死闘
お京とお花は、車ごと蔵の中へと入っていった。途端に絶句する──
そこは、異様な空間だった。
目の前には、板の間が広がっている。縦と横はほぼ同じ長さで、端から端までは十間(約十八メートル)ほどはあるだろうか。天井には、十本を超える数の五寸釘が等間隔で刺さっている。しかも、尖った部分が二寸(約六センチ)ほど突き出ているのだ。まるで拷問部屋のようである。
広い空間には何もなく、武術か舞踊の稽古場のように見える。窓はないため、外の景色は全く見えない状態だ。完全に、外から遮断された空間である。
それだけでも、充分すぎるくらい異常ではあったが……その異常さを、より一層際立たせるものがあった。壁際に、一丈(約三メートル)近い身の丈の奇怪な像がならんでいるのだ。頭が鳥で体が人の像、角と牙が特徴的な女の像、人の顔と獣の体の像などなど……。
それも、十や二十ではない。数十はあると思われる像が、壁際に立っているのだ。しかも、ひとつとして同じ形のものはない。全てばらばらである。魔像の目は、前を通る者を睨み付けるような造りになっている。
さらに、その魔像のひとつひとつに蝋燭が設置されていた。頭の上に、蝋燭が置かれた形である。その全てに、火が灯っていた。
大量の蝋燭に照らされた板の間の中央には、ひとりの男が大の字になって寝ていた。だが、お京らが入ってくると同時にぴょんと飛びあかる。すたっと着地すると、お京らに向かいにやりと笑いかけた。
見れば見るほど、奇妙な男だった。顔をおしろいで白く塗りたくっているが、目の周りと口元は紫色である。絵物語に登場する幽鬼のごとき化粧だ。髷は結っておらず、肩まで伸ばした髪を後ろに撫で付け紐で結いている。
先に口を開いたのは、天河だった。
「よく来たなぁ。お前が噂のお京ちゃんかいぃ。で、そっちがお花ちゃん……いやあ、どっちも別嬪さんだ。本当に超いとをかしだねぇ」
「あんたが、天河狂獣郎かい。ふざけた面構えだね。今、殺してやるから覚悟しな」
お京が言い返したが、天河は意に介していない。壁際に立っている像を、手で指し示す。
「まあ、ちょっと見てよぅ。ここにある像は、四十八体の魔神を型どったものなんだよねぇ。かつて、この四十八体の魔神に自分の息子の体を捧げ、代わりに力を得た大名がいたらしいんだよぅ」
「随分と趣味の悪い部屋だと思ったけど、そういうことかい」
「そう言わないでさぁ、もっとよく見てよぅ」
「あいにくですが、私には見えません」
今度は、お花が言葉を返した。すると、天河は何を思ったか上体を反らせる。
「おおおぅ! これは失礼! そうか、あんたにゃこの像見えないのないのかぁ。それは切ないねぇ」
その人を食ったような言葉を聞き、苛立ったお京は独楽を投げる。
独楽は、天河の顔めがけ真っ直ぐ飛んだ。しかし天河は、さっと床に伏せて躱す。
再びお京の手に戻った独楽を握りしめ、口を開く。
「んなことは、どうでもいいんだよ。あんたに、ひとつ聞きたいことがある」
「なになにぃ? ここまで来れた御褒美に、なんでんかんでん教えちゃうのようぅ」
言いながら、再び飛び上がる天河。戦いの緊迫感がまるでない。
そんな彼に向かい、お京は尋ねる。
「あんたの狙いは、あたしらだろ。おばさんも捨丸も関係なかったはずだろうが?」
「んんん、何のことかなあぁ、ふふふぅ……」
「とぼけんじゃないよ! なぜ、ふたりを殺したんだ?」
「わっかんないかなぁ……」
言いながら、首を左右に捻る。ややあって、再び語りだした。
「あのねぇ、下天のうちは全て舞台なのよぅ。上天に鎮座ましましてる偉い神さんがぁ、舞台で繰り広げられる芝居を見てるわけよぅ。言ってることぉ、わっかるかなあぁ……わっかんねえかなあぁ」
