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裏稼業

 人間、やりたいことだけやって生きていけるのが理想だ。実際、そうやって生きてる奴もいるんだろうよ。

 もっとも、ほとんどの人間は、やりたいことをやるために、やりたくないことをやらにゃならない。なんとも切ない話だが、これが現実だよ。将軍さまだって、やりたくもないことをやらざるを得ないらしいからな。

 お京、あんたは復讐を遂げたいわけだ。そのために江戸に来た。だがな、江戸は広い上にあんたは目立ちすぎる。おまけに、悪党って奴は姿を隠すのが上手い。あちこち出歩いて情報収集してたら、相手を見つけるより先に相手が消えちまうだろうな。あるいは、あんたらが消されるか。

 しかもだ、江戸で生きていくには金がかかる。あんたもまた、やりたくないことをやらにゃならんのさ。


 ・・・


「あのな、俺はお前やお京をしょっぴくために来たんじゃねえんだよ。お前らに、仕事を頼みたいんだよ。悪かねえ話だと思うぜ」




 初対面の見回り同心から、突然こんな話を切り出されたのだ。

 お七はわけがわからず、ぽかんとなっていた。だが、相手は気にせず話を続ける。


「まあ、話だけでも聞いてくれや。俺には、お前らを捕まえる気はない。ただ、ちょいとやってもらいたいことがあるんだよ。お互い、損はないはずだ」


 そこまで語った時、すぐ近くの掘っ立て小屋から、白髪頭の老人が這い出してきた。小柄で痩せており、真っ黒に日焼けしている。長いぼろ布を体に巻き付けており、手には鍋と棒を持っていた。何とも異様な風体である。

 そんな老人の口から、妙な言葉が飛び出した。


「誰かと思えば、案山子(かかし)じゃねえかよう。何しにきたんだ? 小遣いせびりに来たのか? この、ろくでなしが」


 言った直後、持っている棒で鍋を叩いた。かーん、という音が響き渡る。

 横で聞いているお七は、混乱し思わず後ずさった。どう見ても、この老人はまともではない。下手なことを言ったら、この棒で殴りかかってくるかもしれない。

 だが、同心の方は苦笑しつつ答える。


勘々爺(かんかんじい)、久しぶりだな。前にも言ったが、俺の名は藤村左門だ。案山子は名前じゃねえからな。いい加減、覚えてくれよ」


「知るか。だいたい、何しに来たんだよう。ここには、お前に袖の下を払う奴なんかいねえぞ。それともあれか? この女を口説きに来たのか? この助平同心が、暴れん坊の将軍さまに成敗されちまうぞ」


 勘々爺と呼ばれた老人は、わけのわからないことを言いながら、お七を棒で指した。直後に、またしても鍋を打ち鳴らす。かーん、という音が響いた。

 本気で怒っているわけではなさそうだが、この老人がまともでない……という評価に変わりはない。行動のひとつひとつが、全く理解不能だ。

 藤村左門と名乗った同心はというと、面倒くさそうに両手をあげる。

 

「待て待て。何わけのわからねえこと言ってんだよ。だいたいな、ここにいる連中から袖の下をせびるくらいなら、まともに仕事してた方が楽だよ」


 そう言った後、お七の方に顔を向け小声で囁く。


「あんたが、お京と行動してたのはわかってる。あんたらが今住んでいる場所にも、だいたいの見当はついてる。しょっぴくのは簡単だ。ただ、俺はあんたらの敵じゃないし、しょっぴく気もない。話がしたいだけだ。それも、お互いの得になる話をな」


