四話
「それでは今日の授業はこれで終わりとする。今日の範囲はテストに出すからな。復習しておくように」
教師がもはやテンプレとも言える言葉を残して立ち去って行った。
これから十分間休憩だ。と言っても大してすることもない。喉も乾いていないし、尿意を催しているわけでもない。
しょうがない。本でも読みますか。
嵐はカバンから文庫の本を取り出す。本の内容は何のことはない、ファンタジー小説だ。ただ、勇者が旅をして魔王を倒すと言うありきたり極まりない内容。ネットでは散々にたたかれている本だ。
だが、嵐はこの小説が好きだった。なぜなら、この本は現実のように救いがないわけではない。嵐は現実にはない、希望のあるこの本の主人公がうらやましかった。
「嵐君。何読んでるの?」
やっと起きたらしい未来が体を伸ばしながら嵐の読んでいる小説を覗き込んでくる。
だが、未来は小説の文字を見ただけで目をぐるぐるとまわし始めた。
「嵐君は何でいつもそんな文字ばっかりの本読んでられるの?」
「逆に何故未来は漫画しか読めないんだ?」
「だって……活字って呼んでると眠くなっちゃうし……」
「子供か」
未来は漫画しか読まない。未来が言うには活字の本と言うのは超高位の睡眠魔法を常に出しているらしく、読んでいられないそうだ。
本当に子供か。
「これでも読んでみたらどうだい?」
嵐はカバンの中からもう一冊本を取り出した。
最近少し話題になっていたミステリー小説だ。書店に行ったときに平積みされていたので買ってきたが、思った以上に肝心のミステリー部分が簡略化されていたのでつまらなかった。
未来は嵐から手渡された小説を開いて読み始める。
ゴンッ。
だが、数秒もしないうちに机に頭を叩き付けて寝てしまった。
「本当に子供か」
いや、子供でももう少しぐらいは活字に対する耐性がある気がする。となると未来は子供以下と言うことになる。
嵐は頭を振ると小説に戻ろうとした。が、またも邪魔が入った。
「嵐」
「死ね」
「満面の笑み……だと……?」
嵐は満面の笑みで話しかけてきたクラスメイトを罵倒してやった。
流石にこう何度も何度も小説を読むのを邪魔されると苛立ちを隠せない。嵐は昔から相手に怒っていると言うことを伝えるときには笑顔になるタイプなのである。
「用件は端的に」
嵐はすぐに表情を戻すと、話の続きを促し、本を読み始める。だが、右手では机をタカタカと叩いている。これは無意識の行動で、嵐が苛立ちを隠すときのものだ。
「開口一番罵倒しといてあっさりと流すなよ」
「それぐらいで傷つく奴は俺の近くにはいない。と言うか離れて行った」
「それもそうだな」
男はカカカと声に出して笑った。
彼の名前は瀬戸 零士。このクラスの中では未来の次ぐらいに交流のあるクラスメイトである。
堅苦しいのが嫌いなのか、学ランのボタンは前が全部開けられていた。細身で、筋肉質と言うほどではないが、それなりに筋肉はついているように見える。両腕の二の腕に一つずつ、それとベルトに三つで合計五つ、獣の顔を模した面がくくりつけられている。ノリの良さとさっぱりとした気持ちのいい性格。その二つが合わさってこのクラス内でもムードメイカーのような立ち位置にいる男だ。
こんな体格のくせに零士が身に付けている面は全部零士のお手製だったりする。
クラスでもそれなりの零士が、この変わったクラス内でも……ひいてはこの学校内でも特に変わっていると揶揄される嵐と仲が良いのは周囲の人間にとっても不思議で仕方がなかった。
「ま、まあいいか。俺からの要件はそれほど時間のかかるようなものでもない。ちょっとした届け物だよ」
零士はポケットから小さな紙片を取り出した。丁寧に四つ折りにされた紙である。
周囲を静かに警戒しながらそれを嵐の前に出した。
「お仕事に関してのことだ」
零士は神妙な顔をしている。
嵐はそれを見ると本から視線を外さずにポケットをあさりだした。零士はそれを不思議そうな顔で見ている。
嵐がポケットをあさって取り出したのはどこにでもあるような、だがここにあるのは明らかに場違いなものだ。端的に言ってライターだった。
嵐はそのライターに火をともすと、おもむろに零士が持っている紙片にその火を近づけあぶり始めた。
「おい!」
零士は慌ててライターから紙片を遠ざけるが、時すでに遅し。紙片にはもうすでに火が移っており、紙片は軽くではあるが燃えていた。
「何てことしてくれてんの!? てか、何で神聖な学び舎にライターなんてもの持ちこんでんだよ! 何だ? あれか? 不良学生って奴か!?」
零士がギャンギャンと嵐に言ってきているが、すでに嵐の耳には零士の声は届いてはいない。
嵐はと言うともう零士に興味を向けていなかった。
零士なんて言う下らなく、大して意味のない生命体に関わっている暇などないのだ。零士なんて本に比べるとそこいらに転がっている石ころと大差ないですよね。
「今てめぇ失礼なこと考えてんだろぉぉぉぉ!」
いえ、考えてません。
「ぜってぇ考えてんだろぉぉぉぉ! 俺のことよりも本のが大事だってのか!?」
無論でございますね。
「くっそぅ! 何で俺は地の文と会話してんだよぉぉぉぉ! せめて言葉を発せよぉぉぉぉ!」
お断りでございます。
地の文と会話しているとは言っても端から見たら完全に変な人間である。
本を読んでいる人間の横で声を荒げている。
その姿を見たクラスメイト達は変なものを見る目をして、零士の前にいるのが嵐だと言うことを知り、大変そうだなと言う憐みの視線を零士に向けた。
あの零士がおかしくなってもしょうがないなと思う程度には嵐はクラスメイトには変な目で見られていた。
「てか、早く鎮火しねぇと火災報知機が鳴るぞ! これは!」
零士は慌てた様子で水道に向かって走って行った。
嵐は零士が走っていく音だけを聞きながら、小さく息を漏らした。
やっとうるさい奴がいなくなった。
嵐が黙々と本を読んでいると肩をがっくりと落とした零士が戻ってきた。
「隣で物が燃えてるってのに本読んでられるとかお前の肝っ玉だいぶ太いな」
「? なんかあったか?」
「……さっきお前俺の手にあった紙燃やしたよね?」
「何のことだ?」
嵐は心からわからないと言った表情で本を読む手を休めずに首をかしげる。その顔には意図して事実を隠していると言ったような色はない。
零士は眉間を抑える。
「これはもう読める状態じゃないし……どうしてくれんだよ……」
「知らんな」
零士は深いため息をつく。
そんな時、大きく六時間目開始のチャイムが鳴る。
「放課後時間空けとけよ。……くそぅ。減俸だけで済むかな」
そう言いながら零士は自分の席に戻っていった。
嵐は零士の後姿を見ながらカバンに本をしまい、机の中から次の授業である英語の教材を取り出す。
クラスメイト達はまだ自分の席にも戻らず友人たちと話している。これはこのクラスでは日常風景だ。授業前の休憩時間に次の授業の準備をするのなんてごく一部だけだ。その準備を済ませた人間もおしゃべりに興じている。
そんなクラスメイト達のおしゃべりする声を聴きながら、嵐は空に目を向けた。
空には飛行機雲が一本だけできていた。