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旅の始まり

 昔、受けた恨みを返せぬ者は、受けた恩を返すことも出来ない……って言った奴がいたな。この言葉は真実だよ。受けた恩義に対する感謝の念も、受けた恨みに対する復讐の念も、時が経てば忘れちまうもんだ。悲しいかな、これが凡人なんだよ。そう、凡人は全てを忘れ日々の生活に流されちまう。

 何が言いたいかというと、復讐を成し遂げるにも才能がいるってことだ。お京みたいなのは、例外中の例外だよ。

 だからこそ、復讐譚ってのは物語の題材になるのかもしれないな。俺みたいな適当男には、絶対に無理な話だ。

 

 ・・・


 昼の山道を、手押し車が進んでいく。

 それは四角い箱のような形をしており、車輪が四つ付いている。車輪が回る度、かたかたという音が鳴っていた。

 箱の中には、人が乗っている。四角い板で囲まれた中に下半身がすっぽり入っており、見えているのは上半身だけだ。

 その人物の歳は、十代の後半もしくは二十代の前半だろう。言うまでもなく、母親の押す乳母車に乗るような年齢ではない。

 肌の色は浅黒く、よく日焼けしていた。髪は恐ろしく短い。坊主ほどではないにしろ、ばっさり切られた散切(ざんぎ)り頭である。

 着ているものは、そでの部分を大きく切り落とした黒い胴着だ。剥き出しになっている肩周りは筋肉に覆われており、逞しく盛り上がっているのが見て取れる。さらに(こぶ)のような筋肉がうねる二の腕も剥きだしである。手のひらも厳つく、拳から手首にかけて布きれが幾重にも巻かれていた。

 そんな鍛え抜かれた両腕を組み、真っすぐ前を向いた姿勢で車に乗っている人物は……遠目からでは、男にしか見えないだろう。だが、その顔をよくよく見れば女性である。整った綺麗な顔の持ち主ではあるが、目つきは鋭い。険しい表情を浮かべ、口を真一文字に結んでいる。

 そんな女の乗った車を押しているのは、これまた若い女である。歳は若く中肉中背で、黒い着物を着ている。髪は結っておらず、車に乗っている女と同じ散切り頭だ。苦もなく車を押しているが、その両瞼(まぶた)は閉ざされている。当然、視界もまた閉ざされているはずなのだが、女は何の迷いもなく車を押し進んでいく。

 不意に、車の女が声を発した。


「お(はな)、左」


 それだけで、お花と呼ばれた女は理解したらしい。車の進行方向を、僅かに左にずらす。地面の盛り上がりを避けて進んで行った。

 しばらく順調だったが、突然お花の足が止まる。上体を倒し、車の女の耳元に顔を近づけた。


「お(きょう)さん、前に誰か隠れています」


 そっと囁いた。あと五間(約九メートル)も進むと、高い草が生い茂る草原へと入っていく。そこに隠れているらしい。

 すると、お京の表情が変わる。

 

「何人いる?」


「息遣いの音からして、三人ですね。たぶん、全員が男です。刃物か何か持っているような音もしています」


 お花は、すらすらと答えた。

 この女は盲目である。その代わり、常人離れした感覚の持ち主だ。聴覚、嗅覚、触覚ともに優れており、ちょっとした異変をすぐさま感知できる。

 彼女の言うことが正しければ、前方にいるのは善人ではない。おそらくは山賊の類いだろう。

 にもかかわらず、お京は苦笑した。


「たった三人かい。上等じゃないか、返り討ちにしてやるよ。このまま進んで」


「わかりました」


 お花は頷くと、そのまま車を押して行った。

 二間ほど進んだ時だった。突然、草むらから男たちが踊り出る。ひとりは髭面の大柄な男で、(まさかり)を片手に握っていた。年は三十歳前後だろう。こちらを見る目には、残忍な光がある。

