麾下か処刑か
イチデン軍とナツル豪族ライトル軍は度々衝突した。ライトルは果敢で勇猛であり、イチデン軍を何度も後退させた。これはイチデン軍の指揮官ナップ将軍が過大な戦闘を避け、彼らの総大将ジャイルが帰還するまで時間稼ぎをしていたからでもあった。
ジャイルが戻った時、イチデン軍の士気の高まりようは只事ではなかった。
「お待ち申しておりました」
ナップ将軍は恭しく跪く。
「よく、持ちこたえてくれた」
ジャイルは宿将を称え、軍勢を建て直す、即座にライトル軍を攻める事とした。
2日後、ジャイル率いる軍勢が怒涛の勢いでなだれ込み、ライトル軍はササ川の向こう岸まで敵の侵入を許した。戦闘は夜中まで続き、静かな夜が戻ったのは夜更けにかけてである。
ジャイル軍がこうして進軍している間、ヒュール王率いるレトキ国の軍勢が反対側から王都ナタラールへ破竹の勢いで進軍を続けている。幾方面からもの侵攻に、ナツルは次第に追い詰められていく有様だった。
「こんな、よってたかって……」
イチデン軍の虜囚となったナツル王女サーシャは牢にこそ入れられなかったものの、周囲を兵に囲まれ、陣中にてじっとしているしかなかった。
立ち上がり、兵に詰め寄る。
「降伏勧告を、進言させてください!」
兵は戸惑ったが、無言のまま槍を構え持ち場を離れない。
「お願いです……」
何度も懇願するような姫に、兵士はとうとう折れた。
彼は交代時間になって、すぐにメローラの元へ走った。
メローラの周辺は、彼女を崇拝する兵士達によって、ひとつの勢力が出来上がっていた。
殴られ、縄で縛られ、メローラの前に差し出される。
メローラは椅子から立ち上がり、兵に歩み寄った。
「降伏勧告……」
「さ、左様で……」
「虜囚如きの言い分を訊くなんて、心根が立派な事じゃない。でも、それは敵が決める事。敵から降伏の許しを願い出るべき」
「そ、そうでございはしますが……」
この兵は、気骨があるようだ。メローラは感じた。
「よし、この者の耳を削ぎ、鼻を削ぎ、目を抉ってからあの姫の元へお返しなさい。なるべく殺さぬように」
メローラは冷徹に言い放った。
見るも無残な姿になった兵がサーシャの元に返されたのは翌日であった。
「あ……あ……」
サーシャは震えが止まらず、口を手に押さえ涙を流す。
メローラの残忍さを非難するというより、自身が頼んだが為にこの者が斯様な目に遭ったという事実に打ちひしがれる。
「ス……スレス……」
侍女の名を呼ぶ、今彼女がどこにいるのか知れない。どこか牢にでも入れられていると聞く。今サーシャの世話をしているのは、イチデンが用意した年のいった女であった。
牢にあるのは、スレスだけではない。サーシャに同行した、元親衛騎士』のマズル・ダイルとその侍女キャス。そして護衛の雇われ人ロークである。彼らは男女ごとに分けられ、廊下を隔て向かい合って牢に繋がれている。
「メローラ姫に会わせてくれ!」
マズルは格子を掴んで叫び続けた。
会ったところで、待っているのは姫の怒りでしかないだろうが、それでも何かしなければならない焦燥感に襲われていた。
「お止め下さいマズル様……」
キャスが項垂れながら言う。
「もう話の通じる相手ではありませぬ。命を無駄にするだけです……」
「何を言うか……!俺が行かないで誰が行くのだ!」
マズルは語気強く答えた。
「何で俺はお前らなんどについたかなあ……」
ロークは床に寝そべりながら溜息をついている。
「こんな事になるとは思ってなかったなあ……」
「姫様はお一人……さぞ、心細いでありましょう……」
王女の侍女スレスは顔を覆って泣き始める。
心細いのは姫というよりこの侍女の方であるらしかった。
彼らの叫びも嘆きも空しく、虚空に響くだけである。
メローラは虜囚である彼らに対して、食事は困らせなかった。
進軍する度に、引っ立てられ、彼らは王都に近づいていく。
