2-5 魔法とは
2-5 魔法とは
大通りを抜ければ中央に噴水がある広場へと辿り着く。僕達が来た道と合わせて六方向に道路が伸びていて斜め上右、北東の方角の歩道へと渡る。
ふと立ち止まり左に目をやれば本屋と喫茶店の間に小さな道が伸びていて、いくつも枝分かれをしていた。遠くから子どものはしゃぎ声と複数の足音がする。窓からロープが伸びて洗濯物がアーチのように頭上で揺れていた。住宅街へと続く道だ。
「今日は学校お休みか。朝から元気よね」
「祝日なの?」
「オルナ第二地区初等学校の開校記念日。だから恨めしそうに学校に通っている子もいるし、大人達は大忙し」
「なるほど」
隣で待っていてくれたエレノアに促され僕達は目的地へと向かう。そうして少し歩けば目当ての白地に赤で大きく“オルナ町第二地区郵便局”が書かれた看板が見えてきた。
周囲と比べて少しくすんだ煉瓦造りの建物には大きな窓が等間隔で並んでいる。その中央部の塗装が剥がれかけた金メッキのドアノブを勢い良くエレノアは引く。カラン、カランとドアベルが揺れ僕達の来訪を告げた。僕達以外の客は幸運なことにいない。カウンターの職員がこちらを見、そして安心したように微笑んだ。
「いらっしゃいませ。エレノアさん……いつもので?」
四十代くらいの髪をワックスで後ろに撫でつけた男性が小首を傾げる。
「はい。えっと助手が持っているのが今回配送分。それから届いてる手紙や荷物を全部引き取りに来ました」
「少々お待ちを……アラン君。いつもの倉庫番号はわかるね!」
アランと呼ばれた青年が首肯すると席から立ち上がり、隣に座していた女性と共に鉄製の特殊な鍵がかかった部屋へと消えていく。
僕はそれを見送ると腕に力を込め、カウンターに籠を乗せた。男性が「承りました」と軽く会釈をして一つずつ専用の箱へと移し替えていく。
「しばらくお待ちください。お代は……」
「いつもの通り事前に振り込まれているから着払いでなくこちら持ちでお願いします。あ、それから印はつけましたがこの鎮痛剤は速達で、こっちの……」
エレノアがカウンターに身を乗り出し説明を始める。こうなっては僕の出番は無いのでそっと後退りをして、待合室の固いソファへと腰を下ろした。
エレノア魔法薬局は基本配送で商売を行なっている。僕が居候を始めてからまず学んだのはそれだった。
まず、立地的に誰かが訪ねてくることはないし、場所が場所なためエレノアも訪ねてくるのを嫌がっている。そして魔法学をベースにした医学、薬学、漢方医学とも異なる魔法薬は説明されても僕にはよく理解できなかったが結構特殊な立ち位置らしい。そんな事情もあってかエレノアへの依頼は非常に“ムラ”があり、全て依頼されたものを届ける方式にしたとのことだ。たしかに僅か二週間の間でも両手に籠を二人して抱えて郵便局へ持ち運んだこともあったし、今日は無しと一通も送らない日もあるのは特殊かもしれない。エレノア曰く「数週間何も無い時もあれば連日二人して両手を使った日より多い依頼が続いたこともあった」とか。
そして“場所が場所のため”エレノアは依頼の手紙も、その他の郵便物等も全て郵便局が行なう貸し金庫兼貸し置き配達のサービスを利用している。つまりエレノアの家に届く全ての郵便物等はこの郵便局の貸し金庫に一度保管され、エレノアが取りに来ない限り一年は保管されたままだ。郵便局側もあの森に足を踏み入れたくないので喜んで承諾している。だから薬局入口の“OPEN”の看板は客の立ち入りをそもそも拒んでいるため実際は不要なもので、それでも僕みたいに迷い込んで来た奴のために置いている、そう語っていた。店内の商品の陳列やレジカウンターも“もしも”の時のためだとか。随分と不測の事態のためにお金をかけたな、と啞然としたが価値観の違いと触れることはなかった。
「住所の確認が取れました。ではこれから“加工”を」
男性が左手に分厚いハードカバーの本の上に、そして右手を紙袋にかざすと本と右手が淡く光り、そして右手の光が紙袋へと伝わっていく。左手の本が魔導書でこの男性は魔法使いだ。今は一般的に出回っている魔導書で届け先の人物以外に開封できなくなる魔法便のための加工を行なっている。
「アラン君。あれ取って」
「仕方が無いですね」
遠くで金庫から出てきたアランが小脇に魔導書を抱え手をかざす。すると脚立を使用しなければ届かない、高い位置にあった木箱がふわりと浮いて、そしてゆっくりとフローリングに落とされた。
ふと暮らし始めて三日目にエレノアに説明された魔法使いのルールが思い出される。この世界で生きる者なら誰もが知っているそんなルールだった。
「常識だけど見知らぬ魔法使いと暮らす以上、改めて確認をしておくのがいいと思うの」
