国境へ
馬車が峠を越えた。
高台からそれを眺めていたメローラは、横の髭もじゃに頷いてみせる。
彼は山賊の一味であり、メローラとは今回初めて「仕事」をする。
山賊たちは一斉に馬車に襲い掛かった。
「殺しちゃ駄目よ」
メローラは石の高台から、馬車を取り囲む山賊たちに言う。
山賊たちはしぶしぶといった感じで、了承した。馬車に乗った者達は、若い夫婦と一人の小さい男の子で、怯えきっていた。
「命ばかりは」
夫が言った。
山賊たちはゲタゲタと笑い出す。
「奥さんや子供の前だからええ格好しようってか!」
「お金なら払います!」
メローラはにやにやしながら道に降り立った。
その光景をじっと見つめる。
夫婦は有り金や、持ち合わせていた食料や服などを差し出した。いや、山賊たちによって馬車を荒らされたといった方が正しい。
「いいもん持ってんじゃねえか!」
山賊たちはそこそこの収穫に喜びの声を上げた。
メローラは夫に近づく。
夫の方も、妻も方も、メローラを見て驚きと恐怖に顔を染め上げていた。
「何故、あなたみたいな子が!?」
妻が上ずった声で言った。
「生きて帰りたければ、あたし達が去った後、一時間はここでじっとしてろ」
メローラは夫婦の顔を覗き込んだ。
夫婦は怯えるように彼女から目を逸らした。
子供はというと、メローラをじっと見つめている。
メローラは微笑んでやった。そして頭を撫でる。
「いい子だね」
母親が、慌てて子供を引き離し、庇う。
きっと、睨みつけた。
メローラは微笑みを続ける。
「あなた達には感謝してるわ」
平然と言い放った。
その日の夜は、収穫祝いの宴であった。
山賊の男たちは酒に酔い、踊ったり、歌ったり、大声で騒いだりしていた。
メローラもそれに合わせて、手拍子や拍手などをした。
彼女はとてもいい笑顔で、山賊たちと騒ぎ合った。
しばらくして、月が真上に来た頃、山賊たちは寝入り始めた。
「まったく、もう寝ちまったぜ」
山賊の一人が言った。彼は苦笑していた。
「普段、こんなに弱かったけか?」
と言う彼自身、目が据わり始めている。
「あなたも、眠いのなら寝たら?あたしが見張っておいてあげる」
「ああ!?うるせえよ、俺は寝ねえよ」
だが、彼もとうとう横になり、いびきをかき始めた。
メローラは周りを見回し、すくっと立ち上がる。
岩に立てかけておいた剣を拾う。
「さて」
鞘から剣を抜いた。
メローラはこれまでに奪った金や宝などを大袋に詰め込んだ。
「あまり多く持ち歩くのもよくないわね」
結局、背負える程度は持っていくことにした。
メローラが横切る地面には、何人もの男達が、血を流して横たわっている。
「眠り薬分はおつりがきたし……」
彼女はぼそっと呟くと、夜のうちに山を抜け出した。
メローラはとうとう決意した。イチデン王国に渡ろう。今いるナツル王国へいずれ帰る為に。
奴ら山賊にはいろいろとお世話になったが、墓は作ってやるまい。そもそも山賊の首領をメローラが殺した事が、メローラと山賊達の協力関係の始まりである。仲間意識などメローラにあるはずもなかった。
市場は盆地にあり、規模は小さいものの賑わっている。それが山道からもはっきりと見えた。このナツル王国は、王位簒奪のごたごたもあったが、今は何事もなかったかのようだ。
その賑わいも、もうすぐ見えなくなるだろう。メローラは山道を大きく迂回して、イチデンへと入る事にした。
人目につきたくなかった。
追っ手がまだいるかもしれないのだ。
(いや、もういないか)
メローラは笑った。
自分はもう死んだ身だ。
それでも追って来るとすれば、もはや妄執であろう。
もしかすると、むしろ自分こそが、妄執ではないだろうか。仮にそうだとしても、それ以外の生き方など出来はしない。
峠に差し掛かる。
周囲は暗闇に包まれているが、ただ一つ、遠くに国境警備の兵が滞在する石塔がかすかな光を放っている。
ここまで離れれば見つかりはすまい。そう思ったのだが。
近くに足音が聞こえた。
メローラは思わず固まる。
息を止めて、周囲を見回す。
すると、後ろの方から声が聞こえてきた。
人数は二人か。
やりすごそうと思ったが、相手は松明を持っていた。
「誰だ!」
兵士二人は、柄に手をかけた。
メローラは振り返る。
「こんばんは兵隊さん」
「女……!?」
二人とも若い兵士だった。
片方の細い方が不思議そうに言った。
もう片方の体格の良い方も首を傾げている。
「こんな夜に女一人で、国境を越えようというのか?」
「娼婦か?それとも旅芸人か?」
「おい、何か芸を見せてみろ。そうすれば……」
「分かりました」
メローラは頭を下げた。
「わたくしの芸は、殿方を楽しませる事でございます」
「本当かよ」
「そいつはいいや」
兵士は上ずった声を上げた。
メローラはゆっくりと近づいていく。
そして彼らが手を差し伸べようと歩み寄った瞬間、体格の良い兵士の太ももに小刀が刺された。メローラが懐に隠し持っていたのだ。
彼が呻いている刹那、細い方の兵士の帯刀する剣がするりと抜かれ、思い切り胸に突き刺さった。
メローラは体重をかけて、容赦なく貫かせる。
そして一蹴りして剣を抜き取り、細い方が地面に倒れるのを確認もせず、体格の良い兵士に一太刀を浴びせる。
体格の良い方の兵は、剣を抜きかけた状態のまま、倒れこんだ。
二人の兵士は呻きながら、メローラに怨嗟の目を向けた。
「この……」
「ちくしょう……」
メローラは躊躇無く、二人に止めを差した。
国境は、石塔から数十歩行った辺りだと言われている。その辺りは非常にあやふやで、隣のイチデンとも、なあなあでこれまで来ている。ちなみにイチデンは、その逆で石塔から、反対方向に数十歩行った辺りまでが、自分達の領土だと思っているらしい。
メローラは後ろを振り返った。
ナツル王国を出ようとしている。いや、もう出たのかもしれないが。
(必ず戻ってくる)
メローラは神に誓う時の様に、強く思った。
(王都ナタラールを火の海にし、全てを破壊してやる)
自分達の全てを否定し、奪い去り、嘲った連中の巣食う都などに、情など湧きはしない。あいつらが自分達をゴミくずの様に扱ったのだから、自分も、奴らを、王侯貴族、軍人、民衆に至るまで、全て情け容赦なく灰にしてやる。
これが、あたしの生きる道だ。阻止されればそれまで。だが成功したならば、それは運命だったのだ。
(父上や母上が、殺されたのも、あたしが生き残ったのも……)