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第一の殺人

 桜桃ひよりは魔法少女である。群羊県前坂市を主な活動拠点として、悪の組織『ブラックシネマ団』との戦いに日々明け暮れていた。

 そんなひよりにある日、全国の魔法少女を管轄する組織から緊急招集がかかった。理由を教えてくれないのは不可解だったが、召集に応じない場合は最悪罰金刑が科せられるので渋々、嫌々応じたのだ。

 ――その結果がこの有様だ。

 到着早々ひよりはいきなり拘束され、自らに殺人の容疑が科せられていると説明を受けると、このような殺風景な場所にとつぜん放り込まれたのだ。手錠さえなければ頭を抱えているところだ。

「魔法暦四〇六年八月二十六日――つまり四日前、近隣住民からの通報により先月配属されたばかりの新米魔法少女、海岬ほたての死体が発見されました。死亡推定時刻は八月二十五日の午後9時頃。犯行は深夜パトロールの最中に起きたと断定。死因は背後から鋭い刃物で斬りつけられたことによる失血死。死体現場の状況等から我々は桜桃ひよりを殺人事件の重要参考人として連行することを決定しました。なお、尋問室内での自白は減刑対象になることを予めお伝えします」

 ――重要参考人。要するに、私は殺人事件の容疑者ということね。

 ここで自白すれば刑が軽くなるということは、逆に言えば自白による減刑が許されるのはこの尋問室だけということ。その辺りの話は魔法少女の掟に疎いひよりでも頭の片隅に記憶されている。

「我々魔法少女は正義の象徴にして公明正大。いついかなる時にも容疑者の質疑に応答します。ここまでで何か質問等ございますか」

 まるでこちらを見下しているかような尋問者の物言いに頭にきたひよりは、少し意地悪な質問をぶつけてみることにした。

「では二つめの質問です。公明正大を謳う者がなぜその姿を隠しているのでしょうか。正義の味方ともあろう者がこそこそ身を隠すのはおかしな話ですし、たとえ罪人であろうとも相手の眼を見て話すのは最低限の礼儀だと思われますが」

 ひよりの発言に衛兵たちが軽くどよめく。上司に対して恐れ多いことを言っていると理解はしているが、こればかりは性分である。権力や暴力による不当な抑圧への反発心が、彼女を魔法少女という因果な職業に導いた遠因でもある。

 おそらく黙殺されるであろうと思われた、この挑発的な質問という名の要求だが、意外なことにそれはあっさりと受理された。

「ひよりさんの言われることはまったくもって正論です。しかしこの世は、あなたのように心身共に強き者だけではないということはご理解ください」

 暗闇の奥から現れた人影にスポットライトが当たる。

 そこにはひよりの半分にも満たない身長の小柄な少女が、彼女をはるかに上回る存在感を放って立ちはだかっていた。

「あやめ本部長!」

 魔法少女統括機構――通称ヘクセンナハト本部部長、如月あやめ。またの名を『魔法少女プリティ・フロージア』。魔法少女を志す者なら誰でも知っている伝説の魔法少女だ。

 その強さは現場を引退するまで常勝不敗を貫き通し、虐げられ続けた悪の組織から苦情が殺到したほどだという。

「如月あやめと申します。若輩ながらヘクセンナハトを任されている身です。復讐の対象になりかねないという理由で本来は姿を見せてはいけない規則なのですが……あなたとは一度、面と向かって話してみたかった」

「確かに、最近の若い魔法少女は我慢を知らない娘が多いですからね」

 幼い精神に強すぎる力。この手の処罰に対する報復事例は事欠かないと伝え聞く。一部例外を除いて顔を隠してはならないという魔法少女の原則に反するとはいえ、このような形の尋問も仕方のないことかもしれないとひよりは納得した。

「お会いできて光栄です、桜桃ひよりこと『魔法少女ワイルドチェリー』。もう少し魔法少女らしい名前にすればいいのにと常々思っていました」

「こちらこそ伝説の魔法少女にお会いできて光栄です。荒々しさが私のウリだということはあなたもご存知かと思います」

 あやめほどではないがひよりも相当な有名人だ。そして魔法少女らしからぬラフなファイティングスタイルで悪の組織を徹底的にぶちのめすため、子供の教育に良くないと民間から本部にクレームが来たこともある問題児でもある。

