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森の奥には〇〇が暮らしている  作者: 高崎まさき
2.君との生活
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2-6 アイネの実と森の秘密

2-6 アイネの実と森の秘密


 薄桃色の小さな花の前でエレノアは右手でランタンを持ち、左手で底面についたスイッチを入れる。炎を模した光が四角い硝子の中で灯ったのを見てそっと花に近づけていった。

「フクメ草はこうして直接光を当てることで魔力の通りが良くなる。個別に対応しないと腹痛に効く薬としての効能が薄まってしまうの」

 膝立ちになるエレノアの隣で僕も中腰姿勢になりランタンを掲げる。始めはエレノアにかなり注意されたものの、今では適切な距離で光を当てることができていた。あと二週間くらいしかしない作業だけど、少しだけ鼻が高い。

「昔はこれが本当の炎だったから大変よね」

「それ朝に僕も思った」

 エレノアが僕の方に首を捻った。

「水やり。さっきも上の装置から水が降り注いだろ」

 そのせいか温室の中は今湿度が高く、僕の髪は額に張りついていた。

「ああ、放水機」

「文明の進化ってありがたいなぁって。特にここで生活していると」

「何よ。ここが不便で辺鄙な場所だってぇ?」

 エレノアが低めの声を張り上げ僕は肩を竦めた。オルナ町の風景が蘇る。都市に負けない程の栄えっぷりに対して、切り取られたようにこの森の中は別世界だった。

「たしかにここは配達も頼めないし手紙も取りに行くしかない……幸い魔物はいないけどね。電気だって、テレビと電話の通信も本当だったら届かないのを無理やり魔法で増幅してるし。勿論町長に許可証は提出……」

「え。ちょっと待ってよ」

 聞き捨てならない発言が鼓膜を揺さぶり、腰を上げるとエレノアの方へ身体ごと向く。その衝撃でランタンがぐわんと揺れる。エレノアが慌てて持ち手ではなく硝子を掴み僕をねめつけた。大切な商品が台無しになる寸前で、僕はハッとして眉を下げ……ようとしてとんでもない物を見る目でエレノアに視線を落とした。だって、嘘だろう。

「ちょっと。気をつけて」

「この森、魔物が出ないって本当なの!?」

 決して小さくはない温室のビニールを揺さぶるような声が僕の喉から飛び出す。右手に握っているランタンがぐわんとまた揺れたのを視界の端で捉え、残った理性で落とすようにランタンを地面に置いた。

 それなら、なんで。

 脳内で初めてここを訪れた時の光景が蘇る。ずぶ濡れの身体と煌々と、まるで灯台のように森の奥に輝く光。安堵と緊張が混ざった面持ちのまま、僕は開きっ放しの門扉を潜った。

 エレノアの訝しげに見上げる顔が、不安気に歪む。何故勝手に息を荒げているのだろう、という素振りだった。僕に心配気に視線を送り、やがて目を数回瞬かせ「ああ」と小さく頷いた。

「出ないよ。ごめん、知っててこの森に足を踏み入れたのだと思ってたから説明してなかったわね」

「初めて知ったよ」

「ああ、オルナ町にも寄らずに来たんだっけ?」

「うん。初めて配達を手伝いに行った時も皆『見ない顔だ』って言ってただろ?」

 エレノアが立ち上がりながら首肯した。

「立地的にはあの町に寄らずとも入れるからね。知ってのとおり間違いなく迷うけども……でも森の入口や道に魔除けがなかったじゃない」

「てっきりエレノアが何とかしているのかと思ってた」

 器の魔法使いだろ、と付け加えれば「たしかに私は魔物に襲われても何とかするけど」と返される。ということはエレノアの器の魔法は魔除けの類ではないのか。動揺しながらも僕は脳の片隅でそんな分析をしていた。