「全然わかんねえんだよ! さっさと言え!」
「つまりさぁ、この世は舞台、君らは役者なわけよぅ。ここでさぁ、桃助ちゃん殺して復讐完了じゃぁ、台本としちゃお粗末すぎぃ。あまりにもつまんないっしょ。桃助ちゃんの友だちである俺とも戦ってくんなきゃぁ」
「台本、だと……」
お京は愕然となっていた。この男、見た目のみならず中身まで狂っているらしい。
一方、天河は気にせず語り続ける。
「そうなのよぅ。この世は舞台、君らは役者、そして俺は台本を書くのよん。今回は、実に上手く書き上がったねぇ」
「ふざけるな! おばさんは役者じゃないんだよ!」
「いやいやいやぁ、違うのよん。俺はね、上天の神さんに台本書きとして任命されたのよねぇ。やっぱりさあ、世の中ってのは面白くなきゃ駄目っしょ。でなきゃ、神さんたちも退屈するからねぇ」
「この屑野郎!」
怒鳴ると同時に、お京は右手を振る。杉板をもぶち抜く独楽が、天河の顔面めがけ放たれた──
だが、驚くべきことが起きる。天河は、またしても床に伏せて躱した。
次の瞬間、四つん這いになったかと思うと、いきなり魔神像をよじ登ったのだ。
そこから、天井の五寸釘を指二本で掴む。その体勢のまま、ぶら下がっているのだ。
直後、ひらりと床に降り立ち笑った。
「ふふふぅ、まだまだ甘いねぇ。もうちょい面白いかと思ったんだけどなぁ」
「だったら、もっと面白くしてやるよ!」
吠えると同時に、お京の独楽が放たれた。さらに、お花も動く。杖を振りかざし、打ちかかる──
しかし、天河の反応は人間離れしていた。独楽を素手で弾き、すかさず床に伏せる。頭上を、お花の杖が通過していく。
次の瞬間、天河は飛んだ。猫のごとき速さで、ぱっと魔神像へと飛びつく。さらに、天井の五寸釘を掴みへばりついた。やもりのように、天井にぴたっとくっついているのだ。
予想もしなかった動きに、お京は標的を見失う。だが、お花が叫んだ。
「お京さん、上!」
その一言で充分だった。咄嗟に、腕の力で体を持ち上げ車から飛び出す。床を転がり、すぐさま間合いを離した。
一瞬遅れて、箱車のそばに天河が降ってくる。静かに着地し、にやりと笑った。
「次は、こっちの番だよぅ!」
陽気な叫び声の直後、天河は動いた。滑るように移動したかと思うと、真っ直ぐ伸びる前蹴りが放たれる。
その標的はお花だ。彼女は、咄嗟に杖で受け止める。だが、それでも後方に吹っ飛ばされる。
倒れながらも、すぐに起き上がろうとしたお花だった。しかし、その顔面を横殴りの掌底が襲う。
一撃で、彼女は倒れた。
「お花!」
お京は叫んだが、聞こえていないのかぴくりとも動かない。
「安心してくださいよぅ、生きてますからぁ」
ふざけた口調で言った天河は、両手を鳥の羽根のようにひらひらさせる。
「この娘は、なかなか可愛い顔してるからねぇ。傷つけたくないのよぅ。後で、男たちへの景品にするけどねぇ」
「させるか! 下衆野郎!」
お京が独楽を投げるが、天河は微動だにしない。軽く手を振った……ようにしか見えない。だが、その脱力した動きで、放たれた独楽を払いのけたのだ。
瓦数枚くらいなら、簡単に叩き割る威力の独楽である。普通の人間が素手で払おうものなら、確実に怪我をするだろう。手の骨が砕けてもおかしくない。
ところが、天河は簡単に素手で払いのけたのだ。直後、にやりと笑った。
「俺さぁ、親父が武術の師範なんよぅ。ちっちゃい頃からぁ、くそみたいな修行やらされたんよねぇ。兄弟がばたばた死んでってぇ、生き残ったの俺だけぇ。だからさぁ、こんな芸当も出来ちゃうわけよぅ」
言ったかと思うと、片足を高く上げる。その足で、自分の頭をぽりぽりと掻いた。