 言われたお京は、左門を睨みつける。だが、頭の中では彼の申し出について吟味していた。

 この同心、有無を言わさずお七たちを捕まえることも出来た。だが、それをせず話し合いたいと言っている。しかも、単独でこんな危険地帯にやってきたのだ。敵とは思えない。

 問題は、話の内容だ。さっきは、仕事を頼みたいと言っていた。恐らくは、まともな仕事ではないだろう。少なくとも、医師の仕事でないのは確かだ。

 これが、お七ひとりの問題であったなら、確実に無視して去っていったはずだ。しかし、これはお京の問題である。その上、今は壁にぶち当たっている状態だ。

 ひょっとしたら、この左門が状況を好転させてくれるかもしれない。


「わかったよ。とりあえず、みんなで話は聞く。だけどね、ひとつ言っとく。お京の腕をなめない方がいい。あんたひとり、まばたきする間に殺せるよ」


 お七の物騒な台詞に、左門は苦笑して見せた。


「ああ、わかってる。俺だって、命張る覚悟で来たんだ」 


 言った後、勘々爺の方を向いた。


「じゃあな。爺さん、長生きしろよ」


 その言葉に、老人は鍋を打ち鳴らす音で応えた。お七は顔をしかめ、左門の手を引き歩き出す。こんな変人と話していたら、自分までおかしくなりそうだ。





 ふたりは、お京らが寝泊まりしている掘っ立て小屋に到着した。まだ昼間だというのに、辺りはしんと静まり返っている。他にも数軒の掘っ立て小屋があるが、人の気配は感じられなかった。役人が来ていると知り、息を潜めているのかもしれない。


「ここだよ。付いて来な」


 お七は素っ気ない態度で言うと、体を屈めて入っていく。左門も後から続いた。

 中は薄暗く、埃まみれだ。ただ、三人が暮らせるだけの広さはある。地面にはたき火の跡があり、料理の匂いが漂っている。家庭的な匂いだ。

 しかし、場の空気は家庭的とは真逆のものだった。入ると同時に、お京の鋭い声が飛ぶ。


「お前誰だ?」


 声だけでなく、顔つきも刃物のように鋭い。手には短刀を握っていた。

 お花も、両手で杖を持ち身構えている。小屋の中は、一瞬で殺気が充満した。

 それを変えたのは、お七であった。


「ふたりとも、まずは話を聞くんだ。この何ちゃら何とかさんていうお役人さまは、あたしらに頼みたいことがあるらしいよ」


 落ち着いた声に、ふたりは不満そうな顔をしつつも武器を下げた。一方、左門はにやにや笑いながら口を開く。


「いや、驚かせちまってすまない。まず、俺の名は藤村左門だ。南町奉行所で見回り同心をやっている。今日ここに来たのは、あんたらの腕を見込んで仕事を頼みたいのさ」


 軽い口調である。だが、お京は警戒を解かない。鋭い目で尋ねる。


「仕事ってなんだい? 見世物小屋とか、立ちんぼだとか言ったら、その鼻をへし折るよ」


「んなわけねえだろうが。殺しだよ」


 その途端、お七の表情が変わる。鋭い目つきで口を開いた。


「あたしらに、人殺しやれってのかい」


「そうさ。しかもだ、相手は法で裁けぬ極悪人さ。本来なら、(はりつけ)獄門にされてるような屑なんだよ。ところが、わけあって役人には手出しできない。そんな奴らを狩って欲しいんだ」


「話を聞こうじゃないか。相手は、どんな奴なんだい?」


 聞いたのは、お京だ。この件に興味を示しているらしい。


「偉い家には、馬鹿息子が生まれやすいんだよ。お前らだって、わかるだろ。そんなのが三人集まり赤鞘(あかざや)組なんて名乗って、あちこちで悪さを繰り返している。こないだなんか、大工の嫁さんを三人で襲い、散々やりまくった挙げ句に小便かけて、道端にほっぽり出しやがった。証拠もあったし、証人もいた。赤鞘組に間違いないんだよ。俺は、さっそく捕まえに行こうとした。ところがだ、上からの御達示(おたっし)がきた。それ以上調べることはまかりならん、だとさ。親の力で、事件そのものを握り潰したんだろうな」


