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You saved I  I saved you  作者: 頭 垂
第一幕
7/33

七話

カップケーキの山に手を伸ばしたら、一瞬でその山が消えた。もきゅもきゅと言う音が聞こえてくるので、そちらに目を向けてみると、平時の五倍ぐらいに頬袋をパンパンに膨らませたひのかがいた。

もきゅもきゅもきゅもきゅもきゅもきゅもきゅもきゅ、ゴックン。

「美味しかった」

「美味しかったじゃねぇぇぇぇ! 何、お前。俺が食べようとしたら目にもとまらぬ速さでカップケーキ奪い取って口にぶち込むとか。馬鹿なの? てか、馬鹿だろ!」

「……美味しかったわよぉ」

ニコォ……と、こちらを苛立たせるためだけにあつらえたかのような表情をひのかはうかべる。

「今すぐに出せや!」

「え、私の吐瀉物を食べたいの? ……それは……ちょっと」

「てめぇ曲解しすぎだろが! カップケーキ戻せってんだよ! 元の姿で! 食えるような状態でな!」

「そんなの無理に決まっているじゃない。やっぱりあなたは馬鹿なのね」

「UZEEEEE!」

嘲笑するひのかとそれに対する怒りの声を上げる零士。

その二人の姿は気の合う友人同士のようだ。本人たちに言ったら絶対に否定するだろうが、それぐらいには二人の姿は仲がよさそうに見えた。

「……やかましいな」

ギャンギャンと大声で罵倒の応酬をしていたら、寝ていた嵐が声を出した。だが、その目は開いておらず、恰好も先ほどからさして変わっていなかった。

だが、嵐が言葉を発した後の部室の気温は数度下がったかのような気がするのは決して気のせいではないはずだ。関係があるかは不明だが、空気も幾分重い。

一瞬前まで頭に血が上っていて、周囲のことなど全く気にかけていなかった二人も空気が変わったのには気づいたのか、嵐に視線を向ける。

「少しは寝ている人間に配慮してくれないか?」

「ス、スマン」

「す、すいませんでした」

零士とひのかは殊勝な態度で頭を下げる。

零士には強気で出ていたひのかも嵐の言葉を聞いてからは、借りてきた猫でもかぶっているかのようにおとなしくなっている。

「……以後気を付けてくれよ」

嵐はそれだけ言うと、また静かになった。

「……ね、寝たのか?」

零士は小声で、嵐の様子を未だに観察し続けている未来に声をかける。

未来はさっき嵐が起きて、周囲の空気が凍っても嵐の顔を眺めつづけていた。未来は嵐のプレッシャーにも屈さないレアな人間なのだ。

「寝たんじゃない?」

「適当だな」

「適当でいいの。嵐君と付き合うにはそれぐらいの感覚がちょうどいいの」

未来は零士のほうに視線を向けもせず、嵐の寝顔をスマホのカメラ(無論、シャッター音は切ってある)で撮影している。

「とりあえず寝たらしいな」

「そうみたいね」

二人は呟きあう。そして、寸分違わぬタイミングで相手を睨みつけた。

「元はと言えばお前が俺の分までカップケーキ喰ったせいだろうが!」

「何? 責任転嫁するつもり? あなたが食べないでいつまでも話しているのが悪いんでしょ?」

「俺が話してたのなんてそんなに長くねぇよ! ほんの数十秒だ! 一分すら経ってねぇよ! そんな短い時間すらも待てできねぇとか、お前は犬以下か!?」

「犬以下ですってぇ! ならあなたは何なの!? 細かいことをいつまでもぐちぐちと……姑か!」

「全然細かくねぇだろうが! 相席している人間の分は残しておこうと言う配慮すらお前はできんのか! それに俺は姑じゃねぇ!」

「私だって相席している人の分ぐらい残すわよ!」

「あぁ? ならなんで残してねぇんだよ」

「あなたが人間じゃないからよ」

「……じゃあ、なんだってんだよ?」

「人の姿を取った神話生物」

「俺はそこまで冒涜的な姿をしてましたかねぇ!?」

「あ、ごめん。失礼だったわね」

「そうだろ!?」

「クトゥルー神話の邪神群に」

「そっちじゃねえだろ!」

二人の会話は打てば響くような小気味のいいものだ。小気味いいとはいっても、それほど大声を出しているわけではなく、普通の会話と同程度の声量。それで怒鳴りあいが成立しているのは普通にすごいと思う。

