一矢報いようか
「ライトル軍が討ち破られた!?」
ナツル諸侯の1人トエル・グヒはその知らせに驚愕した。
「まさかこんなに早く」
「だが、それよりヒュール王の軍勢が……」
「王都は捨てるか?」
「いや、どこに逃げるというのだ!?」
「和睦しかあるまい……」
王都にあった諸侯達は焦慮の中言い合った。
事態が急転しているのだ。
各地で諸侯や豪族らがナツル包囲網軍に降伏していく。
「和睦や降伏だと!?」
1人叫んだ者がいた。
アカラという豪族の1人である。
「まだ、望みはある!」
声が震えているのをその場の誰もが気づいた。
地図を手に取る。
「まだだ、まだやれるはずじゃ……。ち、地図を……。敵は今どこに……」
彼は地図を卓に広げて置こうとするも、手が震えたりしてくしゃくしゃになってしまう。
「皆、見るのじゃ。地図を……。地図を見るのだ!」
まだ、満足に広げ得ずにいる。
その狼狽振りに、場はしいんと彼以外は黙りこくりっているのだった。
一方彼らが仰ぎ見る王プリズルは、自室で歩き回っていた。
誰1人の入室も許可せずに。
プリズルは公私共に危機にあった。
公的には、自らが治めるナツル国が包囲され、侵食が続けられており、打開策が浮かばぬ事。私的には実の娘が敵軍に拘束されているという事実である。
「娘1人守れぬとは、それでも父ですか!?姫1人守れぬとはそれでも国王ですか!?」と妻からはなじられ、「あ奴は私の元から抜け出し敵に身を投じた裏切り者だ!裏切り者など私の娘にはおらぬし、私の娘なら自害して虜囚となる事を恥じるくらいの気概を見せよ!」と怒鳴りつけてしまった。全くの本心であったし、正直腹立たしい事この上ない。
だが、彼自身ここまで築き上げてきた「良き夫」「良き父」「良き当主」「良き王」の地位が揺らぐ事でもあった。
「おのれ……」
プリズルは何度も歯軋りをした。
役立たずのバスタークめ。本国にて蜂起されればジャイル・ブックスは後背に敵を抱え撤退せざるを得ない。そして蜂起が成功すればジャイルは一気に逆賊となるはずであった。
それがどうだ!?
瞬く間に事態は収拾し、再びジャイル軍はナツルを侵攻している。
領主や豪族は次々と寝返っている。
愕然とする思いだが、裏切りの連鎖に腸が煮えくり返る。
彼は人望には強い自信があった。
名君であり、国を愛する王。信望も厚い王。これまで築き上げてきた。それを裏切る者共は、不義理この上ない連中だ。
(裏切るのは私にのみ許されておる)
選ばれし者。それがプリズル・デキウであるのだ。父と兄が病に倒れ、回ってくるはずのない当主の座を手に入れ、さらには疫病騒ぎにて国王にまでなれた。
彼は部屋を出、諸将の前に歩み出た。
「やむを得まい。降伏を願い出る」
そんな、と声が広がる。だが言葉とは裏腹にほっとしている者すらいた。だが。
「納得行きませぬ!」
アカラが涙を流す。
「賊共に国土を蹂躙され、多くの血が流れ申した。一矢報いる機を!」
彼に同調する数人の若い豪族が口々に叫ぶ。
「このまま終わる訳には参りませぬ!」
「どうか降伏だけは!」
だが、彼らの周囲では、項垂れた領主豪族が陰鬱な表情で黙りこくっているのだ。
プリズルは頷いた。
「お主らの気持ち、よう分かる。私も悔しい」
それは間違いなく本心であった。
彼は声を震わせ、涙さえ流そうと思えば流せた。
「じゃが、ここは耐えるのだ。どうしてもというのなら、止めはせん……。兵を貸そう」
「有り難き幸せ……」
アカラと彼らは泣きじゃくるのだった。
プリズルはそう決意した。
まあ少し時間稼ぎにはなろう。
降伏の書状の内容は、次となった。
「・国王一家の助命をする事。
・現国王プリズルに現在の領地と地位と兵権を安堵し、同盟を結ぶ事。
・もしくは別の同等の領地を与え領主とする事。この場合は諸国のいずれかの家臣として取り立てて頂きたい。
・開城にはしばし時を要す。その間戦は無き事。
・これらが承知とあらば、ナツル国にも降伏の余地がある」
プリズルはニヤニヤと笑った。
これで相手がどう出るか。
受け取った家臣のギュンタールも思わず口元を綻ばす。
「面白うございますな」
彼はプリズルと違って、見た目から神経質で陰湿そうな雰囲気を漂わせていた。だが、根はプリズルと違い生真面目で忠義者ではなかろうか、とプリズルは推察している。
「出陣じゃー!」
アカラが怒号を上げ、兵と馬が土煙を上げてナタラール城を発った。
兵は2000程度である。
そこそこの兵力だが、もはや態勢は動くまい。
対するイチデン軍は当初の2万から優に3万を超える軍勢と化していた。
まさに10倍もの兵力差があった。
当然ながらイチデン軍以外にもいくつもの国の軍勢がナツルを攻め立てているのである。
イチデン軍の虜囚となったサーシャ姫が「よってたかって」と評したのは、その通りであった。
季節は秋になりつつある。
人々は肌寒さを感じ始めていたが、それは季節によってのみであったろうか。




