隠し穴
オポティウスの居館は兵士によって取り囲まれていた。
ルキは苦々しくも、彼女らが呼ぶところの『元国王』を眺めていた。
彼自身は、非常に悠然としていたのであった。
「おお、ルキ殿。兄上はどうしておる?」
様子見に伺うと、オポティウスは声を弾ませていった。
状況が分かっているのか。
ルキは彼の死すら望んでいるというのに。バスターク様の邪魔になるようなら、生きてもらっては困る。
イチデン王国の王は、1人で充分なのだ。
「陛下は兵を指揮し、奸臣ジャイルを討つべく戦っておられます」
「そうか。難儀な事よのう。王になって始めての仕事がそれか」
本当に人事の様であった。
ルキは苛立ちを覚える。
ここで、自分が彼を斬って捨てても、咎める者はいようか。
(バスターク様から、この男のお守を任されさえしなければ……)
何故、自分が命じられたのだろう。彼女としてはバスタークの側にあって、共に戦いたかった。
そのバスタークは、戦況の厳しさに渋い顔をしていた。
「まずい、非常にまずいぞ!」
ザイターは、広間を歩き回っていた。
既に、城門は突破され、ジャイル軍が流れ込んできていた。
「やはり、打って出るべきであった!」
ウワンは唸っていた。
「ウワン!例えそうしていても、兵力の面からいっても我らが負けておった!篭城は正しかった!」
ザイターは歯軋りしていた。
「誤ったのは、味方もせぬ領主豪族の連中だ。力あるものに従い、義を軽んずる者共め!」
「ザイター殿。言っても詮無い事」
バスタークが口を開いた。
「わしの信望が思ったより無かっただけの事だ」
バスタークが王になって、挽回する機会は無かった訳ではない。ただ、少々彼を戴くのが遅かったのと、ジャイル軍の行動が迅速を極めたのが決定的であった。
領主や豪族は、様子見をしつつもジャイルに従い続け、最終的にこのままジャイルの元にいた方がよいと結論づけたのだ。
勝敗は決していた。
「脱出を」
ウワンが言った。
「陛下には捲土重来をお謀り頂きたい」
「オポティウス先王陛下は……」
ザイターも呟く。
「死んで頂くか……」
とウワン。
「敵に奪還されれば、もうおしまいぞ」
バスタークは唸った。
「止むを得まいな」
王宮のとある部屋に地下道へと通ずる隠し穴がある。そこから王都を抜け出すのだ。
もはや一刻の猶予もない。
彼らは広間を出た。
兵士らの怒号はどんどんと近づいてきていた。
反ジャイル派の軍勢は、門を突破され、多勢に無勢であっても、頑強に対抗した。
一進一退の攻防が続き、戦いは夜に持ち越された。
火矢が飛び交い、綺麗な光の線が夜空を照らす。
太鼓が鳴り響いている。
ルキはオポティウスの屋敷の庭先でそれをじっと見つめる。
彼女にも、終わりが近い事が分かった。
もう、彼女自身の主君が脱出しているのを望むだけであった。
(どうかご無事で……。わたくしはここで……)
腰に差した剣の柄をぐっと握る。
せめて、奴を道連れにしようか……。
扉を、ばんと開いた。
ルキは部屋を見回した。
愕然とした。
中に入り、歩き回る。
「な、なんで……。どこに……?」
もぬけの殻であった。
誰も部屋にいなかったのだ。
机の上に置いてあった金貨や、その他貴重物も無くなっており、床を見るとそこだけ埃に断絶が出現していた。動かした跡だ。
ルキは触ってみる。
動く。
床石を持ち上げると、暗い闇がぽっかり穴を開けていた。
息荒くし、震える。眩暈を覚える。
逃げられた。
その事実は、ルキを絶望に叩き込んだ。
「ほ、報告に……」
罰せられても構わない。
彼女は急ぎその場を去った。
何も彼女のみを責めて良い訳ではなかった。
反ジャイル派の誰もが、オポティウスの事を暗愚と信じきっており、まさか自身の居館に隠し穴を作っているとは考えもつかなかったのだ。
彼女はバスタークのもとへ駆けつけようとしたが、兵士らと出くわした。
「オポティウス先王陛下は!?」
兵士が訊いてきた。
彼らは、先王を殺害する為に、送り込まれた刺客であった。
ルキの話を聞き、彼らは驚愕した。
「報告を……」
オポティウスがジャイルの陣に現れたのは、夜明け頃であった。
「へ、陛下です!陛下がこちらに……!」
兵士の錯乱じみた報告は、当然であった。
知らせに起こされたジャイルすら、戸惑いに眠気を吹き飛ばされたのだ。
オポティウスは、寵姫エルと嫡子カレンティウス、そして少数の従者共に保護された。
「陛下……」
ジャイルは非常に安堵した。
この時をもって、オポティウスは「先王陛下」から「陛下」に戻ったのだ。
「よし、陛下がお戻り遊ばした事、知らせを飛ばすぞ。王宮の者共の狼狽が目に浮かぶわ」
ジャイルは高笑いした。しかし冷徹さは微塵も失われていない。
執拗で激甚な攻撃は反ジャイル軍に向けて続けられたのだ。
その数日後、王都は陥落した。
いや、その表現は語弊があるかもしれない。ジャイル軍にしてみれば、奪還したに過ぎない。
バスタークやザイターらは姿を暗ましていた。
ジャイルは即座に追手の部隊を送り出して、自身は『反転』の準備を始めた。
「幾分か、兵を置いていかねばならぬのが、厄介ですな」
ホイルは呟くように言った。
王都に兵を残さねば、またこのような事が起きるかもしれない。
「急がねば」
ジャイルは静かに、そう返答したのみであった。




