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私、身を引きます!

 

 

 

 

 

 あの頃の私はとても面倒臭がりだった。

 事なかれ主義で、争い事は避けに避ける。

 揉め事の匂いを察知する能力がやたらと高く、逃げ足も速かった。

 あの頃の私は…そう、普通の一般家庭で育った…あれは…あぁ、そうだ、女子高生。

 今の私は?

 優しい両親や少し年の離れた可愛い弟、仕事熱心な使用人さん達が居る大きなお屋敷に住む伯爵家の令嬢だ。

 制服ではなくドレスに身を包み、学校ではなく家庭教師とお勉強をしている。

 そもそもこの近辺に、いや、この世界のどこを探しても高等学校なんて無いしセーラー服なんてものもない。


 …あ、これ思い出しちゃいけない記憶なんじゃない?

 この記憶はおそらく『私』のものではない、『私の魂』のものだ。

 えぇと、何て言うんだっけ…あ、前世だ。前世の記憶だ。


 …え!?

 何?何で今思い出しちゃった?

 何か強い光を見たとか、思いっきり頭をぶつけたとか、きっかけになりそうなことは何もなかったし、何も特別なことはない、ただただぼんやりとしていた昼下がりに思い出してしまったのだけど?

 あー、うわー、懐かしいなぁ、学校。

 電車に乗って通ってたなぁ、学校。

 面倒臭がりで宿題を放り出し、それがバレて居残りさせられた日々とか、部活で争い事が起きそうになったらバレないようにそっと帰ったりしてた日々とか…

 そういえば隣の男子校に好きな人が居たんだよなぁ。

 高校卒業の日、告白するために隣の学校に行こうとしてたなぁ。ほらあの、なんだっけ?えーっと…そうだ、第二ボタンだ、あれが欲しくて。

 あれ、結局どうなったんだっけ?どうせ振られたんだろうとは思うのだが、卒業式までの記憶しか思い出せなかった。残念ながら。


 しかしこの記憶は思い出しても良いものだったのだろうか?

