対して特別な感情を抱きすぎている。冷静な判断ができているとはとても思えないな」

「そういうゼロムは、さっちんに対して特別な感情を持ってないの? 私に黙ってずっと彼女の相談に乗ってきたんでしょう」

「相談役に守秘義務があるのは当たり前の話だ。僕自身は彼女に特別な感情は」

 言いかけてゼロムはとつぜん黙り込む。少し考え込むような素振りみせてから頭を上げるとぼそりと一言。

「――ない、とは言いきれないな」

 うんうん、それはそうだろう。ひよりは満足げに頷く。さちえの母親についてあれだけ怒りを露にしていたのだ、ゼロムが彼女に好意を持っていないはずがない。

 自分の気持ちに気付いたのであれば、さちえをスケープゴートにしようなどという残酷な考え方を改めてくれる。そう信じたひよりだが、次に放たれたゼロムの言葉は、彼女が予想していたものとは真逆のものだった。

「僕はきっと、さちえのことを快く思っていないのだろう。こうやって口に出すとハッキリと自覚が出てくる。思い返せば、君の代わりに聖天界に突き出してやろうと考えた時点で、己の負の感情に気付くべきだった。もしかしたら、冷静じゃないのは君ではなく僕のほうなのかもしれないな」

 ひよりは驚いた。特に根拠はないがふたりは相思相愛だと思い込んでいたからだ。

 だが確かにその通りだ。思い返せば殺人事件以降のゼロムのさちえに対する物言いは、常にどこか悪意を含んでいた。

 今までは理性で押し留めていたものが、余裕がなくなったせいで顔を出したのだと気付いてしまい、ひよりは思わず身震いする。

「ゼロムは……さっちんのことが嫌いなの?」

「どうやらそうらしい。いや、この際ハッキリ言おう。僕は彼女のことを嫌悪している」

「そんな! さっちんがお母さんにいじめられてることを、あなたものすごく怒ってたじゃない。あれはぜんぶまっ赤なウソだったの?」

「ウソじゃない。芭蕉有希の娘に対する虐待には今も激しい怒りを覚える」

 ――だったらなんで!

 ひよりの当然の疑問にゼロムは感情の篭らぬ声でこう答えた。

「血は争えないというべきか。芭蕉さちえ、彼女の性格は母親の有希にそっくりだ」

 ゼロムは水滴と一緒に迷いをも振り払うかのように頭を何度も強く振る。

「風呂に落とされて正解だったかもしれないな。おかげで少し頭が冷えた。外でもう少し冷やしてくるか」

 さちえを容疑者に仕立て上げる件は少し考え直す必要がある。

 ゼロムは最後にそう言い残すと、得意のサイコキネシスで窓を開けて外出したきり戻ってこなかった。

「私たちって、こんなに仲が悪かったんだ」

 独りきりになったダイニングで、ひよりは力なく呟いた。

 ひよりとさちえ、そして彼女たちのパートナー。二人と二匹は多少のトラブルこそあれどこの数年間、ずっと仲良くやっていたものだと信じていた。

 しかしそれは一晩にして脆くも瓦解した。ひよりが信じていた強い絆は儚い幻想だったのだ。

「それでも、私は諦めない」

 さちえにはおめでたい頭をしていると言われたが、まったくもってその通りだと思う。

 しかしそれこそがひよりのアイデンティティーであり、それを失うということはすなわち魔法少女として死ぬことと同義だった。

「おうおう、いいじゃないの。やってやろうじゃないの!」

 全員の関係を修復し、仲良し集団フルーティアーズを空想から現実のものへと変える。困難な道かもしれないが、不可能を可能にする魔法少女にできないことはないはずだ。

 ひよりは拳を固く握り締めると、近所迷惑な気合の雄叫びをあげた。


 芭蕉さちえの死を知るのは、そんな決意の夜からわずか二日後の朝だった。

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