嫌疑
自宅に戻ったひよりはすぐに進一郎に連絡を入れ、今日の出来事をすべてを報告した。
アリバイの証言が曖昧なことと、ひよりが持ち込んだゼロムをリークした件で、ゼロムがさちえが犯人ではないかと疑っているという話をすると、進一郎は「はっ、アホくさ」と一笑して切り捨てた。
『さちえがサル頭なのは今に始まったことじゃねえだろ。あいつが素手で戦うようになったのは俺たちとの対決によくスティッキを忘れるからというとんでもない理由からだって知ってるだろ。そんな頭のかわいそうな奴に明確な証言を求めるほうが酷ってもんだ』
いくらなんでも酷い言われようである。もっとも毎日おさるおさると呼んでからかっているひよりも他人のことをどうこう言えないが。
「それはそうだけど、完璧な擬装をしていたゼロムを先生にチクって、その後知らなかったフリをするっていうのは……もしかして私、さっちんに嫌われているのかもしれないなぁ~なんてちょっと思ったりして」
『てめえらの擬装なんてバレバレだっつうの! さちえが行かなくても他の誰かが報告に行ってたわ!』
完璧な擬装だとひより自身は思っていたが、他者から観るとどうやら違うらしい。
『ともかく、その件についてはおまえらが全面的に悪いし、さちえだって別に悪気があってやったわけじゃないだろう。校則違反を犯した友だちを正すのはむしろ魔法少女らしいとも言えるしな。それと、知らなかったフリじゃなくて、マジで忘れてたんだろう。何しろあいつは知っての通りのサル頭だからな』
確かに、携帯会社と契約していないと話した次の瞬間にそのことを忘れてるほどの物覚えの悪さだ。ぜんぜんありうる。というよりも、むしろそちらのほうが自然だ。もっとも、ここまで来るとサル頭というよりもトリ頭と言ったほうが適切かもしれないが。猿はああ見えて動物の中では賢い部類だ。
『とはいえ、刑事や探偵の真似事をするなら他人は疑ってナンボだけどな。ゼロムの言い分のほうは仕方のないことだと割り切りな。だから、その、なんだ……あんまり落ち込むなよ』
俺のほうからは特に報告はない。最後にそう告げて進一郎は電話を切った。
「進ちゃんには敵わないなあ」
進一郎の言葉はひよりが期待した通りのものだった。彼女がさちえの事で心を痛めているのをよく理解したうえで励ましてくれたのだ。口は悪いし悪の組織には入ったが、やはり性根は昔の心優しい純朴な少年のままだった。
山積みの問題が解決したわけでないのだが、少しだけ心が軽くなった。ひよりは進一郎に感謝しながら電話を置きダイニングへと向かった。
ダイニングではスーパーで買ったばかりの緑黄色野菜を齧りながら、ゼロムが深刻そうな面持ちでスケジュール表を広げていた。
「くそ、まずいな。遅延工作が上手くいっていない。このままでは聖天界の使者が本部に訪問するまであと一週間もないぞ。それまでになんとか犯人の目処ぐらいは立てないと」
数ヶ月に一度、地上の様子を視察するために聖天界から天使が降りてくる。その時にヘクセンナハト本部は担当魔法少女の近況をすべて報告するのだが、この時に最重要容疑者がひよりのままだと非常に厄介な事態になる。
なぜならここでの報告の如何によっては、ほたて殺しの犯人の捜査権が本部から聖天界に移る可能性があるのだ。その場合ひよりはろくな捜査もされずに罪人として聖天界の法で裁かれることとなる。
「ねえゼロム、やっぱりさっちんを疑うのはやめようよ」
「まだそんな甘いことを言っているのかい。僕のことをチクられたというのに」
「あれはどう考えても校則違反をした私たちが悪いよ」
「悪い、悪くないの問題じゃない。あれはさちえが君のことを快く思っていないといういい証拠さ。君が気付いていないだけで他にもそう思える態度は多々ある。事細かく話すと君を傷つけかねないから言わないけれどね」
ひよりは信じている。さちえが自分のことを嫌っているわけがないと。
だが、しかし――
「仮にだよ。仮にさっちんが私の事をあんまり良く思ってなかったとしてもだよ。その事実だけで、ほたて殺しの犯人と決めつけるのはいくらなんでも早計だと思うの」
「ああ、そうだね。ひよりの言う通りだ。さちえが殺人犯だという可能性は極めて低いと僕も思うよ。でも、それならそれで構わない」
次にゼロムが口にした言葉は、ひよりの予想を大きく裏切る衝撃的な発言だった。
「その時は、芭蕉さちえを犯人にでっちあげるだけだ」
――何を馬鹿なことを!