ダイニングテーブルで向き合って座っている。エレノアが淹れた珈琲を僕に手で勧めてきた。ありがたくいただき啜る。苦みと酸味が丁度良く混ざった好みの味だ。
「まず魔法使い……そのままだけど魔法を使えるようになるには試験をパスする必要があってライセンスがいる。簡単なものでさえよ。何故ならあなたの剣と同じで、使い方次第でとんでもないことになるから。例えば“重量十キロ未満の物を持ち上げる魔法”だって難しい試験が必要。……簡単に人を殺せてしまう、悪用する奴がいるからね」
頷いて続きを促す。結局二週間経過した今も、僕はずっと魔法防御の鎧を着こみ、剣を腰に差している。そんな僕の状態を見ての気遣いだったと今更理解する。
「まあ、剣や魔法のライセンスの話はどうでもいいわね。先に言っておくと捉え方次第では魔法の一種である魔具……魔法や魔力が込められた道具も除外した話をするわ。私の商売道具の魔法薬もこれだし、魔除けを始めとした魔法使いが作った魔法使いでなくとも使える道具も、魔法科学や工学が作り出す魔法使いを介さないで魔力をエネルギーとする様々な産物……冷蔵庫だったり自動車だったりも除外ね。大切なのは──」
一拍置きエレノアの薄い唇がゆっくりと動く。
「大切なのは魔法使いが唱える魔法は大きく分けて二種類あること。一つは魔導書やそれに準ずる魔法の本体が封じられた魔具がなければ使えないもの。魔具はこっそり持ち歩くなんてことができないように敢えて大きめに作られているものが多い。これが世の中の大半の魔法で、大半の魔法使いの使用できる魔法の範囲ね。例えば鍵付きの箱を想像してもらえばいいかな」
エレノアが椅子に座ったまま身体を捻り背後の棚に手を伸ばした。そして小さな硝子張りで中身が見える小物入れを僕とエレノアの間に置く。形の違う小瓶が五つ収納されていた。
「魔導書が鍵付きの箱なら」
箱を僕に差し出しながらもう片手で鍵を見せつけてくる。
「魔法使いは鍵。魔力を注ぐことで鍵を開け好きなものを宝箱から取り出す」
鍵を鍵穴に差し込んで、箱を開けた。
「複数の小瓶が魔導書に書かれた魔法そのもの。そして魔法使いは箱を開ける前にどの小瓶が欲しいか選んで鍵を開け、小瓶を取り出して使う。こんな感じが世の魔法の大半。知っていると思うけど“魔導書”はあくまで魔法本体の総称であり本や紙だけでない。温室管理のための制御室の装置だって立派な“魔導書”だし」
エレノアが言葉を紡ぎながらフラスコ型の小瓶を一つ取り出し、僕に手渡す。心臓が小さく跳ね、冷たい硝子が僕の手の熱を奪っていく。
「基本的に魔導書に身体の一部が触れている状態で魔力を込める、が唱える条件だったよね。しかも魔導書……魔法の本体となる方はちゃんと元の形をしてなければ発動しない。例えば唱えたい魔法のページだけを破って持っているとかは無効になる。大きな魔法の本体を壊さずに触れた状態でないと大半の魔法使いは魔法を唱えられない。今の例えだと硝子張りの箱を事前に壊しておくとかは不可能」
「うん。で、大半の魔法使いが唱える魔法は殆ど同じなのよ。大きな持ち運びには不向きな魔法本体に触れていなければ唱えられないし、世に出回っている一般的な魔導書にはそこまで危険な物は収録されていないし種類も限られている。問題はもう一つの方。……修練を積んだ魔法使いの体内の“器”に入っている魔法よ。こっちは魔法使いの身体の中に一つだけ小瓶そのものが入っている……ってところかしら。つまり魔導書やそれに準ずる魔法の本体無しで魔法を唱えることができる。魔法の本体を体内に取り込んでいるわけだからね。その代わりたった一つだけで、その魔法は一度入れてしまえば特殊な儀式を行わなければ変えられない。この箱で例えるなら箱ごと運んだり鍵を開けたりする必要なく小瓶を使えるけど、その代わり持っていける小瓶はたった一つ。そして別の小瓶に変えるのは中々大変」
「そして使えるのは本当に一握りの」
「そう。一握りの修練を積み、過酷な試験に受かった者だけが魔法の本当の意味での携帯を許される。勿論ルールはあるけれど魔導書を持たずその場で魔法を発動することができるの。ここまでは子どもも知っている魔法の話。で、知っているけど大半の人にとってどうでもいい……けど魔法使いにとっては一番重要な特徴が」
エレノアが自分の前に置いていたマグカップを僕に見せる。僕と同じで珈琲が注がれ湯気を立てていた。
「これを魔導書に記された魔法だとすると」
ダイニングテーブルの端に置かれた小さな蓋つきの陶器に視線をやる。その陶器──シュガーポットを引き寄せると一つ角砂糖を指で摘まんだ。
角砂糖が指から離れ黒色の池に呑み込まれる。トプンと音がして飛沫が少しだけ上がった。
