死んでしまった者
メローラはちょっと進んでから、ゆっくりと洞窟の入り口付近にまで戻ってきた。
完全な闇でほとんど見えないが、入り口付近からかすかな光が入ってくる。ちょうど曲がり角になっているところで座り込んだ。
入り口には兵が見張っていた。
(あの野郎、どうせ迷っての垂れ死ぬと、たかを括ってやがる)
後ろから刺客がつけてきて、いい頃合に襲って捕えるか殺すかしにくると思っていたが、まだそんな気配はなかった。
正直、メローラには案内役無しに出られるとは思わなかった。
適当な相手を見つけて、そいつに案内させよう。そう思った。
入り口の見張り役の兵士か?
もうしばらく様子を見よう。
――山道を兵士達に混じって少女が縄で引かれていた。
「姫様よ、可哀想になあ」
兵士達が笑った。
何度も倒れ、足は傷だらけだった。
「さっさと立て!」
苛立たしげに兵がぐいっと縄を引っ張る。
姫は呻いて引きずられる。
「おいおい、大丈夫か」
兵士の一人が言う。
「どうせ処刑されるんだ。今のうちじゃないか?」
「そうだな」
兵士達は下品な笑い声を上げた。
「ちょっと待て、ご命令どおり、事故死させねえと」
「それもそうだな。あそこの丘の上がちょうとええだろ」
兵士達に引っ張られ、姫は丘を登っていた。
丘につくと、縄が外された。
「痛うございましたでしょう。ですがもう心配いりませんぞ」
兵士達が一斉に笑い出す。
姫は空ろな表情でそれを見つめている。
「さて、褒美をくだされ姫様」
姫がさっと走り出したのに虚を疲れたのはその場の全員だった。
油断しきっていたのだ。まるで死人のように、人形のようにしていた姫はもはや抵抗すまいと思っていたのだ。
「そち達の好きにはさせぬ!」
姫が力強い声で言った。彼女は断崖絶壁に立っている。
「よせ!」
「王家の誇りはこれ以上汚させぬ!我が命は、我が意思によって絶つ!」
そして不敵に笑ったかと思うと、兵士達が駆けつける前に崖の下へ……飛び降りた。
まどろみの中にいた。
なんだかおいしそうな匂いがする。
メローラは目を開けると、みすぼらしい天井のようであった。
寝ぼけた目をこすり、ぼうっとした頭で周囲を見回した。
自分は死んだはずである。
せめてもの抵抗として、自害を選んだはずだが。今頃、父上や母上や兄上や弟らと再会していたろうに。
「起きたぞ」
声の方を振り向くと、老人と老婆がいた。
メローラがじっと見つめていると、老婆が言った。
「あなた、川から流れてきたのよ。おじいさんと拾って一応この小屋に運び込んだの」
「何か食わせてやろう」
「それもそうね」
二人は微笑み合った。
「あの、ここは?」
メローラは尋ねてみる。
「ここはどこって言われても、我が家としか言えないわよ」
老婆が鼻を鳴らした。
運ばれてきたのは、水の入った碗と、豆を煮たスープであった。
老夫婦は、彼女を匿い続けた。
メローラは、しばらく床を寝起きするだけの生活を送った。
「あの、何か手伝わせて下さい」
「何を言うんだね」
老婆は薪を抱えながら言った。
「あんたは、死に掛けてたんだよ?まだ休んでな」
「じゃあ、薪を運んでもらおうか」と老人がにこりとした。
「何だよ爺さん」
「待て、何かしていた方が気が晴れるとも言う」
メローラは、老婆について行って、薪になる木の枝を拾う事となった。老婆の夫は町にちょくちょく出ているらしく、「仕事場が町にあってね」とは老婆の言であった。
メローラは心にぽっかり空いた穴が、少しでも埋まっていくような気がした。二人のあたたかさが、安らぎを与えてくれるのだ。
何としても恩返しがしたかった。だが、今の自分は何の力も無い小娘。力が無いどころかむしろ災厄にもなり兼ねない自分であった。
メローラは王宮にいた頃は、家事などまったくしたことが無かった。肉体労働の類など絶対に有り得なかった。
