二十話
私は薬指についている婚約指輪を眺める。
この指輪を見るたびに暖かな気持ちと悲しい気持ちが鎌首をもたげてきて、その度に神様のことを恨みたくなる。
何で神様は人間に喜びと同じ数だけの不幸を与えてくれるのだろうかと。
この婚約指輪をつけるようになったのは確か私が小学生に入るか入らないかぐらいのころのこと。もらった時から肌身離さずつけている。だから、この指輪には私の喜びと悲しみが全部詰まっていると言っても過言ではない。
私は隣の家に住む大好きな幼馴染の●●くんと家の二階にある私の部屋で遊んでいた。両親どうしも仲が良かったし、家も隣同士だったので、両親に一言いえばすぐに●●くんの家に行くこともできたし、その時は確か夜も結構深まった時間帯だった気がする。
一階にいる両親に一人で降りてきなさいと言われたので私は幼馴染に一言告げる。
「なんかよばれちゃったからいってくるね」
「うん。いってらっしゃい」
●●くんは恨み言の一つも言わずに私のことを送り出してくれる、●●くんは一人が嫌いだが、それ以上に頭が良いので、私を困らせるようなことは言わない。
たまには困らせてくれてもいいとは思うのだが、そんな不器用なところも私は大好きだった。
私は一人で部屋を出ると一階に下りていく。
一階にあるリビングに入ると、フワッと紅茶のいい匂いが私の鼻をついた。その匂いは両親も好きだったが、両親以上にあの大好きな幼馴染の両親が好きな茶葉の匂いだった。
「おじさん! おばさん!」
「ははっ。○○ちゃんはいつも元気だね」
「そうねぇ。●●もそれぐらい快活だったらいいのだけれどねぇ」
●●くんの両親はそう言って笑みを浮かべると私の頭をやさしくなでてくれた。
おじさんとおばさんの仕事が何なのか、私はよく知らないが、おじさんとおばさんはよく家を空けることが多い。なので、その時にはうちで●●くんを預かることになっていた。
今となっては不謹慎かもしれないが、おじさんとおばさんがいないと私は大好きな●●くんと一緒に眠れるからうれしかった。
「○○。こっちに来て座りなさい」
「はーい。パパ」
私はパパに言われたとおりにパパのお膝の上に座る。
パパはちょっと困ったような顔を一瞬したが、すぐに堅物な顔に戻った。
いかにも堅物って感じの神妙な顔をしているのが私のパパ。パパはあんまり笑わないが、おじさんとおばさんと、それ以上に私とママのことを大好きだってことはわかっているからそんなに怖くない。
ママが台所から来て、パパの隣に座る。
ママが来たところで椅子に腰かけているおじさんが口を開いた。
「○○ちゃん。君はうちの●●のことが好きかな?」
「? どういうこと?」
私はおじさんの言葉の意味が分からずに首をかしげる。
正確に言うと、言葉の意味は理解できたが、ここでそれを聞く意味が分からなかったのだ。
「言葉通りの意味だよ。○○ちゃんはうちの●●のことが好きなのかな」
「うん! ●●くんのことはだいすき!」
「どのくらい?」
「こーんな、こーーーーーーんなぐらい」
私は両手をできる限り広げる。そして、声を伸ばす。
こんな身振り手振りや声で表せないほどに私は●●くんが好きだったが、それをこんな稚拙にしか表現できないことがもどかしかった。
それを見たおじさんとおばさんはとっても優しい表情になった。
「これなら大丈夫かな?」
「さぁな。……と言うか早すぎるのではないか?」
「いや、僕たちには早すぎるなんてことはないよ。明日どうなっているとも知れない身だからね。それに……僕たち以外にも明確な関係を持っている人は一人でも多いほうが良いよ」
「ふむ……そんなに不味そうなのか?」
「いやなことを聞いちゃってね」
私の頭の上でパパとおじさんが話をしている。
幼い私にはパパたちが何の話をしているのかわからなかったが、その話をしている時のおじさんの表情には悲壮な雰囲気が漂っていた。
「さて、それじゃあ○○ちゃん。これが何かわかるかな?」
そう言っておじさんがポケットから取り出したのは、何の飾り気もない小さな指輪だった。
「ゆびわー?」
「そう。これは指輪。材質について詳しくは教えられないけど、君の成長と共に大きくなっていくから○○ちゃんが大きくなってもつけられるよ」
「なんのゆびわなの?」
「君と●●を繋ぐものさ。はっきりと言うと婚約指輪って奴だね」
「こんやくゆびわー?」
「ちょっと難しかったかな」
そう言っておじさんは笑った。
「これをつけていれば、君は誰に憚ることなくずっと●●のそばにいることができる。いるかい?」
「いる!」
私はすぐに答えると、おじさんから指輪をもらった。
その指輪の内側を見てみると、R・T×M・Kと書かれてあった。その二つは私と●●くんのイニシャルなのだとおじさんは言っていた。
私が指輪を左手の薬指にはめて、満面の笑みで部屋に戻った。
「……本当にすまない。僕たちが恐怖に打ち勝てなかったばかりに」
「いいさ。それに、俺も●●の事は○○と同じぐらい可愛がっている。その二人が婚約することに否やなどあるはずがない」
「……すまない」
「だから、良いって言ってるだろ。……それで、これはどういう物なんだ?」
「……鎖だよ」
「鎖?」
「あぁ。●●と○○ちゃんを永久につなぎとめるための鎖。その堅さは○○ちゃんの思いの強さに比例する。それに●●からは断ち切れない」
「これで、俺とお前は家族ってわけだな。兄弟」
「そうなるね」
「なら今日は飲もう。何もかも忘れてな」
「……そうだね」
いつも通りの朝。
いつも通りの日常が始まる。
そんな朝のHR中の私立習志野高校三年二組にはいつもならいるべき人間が二人ほどいなかった。
一人は館宮 嵐。この時間ならば気だるげに席で本を読んでいるはずなのだが、今日その席は空席となっていた。
もう一人は、嵐の隣の席の楠 未来だ。嵐にちょっかいをかけててきとうにあしらわれているはずの彼女もいなかった。
と言っても、どちらか片方がいなければ両方がいないのはデフォルトなので、二人ともいないと言う状況は別段珍しくもなかった。
寧ろ、クラスメイト達は嵐がいないことに密かに安堵していたぐらいだ。
唯一人を除いては。