 エレノアは説明不足だったかと目を伏せランタンを持っていない方の手で前髪を指で弄ぶ。やがて。

 突然、腕を掴まれる。エレノアは酷く焦った様子で捲し立てた。

「ごめん! もしかして町に顔を出すのは危険だった?」

 え──! 想像もしていなかった一言に僕は目を見張った。

「あなたが何かしらの事情を抱えているのは知っている。もしかして、オルナ町の人に顔を知られたくなかったんじゃ……」

「大丈夫だよ。それにエレノアはちゃんと考慮してくれたじゃないか。『何か事情があって人前に顔を出したくないなら留守番で構わない』って。それでも引き受けたのは僕だ」

「違う。こんな言い方は良くないけどあなたを住まわせていて、おまけに雇い主という立場がある以上、あなたからしてみれば断りにくいに決まっている。私の落ち度だわ。嫌なことは断っていいってもっと念を押すべきだった……本当にごめんなさい」

 深々と頭を下げられる。ランタンが彼女の心境のように激しく揺れた。

「えっと……その……」

 頬を掻きながらラベンダー色の後頭部に視線を落とす。さて、どう答えるべきか。選択の時だった。

 本心を告げてしまえばエレノアの指摘はもっともで、たしかに僕の事情を考えれば僕はあまり人前に顔を出すべきではない。恐らく致命的なミスとはならないだろうけど、できるだけ薬局滞在中に人々の記憶に残る振る舞いをしたくはなかった。

 だが最初に配達、手紙の回収を中心としてオルナ町へ顔を出すか否かを決定する時に僕はエレノアに不審がられないように、という回答を心の中で選択をした。エレノアがきちんと「事情があるなら断っていい。留守番を頼む」と提案してきたのにも関わらずだ。実は僕が寧ろ町に顔を出した方がいい理由はもう一つあるのだけどそれは置いておく。とにかくエレノアの心証とできるだけ顔を覚えられたくないの二択でエレノアの心証を取ったのだ。

「その……大丈夫だから」

「でも」

「詳しくは語れないけど大丈夫。詮索はしないって話じゃないか。……それよりも」

 エレノアが顔を上げ心配そうに僕を見つめた。そんなつもりは無いのだろうが上目遣いの視線に刺されているようで身長差が今だけは恨めしい。

「それよりも……魔物がいないって」

 温室を構成する特殊なビニールの外を見渡す。透明な幕で少し歪んだ青々とした森林が広がっていた。

 ただの森林だった。太陽を浴びようと葉を目一杯広げる広葉樹が生え、朝や昼でも薄暗い。栗鼠や鹿の他に……魔物がいても可笑しくはなかった。

 「本当に町に行くのは平気なのね」と念を押され、僕は深く頷く。すると安堵の息を吐いたエレノアが前髪をかき上げて口を開いた。

「魔物の件だけど正確には住めない、かな」

「住めない?」

「こんな辺鄙なところで薬局をやっている理由の一つなんだけどね」

 エレノアが温室の奥へ歩き出す。僕には似た植物にしか見えない様々な草花が瑞々しく生い茂っていた。その間の道を進んで行く。行く場所はもう理解していた。

 温室の一番奥に淡い光が見えた。透明なビニールで覆われ、歪んだ外の光景が見えるその前で地面からまるで剣が突き刺さったかのように真っ直ぐ濃い緑の茎が伸びている。剣の柄のようなギザギザの葉は触れれば手を切ってしまいそうな迫力があった。不思議なことにその植物自体が淡く光り輝いていた。

 「よし、光っているわね」とエレノアが呟く。アイネの実は十分に魔力を溜め込み、水がかかると光を放つ。水滴が太陽光を反射するのではなく、葉脈に特殊な液体が流れていて水と魔力に反応するらしいと、以前説明を受けた。知らなかった生態に目を輝かせたのは言うまでもない。

 それが三本、等間隔に並んでいる。向日葵くらいの高さでどれも大人の頭部の大きさをした赤い蕾をつけていた。

「あなたが“探していた”アイネの実……というかアイネの花が魔力が肥沃な土地でしか育たないのは知っているわよね?」

「ああ」

「まさしくそれが理由。この森は魔力が溢れ過ぎているのよ」

 魔力──空気に含まれる元素の一つであり、僕達が生活していくためのありとあらゆるものを動かすエネルギーの元となっているものだ。魔法はつまり、魔法使いが元々人間に大なり小なり備わっている魔力に加え、空気中のものを身体に溜め込み、変化させて発動する仕組みだったりする。

