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処刑猟嬢・血車お京  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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お江戸華町未練あり

 とうとう、この江戸ともおさらばすることになっちまった。

 まさか、こんな日が来るとはな……さすがの俺も、感慨深いものがあるよ。

 思えば、見回り同心なんて職に就いて幾年月……昨日までの俺は、何を求めて生きていたんだろうな。裏稼業をやってなかったら、賄賂だけが生き甲斐の屑に成り下がっていたかもしれねえな。

 この件がなかったら、俺はずっと見回り同心を続けていたはずだ。たとえ出世の見込みがなくたって、安定してるからな。要領よく仕事をこなし、時間になったら帰る。面倒事には一切かかわらず、徹頭徹尾手抜きでいく……俺に合っていると言えば、合っていたかもしれねえな。未練がないと言えば嘘になる。

 だがな、人は誰でも、いつかは旅に出なけりゃならねえ。どんな人間でも、この世からあの世に旅立たなきゃならねえ時が来るんだ。未練はあるが、それでも前に進まなきゃならねえんだよ。


 ・・・


 山道を、ふたりの女が歩いていく。

 言うまでもなく、お京とお花だ。お京はいつものごとく、腕を組んだ姿勢で車に乗っている。お花は、下を向き車を押していた。

 時おり、他の旅人たちとすれ違う。彼らは、ふたりを物珍しげな目で見る。

 だが、それは一瞬だ。旅人たちは、すぐに前を向き歩き出す。おそらく江戸に向かう道中なのであろう。彼らの表情には、期待と不安が入り混じっているように見えた。華のお江戸で一旗あげよう、とでも思っているのだろうか。

 一方、ふたりの表情は真逆だった。お京は、虚ろな表情をしている。天河狂獣郎を討ち果たし、お七の仇を討った……はずだった。にもかかわらず、気持ちは晴れていない。

 車を押すお花も、また同様であった。目を閉じているため、彼女が何を思っているか察するのは難しい。だが、口を真一文字に結んだ表情で何となく察せられるだろう。

 このふたりに、行く宛てなどない。明日の宿すら決まっていない身だ。ただ、江戸を出ろという左門の言葉に従い、江戸を後にしたのである。


「もし、あたしがあのまま山で暮らしていたら……おばさんは、死なずに済んだんだろうね」


 突然、お京がぼそりと呟く。すると、お花も口を開いた。


「そうですね。でも、それはあなただけのせいではありません。私にも責任はあります。あなたと私は、おばさんの命を奪ってしまった……その罪を背負い、生きていかねばならないのですね」


 聞きながら、お京は唇を噛み締めた。こらえきれず、涙が流れ落ちる。

 改めて、お七のことを思った。彼女がいなければ、どうなっていただろう。もし、あの日……お七が尾仁之村の近くを通りかからなかったら、自分は確実に死んでいたのだ。

 その後も、ずっと自分のそばにいてくれた。必死で肉体を鍛え上げるお京を、近くで見守っていてくれた。そう、命を救われただけではない。新しい生き方をくれたのだ。お七がいなかったら、生ける(しかばね)のような有様でひっそりと暮らしていただろう。

 だが、そうしていればお七は死なずに済んだ。




 身を貫かれるような悔恨の思いに苛まれつつも、車は進んでいく……だが、お花が口を開いた。


「誰かが、こっちに近づいて来ます」


 お京は、ちっと舌打ちした。


「何者かねえ……阿呆な山賊だったら、すぐにでも仕留めてやるけどさ」


 言いながら、独楽を取り出す。もし近づいている者が敵であるなら、むしろ望むところだった。敵ならば、何のためらいもなく戦うことが出来る。戦っている間なら、余計なことを考えずに済むから──