「ええ、もちろん存じています。ブラックシネマ団の頭領を半殺しにして信号機から吊るした件で苦情が殺到。聖天界の天使から直々に一時間以上に渡る説教を受けた逸話は今でもうちの職員の話のタネです。なかなかに素晴らしい武勇伝をお持ちで」

「いえいえ、あやめさんには敵いませんよ。わずか一ヶ月で悪の組織を六つほど壊滅させて、地獄から魔王が護衛軍を引き連れて直々に抗議に来た事件は、生ける伝説として今でも我々魔法少女たちの語り草です」

「あの時ばかりは、さすがの私も頭を下げるしかありませんでしたよ」

 そう言ってあやめが笑うと、ひよりも一緒になって大笑いする。外見、性格共に正反対といっていいほど違いはあるが、ある意味では二人は似た者同士だった。

「さてと……自己紹介はこのぐらいにして、本題に移りましょうか」

「ちょっと待ってくださいあやめ本部長! 今までずっと言いそびれてきましたが私は無実ですよ!」

 そう、見知った顔に安心したことでようやく切り出すことが出来たが、殺人などひよりにはまるで身に覚えのない話なのだ。

「ひよりさん、あなた犯行推定時刻には何をやっていましたか」

「五日前の深夜ですか? その日は非番でしたので、高砂市まで映画を観に行ってたと思います」

「それを証明できる人はいますか」

「……いえ、何しろ独りで観にいったものですから」

 こんなことなら相棒のゼロムも一緒に連れて行けば良かったとひよりは唇を噛む。近頃の映画館は魔法生物相手でも容赦なく入場料を取るので仕方なく置いていったのだが、自分のケチさがまさかこのような形で仇となるとは思わなかった。

「でも私、こう見えてもあの辺りでは結構な有名人なので、調査すれば目撃証言が取れるかもしれません」

「まさか魔法少女の姿のままで映画館に行ったのですか?」

「いえ、そういうわけでは……」

「ならばあまり期待しないでください。原則として正体を隠すことにしている以上、変身前のあなたを知る者は少ないでしょうし、仮に証言があったとしても、確実にあなた自身であると立証できないかもしれません」

 衣装だけでも印象は随分と変わる。たとえ素顔を晒していても案外他人は気付かないものだ。

 顔を曇らせるひよりを見て、あやめはふぅっと大きく息を吐く。

「私としても、ひよりさんのことを疑いたくはないのですよ。魔法少女ワイルドチェリーの活躍を、私も日々楽しみにしてきましたから」

「私は被害者のほたてさんとは面識がある程度で、とりわけ深い親交があったわけでもありません。それなのにまっ先に疑われるということは、私が関係していると思われる何かしらの証拠でも見つかったのでしょうか」

「まっ先に……というわけではないのですが、あなたを疑う根拠ならあります」

 あやめがパチンと指を鳴らすと、暗闇の中に眩い光を放つ長方形が出現する。

 魔法力で動く超大型の魔道ディスプレイだ。ひよりも喉から手が出るほど欲しいが、この半分の大きさの市販品でも、彼女の安月給ではまるで手が届かないほど高額なのだ。ここで観られるのは眼福だと少し得をした気分になる。

 ディスプレイはあやめの魔力により、おそらく録画と思われる事件現場の状況を鮮明に映し出した。

 現場の状況は凄惨極まりないものだった。

 背中を鋭利な刃物で斬りつけられ、血溜りの中にうつ伏せになって倒れている少女の姿を見て、気持ち悪くなったひよりは思わず口を手で塞ぐ。どうやら自分が思っているほど気持ちはワイルドではないらしい。