「もうすぐ王都ね。あっけないものだわ」
メローラは呟いた。
「だが、ヒュールが1番乗りしそうな按配だ」
ジャイルの言葉に、メローラは顔を歪める。
「王都を落城させるのが、誰であろうと構わないけど……」
「いや、我々でなければならん」
ジャイルは語気強く言った。
「ヒュールのみでは落とせまい」
「そうかしら。プリズルは卑劣で臆病な男よ。そんな男の下でまとまるはずがない。もう総崩れになってもおかしくない」
「ほう、卑劣はともかく、どうして臆病だと分かる」
「女1人殺すのに、堂々としなかったからよ」
メローラは吐き捨てた。
そもそも、メローラの処遇をプリズルは間違えたのではあるまいか。ジャイルは思うのだった。言葉通りに生かしても良かった。それを口ではそう言いながら、事故に見せかけ謀殺しようとした……。堂々と処刑していた方が幾分かマシであったろう。
結果、斯様な滅亡の危機を招来せしめている。
何かの教訓になりはすまいか。ジャイルは兵を更に進めた。
ライトル軍を打ち破り、彼を捕虜とした。
縄に繋がれた彼は、尚も平然としていた。
「武運拙く敗れたに過ぎぬ。ナツルへの忠義果たせし事、誇りと思う」
「見事な物言いよの」
ジャイルは応じた。
「お主の武勇を私は買った。その忠に免じて、我が麾下に加えたいと思う。どうだ?」
ライトルは恭しく礼をした。
「有り難き幸せなれど、わたくしはナツルに忠誠を誓った身、それを今更仰ぐ旗を変える訳には参りませぬ」
「そうか、ならば首を刎ねねばならんが、それでもよいか」
「お好きになさいませ」
ジャイルはじっとライトルを見つめた。
「なら、そうしなさいな」
メローラが横から口を挟む。
口元に笑みを浮かべながら彼女は言う。
「ナツルの今の王族は、元々は簒奪者に他ならぬ。それでも尚忠義を尽くさんとするは、賊のする事。そうではないか?ライトル」
ライトルはばっと顔を上げ、「滅相もございません!」
と首を振った。
「わたくしは、ナツル国そのものに忠誠を誓っております。先王陛下の事は残念至極、なれど今はプリズル陛下こそ、この国の王」
「左様か、この物言いこそ、逆賊そのもの。こ奴に慈悲など必要ない。即刻死を賜るべき」
「お好きになさいませ……。もとより承知……」
メローラは声を上げて笑った。
「そうか、なら、お前の家族はどうだ?あ奴らも賊である。ならば同様に死ぬしかあるまいな?」
「姫様!?」
ライトルは信じられぬ者を見る顔をした。彼はメローラ姫と面識があった。今の彼女のどす黒い表情にかつての姿は無かった。
「おいメローラ!」
ジャイルは怒鳴った。
「安心して、既に処刑は済ませた。串刺し済よ。どうも逃げ損ねたみたいで、あたしの兵が見つけたの」
メローラは愉快そうに笑っている。
「待て、虜囚の処遇は総大将の俺が決める。お主が勝手に決めてはならんものだ!」
ジャイルは語気強く非難した。
「ああ、ごめんなさい。さっき気づいたの。あの家族がライトルの身内だなんて。陣中に忍び込み、盗みを働こうとしたので捕えたの。罪状が罪状だし、あなたの指示を仰ぐまでもないと……」
メローラは申し訳なさそうに言う。だが、声は笑っていた。
ジャイルは歯軋りをする。
よくもまあ、ここまで出まかせを。
あまり、この姫と揉めたくは無かった。戦後処理にも影響するだろうから。
ライトルはわなわなとした。
「この……人非人め……!」
「本性を現したわね。その口の聞き方。あなたは忠義の者でも何でもない。さあジャイル、この者はあなたの麾下に入るを拒否した。ならば家族の後を追わせなさい!」
メローラは朗々と言った。
ジャイルは少し肩を落とし、俯きながらライトルの首を刎ねるよう命じた。
そして、ライトルら家族の墓を立て、丁重に葬った後、進軍を再開した。
もしや、自分は、とんでもない者を表舞台に立たせたのではあるまいか。そう思えてならなかった。