この部室にそんな二人の会話を聞いているものなど一人もいなかったが。

嵐はもう寝ているのか口を少しだけ開いて、緩やかに胸を上下させている。未来はそんな嵐を見て、本当に楽しそうに笑みを浮かべている。

歩はと言うと、二人の喧嘩に巻き込まれたくないと思っているのか、喧嘩している二人から距離を取って料理雑誌を読んでいる。

「前から思っていたが、お前は周囲のことを考えなさすぎる! もっと周囲に目を配ると言うことを覚えたらどうなんだ?」

「配ってるし!」

「どこがだ! 俺の分までカップケーキ喰いやがって!」

「そうやってぐちぐちと同じことを言いつづけんのが姑っぽいって言ってんのよ!」

「んだとゴルァァァァ! 俺が姑だってんならこの世の神経質な人間は全員姑になると言うことでよろしいか!? 国民総姑化計画を発動させてもよろしいのかぁ!?」

「何よ、国民総姑化計画って! 国民全員姑とか……この国の人間すべての胃にでっかい穴をあけるつもりなの!?」

「それでも結構」

「あんたの一存でこの国を滅ぼそうとすんな!」

零士の頭をスパーン! と、ひのかがひっぱたく。

零士とひのかが喧嘩しても手を出すのはひのかだけだ。零士は最低限の矜持として、不要に女は殴らないことにしている。……だが、それは裏を返せば必要に駆られれば女を殴ると言うことの証左でもある。

「……本当に仲がよろしいようで」

そんな二人の姿を見ながらボソッと歩がつぶやく。

その声は距離から言って絶対に二人には聞こえないほど小さな、それこそ自分に言い聞かせるような発言だった。だが、馬鹿二人には聞こえていたらしい。

「誰と誰の仲が良いって?」

「誰と誰の仲が良いですって?」

「完全に空間跳躍ですね。わかります」

二人は気づけば歩を組み敷いていた。

あれ? 気のせいだろうか? 一瞬前まで僕は壁に背を預けていたはずだ。だと言うのに、この現状は何だ?

歩の視界いっぱいに広がるちょっと埃っぽい木製の床。そして、歩の両腕はぎっちりとロックされていて、抜け出せそうにない。

誰か、僕に今の一瞬であったことを教えてくれないかな?

「……せめて物理法則無視するのはやめましょうよ」

歩は絶対に聞き入れてくれないであろうことを理解しながらもぼやく。

この二人が本気を出すと、普段は何者にも道を譲らずに威張り腐っている物理法則が何故か道を譲るのだ。

……この二人は本当に人間なのだろうか? 疑問が尽きない今日この頃である。

「さっきの失言を取り消してもらおうか」

「失言って何のことですか? 身に覚えがありません」

「そう。なら、体に聞くしかないわね」

右肘と左肩からミチミチと聞こえてはいけないような音が聞こえ始める。それに合わせて、そこを起点として重い痛みが歩を襲う。

「そういう息があってるところが仲良さそうだって言ったんですよ! 離してくださいよ! いい加減僕の腕が悲鳴を通り越して嬌声を上げ始めたんですけど!? これは痛みを超えて快感に変わる前兆じゃないですか!?」

「新しい世界が見えてよかったじゃないか」

「そうよ。これで視野が広くなったじゃない。よかったわね」

「良くないですよ! てか、やっぱり息ピッタリじゃ……いたいたいたいたいたいたいたい! ホントに勘弁してください! すいませんでした!」

「謝罪より前にすることがあるのではないか?」

「そうよね。私たちが聞きたいのは謝罪の言葉ではないのよ?」

何でこの二人はいつも喧嘩していると言うのにこういう時は息がぴったりなのだろうか? これこそ仲が良いことの証左ではなかろうか?