「問題はこの先です」

 傷口を映していたカメラが上の方に動き、被害者の頭部を映し出す。

 ひよりは驚愕した。死者の血の気の失せた顔を見たからではない。その先にある腕の、さらにその先にある『証拠』を見て強い衝撃を受けたからだ。

 亡くなったほたての指は、自らの傷口から流れた血を使ってアスファルトにこう書き記していたのだ。

『犯人は桜桃ひより』と、ご丁寧にもフルネームで。

 ディスプレイの光が消えて再び周囲が暗闇に包まれると、ひよりはその場で大げさにうなだれ、震える声であやめに言った。

「……あやめさんは、事件現場に血文字で『犯人はヤス』と書かれていたら、ヤスが犯人だと断定するのですか?」

「するわけがないでしょう。ですがこれだけハッキリと書かれている以上、無視はできませんね。他に証拠らしい証拠がない以上、あなたが第一の容疑者になるのは否めません」

 冷徹にそう言い放つ。ひよりは怒りを露にしてあやめに食ってかかる。

「死にかけてる人間が、こんな懇切丁寧に犯人の名前を書き遺せるわけないじゃないですか。常識的に考えてくださいよ!」

「そうかもしれませんが、真面目で几帳面なほたてさんらしいともいえます。知っての通り、魔法少女の生命力は強靭です。一般人と同じ感覚で言われても困ります」

「だいたい、こんなバレバレのダイイングメッセージ、犯人が見逃すわけがないでしょ! どう考えても私を陥れるための犯人の工作じゃないですか!」

「そうでしょうか? 私の経験上、殺人の直後は気が動転してすぐに事件現場から逃げ出す者がほとんどですけどね。誰かに罪をかぶせるためにダイイングメッセージを捏造するなどという奇特な方は、推理小説以外ではなかなかお目にかかれませんよ」

 痛いところを突かれてひよりは黙り込む。ダイイングメッセージで犯人特定なんて馬鹿馬鹿しい話と思っていたが、言われてみれば確かにその通りかもしれない。

「ただし、先ほどひよりさんの言われた事がまるでないとも思いません。どこか頭のネジが一本外れているから殺人などという非生産的な凶行に走るのですから。私の経験や世間の常識などアテにならないかもしれません。

 ……ひよりさん。あなた、誰かから恨みを買った覚えはありませんか?」

 言われてひよりは考え込む。愛と勇気と希望の美少女戦士を自称する彼女にとって、恨みを買っている人間がいるかと訊ねられても返答に困ってしまう。

 しばらく間が開いてから、ひよりはポンと一つ手を叩いて少し誇らしげに断言する。

「これはブラックシネマ団の陰謀だわ!」

 なにしろ先日そこの頭領を半殺しにして吊るしたばかりである。とうぜん組織は怒り心頭、復讐の一つや二つ考えることだろう。

 しかし、だからどうしたというのだ。悪の組織に恨まれることは魔法少女の本懐だとひよりは考える。近年は馴れ合いの風潮も強いが、同類のあやめならきっと同調してくれることだろう。

 しかしあやめは小さく首を横に振ると、ふたたび指を鳴らしてディスプレイを起動させる。

 ディスプレイには先ほどの事件現場ではなく、中肉中背の身体を喪服のように黒いタキシードで包んだ少年の姿を映し出した。少年はひより同様、まっ暗な尋問室で手錠をかけられて沈黙している。

 その少年の顔をひよりはよく知っている。ブラックシネマ団幹部『フィルム伯爵』――本名、二神進一郎だ。頭領のブラックシネマが地獄にて治療中の現在、組織を束ねている実質的なリーダーは彼である。

「あ、進ちゃんも捕まってたんだ」

「ひよりさんが考えているようなことはもちろん我々も考えていますよ。これは二日前に撮った尋問の映像です。

 念のために伝えておきますが、捕まえたわけではありませんよ。我々魔法少女と悪の組織には相互不干渉条約がありますから。ですからこれは、あくまで任意同行です」

 などと言いつつも半ば強制的であったことは進一郎の様子を見れば明らかだ。

 数々の武勇伝から大方の予想はできたが、やはりあやめは自分なんて足元にも及ばないほどの強硬派だ。ひよりは頼もしさを覚える反面、若干の恐怖も感じる。なにしろ、彼女の鋭く研ぎ澄まされた牙が、自分に向かないという保障はどこにもないのだから。

「ただし、大きな収穫はありませんでしたけどね」

 ディスプレイの中では、おそらくあやめであろう尋問者の声が、進一郎を厳しく追求していた。恨みを持ったひよりに罪を被せるためにダイイングメッセージを捏造したのではないかというくだりで彼はゲラゲラと笑った後に吐き捨てるようにこう言う。