「親父は言ってたよぅ。お前は我が流派始まって以来の天才だぁ。最高にして最強の武術家だぁ、ってねぇ。でもさぉ、俺は武術家になんかなりたくねえからぁ、一族もろとも皆殺しにしちゃったぁ。そして今は、役者であり台本書きってわけぇ」
直後、ほほほと高笑いし跳躍する。空中で一回転し、音もなく着地した。
「お前は……お前は狂ってる!」
お京が叫んだ時だった。突然、戸が開く。
「よう、苦戦してるみてえだな。助けに来たぜ」
その声を聞き、お京は振り向いた。
そこには左門がいた。血まみれの刀を片手に、ゆっくりと進んでくる。顔にも血が付いているが、返り血のようだ。本人の怪我は軽いものらしい。
「遅いよ!」
お京は、思わず叫んでいた。一方、天河はくすりと笑う。
「ほほうぅ、君が噂の藤村左門かいぃ。案山子同心と聞いていたが、なかなかどうして大したものだなぁ」
「お初にお目にかかる。藤村左門だ。あんた、噂に違わぬ傾奇者ぶりだな」
「いやいやぁ、君こそ本物の傾奇者だよぅ。その剣の腕といいぃ、普段のふるまいといいぃ、実に素晴らしいぃ」
そこで、天河は言葉を止めた。三人の顔を見回す。
「ここでぇ、君らに改めて提案があるんだよぅ。どうだいぃ、俺の仲間になってくれないかなぁ? 君らとなら、面白い台本が書けそうなんだよねぇ」
「ふざけるな……お前だけは、絶対に殺す!」
吠えた直後、お京が独楽を投げる。天河はその場に留まったまま、手の動きだけで払い落とした。無造作に、手をひらりと動かしただけだ。
同時に、左門が斬りかかる。天河は、ひょいと躱した。紙一重のところで、刃を避けていく。完全に、刀の間合いと軌道を見切っているのだ。
直後、一瞬で接近した天河。その掌底が、左門の胸を打つ──
左門は後方に飛ばされ、呻き声をあげる。得体のしれない感覚の打撃が、彼を襲ったのだ。目に見えない手が体内に入り、内臓を掴まれたかのような感触である。
一方、天河はにやりと笑った。
「当たりが浅かったかいぃ。でも、次はきっちり当てるよぅ。そしたら、五臓六腑ぐちゃぐちゃよぉ」
言った時だった。突然、銃声が響き渡る──
箱車に備えてあった竹鉄砲が火を吹いたのだ。お七の最後の仕事である。旅立つ前に、竹鉄砲を作り車に装着してくれたのだ。
その弾丸がまともに当たれば、さすがの天河も倒れていただろう。しかし、銃弾は彼の体を掠めただけだった。
「あっぶねえなぁ。でも、当たらなきゃどうってことないのよぅ」
言いながら、天河はゆっくりとお京の方を向く。そう、撃ったのは彼女だ。しかし、弾丸は当たっていない。しかも、鉄砲は砕けてしまった。もう、撃つことは出来ない……。
その時、お花が動き出す──
発砲は、天河に傷を負わせることは出来なかった。が、別の効果をもたらしていたのだ。彼女は、銃声により意識を取り戻した。よろよろと立ち上がり、杖を構える。
「ほほほーうぅ、三人がかりかぁ。それでも勝てないようぅ。君らの腕は見切ってんだぁ!」
天河が、勝ち誇った表情で叫んだ時だった。いきなり左門が動く。
何を思ったか、高く飛び上がった。魔神像の上に設置されている蝋燭を、刀を振るい叩き落としたのだ。火のついた蝋燭は、板の間に転がる。
転がった蝋燭を、左門は素足で踏み消した──
「ちょっとぉ、ついにおかしくなっちゃったぁ? 何をしてんのようぅ」
呆れた様子の天河。お京も唖然となっていたが、左門は無視して動き続ける。飛び上がると、刀を振るい蝋燭を叩き落とし、足で踏み消した。熱さで顔をしかめながらも、同じ行動を続ける。蝋燭は次々と消えていき、明るかった室内は徐々に暗くなっていく。
そこで、お京ははっとなった。左門の意図に気づいたのだ。
だが同時に、天河もまた左門の意図に気づいた──