 今の今までほんのり懐かしんでいたのだが、突然怖くなってきた。

 だって、前世の記憶だなんて、皆が皆思い出すものではないだろうし覚えているものでもないだろう。思い出して良いものなのかもわからない。

 死の間際は不思議な体験をすると聞いたことがあるし、これはまさか、私はもうすぐ死んでしまうのかもしれない、とか…

 いやだ私まだ死にたくない。出来ればもうちょっとお嬢様を満喫したい。


 そんな事を考えていた時のこと。

 使用人の一人に名を呼ばれた。

 お客様がいらっしゃっています、とのことだったので呼ばれるままにそちらへと歩き出す。

 今日は客が来る予定なんて無かったのだけど、なんて小さく首を傾げながら応接間へ行くと、そこにはイケメンが居た。

 彼は男爵家の次男坊、名前はハイデン。年齢は私よりも一つ年下で、実は私の婚約者だったりする。

 婚約者と言っても私が7歳の頃に親同士が勝手に決めたものなのであまりピンとこないのだが。


「やぁ、アイネ。」


 彼は片手を上げてにこやかに微笑みながら私の名を呼んだ。


「こんにちは、ハイデン。」


 私も彼を倣い、微笑み返す。

 あぁ、女子高生だった頃の私が今の彼を見れば喜ぶんだろうなぁ。

 あの頃の私はとりわけ…ええと…、そうだ、男性アイドル!あれが好きだった。

 懐かしいなぁ。コンサートとか行ってたなぁ。


「眠いのかい?」


 前世の記憶に思いを馳せていたら、突然ぼんやりし始めた私を心配した様子のハイデンが私の顔を覗き込んできた。


「いいえ。今日は、どうなさったの?」


 約束はしていなかったはずだけれど、と首を傾げて見せると、彼はふと苦笑を零す。


「婚約者に会うのに理由が必要かな?」


「え、あぁ、いえ…」


「冗談だよ。美味しいお菓子を貰ったんだ。君と食べようと思って。日持ちするお菓子じゃなかったから突然になってしまった。」


 苦笑を一層色濃くした彼はそう言った。


「そうだったの、ありがとう。今お茶を用意しますね。」


 彼は優しい。

 きっと両親が決めた婚約者だから、私を無碍に扱えないのだろう。

 そもそもこの婚約の話は、我が家に跡継ぎが居なかった時に決まったものだ。

 ハイデンは次男であったし、我が家に婿入りして爵位を継いでもらおうという話だった。

 それは私が7つ、彼が6つの時で、お互い何も解らなかった。

 お母様みたいなお嫁さんになるの!だなんて、私一人ではしゃいでいたっけ。

 けれどその数年後、我が家に跡継ぎとなる弟が誕生した。

 しかし跡継ぎが出来たからじゃあさようなら、なんてことにはならず、彼は未だに私の婚約者のままになっている。

 そしてこのまま行けば来年あたり結婚することになっていたりもする。

 彼の事は嫌いではないし、私としては別に異論はないのだが、彼のほうはどうだろう?

 彼の口から不満を聞いた事は無いが、こうして気を遣うのは嫌なんじゃないだろうか?

 嫌なら嫌だと言ってくれれば良いのに。今ならまだ間に合う。結婚してから実は嫌でしたなんて言われたら目も当てられない。


 穏やかな陽気の中、私と彼は庭の東屋で優雅なティータイムを過ごす。

 美味しいお菓子の感想や、最近起きた出来事なんかをちらほらと話しながら。

 そんな時、使用人の一人が私を呼んだ。


「アイネお嬢様、お客様がいらっしゃったのですが…」


 またか。

 どなた?と問えば、使用人は困ったように眉を下げながら、ナーディ様が…と小声で言う。

 ナーディ様と言えば、夜会なんかでよく会う男爵家のご令嬢だ。

 顔見知りでもあるし、これと言って仲が悪いわけでもない。

 ハイデンも顔見知りだったはずだ。

 暫し思案した私だったが、彼に一声かけてから、彼女をティータイムの席へと呼んだ。


「お二人で過ごしていらっしゃったというのに、邪魔してごめんなさいね。」


 ナーディ様は申し訳なさそうに苦笑を零す。


「邪魔だなんてとんでもない。来てくださって嬉しいわ。丁度良く美味しいお菓子もありましたし。」


 まぁ持ってきたのは彼なのだけど。

 彼のほうをチラリと見ると、うんうんと頷きながら微笑んでいた。

 そういえば、彼はこの前の夜会で彼女とダンスを踊っていたっけ。

 確か、その前も。

 私は踊った事なんてないけれど。

 苦手なのよね、ダンスって。

 しかしまぁハイデンはイケメンだしナーディ様は美少女だし、あれはとても目の保養になったなぁ。

 次の夜会でも二人が踊るのなら、それは少し楽しみだ。


 それから暫く和やかなティータイムを過ごしていたのだが、それは突然香りを変える。


「あの…、お二人に少しお話があるのですが…」


 という、ナーディ様の言葉が切欠だった。


「どうなさったの?」


 小首を傾げて問いかければ、彼女は悲痛な面持ちで言葉を紡ぐ。


「お二人は、婚約なさっているのですよね?」


「え、えぇ、そうだけれど…」


 何だろう、揉め事に香りがしてきた。

 これは確実に揉め事の香りだ。


「私、私、ハイデン様が…」


 あ、これ、この子、コイツの事好きなんだ。

 チラリとハイデンの方を見やれば、彼はちょっぴり目を丸くして固まっていた。

 揉め事の香りというか、修羅場の香りだ。

 これは逃げなければ。事なかれ主義の私としては是が非でも逃げなければならない展開だ。面倒臭いことが起こりそう。

 そう思った私はビシっと片手を挙げて宣言する。


「私、身を引きます!」


 と。

 学生時代もこんなに元気に発言したことなんてなかった気がする。

 なんて思いながら二人の様子を伺うと、二人とも瞠目していた。


「ナーディ様は、ハイデンの事が好きなのですね。ハイデンも、あなたとはダンスを踊っていたし、お似合いだと思いますわ。」


 私はぱちんと手を叩いて、二人を祝福するモードに入った。

 どうぞどうぞなんて言いながらこのまま退散出来ればそれでいい。


「見ていたのか…」


 ハイデンがぽそりと呟いた。

 あれ、見られたくなかったのだろうか?