ひよりが怒りを露にして詰め寄るも、ゼロムは涼しい顔で続ける。
「悪いけど、手段を選んでいる余裕はもうなさそうなんだ。彼女は確か風を操る魔法少女だったよね。どういう理由か滅多に使わないけど、新米魔法少女を後ろから斬殺する程度なら可能な威力はあるだろう。
アリバイがない、ひよりに恨みがある、殺害方法もある。動機は不明だけど、これだけ揃っていれば十分だ。僕の持っているコネを総動員して彼女を最重要容疑者として聖天界に報告することを今決めたよ」
「そんなことをしたらさっちんが捕まって聖天界で裁かれちゃうじゃない!」
「もちろんそうはさせないよう最大限の努力はするよ。これはあくまで時間稼ぎのための作戦だと思ってもらっていい。聖天界の評議会の狙いはあくまでもひよりなんだから、君以外が容疑者なら犯人探しなんて面倒なことはヘクセンナハトに一任するだろうしね。さちえには悪いが、君の身柄を確保されることだけは絶対に避けないといけない」
要するにさちえにひよりの身代わりになってもらおうという作戦だ。
理屈はわかる。わかるがそれは、ひよりにとって到底納得できる理由ではなかった。
「万が一、犯人が見つからず、そのうえさっちんの無罪が証明できなかったら……その時はどうするの?」
「その可能性は確かにありえるね。だけど、それならそれでいいじゃないか」
――いいわけあるかぁ!
ひよりは悪兎の喉もとをこれでもかと締め上げるが、それでもゼロムは発言を撤回しなかった。
「聖天界だって昔とは違う。罪を犯した魔法少女を魔女と蔑み火炙りにするなんてことは今では滅多にない。殺人は確かに重罪だが僕たちも弁護する。ひよりならともかくさちえなら魔法少女だった頃の記憶を消されて一般人に戻るぐらいの罰で済むだろう」
「さっちんがいなくなったらフルーティアーズが潰れちゃうじゃない!」
「ひよりだって知っているだろう、さちえのスポーツの才能を。彼女はいずれ魔法少女を辞めてアスリートとしての道を往くことになる。遅かれ早かれ彼女の離脱は必然だ」
「それは、そうかもしれないけど……」
「それにフルーティアーズは潰れないよ。言い方は悪いかもしれないけど、さちえの代わりなんていくらでもいるからね。そろそろ模様替えをしてもいい頃合だ」
ひよりは、目の前の畜生を殴り飛ばしてやりたいという衝動を必死に抑える。
ひよりとさちえ、二人合わせて初めてフルーティアーズなのだ。いくら長年の相棒でも言っていいこと悪いことがある。
「僕のことを怒るかいひより。それは正常な反応だ。だけど知っての通りこれが僕の本性だよ。物事を損得勘定でしか考えず打算のみで行動することしかできない。そして僕みたいな連中が醜い権力闘争に終始しているのが今の聖天界の実態だ。そりゃあ神も愛想を尽かして出て行くよ」
「そんなことは……っ!」
「悪の組織を選んだ進一郎くんは見る目がある。向こうも色々あるようだけど、僕たちよりよほどシンプルである種美しい生き方をしているからね。彼がブラックシネマ団に入ったと聞いた時は、不忠ながらも正しい選択をしたと思ってしまったよ。魔人ブラックシネマは少々変わり者だが、僕とは違ってなかなかの人格者で、部下からも慕われていると聞くからね」
悪の組織に少し肩入れしすぎたかなとゼロムは大声で笑う。
それは自嘲の笑みだった。
「なあひより。この街が――いや、この地方がこんなにも豊かで平和な理由を知っているかい。それは他でもない <ジャンヌ・ダルクの剣> の一振りたる君がいるからだよ。悪の組織の影響力が強くて夜中に道を歩けないほど治安の悪い場所なんてざらにある。君を失ったらこの一帯もそうなるかもしれないね」
