三十三話
目を開けると、最初に視界に入ったのは見覚えのある天井だった。少なくとも意識が飛ぶ寸前に見ていた天井と同じものではない。
鼻孔をくすぐる埃の匂い。そして、自分が横たえられている固いクッション材の感触。
「嵐君! 大丈夫!?」
そして、心配そうな声を上げて視界に写りこんでくる未来の顔。
ここは部室であるようだ。
「……お前も元気そうで何よりだよ」
全身に包帯を巻いている未来の姿はとても健康なもののようには見えないが、あの地下で見た姿よりは全然元気そうだ。
自分の体を動かそうと試みるが、伝わってくるのは体が動く感覚ではなく、やすりで神経を削っているのではないのかと思うほどの痛みだ。
「いっつぅ……」
「まだ動かないで! 嵐君はズタボロなんだから」
「……ひでぇ言い草だな」
ま、口が動くのならどうでもいいか。
そんな事を想った嵐は体を楽にし、目を閉じる。
未来と自分が部室にいると言うことはたぶん、あの後に『ピースメイカー』なり、零士なりから助け出されたのだろう。
あとでそのことに関する苦情が上層部から聞かされるのが憂鬱だ。
そんなことを考えている嵐の閉じている瞼の上に温かい水滴が当たる。
雨漏りかと思いながら目を開けてみると、量の目から大量の涙を零している未来の顔があった。
この動かない体では未来の涙すら拭ってやれないのがもどかしい。
「何で……何で、こんなにボロボロになってまで私を助けるの……?」
ボロボロと涙を目からあふれさせる未来。涙をぬぐおうとすらしていない。
「あー……」
かける言葉が見当たらず、吐息を漏らす。
頬でもかければそれが良いのだが、頬をかくために手を動かすことすらできない。
「別に理由なんざいらんだろ? お前がいないとか納得がいかんから助けた。ただそれだけだ」
「それでも……何で……嵐君は……私の事なんて好きじゃないのに……」
「……はぁ」
「え?」
気の抜けたような嵐の声に反応して、未来が驚いたような声を漏らす。目からなお触れていた涙も一時的にではあるが止まっている。
確か、自分は戦闘中に告白紛いのようなことをした気がするのだが……この幼馴染は聞こえていなかったのか、忘れているのか。
どちらにしても厄介なことこの上ない。
一度言ってしまったからには、嵐はもう隠すのも面倒になっている。
やけくそになった嵐はもうはっきりと言ってやることにした。
「さっきも言ったが、俺はお前……未来に惚れてんだよ。だからこそ、お前が攫われたとあってはいてもたってもいられなかったし、命張れたんだろうが」
「あ、あの時言ってたことって本当だったんだ……」
「しっかり覚えてんじゃねぇかよ。あの場で言ったことは戦って気分が高揚したからでも、魔が差したわけでもない。本心だよ」
嵐は瞑目する。
ここまで来たら照れるのも馬鹿らしい。後は野となれ山となれ。
長年胸の内に抱え込んでいたことを吐き出すことができた嵐はいっそ気持ちが楽だった。
その胸の内には言ってしまったことに対する後悔はない。寧ろ、はっきりと気持ちを伝えることができたことによるすがすがしさが胸を支配していた。
この後の未来はもう嵐には予想がついている。フラれるのだ。
それはこの気持ちを持った時からわかっていたこと。先延ばしにし続けた現実って奴だ。
死刑宣告を持つ囚人の気分……にしてはやけに満足した気持ちの中で未来の言葉を待っているが、未来は一向に言葉を紡ごうとはしない。それどころか何かアクションを起こしていると言う気配すらしない。
「未来? いい加減に答えてくれないと生殺しは辛いんだぜ?」
目を閉じたまま、未来が言いやすいようにと敢えて軽い口調で未来に言葉を促す。
早く答えてくれないと、この気持ちに踏ん切りがつけられないではないか。
そう思っていると、思いっきり抱きしめられた。
薄いながらもしっかりと女であると言うことを主張してくる柔らかい体。そして、ほのかに香る匂いは嗅ぎ慣れた未来の匂いだ。
要するに、嵐は今未来に抱きしめられていた。
その抱きしめられていると言う事実を、五感情報からではなく抱きしめによる締め付けられる痛みによって知った嵐は大声で悲鳴を上げる。
「いたいたいたいたいたいたいたいたい! 傷が開くぅぅぅぅぅ!」
思わず目を開けてしまうと、目と鼻の先に未来の顔があった。
中学になって、未来への恋心を自覚してからは、あまりまじまじと見たことはなかったが、未来の顔立ちは整っている。その未来の顔が好み度ストライクな嵐にとってはどれだけ見ていても飽きがきそうにはない。
その未来の顔は涙で歪んでいたが、普段見ているものよりも一層美しく見えてしまうのは、惚れた弱みと言うやつなのだろうか?
「嵐君……」
「いてぇからとりあえず離してくれんか!?」
「本当?」
「あぁ!?」
「本当に私のことが好きなの?」
全身を痛みが駆けずり回っているが、未来の言葉に応えようと思った一瞬だけは何故か痛みを感じなかった。
嵐は未来の目をしっかりと見ながら改めて言う。
「ああ。ずっと前から俺はお前のことを一途に思っているぜ」
そう告げると、未来は嵐の胸に顔を埋めて大きな声を上げながら泣く。
嵐の服は瞬く間に涙と鼻水でデロデロになってしまったが、嵐は気にしない。
そして、何故か動くようになった右手で未来の頭をやさしく……慈しむように何度も、何度も撫でてやる。
「嵐くぅん……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
「何だ?」
「私も……嵐君のことが……昔っから大好きだったの」
「いや……ちょっと待て。俺のことが昔から好きだと?」
「うん……」
「お前には許嫁とやらがいるのではないのか?」
「え?」
未来はピタッと泣き止んでキョトンとした眼差しをこちらに向けてきている。
あ? 俺は何か変なことを言ったか? だって、未来には許嫁がいるはずだろ? だから、俺はこの恋心って奴を隠していたわけで……あれ?
いくら考えても答えは出ない。
そんな嵐の姿を見て、未来は笑顔になった。
「な、何だよ」
「嵐君は私に許嫁がいるから私に好きって言ってくれなかったの?」
「……不本意ながらな」
「あの天上天下唯我独尊の嵐君がねぇ……」
「泣いたり笑ったり……今度は俺を嗤おうってのか!?」
声を荒げる。だが、その声には本当に相手を非難しようと言う雰囲気はなく、この会話を楽しんでいるようであった。
楽しんでいるようではあるが、嵐の目尻には隠せようもないような涙がありありと浮かんでいる。
「嵐君にひとつ面白いことを教えてあげる」
笑顔でこちらの顔を覗き込んでいる未来の顔を見て嵐が戦慄する。
こういう時の未来は何をするか全く予想がつかない。それに、体も辛うじて腕が一本動くぐらいなので逃げ出すこともできない。
「何だよ!」
表情を恐怖の色に染めながら未来に問い返す。
そんな嵐の姿を見ながら未来は嵐により一層顔を近づけてきている。
そして、相手の息遣いがわかるような距離まで顔を近づけて、未来は言葉を放った。
「私の許嫁って言うのは嵐君のことだったんだよ?」
「は……?」
呆然としている間に、嵐は未来に唇を奪われていた。