「あぁ、ごめんなさい。美男美女がダンスを踊っていたから、しっかりと見てしまいましたわ。とても綺麗でしたので。」


 ただ鑑賞していただけであって浮気だなんて言うつもりはないのよ、と言外に滲ませる。

 私は潔く、後腐れなく身を引いて綺麗に消えるつもりなのだから、何も気にする事はない。


「あの…、でも婚約者なのでは…」


 ナーディ様がおずおずと口を開いた。


「気にしなくても良いのですよ。あれは我が家に跡継ぎが居なかったからと両親が決めた事ですの。今は弟が居ますし、なんとでもなりますわ。」


 そんな事よりも貴族同士が恋愛結婚出来るだなんて素敵ですわ!と、私はナーディ様の手を取った。

 さっさとこの話を纏めて脱兎のごとく走り去らねばならないのだ、私は。


「ハイデンも、何も気に病む事はありませんからね。私の両親には私からきちんとお話しますし、あなたの方にも不利にならないよう尽力しますわ。」


 だからこのまま挙式まで突っ走りなさいな、と、そんな事を言ったつもりなのだが、ナーディ様は青褪めた顔をしており、ハイデンの方は見事に頭を抱えてしまった。

 私、何か間違った事を言ったかしら…

 どうしたものかと思案していると、少し離れた場所から私を呼ぶ声がした。


「おねーさま、」


 と、まだまだ小さな我が弟の声だ。

 私は二人に少し席を外しますと断わってから弟の元へと駆け寄った。


「どうしたの?」


「おねーさま、今日はぼくとあそんでくれるやくそくでした。」


 どうやら私が予定をすっぽかした、とご立腹のようだ。


「ええ、そうでしたわね。あとで沢山遊びましょうね。」


 私は弟の頭を撫で回し、近くに居た使用人に話が終わるまでお願いと弟を託す。

 ティータイムの席へ戻ると、そこには先程よりも幾分か青褪め方の酷くなったナーディ様と、沈痛な面持ちで頭を抱えているハイデンが居た。

 私が華麗に身を引くと言っているのに、何故二人は喜ばないのだろう?

 それとも何だ、いくら潔く消えると言っていたとしても元婚約者ではあるわけだから、それを目の前にして諸手を挙げて喜ぶわけにはいかないとでも思っているのだろうか?

 良いよ良いよ喜びなさいな遠慮せず!


「君はそれで良いのか…」


 ハイデンが、不意に言葉を漏らした。

 地を這うような、恐ろしく低い声だ。

 君とは私なのか、それともナーディ様なのか、どちらに対して言っているのか解らず黙っていると、ハイデンの美しい瞳が私を射抜く。

 私に言っていたのか。


「それで…とは?」


「アイネにとって、俺は要らない存在だったのか?そんなに簡単に手放せるような…」


 ハイデンは苦しげに、搾り出すようにそう言う。


「要らないとまでは言っていませんわ、でも、『両親が決めた婚約者』という言葉であなたを縛り付けることなんて出来ませんもの。それに、」


 あなたはナーディ様が好きなのでしょう?そう言おうとしたのだが、それは遮られてしまう。

 ダン、というハイデンがテーブルを叩いた大きな音で。

 修羅場の香りだと思っていたのだが…どうやらお説教の香りに変わってきたようだ。


「確かに、俺と君とは親同士が決めた婚約者だ。だが、俺は君を大切にしたいと思った…」


「えぇ、そうね。私は充分大切にしていただいたわ…。」


 何故だろう、逃げ出したいのに逃げ出せない。

 前世では天才脱兎だったはずの私が身動き一つ取れない。

 前世の記憶なんて思い出したところで何の役にも立ちやしない!


「君は俺がダンスに誘っても断るし、こうして会いに来ても、お菓子を持って来ても表情一つ変えてはくれない。」


 そんなことはない。

 いや、ダンスは苦手だから断ったし、会いに来た時はまぁ、大体何しに来たんだろう?みたいな顔をしていたけれどもお菓子を食べている時は確実に笑っていたはずだ。


「あ、あの…怒らせてしまってごめんなさい、ハイデン。」


「…何故怒っているのか解っているのか?」


「え?えぇと…?」


 何だろう、別れる前に不満を全部ぶつけていこうという魂胆だろうか?