ひよりの背筋に冷たいものが走る。
ゼロムの言葉はただの脅しではない。ブラックシネマ団は法と秩序を重んじる穏健派だが、現役最強の魔法少女の一人が消えたと知られれば、他の悪の組織がこの地域に介入してくる可能性は十分にありえた。
「ひよりのため、この街の平和のため、どんな手段を用いてでも君を守る。それが君の担当魔法生物である僕の責任だ。どうしても止めたければ僕を殺せばいい。何があっても僕は決して君の事を恨まないよ」
最後にそう言い残すと、ゼロムはスケジュール表を丁寧に畳んで自室へと戻っていった。
自らの生命まで懸けるというゼロムの覚悟に、結局ひよりは最後まで何も言い返すことが出来ず、ただただ呆然とその場に立ち尽くすのみだった。
「おっはよー、ひよりん。元気なさげだけど、なんかあったの?」
「……ううん、なんでもない。心配してくれてありがと」
ひよりが教室に入ると、珍しく先に教室に居たさちえが心配そうに声をかけてきた。
結局、昨晩は一睡も出来ずに布団の中で悶々としていたため寝不足だったが、体調自体は決して悪くない。むしろ神経は普段より研ぎ澄まされているぐらいだ。
「そんなことよりさっちん、今日は早いね。いつもなら遅刻ギリギリに来るのに」
「陸上部から朝練に参加しないかって誘われてね。今朝はがんばって早起きしちゃったよ」
汗ばむ顔をタオルで拭いながら、さちえはまるで太陽のように眩しい笑みを浮かべた。その顔を見てひよりは昨夜寝ずに固めた決意を新たにする。
「さっちん陸上部の部長より足はやいものね。頑張ればオリンピック目指せるんじゃない?」
「何言ってんの、そんなに甘い世界なわけないじゃん」
ひよりも決して善人と呼べる人格はしていない。我が身だって大事だ。だから、さちえに泥を啜ってもらうことが一番楽で丸く収まる解決法だというゼロムの言い分は十分理解できる。
しかし、それでもさちえに人殺しの汚名を被せるわけにはいかない。彼女は人づき合いの苦手なひよりにとって、唯一といってもいい親友なのだから。
「あれ、そういえばゼロムはどーしたの? 確か先生から登校の許可を貰ってなかったっけ?」
「あの悪兎なら邪魔だから置いてきたわ。今ごろは自宅で何か良からぬことでも企んでるんじゃないかな」
聖天界の使者が来るまで約一週間。それまでにさちえの無実を証明し、真犯人を見つければいい。それが昨夜寝ずに考えた末に出たひよりの結論だった。
真犯人が見つかればそれで良し、それが無理でもさちえが無実である確たる証拠さえ抑えれば、ゼロムがどれだけ裏で工作しようと無為に終わる。それが原因で自分が捕まり魔法少女の資格を剥奪されたとしても、それはもう仕方のないこと。この街の平和はさちえたちがきっとなんとかしてくれる。
昨夜はそうとうへこんだが一度覚悟を決めたら気分が楽になった。ひよりは始業のベルと共に教壇についた栄口に叫ぶような大声で質問する。
「ひーにゃん先生、明日から有休をもらってもいいですか!」
「ダメです」
ひよりの要求は即座に却下された。
――なぜ学生には有給休暇が認められないのか。
学生は給料をもらっているわけではないので言葉の意味としては間違っていることはもちろん理解しているが、ある程度は自由に休みを取る権利ぐらいあってもいいではないかとひよりは嘆く。
体調不良等のやむをえない理由がないかぎり故意に学校を休むのは認められない。それでも休むようならヘクセンナハトに報告すると栄口に警告され、ひよりは渋々従うより他なかった。
