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接触

 人生なんざ、しょせんは丁半博打みたいなもんだ……と言った殺し屋がいた。そいつはどんな人生を歩んだかというと、最後はてめえの仕事がばれて奉行所から手配書を出され、女房を置いて江戸から消えたらしい。なんとも悲しい話だよ。ま、人を殺せば、そいつも殺されるってのが相場だ。たぶん、ろくな死に方をしねえだろうな。

 人と人との出会いってのも、丁半博打に似たところがある。(つぼ)を開けてみるまで、丁か半はわからない。たいていの場合、人は外面をよくしようとするよな。だが、外面がよくて内面は極悪なんて奴は、裏の世界にゃ掃いて捨てるくらいいるぜ。こればかりは、付き合ってみねえとわからんもんだ

 お京、俺とあんたが出会えた偶然……こいつは、丁かね? 半かね? まあ、そのどちらでもないってこともあるから、人生は面白いんだけどな。


 ・・・


 たいていの場合、江戸に来たばかりの者は、まず華やかな場所を見物したがる。つまり、お上りさんと呼ばれる者たちが集まりやすくなるのだ。

 当然ながら、そのお上りさんたちを狙う悪党たちもいる。引ったくり、掏摸(すり)、かつあげ、美人局(つつもたせ)といった小悪党どもだ。彼らほ華やかな場所に身を潜め、善人の仮面を被り獲物を探す。

 そうした華やかな場所がある一方で、華やかさとは真逆の場所も存在する。(ほこり)が風に吹かれてひとつところに溜まっていくように、まともな生活が出来なくなり、住んでいた町を追い出された者が行き着く先も、ほぼ決まっている。そんな掃き溜めのような町が、江戸にはいくつも存在していたのだ。

 現在、お京たちが身を潜めている『無人街(むじんがい)』も、そんな掃き溜めのひとつだ。この町は地図にも載っていないし、奉行所の記録も残っていない。公には、存在していないはずの町なのだ。

 そもそもの始まりは、火事により焼けてしまった一角だった。住民が引っ越し、後には焼け野原だけが残っていた。そこに、数人の無宿人たちが目を付ける。彼らは、勝手に廃材や布きれなどで小屋を作り住み着いてしまったのだ。

 やがて、周辺の町を追い出された悪党や変人、さらには人生を諦めてしまったような者たちも、噂を聞きつけ集まってくる。様々な物を持ち込み勝手に住み着いていき、挙げ句の果てに異様な貧民窟を作り上げてしまったのだ。

 そんな貧民窟が徐々に大きくなり、やがて無人街なる名で呼ばれる町が誕生する。まともな人間は住んでいない町、という皮肉を込めた名だ。少なくとも、堅気の人間は近づかない。奉行所の役人ですら、よほどのことがない限り中に踏み込んだりはしない。

 ある意味では、安全な場所でもあった。




「じゃあ、行ってくるよ」


 声をかけた後、お七は寝泊まりしている掘っ立て小屋を出ていった。小屋といっても、そこらの廃材を拾い集め適当に組み上げ、どうにか屋根と壁をこしらえ家の形にしたものだ。台風など来たら、一瞬で吹き飛ばされるだろう。

 近所には、夜鷹や親に捨てられた子供たちが住んでいる。無人街でも、とりわけ力の弱い者たちが住んでいる区画であった。

 

「おばさん、大丈夫ですかね」


 お花が、不安そうな面持ちで言った。お京は、苦り切った表情で答える。


「さあね。ただ、あたしやあんたが真昼間に表をうろうろしてたら、確実に人目を引く。この三人の中じゃ、おばさんだけが町に溶け込めるんだよ。心配だけど、仕方ない」


 そこで、ちっと舌打ちした。自らの無力さに、腹が立ったのだ。

 不快そうな様子で、言葉を続ける。


「やっぱり、おばさんは置いてくるべきだったかもしれないね。力ずくでもさ」


 態度は悪いが、お京とて不安なのである。おばさんことお七の身を心配しているのだ。


 ・・・・


 お七は、出島で生まれた。

 幼い頃より、南蛮渡来の様々な品に触れ、また異国の文化を見聞きしてきた。成長してからは、蘭方医学を学ぶようになる。努力の末、名ばかりの医師よりも豊富な知識を得てきた。さらに江戸に出て来て、実地の経験を積んでいく。

 ところが、お七の医師としての能力が上がるにつれ、その存在をうとましく思う者たちが現れる。彼らは、お七の評判を下げるような噂を流した。さらに、彼女にかかわる者にも陰湿な攻撃をしていった。

 彼らが、錦の御旗のように掲げていた言葉がある。


 女に、医学の何がわかるのか。


 この言葉ほど、意味不明なものはなかった。医学は、殴り合うわけでも斬り合うわけでもない。患者の治療に体力は必要かもしれないが、それは男女の違いとは無関係な問題である。

 やがて、お七は江戸を離れた。江戸の医師たちは、患者を治すことより己の地位を守ることに力を注いでいる…足の引っ張り合いなど日常茶飯事だ。少なくとも、彼女にはそう見えた。

 江戸は、自分の居るべき場所ではない。ならば、本当に自分が必要とされる場所を目指そう。


 そんなお七が、何の因果かお京と出会ってしまったのだ。

 旅の途中で尾仁之村の近くを通った時、地獄のような光景に唖然とさせられた。既に猿蔵らは引き上げていたが、あちこちに死体が転がり、匂いを嗅ぎ付けた鴉や山犬などが姿を現している。目的が何なのか、考えるまでもなかった。

