第14話〜偶には気を抜いて
昼過ぎの港町は、午前の喧騒が少し落ち着き、通りには日差しを浴びた人々がのんびりと歩いていた。
生暖かい潮風が港を撫で、停泊する船の帆布がかすかに揺れる音が遠くに届く。
ヒロは人波に紛れながら、ふと視線の先のシエラを目に止める。淡金色の髪が午後の光を受けて輝き、足取りは訓練の疲れも感じさせず軽やかだった。
「そろそろ少し休憩にするか」
ヒロはそう呟き、シエラの元へ駆け寄り声をかけた。
「シエラ、昼食にしよう。市場の屋台で、何か食べたいものはあるかい?」
シエラは立ち止まり、考え込む。普段はあまりこうした“普通の食事”を楽しむ余裕を持たないのだろう。
暫し逡巡したと思えば、やや恥ずかしげに目を伏せ、普段は口にしない言葉をそっと口にした。
「……甘いものが食べたいです」
ヒロは一瞬、耳を疑った。港町の昼下がりに甘いもの――しかも、彼女がそう口にするとは思っていなかった。
「甘いもの?」
思わず聞き返すと、シエラは小さく頷く。頬にわずかに赤みが差しているのが、彼の目にもはっきりと見えた。指先で髪の房を触る仕草に、少し緊張が混じっている。
「そうか。よし、今日は僕が奢ってあげる」
ヒロは満面の笑みで言う。軽薄なところがある彼らしい、少しおどけた口ぶりだった。
シエラは一瞬、表情を曇らせそうになったが、すぐに肩の力を抜き、淡く微笑むだけで答えた。
市場は狭い通りに屋台が立ち並び、魚介や肉の匂い、香辛料の香りが混ざり合う。人々が買い物や食事を楽しむ中で、シエラは初めて目にする屋台の種類に少し興味を示した。ヒロは横で彼女の様子を観察しながら、ひそかに笑みを浮かべる。
「ここは……色んなものがあるんですね」
シエラが目を輝かせて言う。普段は冷静で物静かな彼女の声が、少し柔らかく響くのがヒロには心地よかった。
「じゃあ、何にする?」
ヒロは屋台の前に立ち、シエラに勧める。
店先には焼き菓子や甘いパン、フルーツの串など、見た目にも楽しい食べ物が並んでいる。シエラは小さく息をつき、数種類を指先で宙をなぞるように選ぶ。
「……焼き菓子にします」
ヒロは軽く笑った。
「やっぱり女の子だねえ。こういうの好きなんだな」
言われたシエラは一瞬、顔を赤らめて口を引き結ぶ。軽く目を逸らしながらも、微かに笑みを浮かべるのが、彼の目にはとても愛らしく映った。
「……そういうこと、言わないでください」
しかしその声は、ほんの少しだけ甘さを含んでいた。ヒロは心の中で、こういう一面をもっと見たいと思ってしまう。
焼き菓子を受け取ると、シエラはそっと手に取り、少し照れくさそうに口元に運ぶ。小さくかじった瞬間、目を細め、眉がわずかに下がる。口元の小さな動きが、普段の凛とした姿とは別の、ほんの少し無防備な面を見せる。
「うん、美味しい……」
その一言だけで、訓練中の鋭さや冷静さから解放された、年相応な柔らかな彼女の姿が伝わる。
ヒロは思わず微笑み、少し胸が温かくなるのを感じた。
港町の人々のざわめきに紛れ、二人は屋台の小さな空間で、静かに昼食を楽しむ。ヒロが軽口を叩けば、シエラは小さく笑って返す。言葉の端々に、訓練中には見せない柔らかさがにじむ。
シエラは焼き菓子をかじりながら、ふと小さく笑った。目は笑っているが、どこか自嘲が混じっている。
「……おかしいですよね、私」
ヒロは眉をひそめて視線を向ける。
「ん? どうした、急に」
「任務ばかりにかまけてて……見た目だって女らしさのかけらもないのに、甘いものが好きだなんて」
小さく視線を伏せ、指先で菓子の端をつまむ。その仕草は、今までのシエラの姿とはまるで別人のようだ。ヒロは思わず微笑む。
「そんなことないでしょ。君、自覚無いのかなあ? 綺麗で女らしいし、そういうの気にするあたりが十分女の子らしくて、僕は可愛いと思うよ」
軽く肩を揺らしながら言うその声には、からかいよりも安心感が混じっていた。シエラは顔を赤らめ、一瞬言葉に詰まる。
「……っ、そんなふうに言わないでください」
ヒロは笑いながら首を振る。
「いや、いいんだって。こういう一面もあっていい。任務のことばかりじゃなくて、たまにはこういう時間を楽しむのも大事だろ」
シエラは小さく息をつき、頷く。目の端に光が差し込むように、少し安心したような表情を見せた。
焼き菓子をもう一口かじり、しばし港町の景色を見渡す。海に浮かぶ小舟や、波間に揺れる光に目を細め、ヒロもその横顔に見惚れる。
訓練や任務の緊張から少し解放された彼女の姿に、師としての誇らしさと、単純に「一緒にいて楽しい」という感情が混じった。
二人は言葉少なに、しかし心地よい沈黙の中で港町の昼下がりを共有していた。
「先生」
突然の呼びかけに、ヒロは振り返った。
「ん?」
「午前中の訓練も、今も……ありがとうございます。少し、楽しかったです」
真っ直ぐに見つめる瞳には、普段の鋭さと同じくらいの誠実さが宿っていた。ヒロは軽く笑みを返す。
「そうか、それならよかった。訓練ばかりじゃなくて、こういう時間も大事だろう?」
「はい……ええ、たしかに」
シエラは小さく頷き、視線を前に戻す。午後の尾行訓練が再び始まるが、どこか余裕が感じられるのは、この昼のひとときがあったからかもしれない。
港町の午後の日差しは、まだ二人を包み込み、海風と人々の笑い声が混ざる。
午後の尾行訓練はこれからだが、ヒロは小さく息をつき、港町の光の中で、ほんの少し肩の力を抜いたシエラを見つめ続けた。