仕方なくひよりの真犯人探しは授業後だけの活動となった。
ひよりとの共同捜査を諦めてでも続けていたゼロムの遅延工作が功を奏し、聖天界の使者の訪問は少し延びたが、だからといって焦らなくていいという理由にはならない。
「くそっ、やっぱり怪しい人物は見つからないか」
自宅のダイニングで、ひよりが先日のゼロムのように険しい顔で同じような口調で呟く。
海岬ほたてと仲が良いとされる魔法少女を何人か当たってみたが、いずれも確かなアリバイを持っている。もしかしたらひよりの知らない交友関係があるかもしれないが、そこを調べたところで本部の捜査をなぞっているだけだということに気付き頭を悩ませていた。
「僕としてはまずまっ先に、自身の潔白を証明する何かを模索して欲しいのだけれど」
「そんなこと言われても、何もないんだからしょうがないじゃない。それよりさっちんの無罪を証明するほうが先よ。あなたの野望を必ず打ち砕いてやるわ」
「好きにしろとは言ったけど……まったく困った娘だな。さちえのことはもう諦めたほうがいいと思うのだけれどね」
鼻息荒いひよりに過去の地方新聞を漁っていたゼロムがため息をつく。
口ではああはいっているものの、ゼロムもさちえを犠牲にすることは本意ではないということにひよりは気付いている。そうでなければひよりが反旗をひるがえした後も遅延工作を続けたりはしていない。悪兎ではあるがどうやら性根まで腐っているというわけではなさそうだ。
「やっぱりダメだ。犯行日前後に何かしら事件でも起きてないかと探してみたが一切ない。この街は実に平和だ、ひよりのおかげだな」
「もしかしたら、うちらの業界とは無関係の犯罪に巻き込まれたんじゃないかって考えたんだけどやっぱり違うわよね。やっぱり時間のかかりそうな犯人探しよりも、さっちんのアリバイを証明する方向に向かったほうがいいのかしら」
だからその前に自分のアリバイを証明してくれと嘆くゼロムを無視して、ひよりは据え置きの電話のある玄関へと向かった。
大きく息を吸って吐く。それを何度か繰り返して心を落ち着かせてから、ひよりはさちえの自宅に電話をかける。
「もしもし……あの、さちえさんのお母さんでしょうか。先日お電話させていただいた桜桃ひよりという者ですが、度々申し訳ないのですが娘さんの件で何か思い出したことはないでしょうか」
――ないわね。
たったの一言だった。受話器の先からボソリとそんな呟きが聞えると、通話は一方的に切られた。
ひよりは困惑と同時に怒りを覚える。もしかしたらさちえに容疑が及ぶかもしれないと伝えてあるにも関わらずこの態度、いくらなんでも酷すぎる。
「だからあの女に何かを期待するのはよせといっただろう」
担当ではないとはいえ仲間の魔法少女の親族を平然とあの女呼ばわりする悪兎が、ひよりの肩にぴょんと飛び乗り耳元で囁く。
「ハッキリ言って通話料の無駄だよ。あれに頼るぐらいならまだ近隣住民に聞き込み捜査でもしたほうが何万倍も有意義だ」
「会ったことも話をしたこともない女性をあれ呼ばわりするのは如何なものかと」
「さちえからは何度も相談を受けているし、僕自身もリサーチ済みだから間違いない。さちえの母、芭蕉有希は仕事のことしか頭になく家庭をいっさい顧みないクズ親だよ。口汚い言葉で驚かせてしまったらすまないが、なにぶん僕はこの女のことが嫌いでね」
「……相談、受けてたんだ」
――そんなこと、私ぜんぜん知らなかった。
困った時には親友の自分を頼ってくれるとばかり思っていたひよりは、さちえがゼロムだけに家族の件について相談していることに軽いショックを受ける。
