死がもたらしたもの
どんな人間にも、表の顔と裏の顔がある。俺なんざ、昼間は同心、夜は裏稼業だからな。人の生き死には、嫌っていうほど見てきた。今じゃあ、死体の見分をしながら握り飯が食えるくらいだ。
ところが、やっぱり知っている人間の死は別なんだよな。あの雉間が死んだ時、俺がどう思ったか……そいつは、一言では説明できないな。悲しくないといえば嘘になる。だがな、雉間は死んで当然の悪党でもあった。奴を殺したがっている人間は、両手両足の指を足した数より多いだろう。こういう時、人はどういう顔をするべきなのかね。
・・・
お京は、目を開けた。
いつの間にか、日は高く昇っている。外からは、微かに話し声や生活音などが聞こえていた。
体を起こすと、傍らにいるお花が微笑んだ。
「起きましたか」
「えっ、うん」
言いながら、周囲を見回した。その時、お七の姿がないことに気づく。
「おばさんは?」
「買い物に行ったみたいです」
「そう……」
お京は、ぼんやりした表情で床を見つめる。頭に浮かぶのは、昨日の戦いと雉間正厳の死に様だ。
あの男は、死ぬことを恐れていないようだった。むしろ、死を待ち望んていたかのようにも思えた。
では、自分のしたことは何だったのだろう。死を恐れぬ人間を殺すのは、果たして復讐になるのだろうか。
「あいつは、何がしたかったんだろうね」
気がつくと、口からそんな言葉が出ていた。
「えっ?」
聞き返すお花に、お京は答える。
「あの雉間さ。あいつは、わざわざ全員の名前を書いた紙を置いていった」
そうなのだ。
あの男は、四人の名前を書き記した紙を置いていった。あれがなかったら、仇には辿り着けなかったはずだ。
本音を言うなら、雉間に対しては複雑なものを感じていた。憎むべき仇であり、殺すべき敵である事実に変わりはない。だが、単純な悪人として割り切ることも出来なかった。
奴を手に掛けた今でも、その気持ちは変わらない。
「でも、あなたを助けなかったのですよね? 助けを求めるあなたを無視して、そのまま立ち去って行ったのですよね?」
お花の口調は冷たいが、その奥には憎しみがある。彼女にしてみれば、雉間は瀕死の重傷を負ったお京を見捨てて立ち去った男だ。しょせんは、仇の内のひとりに過ぎないのだろう。
「まあ、そうだけどさ……」
お京は、言葉を濁した。お花の言ったことは、間違いではない。ただ、簡単に割り切れないものがあるのも確かだ。
すると、お花はしやがみこんだ。お京に、そっと手を触れる。
「だったら、いいではありませんか。あなたは、あなたの為すべきことをした。それだけです」
言った時、お七が帰ってきた。背中には、大きなかごを背負っている。かごの中には、野菜や魚などが入っている。
「起きたのかい。さあ、ご飯にしようか」
そう言うと、お七は食費の支度を始めた。お湯を沸かし、野菜を切り、魚を捌いていく。
やがて、食事が出来上がった。三人は、ものも言わず食べ始める。
遅い朝食を終え、一息ついた時だった。
「ねえ、この仇討ちが終わったら……あんたらは、どうする気なんだい?」
不意に、お七が聞いてきた。お京は、戸惑いながら聞き返す。
「どうするって?」
「あと、残っているのは桃助とかいう奴だけだろ。そいつを殺せば、仇討ちはひとまず終わりだ。その後、何をする気なんだい?」
「何をするって言われても……」
お京は、答えに窮し口ごもる。復讐が終わった後、何をするか……そんなことは、全く考えていなかった。
そんな彼女に、お七は穏やかな表情で語りかける。
「人間、何かをして生きていかなきゃならない。あんたは、どうやって食っていくつもりだい?」
「そんなの、考えたこともなかったよ」
正直なところを答えると、お七は苦笑する。
「だろうね。でも、いつか復讐は終わる。その先は? あんたの人生は、そこからが長いんだよ」