そんなことを歩は考えるが、痛みによって思考が塗りつぶされて、いい加減に何も考えられなくなってくる。思考に薄く靄がかかってくる感じと言えばわかるだろうか?

今の二人には何を言っても無駄だろう。そう悟った歩はもう撤回することにした。

「すいませんでした! さっきのは僕の勘違いだったみたいです!」

「ならいい」

「そうね」

歩が撤回すると二人はパッと手を歩から離す。

歩の手はへんにゃりと床に落ちる。もう歩には手を持ち上げるだけの体力も残ってはいなかった。

「だからだな……お前はもっとお淑やかになるべきだろ。お前には女としての自覚はないのか?」

「お淑やかとか……。あんたはいつの時代の人間よ。もうそんなのは古いっていうのがわからないの?」

「温故知新の精神は忘れちゃいかんだろ。新しいものは確かに良いことが多い。だからと言って、古いものが悪くなると言うわけでもないだろ」

「そういうのが爺臭いのよ」

「爺くせぇってなんだ。もうちょっと丁寧な言葉を覚えてこい」

二人はそれぞれさっき座っていた席に戻ると、話し合いに戻ってしまう。

歩に体罰を与えることで少しクールダウンできたのか、話し方もさっきのような苛烈なものではなくなっている。

その代わりに話の内容は変な方向に行ってしまっていた。

「…………」

その光景を見た歩はゆっくり起き上がる。起き上がって服についたほこりを払うと、テーブルに置いてある自分のカバンを手に取る。

そして、幽鬼のような足取りでふらふらと部室から出て行ってしまった。

零度とひのかはそんな歩の姿に気付いた様子もなく口論を続けている。

「だから! 今この国に必要なのは高等教育だっての!」

「いーや、違うわね! 今この国に必要なのは幼少期からの基礎教育よ!」 

口論の内容がまたも空のかなたに飛翔している。この二人は最初のケンカの原因を覚えているのだろうか?

この二人の今の喧嘩の内容から最初はカップケーキ云々で喧嘩していたと信じる人間はどれほどいるのだろうか? この二人の中にはとりあえず相手を否定することしかないらしい。

そんな時、ムクリという擬音が聞こえてきそうなほど唐突に嵐が体を起こす。嵐が起きたと言うのを気配だけで察した二人は肩を大きく震わせる。

嵐はそんな二人には視線すら向けない。だが、無視されている二人は気が気ではなかった。嵐は立ち上がり、腰を捻ったり、肩を回したりしてソファーで寝ていたことによる体のコリをほぐす。

そして、ソファーの横に置いてあった通学用のリュックを手に取ると、すたすたと部室から出て行ってしまう。未来が慌ててそんな嵐の後を追う。

「あ、また明日ね、待ってよー嵐くーん」

今の言葉の前半は部室に残る二人に、後半は先に行ってしまった嵐に向けたものだろう。

嵐と未来が部室から出ていくのを確認した二人はどちらからともなく口を開く。

「行ったか?」

「行ったわね」

「……なら」

「……そうね」

二人は相手に目配せと言葉で、嵐がもういないと言うことを確認する。零士はわざわざ部室から出て、廊下を確認するが、もうそこには人っ子一人いない。

それを確認した零士が戻ってくる。

二人は同時に大きく息を吸いこむ。そして、今度こそ本気の罵倒合戦に戻った。

さっきまでとは違い、声を張り上げて。

部室の窓から見える外の景色はもうすでに暗闇に包まれていた。遠くに見える繁華街の明るさだけが暗闇にぽっかりと明るい穴をあけていた。


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