そんなひよりの心中を察したのか、ゼロムがすかさずフォローを入れる。
「家庭の事情なんてなかなか他人に相談できることじゃないからね。さちえがひよりに話さなかったのも無理はない。もともと親のいない君にはなお更そうだろう。その点、僕たち魔法生物ならペット感覚で気軽に相談できるというわけだ」
「でも、なんでゼロムなのよ。さっちんにだって担当魔法生物がいるじゃない。ほら何ていったかしら、あの犬っぽいの」
「イチゾウのことかい。あいつはダメだよ、子供は親が産んだのだから親の所有物みたいなことを言い出すに決まっている。それと、どういうわけか時代遅れの選民思想があって、人間の存在を軽んじていたりもするしな」
そんな素振りあったかなとひよりは腕を組んで考え込むが、何度思い返してみても無口で無愛想でさちえの後ろをただついてくるだけのおまけという印象しかない。
「ひよりだってあいつの名前がすぐに出てこないだろう? あれはイチゾウが意図的に人間との会話を忌避しているからさ。下々の者とは口も利きたくないという実に高貴な御方さ。職務放棄にもほどがあるがね、クソッたれが」
「もしかしてゼロムって、魔法生物の中ではかなりマトモな方?」
聖天界についてはあまり詳しくないひよりだったが、確かにゼロムのいうとおりロクな場所ではなさそうだ。
「それはどうだろうね。ただ、困ったことにイチゾウのような考え方が、聖天界の上層部ではマジョリティだということは確かなことだ。君やあやめが上から嫌われているのもそういった背景があってのこと。時代はすでに変わったというのに未だに古い考え方から脱却しきれていない。実に嘆かわしい話だ。時代と共に聖天界も変わらなければいけないというのに。だから僕は――」
ゼロムの口調に熱が篭りかけたその時、電話のコール音が鳴り響く。
話の腰を折られたゼロムはすごすごとひよりの肩から降りた。
どうせいつも通り、臭い演説を延々と続けようとしたんだろうと呆れながら、ひよりは電話に対応する。
『芭蕉有希だ。さちえの件で思い出したことがある』
電話があったのは、意外なことにさちえの母親からだった。
ひよりは彼女の通話を嬉しく思う。相変わらずの無愛想だが、わざわざかけ直してきてくれたのはとてもありがたい。ゼロムは家庭のことをいっさい顧みない親だと思っているようだが、あながち捨てたものでもなさそうだ。
しかし、ひよりの抱いた温かい気持ちは、次の瞬間に跡形もなく吹き飛ばされることになる。
『あいつはいなかった』
「えっ? あの、いなかったとはいったいどういう意味で……」
『あの日の晩、私の夕飯が出来ていなくてな。怒鳴りつけてやろうとあいつの部屋に行ったんだが、部屋には誰もいなかった』
「でも、さちえさんはその日は部屋で勉強をしていたと私に言っていましたが」
『頭にきたから、その日はドアに鍵をかけて締め出してやったからそれはありえない。あいつ殺人事件の容疑者になってるんだろ。目障りだから早く捕まえてくれよ』
最後に親とは思えぬ発言を残して、有希からの通話はふたたび一方的に切られた。
あまりのショックにひよりは一瞬、足元がぬかるんだかのようにふらついた。
アリバイがないことより、さちえにウソをつかれたことより、彼女が自らの親に売られたという事実に激しく打ちのめされた。
「だから言っただろう、あの女はそもそも親になったこと自体が間違いだったんだよ」
芭蕉有希からの通話内容をすべて伝えると、ゼロムは吐き捨てるようにそう言った。反論する気力はもうなかった。
「さっちんが犯行時刻に自分の部屋にいなかったってホントなのかな」