『バカかてめえは。んなせこくて面倒くせえ嫌がらせするぐらいなら、戦闘員総出でひよりに直接復讐しにいくわ』

 たしかに進一郎は頭領とは違い、悪の組織にありがちな回りくどくてセコい作戦を一切とらない。良く言えば実直、悪く言えば短気な性格をしている。勢いで悪の組織の仕業だと叫んだが、少なくとも彼が自分を陥れようと画策したというのは考えにくい。

『ああ、わかってるわかっている。いくら言葉でやってないって言ってもしかたねえよな。アリバイを出せばいいんだよな。

 俺たちはその時間帯は海外に飛んで映画を撮影してたから犯行は不可能だ。ああ、もちろんいたって普通の映画だよ。今回はサブリミナルもいっさい仕込んでねえ。あんたらの組織力なら調べりゃすぐわかんだろ』

 ひよりがあやめに視線を向けると、彼女は小さく頷きすでに裏を取っていることを告げる。

「組織の構成員はすべて、犯行時刻にこの国にいないことをすでに確認しています。現地住民や共同撮影者からの証言もありますし、彼らに犯行は不可能でしょう。構成員以外の何者かを暗殺者として雇った可能性もあるかもしれませんし、今はその線で捜査を継続中ですが、正直あまり期待できそうにありません」

 ――アリバイの定番、国外旅行か。

 ひよりは忌々しげに舌打ちする。ありがちではあるが、だからこそ強力なアリバイだ。どこの国でも入手国の管理は徹底している。海外に脱出したと見せかけて実は国内にいましたなどということはまずありえない。海外での目撃証言があるならなお更だ。

 海外に行ってから空を飛んで戻ってくればいいではないかと一瞬考えたが、魔力を使って自力で飛べる怪人など稀だし、仮にいたとしても入国の際に領域を侵犯した飛行物体として撃墜されるのがオチだ。冤罪事件を引き起こすために暗殺者を雇うというのもいささか非現実的に思われるし、ブラックシネマ団の仕業という線は薄いと認めざるをえなかった。

『おい、ひより。どうせこの映像を観てるんだろ? よくもうちの頭領をやってくれたな、この借りは必ず返すぜ! おまえは俺と同い年だから今十七歳だよな? だったらもう一年だけ待ってろ、映倫会の審議が通り次第おまえ主演のアダルト映画を撮ってやるからよ! 有名な触手男優をたっぷり使ってなぁ!』

 ――まあ、幼なじみになんて酷いことを思いつくのかしら!

 すっかり変わり果てたかつての幼なじみの姿にひよりは強い衝撃を受ける。

 昔は近所でも評判の良い子で、自分のことも姉のように慕ってくれていたのに、親の仕事の都合で転校して戻ってきたら、すっかり悪の組織に毒されてしまっていたのだ。

 今度会ったら愛と勇気のマジカル☆折檻を一晩中くれてやろう――ひよりは固く心に誓うのだった。

「状況は飲み込めたでしょうか。我々としても身内を疑いたくはないのですが……」

「ちょ、ちょっと待ってください! 確かほたてさんが担当していた、隣の市を活動拠点としている悪の組織がもう一つあったはず。名前は、ええっと……ちょっと思い出せませんが、そちらが本命では?」

「邪神崇拝のノワールのことですね。あれは悪の組織というよりオカルト好きの集まりですから、ひよりさんが名前を知らないのも無理はありません。もちろんそちらも調査中ですが、一般人同然の彼女たちが殺人などという大それたことができるかといえば甚だ疑問ですがね」

 ここに書き出すには憚られるほど卑猥な言動に終始する進一郎の画像が切り換わり、今度はいかにも人の良さそうな線の細い文学女性が映し出される。

 ノワール部長の田嶋良子というらしいが、話し方ひとつとってみても確かに虫も殺せなさそうな感じである。事件当日には自宅で黒魔術の本を読んでいたそうで家族からの証言も取れている。部員は彼女を含めて五名。全員女性、暗黒協会の名簿に名を連ねているので一応悪の組織ではあるが、これといった大きな活動実績はない。

