一話
今日も今日とてこの町は騒がしい。
そこかしこの飲み屋では酒を飲みかわす中年たちの声が聞こえるし、薄い服装を着て客を呼び込もうとしてビラを配る女たちの姿も見える。
まだ、辺りのビルからは少量の明かりが漏れていることから残業している企業戦士達でもいるのだろう。
そんな華やかで明るい通りから少し距離を置いた公園。
その公園の土の下にある施設。その施設の一室では怒号が飛び交っていた。
「三番ゲート、破られました!」
「第七部隊、半壊!」
「ネットワークの浸食率40%を超えました!」
その部屋の正面の壁いっぱいがモニターになっていて、そのモニターはいくつかに区分けされており、いろいろな風景が映っている。一言でその部屋を言い表すのなら、司令部と言ったところだろう。
八人ほどがそれぞれのディスプレイを見ながら大声で戦況を報告する。その全員が黒のスーツを着ている。
「くっ……! あとどれぐらい持ちそうだ!」
「二十分も持ちそうにありません!」
一段上にいて壁のモニターを見ている男が声を上げる。
見た感じ、この男がこの中で一番偉いのだろう。立場は司令官と言ったところであろうか?
「アークは?」
「アークは北からの応援要請にこたえてそちらにいます」
「それは仕方がないか……。ジャッジは?」
「ジャッジは一昨日に負傷。今出撃させるのは不可能かと」
「さすがに無理させすぎたな……。クロスは?」
「クロスは南方に行くとのことで休暇を申請しています」
「しょうがなく……ねぇよ!? 休暇ってことは旅行か!? あいつは本当に自由気まますぎるだろう!」
今言った三人はここに所属している上位の異能を持っている者たちで、予定的には今日はここにいるはずのメンバーだった。
ここは『ピースメイカー』の司令部。
『ピースメイカー』は徹底された秘密主義で知られている。この国の平和を維持するために作られた政府組織でありながら、『ピースメイカー』に関する情報はいかなる場合であっても外部に漏れることはないとされている。
『ピースメイカー』の本部の場所などは当然隠されている。
そんな『ピースメイカー』の本部が今、襲撃にあっているのだ。
「なんだってこんな時に限って襲撃があんだよ……」
司令官の男は歯噛みする。だが、司令官の男の頭の冷静な部分はちゃんと理解していた。
敵がたまたま上位のメンバーがいないときに襲撃してきたわけではなく、今日は上位が一人もいないと判断したうえで襲撃してきていることを。
今ここにいた戦闘員はほとんどが中位だ。今の襲撃者は中位のガキどもで押さえられるほど甘い部隊でもないらしい。それに中位のガキどもに機関銃の弾幕を回避し続けられるほどの力はないしな。
このままでは一時間持たない。司令官の男の脳はそのことを計算の末に事実として男に知らせてきた。
「誰か一人でも上位がいれば……」
司令官の男は頭の中で幾度も計算する。
男は司令官を任されるだけあって状況判断能力には自信があった。そんな男の自慢の脳は何度計算しても多少ここが落ちる時間が延びるだけのようだ。
敵の戦力は大したものではない。が、敵はこの強襲作戦に大勢の銃火器を持たせた人間を動員しているようでそれを抑えるには異能者の絶対数が足りない『ピースメイカー』としては手の出しようがなかった。
『ピースメイカー』は数が足りないのを異能者の質でカバーしている組織なので、上位の異能者がいない今の状況はどう安く見積もっても絶体絶命だろう。上位未満の異能者では弾幕に晒されれば蜂の巣になるだけだろう。
そんな時、司令官の後ろのドアが開いた。
「こんばんは。お忙しい中失礼しますが、カギをいただけませんか? 無くしてしまいまして」
入ってきたのはラフな格好をした少年だった。私服であろう、黒のチノパンと長袖のシャツを着ている。シャツには特に意味もないであろう英語の羅列が筆記体で書かれている。首から下げているネックレスの先に付けられているコインには爪で心臓をつかむ鷹の意匠が彫ってある。そんな少年はひどく冷めた表情が特徴的だった。
少年の顔を見た司令官は気色を顔に浮かべた。
少年は司令官がちょうど今欲しかった『ピースメイカー』所属の上位の異能者だった。
「タンペット! ちょうどよかった。今ここを襲撃している馬鹿どもを駆逐してこい!」
司令官は少年に尊大な口調で襲撃者たちを倒してくるように言う。
室内の空気も少年が来たことによってある程度緩んだ。少年が一人いれば襲撃者など恐れるに足らないと思っているのだろう。
そう司令官たちが思う程度には少年は優秀な異能者だった。
「いえ、拒否させてもらいます」
そんな期待を向けられた少年は表情筋をピクリとも動かさずに拒否した。
少年の言葉に司令官の表情が凍りついた。が、凍りついたのもつかの間。司令官は顔を真っ赤にして怒りを露わにした。
「何故だ! お前は『ピースメイカー』だろうが! その本部が襲撃にあっていると言うのに拒否するとはどういうことだ!」
「俺は、勤務時間外労働はしない主義なので」
少年はそれだけ言うと立ち去ろうとする。
その少年の肩を司令官がつかむ。この少年を行かせてしまったら自分たちには死以外に道がない。そう思った司令官は必死だった。
「勤務時間外だろうがなんだろうがお前は『ピースメイカー』の構成員だ。ここを守るぐらいしろ!」
「俺は金にならないことはしたくありません。それに、金になったとしても契約を超えることはいたしません」
少年が『ピースメイカー』に入ったのは金が稼げると思ったからである。それ以上でも以下でもなかった。
正義のヒーローよろしくこの国を平和にしたいなどと考えたことは今までに一度もない。少年にとって『ピースメイカー』なんてものはどこまで行っても実入りのいいバイト以上ではないのである。
「そ、それならここを守りきれたら特別ボーナスを出そう」
「さっきも言った通り、俺は勤務時間外労働はしない主義です」
少年は肩におかれている司令官の手を鬱陶しげに払った。そのまま少年は司令部から出て行こうとする。
司令官は地面がなくなったかのような錯覚にとらわれた。
司令官以外のその司令部にいる人間たちも、顔を絶望に染め、キーボードをたたく手を止めてしまう。
少年は司令部から出ようとする直前に足を止め、振り返る。
「勤務時間外労働はいたしませんが、この身に振り掛かる火の粉を払うぐらいはいたしましょう」
少年はその言葉を最後に司令部から出て行ってしまった。