十話
夢を見ていた。
遠い、遠い昔の夢を。
その夢の中では、冷たい雨が降りしきる中で幼い女の子に抱かれるようにして男の子が泣いていた。
女の子のほうが男の子よりも大きいことから、女の子のほうがお姉ちゃんなのであろうことは安易に察すことができた。
その二人の幼い兄弟の前には冷たくなった二人の男女が折り重なるようにして倒れていた。
その二人の男女のほかにも大勢の人間が死んでいた。その死人の死に様を嘲笑うかのように雨が全ての死体を等しく雨で濡らしていた。
その姿を見ながら男の子は泣き声を大きくする。
女の子は歯を食いしばって涙が流れそうになるのを必死に耐えながら、男の子に自分がいると言うことを教えるように男の子のことを強く、強く抱きしめていた。
その少女に伸ばされる一本の手。
「お嬢さん。親御さんたちが殺されて悲しくはないかね?」
その手を差し出してきた人間は黒のスーツを伊達に着こなし、黒の傘をさしている男性だった。
女の子はその男性に強い視線を向ける。
「おっと、警戒しなくても大丈夫だよ。私は君の敵ではないからね。……少なくとも現段階では」
「…………」
少女は油断なく男性を見つめている。
今となっては少女にとって、弟以外のこの世界のすべてが敵だ。こんな得体のしれない人間を不用意に信頼して、弟を危険な目に遭わせることなどできない。
「ふむ……お嬢さん。君に一つだけ聞こう。君が協力してくれるのなら、私たちはお嬢さんとお嬢さんの弟くんに住処と温かい食事を提供しよう」
「……そんな言葉を信用できると思うの?」
少女の言葉はその幼い見た目に反して、とてつもなく冷たい響きを宿していた。
「利害が一致している限り、私たちはお嬢さんの弟くんを傷つけないと誓おう。その誓いを破った時には死んでも構わない。それにそういう力を持っている人間に心当たりはあるからね」
男の言葉を少女が聞いた限り、嘘を言っているような色はない。
ならば、この男が自分と弟の身を保証するだけの利と言うのは何なのだろうか? それほどの価値が自分にあるなどとは思えない。
そんな少女の疑問を理解したのか男は新たな言葉を紡いだ。
「私たちはお嬢さんに眠る才能を買おう。お嬢さんがその才能を使って私たちに協力してくれるのなら、お嬢さんの弟くんの今後の人生は保証しよう」
少女は少しの時間、男の言った言葉を反芻する。
そして、口を開いた。
「……弟を傷つけたら、絶対に許さない」
「これで交渉成立だね。それでは私たちの、これからのお嬢さんたちのホームに案内してあげよう。私たちの名は『デイブレイカーズ』。退屈な日常の破壊者だよ」
その言葉を聞いた瞬間に、目が覚めた。
「……また、懐かしい夢を見たものね」
少女はそれだけ言うと、ベッドから身を起こした。
そして、少女は姿見に映る自分の姿を見ながら独語する。
「もう……失敗はできない」
そこは零士と嵐が所属する教室。
今は昼休みで、それぞれが思い思いに昼食をとっている。零士も気の合う友人たちと馬鹿話をしながら勾配で買ったパンを食んでいた。
この私立習志野高校には購買と学食が存在している。購買には簡単に昼食を済ませたい人間が。学食にはガッツリと昼食をとりたい人間が行くような形になっている。
学食は混むので、普段から零士は教室で友人たちと昼食をとっていた。
ちなみにこの友人たちに嵐は含まれない。
嵐が友人で無いと言うわけではないのだが、嵐が昼休みに教室にいることの方が少ないので一緒に取らないのだ。ついでに言うと未来も教室内にはいなかった。
決まってこの二人は昼にいないので、下種の勘繰りをする人間がこの教室内にもいないわけではなかったが、その人間も嵐を恐れて正面切って言うようなことはなかった。
「それでよー、その後輩の行動が面白くて面白くて」
「カカカ。愉快な部活な様で何よりだ」
「零士ー。お前に人来てるぜ」
「人?」
零士が友人の話にてきとうに相づちを打っていると、教室の入り口付近から声が掛けられた。そっちを見てみると、確かにこちらに視線を送っている人間がいる。
身長はそれほど高くもなく、なかなかに肉付きの薄い体型をしている。髪は長い赤髪でそれを高い位置でまとめてポニーテールにしている。髪の色と同じ赤いフレームをしたメガネがよく似合っている。そんな彼女は左耳に月を模しているピアスをつけていた。ブレザーの帯が赤なので二年生だろう。
生憎と零士にそんな見た目の後輩に心当たりもなければ、記憶の端にすら移っていなかった。あんな鮮やかな赤髪は一度見たら忘れないだろうに。
「知らんな。少なくとも記憶の表層にあるほど見知った顔でないことは確かだ」
「いつもいつもそんな堅苦しいこと言ってて疲れねぇ?」
「それで? どういうことなんだよ。馬鹿な俺たちにもわかりやすく言ってくれよ」
零士の大幅に迂回した発言を零士の周囲にいた友人たちは理解することができなかったようだ。
「ま、端的に知らん奴だってことだな」
「それで事足りるだろうに……」
「なぜにわざわざ面倒な言い方したし」
「何となくだよ」
零士に別にさっきのような表現をした意味はなく、こだわりもこれと言ってなかった。
強いて理由を上げるとするのならば、興がのったからに他ならない。
「てか、結構あの子可愛くね?」
「それ俺も思った。あんな子が零士に用があるなんて……。これは『先輩のこと初めて見た時から好きでした……付き合ってください!』って奴じゃないか!?」
友人たちは無駄に盛り上がっているが、それに比するように零士の心は冷えていくように感じた。
そんな夢見事が存在しないと言うことは、零士自身が一番に知っている。
「下種の勘繰りはやめてくれよ。それに漫画の見すぎだ。そんなこと現実にあるわけないだろ?」
「とか言ってるけど……どうする?」
「締めちまおうぜ」
友人たちは零士が意外と陰で人気を集めていることを知っていた。その中には少なからぬ量の女子が零士に好意を抱いていると言うことも。
そんな零士が何故こういうことに関してだけはこんなに卑屈な態度をとるのか友人たちには理解ができていなかった。
「ま、いいや。折角後輩がこんなところまで俺に会いに来たんだ。追い返すのは礼を失した行いだろう」
零士はそう言って席を立つと、教室の入り口に立っている後輩の元へと歩を進めた。