 就任したばかりの新米魔法少女に担当させるのだからたいした組織ではないと思ってはいたが、想像以上の塩組織である。もちろん可能性はゼロではないのだろうが、あやめの言う通り疑い辛いというのが正直な感想だった。

「誠に遺憾ですが、確かにこれは、私が第一の容疑者とみられても仕方がないですね。ただ、私を疑う以上は、もちろん現場の魔力反応は確認してますよね」

「当然です。もっとも微弱すぎて誰の魔力なのかまでは残念ながら特定できませんが。

 ですので、いささか原始的ではあるのですが、犯行に使われた凶器から犯人を捜査する方法をとろうと考えました。本日あなたを呼んだ理由のひとつがこれです」

 あやめが指を鳴らして合図を送ると、衛兵が子供の身長ほどあろうかという大剣を重たそうに引きずりながら入室してきた。

 それは、本部に来たときに押収されたひよりの魔法のスティッキだった。

「失礼ながらあなたのスティッキを確認させてもらいました。しかしこれは……本当に杖なのでしょうか」

「見ての通り魔法のスティッキです。ワイルドでしょう?」

「確かに魔力は通りますが……」

 あやめは言葉を詰まらせながら、成人男性一人分ぐらいの刀身を誇る、いかつい大剣型魔法のスティッキを訝しげに眺める。

 魔法少女は与えられた杖を自由にカスタマイズする権利があるが、桜桃ひよりは戦う相手に畏怖を与えるよう、あえてこのような厳つい形にしている。勝負は戦う前から始まっているのだ。

「まさかと思いますが、私のスティッキが犯行に使われた凶器だなんて思ってませんよね」

「このドラゴンでも斬り殺せそうな大剣を自在に振り回すワイルドな魔法少女、というのがあなたのウリなのですから、当然疑います。しかし綿密な検査の結果、このスティッキはほたてさんを殺害した凶器ではないと断定しました」

 衛兵があまりの重さに引きずって運んできたひよりのスティッキを、あやめは片腕で軽々と振り回しながら、慎ましい胸元から取り出したリンゴを上に放り投げる。

 放り投げたリンゴがひよりの眼前まで落ちてきた瞬間、あやめは振り回していたスティッキで中空のリンゴを横薙ぎに斬りつけた。

 ――パン!

 と、大きな破裂音を立てて、リンゴは跡形もなく消滅した。

 粉砕などという生易しいレベルではない、圧倒的なパワーから放たれた一閃は、リンゴという物体を瞬時に分子レベルにまで分解したのだ。

「私の力をもってしてもリンゴ一つすらまともに斬れない。このスティッキでほたてさんを斬殺するのは不可能でしょう」

 衛兵たちのどよめきの中、ひよりは呆れたように肩をすくめる。

「魔法のスティッキなんだから当たり前じゃないですか」

 もともとが魔法を行使することを目的としたもので、斬撃を目的としてカスタマイズしたわけではない。当然切れ味などまるでなく、仮にひよりがこのスティッキを用いてほたてを殺害しようとしたと目論んだとして、どれだけ頑張っても彼女をミンチにするのが精一杯だろう。

 人体をミンチにする程度なら素手でも十分事足りる、これが凶器になるなどというのはお門違いもいいところである。

「念には念を入れてルミノール反応も調べましたが反応はなし。あなたへの疑いが晴れたわけではありませんが、本日の尋問は以上にしましょう。後日また召集がかかると思いますが、その時は必ず応じてください。最後に、何か質問はありますか」

「カツ丼はどこで食べられるのでしょうか?」

「本棟三階の職員食堂でご自由にどうぞ」

 手持ちが少ないので奢っていただけないでしょうかとひよりは訊ねたが、それは丁重に断られる。ただし本部までの移動費は経費として落とせると聞いて、そのお金を利用して食堂でカツ丼を食べることに決めた。

 食堂で食べるカツ丼は思いのほか美味しくひよりは何度もおかわりした。

 気付いた時には財布の中からお金は跡形もなく消え去っていた。

 自らが犯した大いなる過ちに気付いたひよりは、罪の重さに耐え切れずにその場で膝をついた。

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