「なぁるほどぉ、そういうことかいぃ。でもねぇ、やらせねえよぅ!」
直接、天河は襲いかかる。左門めがけ、強烈な回し蹴りを放った──
左門は、後ろに飛び退き躱す。直後、刀を正眼に構えた。
睨み合う両者。その隙に、今度はお京が動く。ぱっと箱車に乗り込んだ直後、独楽を放った。
蝋燭が、またひとつ叩き落とされる。
「お花! 右!」
その指示に、お花も即座に反応した。車を、ぱっと右に寄せる。
直後、ぶんと独楽を振り回した。数本の蝋燭が、立て続けに落とされる。
ほぼ同時に、お花が車で轢いていく。室内は、闇に覆われようとしていた──
「ざっけんなようぅ!」
叫んだかと思うと、天河はまたしても飛び上がった。魔神像を蹴り、天井にへばりつく。
そこから、出口に向かい飛び降りた。引き戸を開け、外から明かりを
が、戸が開かない。どさくさに紛れ外に出た左門が、出られないように細工したのだ──
「くそがあぁ!」
吠えた時、室内は闇に閉ざされた──
暗闇の中、ちっという舌打ちの音が響く。と、その音に反応したのがお花だ。
「お京さん! 右手の方角!」
同時に、お京が独楽を投げる──
これ以上ない手応えを感じる。同時に、呻き声が聞こえた。
「左に逃げました!」
声と同時に、独楽を投げるお京。ふたりの連携は、闇の中にあっても変わらない。いや、闇だからこそ一層冴えわたっている。お花が天河の位置を的確に捉え、お京が独楽を放つ。百発百中とはいかないが、闇の中では天河も躱しようがない。確実に、天河の体を傷つけていく。闇の中、肉を打つ音が断続的に響き渡る。
何度目かの独楽が放たれた時だった。骨が砕けるような音、そして完璧な手応えを感じた。
さらに、どさりという音。天河が倒れたのだ。
同時に、お京は短刀を抜いた。
「地獄で、おばさんと捨丸に詫びろ!」
吠えた直後、短刀を突き立てる──
荒い息を吐くお京のそばで、お花がしゃがみ込む。ふたりは、そっと抱き合った。
その時、戸がきしむような音がした。次いで、室内が明るくなる。外にいた左門が、戸を開け入ってきたのだ。
お京は、己の目で室内を見回す。床の上では、千石狂獣郎が倒れていた。仰向けになり、喉からは血が流れている。先ほどまでは端正な顔立ちであったが、自慢の顔は独楽により砕かれてしまった。もはや、原型を留めていない。鼻は曲がり歯は砕け、無惨な姿になっていた。
そんな天河を、左門は口元を歪めて見下ろした。
「やっと片付いたか。全く、とんでもねえ奴だったな」
「まあね。それにしてもさあ、よくこんな手を思いついたね」
お京の言葉からは、純粋な敬意が感じられた。実際、左門の機転がなければ仕留められなかっただろう。
本当に、天河は強かった。
「明かりを消せば、あいつの視界も閉ざされる。仕留めるには、この手しか思いつかなかったよ。あとは、お前らの腕に賭けたんだが……俺たちの勝ちだったな」
苦笑しつつ、そんなことを言った左門だったが、次の瞬間に表情が一変する。
「疲れてるとこ悪いがな、お前ら、今すぐ江戸を出ろ」
「えっ?」
怪訝な顔をするお京だったが、左門の話に顔色が変わった。
「この天河と長七郎は、裏の世界の大物だ。ふたりを殺した以上、江戸の裏稼業の連中は黙っちゃいねえ。お前らを殺すため、江戸中の仕事師が集まってくるぞ。それにだ、奉行所の連中も明日になれば動き出す。江戸にいたら、しょっぴかれて死罪を言い渡されるか裏の連中に殺られるか。いずれにしろ命はねえぞ」
そう、山田との約束の刻限は明日までだ。明日になれば、このふたりはお尋ね者である、
左門もまた、今はただの浪人者だ。彼女らが囚われても、何も出来ない。
「だから、早く江戸を出るんだ。出来れば、今夜のうちにな」