 飄々とした語り口ではある。だが、言葉の奥に怒りが感じられた。表情もへらへらしているが、どこか悲しげでもある。

 しばしの間、場を沈黙が支配していた。しかし、沈黙を破ったのはお京だ。 

 

「上等だよ。そいつら全員、あたしがぶっ殺してやる」


 唸るような声だ。体も震えている。怒りゆえだろう。今にも飛び出しそうな勢いだ。

 しかし、それを制した者がいた。お七だ。冷静な表情で、左門に尋ねる。


「待ちなよ。左門さん、とかいったね。その話が、本当であることを示す証拠はあるのかい?」


「証拠?」


「そうさ。その赤鞘組ってのが、あんたの言う通りの極悪非道な連中だっていう証拠だよ」


 そう言って、お七は鋭い目で睨む。対する左門は、苦笑しながら答えた。


「欲しけりゃ、持ってこれないこともない。だが、それより手っ取り早い方法がある。町に出て、赤鞘組ってのがどんな連中か、片っ端から聞き回ってみな。あいつらのやらかした悪さが、たっぷり聞けるはずだ。礼儀正しく前途有望かつ善良な素晴らしい若者たちです、なんて言う奴がひとりでもいたら、俺はあんたらに土下座するよ。その後、素っ裸になって安来節(やすきぶし)を踊りながら、無人街を一周してやってもいいぜ」


 その言葉に、お花がくすりと笑った。だが、お七はにこりともしていない。


「なるほど。赤鞘組を捕まえ損ねたあんたは、役人としての面子を潰された。それで腹を立て、あたしらに殺させようってわけかい」


 その言葉には(とげ)があった。彼女が、この話に乗り気でないのは明らかだ。

 しかし、左門はかぶりを振った。


「いいや、違う。とある人間が、これまた別な人間を通じて依頼してきた。赤鞘組を殺してくれってな」


 言葉を返した左門に、お七はなおも尋ねる。


「依頼してきた人間ってのは、いったい誰なんだい?」


「悪いが、そいつはいえねえんだよ。裏稼業には、殺されても守らなにゃならん秘密があるからな。で、話を戻すとだ、俺のやってる殺し屋稼業に所属している奴が、その依頼を受けた。ところがだ、ついこないだ別の裏の組織と揉めちまってな、こっちの人間がふたり殺られた。しかも、よりによって殺しを実行するはずの奴らが死んじまったんだよ。そんなわけだから、今は動ける奴がいねえ。実質的には、休業中みたいなもんだな」


 淡々と話す左門だが、聞いている三人は唖然となっていた。今の話からすると……この男は、同心にして裏の世界の住人ということになる。それも、ただの使い走りではなく頭目らしい。

 見た目と違い、とんでもない奴だ──


「実はな、あの猿蔵の殺しも依頼されていたんだよ。そこで、うちの人間が奴の動向を探っていた。ところが、いきなり現れたのがあんたらだ。猿蔵一味を簡単に片付けちまった。そこで、俺は思ったわけだ。あんたらを、うちの人間として招きたいとね」


 左門は、言葉を止め三人の表情を見る。お京とお花は、やる気になっているように見えた。 

 しかし、お七は二の足を踏んでいるようだ。渋い表情で、何やら考え込んでいる。左門は、再び口を開いた。


「あんたら、誰か探してんだろ。俺は、表の顔は見回り同心だ。裏の事情にも、かなり詳しい。人探しなら、お手の物だぜ。あんたらに回した仕事一件につき、ひとりの情報を渡す」


 左門は、そこで一息いれた。再び、三人の反応を見る。

 皆、先ほどとは表情が変わっていた。左門は心の中で勝利を確信しつつも、顔には出さず語り出す。


「しかも、仕事の金もきちんと払う。仕事一件につき、最低額が五両だ。ちなみに、今回の仕事も五両だよ。赤鞘組を片付ければ、俺ともうひとりが一両ずつもらい、あんたらには三両渡す。その上、探している人間の情報だ。悪くねえ話だと思うけどよ、どうすんだい?」


 




 



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