 それはそれで地味に傷つくので遠慮せず二人で幸せになってほしいのだが…。

 ちらりとナーディ様の様子を伺ってみると、彼女は俯き、両手で顔を覆いぷるぷると小刻みに震えていた。泣いているのかもしれない。何故泣くのかは解らないけれど。


「俺が…俺が別の女性と踊っていても嫉妬一つしてくれやしない…」


「嫉妬…、ですか?」


「何が『とても綺麗でしたので』だ!俺は君が他の人と喋っているだけでも嫉妬で狂いそうだというのに…!」


「…え、嫉妬?」


 ちょっと待とう。話が見えない。

 何故私が他の人と喋っているだけでハイデンが嫉妬するというのだ。


「俺はこんなにも君が好きなのに…」


「………は?」


 私はきょとん、と彼を見詰めた。

 彼もそんな私に気が付いてきょとんとする。

 ナーディ様はというと未だに両手で顔を覆ったまま動かない。あの人何してるんだろう…。


「は?って、アイネ…」


「初耳ですわ…。あなたが私に優しいのも、きっと親が決めた婚約者を無碍には出来ないと思っていらっしゃるからだとばかり…」


 まさかハイデンが、私の事が好きだなんて言い出すとは思わなかった。


「初…耳…?」


 ハイデンは唖然とした表情で私を見ながら、か細過ぎる程の声で呟いた。先程までの地を這うような声はどこへやら。


「ご、ごめんなさい、私鈍かったのかしら…。」


 前世では、確か隣の男子校の男の子に片思いをしていたけれど、思われた事なんて多分無かったから。多分。

 前世の記憶はホント何の役にも立たないな!


「まさか伝わっていなかったとは思わなかった…」


「失礼ついでに一つ聞かせて欲しいのですが、ちなみにいつから私を?」


「初めて会ったあの日から、俺はずっと君が好きだった。」


 馬鹿言え、私達が初めて会ったのは私が4歳でハイデンは3歳だっただろう。

 それはいくら鈍いらしい私でも嘘だって気付く。


「そんなお世辞じみた冗談はいりませんわ。本当のことを、」


「本当だ。」


「だって、あの時あなたは3歳だったじゃない!」


 ありえない!と声を荒らげたら、ナーディ様のほうから


「ふぐっ」


 という…なんだろう、嗚咽?嗚咽のような音?声?が聞こえた。あの人どうしたんだろう…帰りたいのかな…


「確かに3歳だった。だが俺はあの日君に一目惚れをしたんだ。」


 信じられない。3歳児が一目惚れなんてありえない。


「信じられない…」


 私がそうぽつりと零すと、彼は私の側に跪いた。

 そのまま両手を私の方に伸ばしてきて、顔を挟まれる。やだわハイデン、リーチが長い。


「良い。信じなくても良い。俺の事をなんとも思っていなくたって良い。だけど、婚約破棄だけはしないでくれ。俺は君が居なければ生きていけないんだ、アイネ。」


 なんとも熱烈な言葉に、かつての天才脱兎は金剛石顔負けの硬度で固まった。


「…は、はい、わかり…ました。」


 私はかくかくとぎこちなく頷いて見せた。

 すると私の顔を挟んでいたハイデンの両手に少しだけ力が篭る。

 しかしちょっと待て。ナーディ様はどうするというのだ。

 様子を伺おうとしたのだが、顔は動かせない。

 視線だけをナーディ様のほうへ向けようとしていると、ハイデンが口を開いた。


「彼女は、」


 と、何かを言いかけたところでそれは遮られる。


「ぷっ、ふふふっもう限界。なんというか、二人ともお幸せに。あははっ」


 というナーディ様の声で。

 おかしいな、ナーディ様は確実にハイデンが好きみたいだったのに、何故か大笑いしていた。


「ナーディ様?ハイデン?」


 何が起きているの?と、首を傾げようとしたところ、私はハイデンにしっかりと抱きしめられる。

 正直何が何だか解らなかったのだが、ハイデンの少し早過ぎる心音を聞いていたら全てがどうでも良くなった。

 私が居ることで、彼が幸せならそれで良い。

 ナーディ様も、傷付いている様子は見受けられないし、祝福してくれているらしいから、これで良いのだろう。


「愛しているよ、アイネ。」


「あ、ありがとう…ございます。」


「これは親の意思ではなく俺の意思だ。アイネ、俺と結婚してくれ。」


「…はい。よろしくお願いします。」



「あはは、お二人ともおめでとうございますっふふっ」



 …これで…良いのだろうか?

 私はハイデンの腕の中でナーディ様の笑い声を聞きながら、小さく首を傾げたのだった。





 

折角前世の記憶を思い出したって役に立てられるとは限らない。

次回の裏話はナーディ側から見たアイネとハイデンの恋模様です。

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