Prince TAi 誕生
夜風に混じるアルコールと香水の匂い――
煌々と光る「Eden」の看板の下、太子はキャッチの男に導かれるまま、店の扉をくぐった。
中は、まるで異世界。
シャンデリアの光がガラスのテーブルに反射し、薄暗い店内を柔らかく照らす。
シャンパンの泡がグラスの中で踊り、妖しい音楽が心臓をくすぐるように流れていた。
「……ここが“ほすとくらぶ”か」
太子の瞳に、現代の夜の社交場が映る。
まるで王侯貴族の舞踏会。
だがその笑顔の裏には、嘘と孤独の影が見える。
――耳をすませば、客たちの心の声が渦巻いていた。
「……寂しい」
「今日くらいは褒められたい」
「この店にいる間だけ、誰かに必要とされた気がする」
(ふむ……人の心は、いつの世も変わらぬな)
太子は静かに息を吐いた。
「おい、新人連れてきたぞー!」
キャッチの男が声を張ると、奥の席からひときわ存在感のある女性が立ち上がった。
高いヒール、赤いドレス、艶やかな笑み――
この店の支配者、「佐伯ママ」だった。
「……こりゃまた、イケメン拾ってきたじゃないの」
佐伯ママは太子を上から下まで眺め、唇をわずかに吊り上げた。
「顔立ち、姿勢、目の力。あんた、ちょっと普通じゃないね」
「……我はただ、道に迷っただけだ」
「ふふ、それが“運命”ってやつかもね」
ママは一歩近づき、太子の肩に手を置いた。
「名前、なんていうの?」
「厩戸皇子――」
「ムマヤ……え、なにそれ読めない(笑)」
「うまやどのおうじ、である」
「……もっとわかりやすくしよ?ホストは“名刺の名前”が命なの。たとえば……“プリンスTAI”とか」
太子は少し考え、うなずいた。
「……良い名だ。Prince TAI としよう」
その瞬間、店の空気が少しだけ変わった。
ママの直感が告げていた。
――この男、売れる。
⸻
「Prince TAI、早速お試しでお客さんにつけてみる?」
「“つける”…?」
「テーブルについて、接客するのよ。笑顔とトークと、あと……ちょっとの色気。できる?」
「我は……人の心を聞くことができる」
ママは目を丸くした。
「それ、キャラ作り?面白いじゃない。やってごらん」
ママの指示で案内された席には、寂しげな表情の女性が座っていた。
OL風のスーツ、メイクは少し崩れている。
グラスを見つめ、ため息をついていた。
「……咲さん、今日、新人の子がつくから〜。よろしくね〜」
「新人?ふーん……どうせすぐ辞めるでしょ」
太子は、静かに席に座った。
その瞬間――
「……もう、誰も信じられない」
「彼、他の女といた……」
「全部嘘だったんだ……」
彼女の心の声が、太子の胸に突き刺さる。
微笑んでいるのに、心は泣いている。
それは、千年以上前も、変わらなかった人間の「孤独」の声。
太子は、優しくグラスを手に取った。
「咲殿……心が、泣いておるぞ」
「……え?」
「君は誰かに裏切られた。それでも、自分を責めておる」
咲はハッと顔を上げた。
「……なんで、そんなこと……」
「心の声が聞こえる。……いや、感じるのだ」
「やだ……なにそれ、占い師みたい」
咲は最初、笑った。
でもその笑いの奥の涙を、太子は見逃さなかった。
「他者に裏切られる痛みは、決して君の価値を下げるものではない」
「……」
「君は悪くない。心は、まだ温かいままだ」
咲の目から、ぽろりと涙が落ちた。
店内の喧騒の中、その小さな音だけが鮮明に響いた。
「なんで……なんでそんなこと言えるの……」
「千年、人の心を見てきたからだ」
「は……なにそれ、意味わかんないのに……ちょっと、泣けてくるじゃん……」
彼女は笑いながら泣いた。
その姿を見て、近くのホストたちはざわつく。
「おい……あの新人、泣かせてるぞ」
「なんだよアイツ……喋り方が妙に落ち着いてて逆に刺さる」
「咲さん、あんな泣いてんの初めて見た……」
麗――この店のNo.1ホストも、遠くの席からその様子をじっと見ていた。
(アイツ……一体、何者だ?)
⸻
「Prince TAI!」
接客が終わると、佐伯ママが満面の笑みで抱きついてきた。
「初日でお客さん泣かせて感動させるとか……天才でしょあんた!」
「泣かせたわけではない。心が、溢れただけだ」
「うん、そういうの……最高に売れるのよ!!」
その日の売上集計。
Prince TAI――初日で1本のシャンパンを咲が自腹で開けたという記録が残った。
通常なら数週間かかる実績。
店内はざわめきと期待でいっぱいになった。
「Prince TAI……本気でNo.1になれるかもしれない」
ママが呟いたその夜、太子はビルの屋上で夜風に吹かれながら、夜空を見上げていた。
「……この世も、嘆きに満ちているのだな」
「ならば……我が、この“エデン”で、人々の心を照らそう」
――ホスト太子伝説、ここに本格始動。