「どうだろうね。その先はないかもしれない。桃助に、返り討ちに遭うかも知れないよ」
お京は、険しい表情で言い返す。
残るは、桃助ただひとり……それは間違いない。しかし、その桃助がどんな男なのか、全くわからないのだ。
猿蔵、犬飼三兄弟、雉間正厳……皆、楽な相手ではなかった。お京が返り討ちに遭っていたかもしれない。特に雉間との戦いは、純粋に運がこちらに向いていたから勝てたのだ。
ひょっとしたら、今度は運が向こうにあるかもしれない。桃助との戦いで敗れ、命を落としてもおかしくないのだ──
その時、お七の表情が変わった。
「そんな……縁起でもないことを言わないでおくれよ」
「あたしは、事実を言ったまでさ。それに、桃助の前にも一仕事あるんだよ。まずは、そいつを終わらせてからさ」
鋭い口調で言い放つお京を、お七は悲しげな目で見つめた。
・・・・
その日の夜、藤村家は揃って夕餉を囲んでいた。婿養子である左門は、肩を狭め体を小さくして箸を動かしている。
「婿殿、昨日はずいぶんとお疲れのようでしたね。帰りも遅かったですし」
義母の文が、嫌味ったらしく言ってきた。
確かに、昨日の左門は帰りが遅かった。お京とお花が去った後、たったひとりで深い穴を掘り、雉間の亡骸を埋めたのだ。さらに簡単な盛り土をしていき、そこに線香を一本添える。
疲れる作業を終えると、あばら家の縁側に腰掛けた。急ごしらえの墓を見ながら、過去に思いを馳せる。
雉間との稽古の日々が、つい先日のことのように思い出された。あの頃は、余計なことに頭を悩ませることはなかった。ただ、雉間という高すぎる山に挑み続ける……それだけだった。他の弟子たちからは、奇異な目で見られていたのは間違いない。
だが、楽しき日々でもあった。あの頃は、毎日が充実していた。
今とは違う──
もっとも、そんなことを正直に言うわけにはいかなかった。昨夜は遅くに帰り、ほとんど口もきかずに寝た。帰りが遅かったことについても咎められたが、相手にしなかった。そんな気分になれなかったのだ。
左門は、考えを巡らせる。
「はい。昨日は、ちょっとした捕物がありましてね。西へ東へと駆けずり回り、本当に疲れましたよ」
そんなことを言ったところ、その嘘に反応した者がいた。妻の美津である。
「まあ、捕物でしたか。それは凄い」
「そう、捕物だよ。あれは、実に大変だった。伝説の掏摸師・勝杉の銀蔵を町中で見つけたのだ。私は、必死で追いかけたよ」
真顔で、そんなことを言う左門。もちろん、勝杉の銀蔵なるものは存在しない。今、とっさに考えついた出鱈目である。
「では、手柄を立てたのですか?」
勢い込んで聞いてくる美津に、左門は渋い表情でかぶりを振る。
「いや、惜しいところで逃げられた」
「なんですと! あれだけの時間をかけて、結局は逃げられてしまったのですか!?」
怒鳴ったのは文だ。面目なさそうな表情で、左門は言葉を返す。
「そうです。大変に逃げ足の速い奴でして、もう少しのところで取り逃がしました」
「まったく、何をやっているのですか……」
口を尖らせる美津。
「仕方ないだろう。なにせ、銀蔵は逃げ足が速い。しかも神出鬼没だ。西かと思えば東、北かと思えば南に移動している。しまいには、山の中に身を隠した。私は、山の中にまで分け入ったが、結局は見つからなかった」
身振り手振りを交えつつ説明する左門に、今度は文が口撃する。
「いかに汗をかいて走り回ろうと、手柄にならなければ何もなりませぬ。無駄な労力を費やし、骨折り損のくたびれ儲けとは……なんと情けない」
そんな義母の言葉を聞き流し、左門は箸を動かす。いちいち反応していては、身も心も持たない。心を閉ざし、ふたりの口から出る言葉全てを虫の羽音であると思う……そうでなくては、この家ではやっていけないのだ。