 ちなみにエレノア曰く僕がここに来た時に起こしていたのが魔力異常だ。空気中の魔力によって発症するのではなく、体内に備わっている魔力が風邪等の身体の異常で上手く身体に巡らなくなって、更に体調不良を引き起こす症状を指す。魔法薬と二日間の介抱、栄養補助薬を飲みながらのここでの暮らしで大幅に改善されている。

「エネルギーが溢れているから魔物がいない? 寧ろ沢山いそうだけれど。だって魔物は魔力が集中して何らかの形で固定化され何故か人間を襲うものだろう?」

「風船を想像して。魔物が作られようと魔力を溜め込むでしょう。でもこの土地は魔力が多過ぎるのよ。始めは小さかった風船に空気を入れていく。ある程度膨らんで、意思も命もなくまるで機械のように人を襲うのが魔物。でもそこで止めずにどんどん空気を入れていけば……」

「破裂……つまり魔物は生まれそうになってそのまま崩壊してしまっていってる?」

「その理解で大丈夫。だから魔物は生まれないし、近づいたものは消えてしまう。だからこの森に魔物は全く存在しない」

「全く? もしかしてこの家に魔除けの設置がないのも?」

「……ええ」

 ハッとしている僕を尻目にエレノアが目の前の花に視線を向け、言葉を続けた。

「代わりに魔物以上の魔力耐久を持つものは通常よりも大きな力を手に入れる。理屈の説明は長くなるから省略するけど、つまりは植物よね。薬草はきちんと処理をすれば強く、そして人体に副作用の少ない特殊で効能の高い薬となる。まあ、魔法薬は服用する人間の魔力の量や質によっても効果が変わるから立ち位置が特殊なんだけど。……話を戻すわ。そしてこのアイネの花のように──」

 あと二週間で花開くとされているアイネの花の蕾はまだ固く閉ざされている。おしべとめしべの間にできる実も鉱石のようだと言われているが、蕾もまた一つの宝石のようだった。毒々しくも鮮やかな赤。中に果たして実をつけているのか。

「魔力濃度が高い場所でないと育たない植物も多い。おまけに厄介な魔物は寄り付かないとなれば仕事場としては最高の立地なのよ。だから私はここに店を構えた。薬も直接買いに来る奴なんかこっちが遠慮する前からそもそもいなかったしね。だったら都会の高い土地より辺鄙な場所で高品質の薬を生み出した方が儲かるわ」

 得心したように僕が頷けば、エレノアの頬が緩む。たしかに不便さに目を瞑れば魔法を用いた薬局としては最高の場所なのだろう。

「つまり、此処は魔物が住めないほど魔力に満ちているから森に魔除けの類は設置されない。そして一方で魔力を溜め込む習性のある植物……特に薬草が育つからエレノアは此処に住んでいる」

「そうそう。辺鄙で不便だけど」

「もしかしたらこれも赤ん坊の頭部より大きな実が中に成ったりして」

「……そうだったら、いいわね」

 苦笑するエレノアに僕もつられて口角が上がる。先程の不安気な表情が消えて何よりだ。

「さて」

 パン、とエレノアは両手を叩いた。

「じゃあアイネの花の様子も見たし、昼食の用意でもしますか。リクエストがあるなら……」

「昨日エレノアが作っただろ? 今日は僕が当番だ」

「あ、そう。じゃあ、シェフ。献立は?」

「パスタの残りがあったはずだからコロッケは夜に回そう。キャベツとハムと炒めようと思う。あ、大蒜多めに入れていい? 臭いキツいけど」

 悪戯っぽく微笑み合い、来た道を戻る。途中、フクメ草の前に置きっぱなしにしていたランタンを回収し続けて歩いた。

「いいわ。それに臭い消しの良い薬があるのよ。いっぱい入れちゃいましょう」

 そんなものがあるのかと舌を巻く。ラベンダー色の髪が靡きふんわりと花の香りがした。そうしたらこの香りも大蒜で掻き消されることはないのか。緩んだ頬をランタンを持った手で押さえ──

 悟られないようにもう片方の手で剣の柄を握った。


 ──エレノアは嘘をついている。


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