「さあね、あの女の発言など僕は何ひとつ信用しちゃいないよ。どうしても知りたいのであれば本人に直接訊けばいい。真相がどうであれ、僕のやることは変わらない」
冷たくそう言い放つとゼロムは踵を返してリビングに戻っていった。
――有希さんも有希さんだが、ゼロムもゼロムだ。
さちえのことをいったい何だと思っているんだ。
ひよりは怒りに肩を戦慄かせながら、握り締めた受話器を叩きつけるように本体に戻した。
結局その日の夜もよく眠れず、ひよりは重い身体に鞭打って朝の支度を始めた。体調は最悪だったがそれを口実に学校を休もうものなら本部に報告されかねない。
制服に着替えて軽く朝食を摂ると、少し早めに自宅を出る。陸上の朝練を続けているさちえと話しがしたいという名目だが、ゼロムとあまり顔を合わせたくないというのが本音だった。
ゼロムはひよりの恩人であり唯一の家族だが、今顔を合わせると恨みの言葉を吐いてしまいそうな自分がいることを否定できない。それが原因でもしも今の関係が崩れてしまったらと考えると、怖くてとても自宅には居られなかった。
気のない足取りで人気のない早朝の教室に入ると、いつも通り汗だくのさちえが笑顔で挨拶してくれた。有希の言葉がまったくのデタラメなのか、それともその笑顔の裏に何かを隠しているのか、今のひよりにはまるでわからない。
「ねえ、さっちん。私に何か隠し事してない?」
「ないよー」
思いきって訊いてみたが即答だった。
確かにさちえは隠し事ができるような性格ではない。
「ひよりんこそ私に何か隠し事してない? ここのところずっと顔色が良くないよぉ」
「……私に殺人容疑がかけられてること忘れてない?」
――そういえばそういう娘だったわ。
ひよりは肩を落として大きなため息をつく。
ゼロムは有希の証言をまるで信用できないと切って捨てたが、さちえの証言は母親とはまた別の意味でまったく信用できないという事実を再確認する。一週間前という大昔のことについて訊いたのがそもそも間違いだったのかもしれない。
「さっちん、二人きりでちょっと話したいことがあるんだけど、授業後空いてる?」
こうなったらゼロムの企みをすべて暴露してやろう。自分が殺人事件の容疑者に仕立て上げられようとしている事実を知れば、のほほんとしているさちえも少しはがんばって事件当日のことを思い出してくれるかもしれない。
しかしそんなひよりの思惑はさちえの「授業後は部活の助っ人があるからダメ」の一言であっけなく一蹴された。
「今話せばいいじゃない。なんでひよりんはいつも話をもったいつけるのよぅ」
「ほら、いちおう私たちの業界の話って一般人には聞かれちゃいけないことになってるじゃない。ここだといつクラスメイトが来るかわからないし」
「だったらファミレスで話すのもやめたほうがいいよぉ」
痛いところを突かれてひよりは少し黙り込む。
魔法少女の存在は秘匿であるなどという掟などとっくの昔に形骸化している。もはや守る必要はまるでないと言ってもいいほどだが、ひよりにとって日常の象徴ともいえる教室でその手の話をするのはなんとなく気分が落ち着かないということと、仕事や教室以外でも仲間との交流の時間を持ちたいという気持ちからよく外食しながら話をしていた。
ただ、今回はいつもとは少しだけ事情が違う。魔法少女にもイメージというものがある。殺人絡みの話を自分のクラスで大っぴらに話すわけにはいかない。
さちえにはナイショの話だからどうしても二人きりの時に話したいと説得し、今日がダメなら明日どこか人気のない場所で話し合おうと約束した。