 長居すれば、自分も山犬の餌にされかねない。顔をしかめ引き上げようとした時、お京を発見する。倒れた材木や板切れなどに両足を挟まれ、動けない状態だ。もはや虫の息であり、声を出すことも出来ないお京を、どうにか引っ張り出して離れた場所に寝かせる。だが、彼女の下半身を見たお七は愕然となった。

 お京の両足は、完全に潰れているのだ。どう足掻いても、元通りにはならない。しかも、このままでは雑菌により足が腐ってしまう。今の状況では、薬も道具も足りない。手元にあるものだけで、手術をやるしかないのだ。

 お七の知識と経験から見るに、命が助かる可能性は一割あるかどうかだ。ならば、苦しませず楽に死なせてやるべきかもしれない……そんな考えが、頭を掠める。

 たが、気がつくと手が動いていた。彼女の医師としての勘が言っていたのだ。この娘なら、奇跡を起こせるかもしれない……と。

 その勘は当たった。お七とお京は、奇跡を起こして見せる。ろくに薬もない状態での両足切断という試練を、乗り越えてみせたのだ。

 もちろん運もあるだろう。だが、お京自身の凄まじいまでの生への執念と、お七の医師としての腕が、幸運を呼び寄せたのは間違いない。

 お京にとって、お七は命の恩人であり、尊敬できる教師であり、怖い姉である。だからこそ、自分の復讐に付き合わせた挙げ句、危険な目に遭って欲しくない。


 ・・・・


 その頃、お七は無人街を慎重に進んでいた。

 周囲の風景は、完全に異界である。人通りこそ少ないが、たまにすれ違う人間は異相の者ばかりだ。道の脇には、異様な匂いの漂う掘っ立て小屋が並んでいる。かと思うと、得体の知れぬ屋台が無造作に放置されていたりもする。当然、店番はいない。商品も置かれていない。

 時おり、まともではない者による支離滅裂な叫びが響き渡る。酒もしくは御禁制の阿片によりおかしくなった者の笑い声も聞こえる。さらに掘っ立て小屋からは、昼間だというのに男女の喘ぎ声らしきものまで聞こえる始末だ。

 怖くない、といえば嘘になる。だが、お京もお花も、この時間帯は下手に動けないのだ。特にお京は、なるべくなら存在を知られたくない。お七が行くしかないのだ。

 それにしても、この復讐旅は想像以上に厄介だ。猿蔵に関する情報は、意外と簡単に得られた。しかし、他の三人はどうやって探せばいいのだろう。猿蔵を仕留めてから三日経ったが、未だ情報は得られていない。

 それ以前に、名前を変えていたらどうなるのだろう。悪人というのは、あちこちで名前を変える。稼業名というものもある。そうなった場合、裏の世界にうとい自分たちだけで見つけられるだろうか。

 悩みつつ歩いていた時だった。不意に、周辺の空気が変わる。同時に、前からぼろを着た幼い少年が走って来た。よく見ると、口を動かしつつ走っている。

 お七は足を止めた。何事かと思いきや、少年が通りすぎていく瞬間に声が聞こえた。


「こっちに見回りの役人が来るよ。見回り同心だよ。こっちに見回りの役人が来るよ……」


 同じ台詞を連呼しつつ、お七の横を通りすぎていく。この少年は、町の伝令の役割を仰せつかっているらしい。脛に傷持つ人間が多く住む町だ。役人に来られて、ありがたがる者はいない。

 そんな彼の声に、住人たちはさっと反応する。小屋に隠れる者、その場を足早に離れていく者、俺には関係ないという態度で突っ立っている者などなど、反応もまちまちだ。

 お七はというと、顔を伏せて進んでいくしかなかった。今さら予定は変えられない。それに、役人に追われているわけでもないのだ。問題ないだろう。

 進んでいくと、前から同心姿の男が歩いてくるのが見えてきた。年齢は三十前後で、見回り同心としてはまだ若い部類に入るだろう。中肉中背の体格で、表情には締まりがなく、軽薄そうな顔つきだ。同心というよりは、大商人の太鼓持ちが似合いそうな風貌である。

 その同心は、きょろきょろ辺りを見回しながら歩いてきた。だが、お七の顔を見るなり、怪訝な表情で立ち止まる。

 お七は、素知らぬ顔で通り過ぎようとした。何者かは知らないが、役人とかかわる気はない。

 だが、すれ違う瞬間に囁くような声が聞こえた。


「ちょいと待ってくれ。お京とかいう女に会いたい。箱車に乗って独楽みたいな武器を使う女だ」


 早口だが、確かにそう言っていた。

 お七は愕然となり、思わず立ち止まっていた。役人が、お京に何の用があるというのか。それ以前に、なぜ彼女を知っている?

 いや、ここは知らぬ存ぜぬで押し通す方がいいかもしれない。


「さて、何のことでしょうね。お京なんて女、聞いたこともありません。あたしゃ先を急ぎますので、失礼しますよ」


 引き攣った笑みを浮かべて会釈し、お七はその場を離れようとした。

 その瞬間、同心の雰囲気が変わる。


「とぼけんな。猿蔵を()ったのはお京だろう。見た奴がいるんだ」


 その一言に、お七は舌打ちした。まさか、見られていたとは。さて、どう切り抜けるか。

 動揺するお七だったが、次に同心の口から放たれたのは、全く予想外の言葉であった。


「あのな、俺はお前やお京をしょっぴくために来たんじゃねえんだよ。お前らに、仕事を頼みたいんだよ。悪かねえ話だと思うぜ」




 






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