 残りのふたりは、髭面より若い。どちらも、抜き身の短刀をちらつかせている。


「お嬢ちゃんたち、ここらは俺たちの縄張りだ。通りたかったら、通行税を払ってもらう。でないと、痛い目に遭うぞ」


 髭面の男が言った。直後、若いふたりがにやりと笑った。

 お花は立ち止まり、冷めた表情で下を向いた。お京はといえば、面倒くさそうに口を開く。


「悪いけどさ、あんたらに通行税払うほど金持ちじゃないんだよね。さっさと消えてくんないかな。こっちは、今から江戸まで行かなきゃならないんだよね」


 吐き捨てるような口調だった。顔には、侮蔑の表情が浮かんでいる。

 髭面が首を捻り、お京を睨む。


「俺たちをなめてんのか? 死にたいのかよ」


 直後、若者の片方が短刀を振り上げ、一歩進み出た。


「その面、切り裂いて化け物みたいにしてやろうか?」


 凄んできたが、お京は表情ひとつ変えず溜息を吐く。いい加減にしろ、とでも言いたげな表情を浮かべた。

 直後、右手を軽く振った。少なくとも、男たちにはそうとしか見えなかった。

 次の瞬間、黒い何かが飛ぶ。次いで、短刀を握る手に強烈な一撃。若者はうっと呻き、短刀が落ちた。

 お京の顔つきは、先ほどと変わっていない。だが、右手には奇妙な物が握られていた。丸く平たい形の金属片で、彼女の手のひらにすっぽり収まるほどの大きさだ。独楽に似ている。

 お京が、手を軽く振る。すると、金属片は下に落ちた……かと思いきや、独楽(こま)と同じようにくるくる回転し手のひらに戻る。細い紐が、独楽に付いているのだ。

 彼女が手を振るたび、独楽は生き物のように宙を舞う。直後、寸分の狂いもなく手のひらへと戻る。これまで見たこともない武器と技を目の当たりにし、髭面たちは後ずさった。

 一方、お京は冷めた口調で尋ねる。


「どうすんの? 続きやんの? やんないの?」


 その問いは、髭面の自尊心に火を付けたらしい。憤怒の形相になった。


「上等じゃねえか! お前ら、後悔させてやるぜ!」


 吠えると同時に、真正面から突進する。だが、動きだす寸前で独楽か放たれた。びしっと鋭い音が響く。

 すると、髭面の動きが止まる。一瞬遅れて、顔を覆った。激痛に耐え切れず、その場にうずくまる。彼の前歯は砕け、鼻も折れて血が吹き出ていた──


 普通の独楽は、回転と同時に巻き付けた紐が外れる。だが、お京の操る独楽は紐としっかり繋がっている。その上、重量もかなりのものだ。

 彼女は、この独楽を高速で投げることが可能だ。その衝撃力は、酒瓶や杉板など簡単に砕いてしまえるほどの威力がある。しかも、放たれた直後はすぐに自身の手に戻る仕掛けなのだ。

 そんな独楽の一撃を、顔にまともに受けてしまった。髭面は顔を押さえ、呻いている。


「どうすんのさ? あんたらが死にたいってんなら、とことんまで付き合うけど?」


 お京の方は、何事もなかったかのような顔つきである。直後、またしても手を振る──

 びしっという音と同時に、男たちの足元の土がえぐれた。独楽が放たれたのだ。三間(約五・四メートル)近い距離を一瞬で飛び、彼らの足元の土をえぐり、彼女の手に戻っている。まるで鉄砲のようだ。

 残った若者は、どうすればいいかわからず完全にうろたえていた。完全に想定外だ。何せ、強いはずの親玉が一瞬で倒されてしまったのである。今まで親玉の言う通りに動いて来た彼は、どうすればいいかわからない。

 だが、髭面が顔を押さえながらも、声を発した。


「お、お前ら何やってる……さっさと殺せ!」


 その言葉で、ひとり無傷だった若者は戦意を取り戻した。得物を振り上げ、喚きながら突進してきた。

 お京は無言のまま、独楽を放つ──

 一瞬の動きであった。軽く腕を振ったようにしか見えない。にもかかわらず、彼は倒れていた。頭を押さえ呻いている。独楽の一撃が、眉間を掠めたのだ。

 直後、額から血が流れ出した。額は肉が付いていないため、ちょっとした傷で血が出やすいのだ。


「これ以上来るなら、本当に殺すよ」


 冷たい表情で言い放つお京だが、男たちは呻くばかりだ。独楽の一撃は、肉体のみならず心にまで深く傷を負わせてしまったらしい。

 お京は、ふんと鼻を鳴らした。

 