「薪ありがとうね」と言われる度に、胸がじんとして目頭が熱くなった。
「おいおい泣かせたな」
「何泣いているのよ?まったく変な子だね」
(いつか……必ず……恩返しをしよう……)
しばらくしたある日、いつものようにメローラは仕事を終え、川岸の草むらに仰向けになっていた。空は青く、雲はゆっくりと流れていく。こうしていると嫌な事も全て忘れられるような気がした。あの悪夢の時ですら……。
自分の周りで聞き覚えのある音が幾つも聞こえた。
あれは、鎧や擦れる音だ。
メローラは慌てて起き上がった。
だが、もう遅かったのだ。
「メローラ姫だな」
兵士の一人が言った。
人数は4人。もはや逃げられまい。
周囲を取り囲まれ、メローラは覚悟を決めた。いや、ずっと前から決めていた。あの2人には迷惑をかけたくない。時が来たのだ。
「如何にも。ナツル王国第一王女メローラである」
「捕えよ!」
メローラは大人しく縄についた。
「すげえ獲物だな」
「死なすには惜しい」
兵士達は口々に言った。
(さようなら……今までありがとうございました……)
本当は、直接言いたかった。だがそれは叶うまい。
「あの2人はどうするんです」
一人の兵士が言う。
髭を蓄えた兵士が答えた。
「そうだな、殺すとするか。手柄は我らで独り占めしよう。我々が森を探索中、逃亡中の姫が洞窟に潜んでいたのを発見、是を捕えせしめる!」
「なるほど、それは名案ですね」
「と決まればさっそく始末しよう。あの夫婦が姫の事を周囲に話す前に」
愕然とした。
もはや希望すら無いのか。ささやかな祈りすら通じないのか。
自分の事など、救って欲しいと祈りはすまい。幸福でありたいと祈りもすまい。ならばせめて、自分を救ったあの人達の幸せを祈ってよいではないか。
それすら許されぬのか。
それすら……。
メローラは何かが、自分の中で切れる音がした。
気づくと、隣の兵士の剣を抜き、2人程斬っていた。
「こいつ!」
「剣を抜け!」
「うああああああっ!」
もう一人。返り血も全く気にならなかった。
ただ、激情していた。
血が煮えたぎり、身体が燃え盛っていた。
「てめえ!」
髭を蓄えた兵士が剣を構える。
「死ねえええええ!」
メローラは斬り掛かった。
「ひいっ」
兵士は気迫に押され、動きが遅れた。
メローラは地面に崩れ落ちた。
「はあっ……はあっ……!」
剣を突き、なんとか身体を支える。
よろりと立ち上がり、歩き始めた。
(無事だといいけど……)
仲間が他にいるかもしれない。そう考えるといても立ってもいられなかった。
身体中血塗れであったが、傷はほとんど無かった。だから走った。
「おじいさん、おばあさん!」
メローラは叫んだ。
老夫婦の小屋の前についた。
外から見ると何もいつもと変わらない。
メローラは恐る恐る近づいた。
すると、中から声が聞こえてきた。
(2人の声だ!無事だったんだ!)
メローラは激しく安堵した。
内容も聞こえた。
「……まさか、あいつが姫さんだったとはねえ」
「だが、いい金になったよ」
「まあ、厄介払いが出来たと思えば」
(……!)
メローラは耳をそばだてた。
身体が震える。
「あの兵隊さん達、どうするつもりかねえ」
「賊の娘だ。褒美もたんまりだろうぜ」
「羨ましいねえ。もっと貰ってりゃ良かったかも」
メローラはいつの間にか剣を強く握り締めている自分に気づいた。
そして飛び込んでいった。
2人の驚いた顔は見ものだった。
そして滑稽で可笑しかった。
「……誰が賊の娘だって?」
むしろ簒奪者こそが賊だ。
まあ、そんな事はもはやどうでもいいが。
メローラは血塗れの手を眺める。そして無残な老夫婦の死体を見る。
剣が床に落ちる。金属音が部屋中に響いた。
「きひっ、ひひひ……」
メローラは頭を両手で抱えて蹲った。
「ひひ……ははははははは、アーッハハハハハハハハハハハハハハ!!」