 しかし、続く言葉は予想外のものだった。


「いいえ、違いますよ。あの声と足音は……藤村さんのようです」


「藤村ぁ!? 藤村って、あの藤村左門かい!?」


 すっとんきょうな声で聞いてきたお京に、お花も笑いながら答える。


「はい。あの人に間違いありません。もうじき、あなたにも聞こえてきますよ」


 その直後、お京の耳にも声が聞こえてきた──


「おおい、ちょっと待ってくれよう!」


 遠くから聞こえてくるのは、聞き覚えのある左門の声だ。お花は、その場で足を止めた。お京は、困惑しながら振り向く。

 現れたのは、やはり藤村左門であった。きっちりと旅支度を整えた姿で、こちらに向かい走ってくる。


「あ、あんたは……」


 そう言ったきり、二の句が継げないお京。一方、左門はふたりの前で立ち止まると、その場に座り込んだ。竹筒の水を一口飲み、ようやく口を開く。


「やっと追い付いたせ。まったく、お前らは本当に足が早いな」


 そんなことを言ったが、ふたりの方は唖然となっている。何も答えられないらしい。

 左門は苦笑し、話を続ける。


「ここに来るまでによ、いろんな奴から話を聞いたんだ。車に乗った怖い顔した女と、その車を押す女の二人組を見なかったか? ってな。そしたら、みんなすぐに教えてくれたぜ。本当に、お前らは目立つなあ。探すにゃ手間入らずで助かるけどよ」


 そこで、ようやくお花が口を挟む。


「いったい、どうされたのです?」


「どうもしねえよ。これから、ちょいと旅に出ることになったんだ。そこでだ、しばらくの間お前らと同行させてもらおうと思ってな」


「旅? どういうことです?」


 なおも尋ねるお花だったが、返ってきた言葉はとんでもないものだった。


「いやな、今さっき奉行所を辞めてきたんだ。ついでに、婆あとかかあには離縁状を叩きつけてやった。俺はもう、藤村の家は捨てたんだよ」


「や、辞めたあぁ! 奉行所をかい!?」


 あまりのことに、お京の口からすっとんきょうな声が出た。

 この男、不真面目な態度ではあったが、それでも毎日の勤めをそつなくこなしていたのだ。何があろうと、奉行所勤めだけは辞めない……左門本人が、そう嘯いているのを聞いた覚えがある。

 そんな左門が、奉行所の職と藤村の家を捨てるとは……。

 一方、左門は自慢気に頷いた。


「ああ、辞めてきてやったぜ。ついでに藤村の家も捨てたから、今の俺は藤村じゃねえんだよ。中山左門(なかやま さもん)だ。よろしくな」


 そこで、お京は複雑な表情を浮かべ口を挟む。


「もしかして、あたしたちのせいで……」


「馬鹿いうな。俺はな、もともと役人なんて仕事も、藤村の家も嫌だったんだよ。辞めてせいせいしたぜ。てなわけで、今は悲しき浪人者の身だ」


 胸を張って言う左門の姿に、さすがのふたりも何も言えずにいた。

 そんなお京とお花に向かい、左門は一方的に語り続ける。


「実はな、俺もこれまでに貯め込んできた銭がそこそこあるんだよ。あっちこっちの(わる)どもの根城を見回って、たんまりもらった袖の下がな」


「威張って言うことじゃないだろうが」


 お京が呆れ顔で突っ込んだが、左門は語り続ける。


「そうやって貯めこんできた銭が、気がついたらかなりの額になってたんだよ。こうなると、さすがの俺も怖いよ。ひとりじゃ、おちおち旅も出来ねえ。そこでだ、腕の立つお前らと一緒に行けば、用心棒の代わりになってくれるんじゃねえかと思ってな」


 そう言うと、左門は顔を近づけた。お京の耳元で、そっと囁く。


「安心しろ。お前らがどんな仲なのかは、ちゃんとわかっているからよ。ふたりの恋路を邪魔する気はねえ。折を見て適度に消えてやるから、やるこたぁやってもいいぜ」


 途端に、お京の頬が赤く染まった。


「は、はあ!? ななな何いってんだい! ふ、ふざけんじゃないよ!」


 口ごもりながら、左門を睨み付ける。しかし耳まで真っ赤になっているため、全く迫力がない。後ろにいるお花も、顔を伏せ下を向いている。耳のいい彼女にも、何を言ったかちゃんと聞こえていたのだ。

 一方、左門は楽しそうにへらへら笑っている。


「まあ、いいじゃねえかよ。旅は道連れ世は情け、ってな。そんなわけだからよう、一緒に行こうぜ」


 笑いながら歩いていく左門の後に、呆れた顔のふたりが続く。奇妙な三人組は、陽気に語らいながら歩いて行った。

 








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