「お花、行こう」


 声をかけると、お花は頷き車を押す。

 かたかたという音を立て、車は進んでいった。男たちの脇をすり抜けていく。

 だが、車が通り過ぎていった時、髭面が起き上がった。凄まじい形相で、鉞を振り上げ追いかけて来る。

 それに反応したのは、お花であった。車の脇に付いた杖を、一瞬で引き抜く。細いが、硬い材質の頑丈なものである。

 お花は、目を閉じたまま間合いを詰め、杖を振るう──

 最初の一撃は、鉞を握る手を打った。手首を強烈に打ちすえ、鉞が落ちる。

 お花は間髪入れず、杖を振る。次の攻撃が、髭面の胴を突いた。

 最後の打撃は、眉間に叩きつけられた──

 髭面の動きは止まった。一瞬遅れて、ばたりと倒れる。まばたきするほどの間に、三回打たれたのだ。ここまで見事に杖術を使いこなす武術家は、そうそういないだろう。

 それを見た若者二人は、ぱっと起き上がる。よろよろした足取りで逃げていった。


「困ったもんだね。相手の強さと自分の弱さがわからないってのは」


 言った後、鼻で笑ったのはお京だ。倒れた髭面を見ようともしていない。

 お花は、杖をしまうと再び車を押して進み出した。

 その時、微かな声が聞こえてきた。


「ちょっと! 待ちなよ!」


 同時に、車が止まる。お京の顔が歪んだ。誰の声かはわかっている。


「どういうこと? あんたには、おばさんの足音が聞こえてはずだよ。なんで言わなかった?」


 問い詰めるような言葉に、お花はすました様子で答える。


「あなたには、おばさんが必要です。私にも必要です」


 すると、お京の表情が険しくなった。


「冗談じゃないよ! もし、おばさんに何かあったら──」


「ほっといたら、あの人は江戸まで単独で追いかけて来るでしょう。道中で、今の山賊みたいな連中に襲われたらどうするんです?」


 お花の問いに、お京は顔をしかめてそっぽを向いた。確かに、あの人はひとりでも追いかけてくるだろう。

 やがて、駆けて来る者の姿が見えてきた。合羽のようなものを着て、背中に小さな袋を背負った女だ。年齢は三十代後半から四十代前半、恰幅のいい体格で顔は丸い。いかにも気が強く豪快そうな顔立ちだが、学識を積んだ者に特有の冷静さも感じられる。彼女が、おばさんことお(しち)だ。

 お七は、横で倒れている髭面たちを無視して車の方へ近づいてきた。だが、さすがに体力が限界を迎えたらしい。はあはあ息を切らせ、立ち止まり小休止する。

 どうにか息を整えると、お京の方を向いた。大きく息を吸う。

 直後、鬼のような恐ろしい形相になった。


「なんで、あたしを置いていくんだい!」


 お京に怒鳴り付ける。今にも殴りかかって行きそうな雰囲気だ。


「だって、これから人殺しすんだよ。おばさんに迷惑かけられないから……」


 対照的に、お京は明らかに怯んでいる。先ほど、一瞬で破落度(ごろつき)たちを叩きのめした戦いぶりとは真逆の態度だ。


「何が迷惑だい! この!」


 お七は、またしても怒鳴る。さらに拳固の一撃まで加わった。お京の頭に、ぽかりと当たる。


「いたっ!」


 思わず頭に手をやるお京に向かい、女は恐ろしい剣幕で話を続ける。


「いいかい、あたしはついていくからね! 迷惑なんて言いやがったら、ぶん殴るよ!」


「わ、わかったよ」


 さすがのお京も、この女には逆らえないらしい。一方、お七は真剣な表情でふたりの顔を見る。


「さあ、行くよ。やると決めたんなら、さっさと終わらせるんだ」



 

 






 

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