第二話
「では、カイル。行こうか」
レオンは俺の返事も聞かず、自然な動作で手を握り直した。
「えっ!? でもまだ——」
言いかけた瞬間、後ろからリクト・エヴァンズが口を開く。
「カイル。僕のことはリクトって呼んで。そして……僕のことを絶対、覚えておいて」
その声には、妙な名残惜しさが滲んでいた。
深緑の瞳がわずかに揺れ、胸を射抜かれるような感覚が走る。
(……リクト・エヴァンズ。初対面……だよな?)
レオンはそれを無視するように、俺を半歩引き寄せた。
「エヴァンズ、邪魔をしないでくれ。これは私と彼の時間だ」
短く告げると、リクトは口をつぐみ、ほんの僅かだけ笑う。
——何か企んでいるような笑みを残して。
俺たちはその視線を背に、レオンに引かれるままその場を離れた。
「……また会おう、カイル」
背中越しの声が、やけに耳に残った。
****
王宮の回廊を歩く。
陽光が差し込む窓辺、絵画や甲冑が整然と並び、どこまでも豪奢な光景が続く。
「ここは王家の歴史を飾った場所だ。君も少しずつ覚えていくといい」
案内役のように説明を加えるレオンだが、正直、俺の頭にはほとんど入ってこない。
——というか、ずっと手を握られているのが気になって仕方ない。
「……あのさ」
「何だい?」
「そろそろ手、離してくれない?」
俺の言葉に、レオンは一瞬だけ視線を落とした。
そして、すぐに離すかと思えば——逆だった。
「まだ廊下は長い。はぐれたら困るだろう?」
そう言って、なぜか指を絡めて“恋人つなぎ”にする。
(……いや、この距離ではぐれるわけないだろ)
小声で文句を言っても、レオンはただ微笑みながら歩き続ける。
なんなんだ、この王子。
やがて辿り着いたのは、王宮の一角にある中庭だった。
噴水の水音が心地よく響き、色とりどりの花々が咲き誇っている。
「ここは私が一番好きな場所だ。静かで……落ち着く」
ベンチに腰を下ろすレオンは、妙に自然な仕草だった。
王子らしい気取りはなく、年相応……いや、それ以上に大人びて見える。
「カイル、君は……この国で何をしたい?」
「……え?」
予想外の質問に、少しだけ言葉が詰まる。
(何をしたいか……俺は、平穏に、楽して……)
「特にない。けど、生活魔法を覚えて、年を取ったらのんびり暮らせればいい」
「生活魔法……?」
レオンの目が僅かに細められる。
「いいな、それは。……素敵な夢だ」
真っ直ぐな声音に、なぜか心臓が少し跳ねた。
「……殿下」
「レオンでいい」
「いや、それは——」
「君が私を名前で呼ばないなら、私も君を気楽に呼べなくなる。それは面倒だろう? だから、ね」
押しの強さは、さすが王族というべきか。
(……やっぱり距離感おかしいな、この人)
けれど、不思議と不快ではなかった。
「じゃあ……レオンは、この国で何をしたいんですか?」
「……私は……」
初めて、レオンが言葉を詰まらせる。
第一王子という立場——軽々しく夢など語れないのだろう。
「”王様になるレオン”じゃなくて、”レオン個人”としてしたいことです」
思わず言い直すと、レオンは目を見開いた。
「……私は……そんなこと、考えても無駄だよ。私は王子だから」
ふっと、悲しそうに笑う。
(……そっか。王族って、自我を持つことさえ許されないんだ)
前世の自分を思い出す。
芸能界で生きた子供時代。泣いても、ミスしても、代わりはいくらでもいた——けれど、王という存在はこの国でただ一人。妥協も代役もない。
その重さは、俺の想像以上だろう。
「……じゃあ、何も答えられないレオンに『王家直属の魔術師団を強化し、外敵や魔物を排除し、外交と文化・教育を充実させ、この国を安定させたい』ってテンプレ回答を差し上げますよ」
うつむいていたレオンが、驚いたように顔を上げる。
「でも、本当にやりたいことは捨てずに、心の奥に隠して持っておくんです。誰かに聞かれたら、『ヒミツ』って答えればいい。それが、長く生きた俺からのアドバイスです」
「……長く?」
「ははっ、そうでした。同い年でしたね」
噴水の音と風が、静かに流れていく。
その後もしばらく中庭で他愛のない話をした後、宮廷マナーや礼儀を教わった。
子供とは話が合わないと思っていたが、レオンは俺よりも落ち着いていて、学ぶべき点も多い。
(思ったよりも充実した時間を過ごしてしまった)
気付けば外は暗くなっていて帰る時間になっていた。
別れ際、レオンが立ち止まり、俺を見つめた。
「また明日も来るよね?」
「……父が許せば」
「許させる」
即答。その瞳には自信と、何か言葉にできない光が宿っていた。
(……王宮で学べるのはありがたい。それに、レオンとの時間はとても有意義だった)
「これからもよろしくお願いします、レオン」
今日一番の笑顔で告げると、レオンは一瞬だけ固まった。
「……」
何かを呟いた気がしたが、ごまかされて終わった。
「アルバート様、お迎えが参りました」
「あ、兄さんの迎えだ!」
外に出ると、長男である兄が馬車の前に立っているのを見つけた。
ギュッ。
「え?」
気付けば、背後から抱きしめられていた。
「カイル……また明日」
耳元で囁かれ、くすぐったくて思わず身をよじる。
「んっ……レオン!くすぐったい!」
(って!力強いな!?)
「……殿下。アルバート様のお迎えが」
執事の声で、ようやく腕が離れる。
「ああ。カイル、明日は昼食も一緒に取ろう」
「え、それは——」
「アルバート卿には私から正式に伝える」
そう言って、額に軽く口づけて去っていく。
(これも王族の挨拶なのか…?)
少し困惑しながら馬車に向かうとその光景を見ていた兄にすごい形相で問い詰められながら、俺は王宮を後にした。