「魔法使いが体内の器に入れた魔法は、大なり小なりアレンジが可能となる」
「ブラック珈琲が通常の魔導書の魔法だとすると、砂糖を入れたりミルクを入れたりしたのが器の魔法……だよね。さっき言ってた“十キロ未満の物を持ち上げる魔法”なら持ち上げた後に更に横に動かせるとか、持ち上げた物を狙った場所にぶつけられるってアレンジを人それぞれ加えられる」
「フィンレー。魔法を本気で学んでみるのはどう? 職業によっては引く手あまたよ」
「このあたりの理屈をまずきちんと呑み込んでいるのが魔法使いの第一歩だから。才能あるわよ」と挑戦的な笑みを浮かべられる。僕は剣を指差し、首を横に振った。
「つまりさ、エレノアがこの話をしたのは」
「ええ」
「エレノアはその“限られた魔法使い”ってことだよね?」
つまりエレノアは事情があって常に鎧と剣を装備し続けている僕相手に対して、更に手の内を明かしてきたのだ。自分は魔導書がなくとも魔法を唱えられる“器の魔法使い”だと。そしてその魔法が魔術書から予測できない可能性があると告げているのだ。それは暗に僕に「鎧と剣を装備し続ける免罪符を更にあげる」と言っているようなものだった。いつでも私はあなたに予測不能な魔法が打てる。だから防御しなさい、と。
「……教えないわよ。私の器に入っている魔法もそのアレンジも、流石に」
事実上の肯定だった。
「本当に凄腕だったんだね」
「そんなところで嘘ついてどうするの」
不満気にエレノアが眉を歪める。凄腕の魔法使い。通称、器持ちや器。あるいは器の魔法使い。器持ちの魔法使いとして認められる難易度はどの国家資格よりも高い。そう認識すれば目の前の小柄な女性が途端に不可思議な存在に見えてくる。先程僕のことを「引く手あまた」と魔法使いに勧めたけれど、器の魔法使いなんてそれ以上……なはずだ。
「器の魔法はトップシークレットだろ? それくらいわかってるさ。……エレノア」
三日過ごしただけで理解したことがある。初対面の時から薄々勘付いていたが、エレノアはやはり能天気で心配になるほどのお人好し。つまり善か悪かなら間違いなく善寄りの人間だ。でも、どうしても理解できないことがある。今話を聞いて更に脳内で混迷を極めていることだ。
エレノアは何故こんな辺鄙な場所で個人経営の店を営んでいるのだろう。望めばいくらでも別の優雅な生活が得られるだろうに。
やはり何か事情があるのだろう。それも僕以上のとびっきりのやつが。
そこまで考えて目の前のブラック珈琲を一気に飲み干し、思考を狂わせていた渦を無理やり収めた。僕の事情に対して詮索せずにしかし過剰なまでに庇護欲を発揮してくるのも理由があるのだろう。というより何か“大きな理由があった方が納得がいく”し、寧ろ好都合だった。エレノアにも事情があって僕にもある。確実にエレノアの負担の方が多い気がするけど、それも含めて僕の任務にとって幸運としか言えないのだ。……できれば自分を棚に上げて器の魔法も知りたいけれど。
「ありがとう。何も聞かずに僕をここに一カ月置いてくれて」
どうであろうと今は礼を伝えたかった。そうしてこの一カ月で折り合いをつければいい。
エレノアから渡された空の小瓶を指で摘まんでみる。硝子の向こう側のエレノアが歪んで見えた途端、胸の奥に走った痛みからは目を背けた。
少し前だと言うのに随分と懐かしい記憶だった。
カウンター横についたランプが点灯する。エレノアが小さな紙袋を男性から渡されて頭を下げた。今日の配送手続き、そして届いていた郵便物の引き取りが終わったらしい。
「お疲れ様。持とうか」
駆け寄って尋ねればエレノアは首を横に振った。手元に視線を落とせば随分と薄い紙袋だ。珍しく殆ど郵便物がなかったらしい。
「ありがとうございましたー」と間延びした声で礼を告げながら郵便局を後にする。カウンターの男性、そしてアランと呼ばれていた青年や他の職員も皆笑顔で手を振っていた。
「これで今日の配達作業は終わりかい?」
「ええ。あとこれの中身次第だけど、明日は来なくて大丈夫そうね。急を伝える印は付いていなかったし、手紙もたった二通。だから」
静寂を保っていた郵便局内と違い、大通りは一層賑わいを見せていた。歩道にはみ出す複数の店舗テントから快活な声が響く。テントの前で立ち止まった大荷物の外套を羽織った女性が何かを話している。喫茶店のテラス席ではカップルらしき二人が向き合いクスクスと笑い合っていた。父親に手を引かれた子とすれ違う。郵便局の先にあるケーキ屋へと向かうようで子が目を輝かせ、小さな足を頻りに前へ前へと動かしていた。
「フィンレー。どこか見たいところはある? 私は本屋に寄って、ファムベリージャムとコロッケを買いたい!」
すれ違った子どもに負けず劣らず瞳は輝いていた。いつもより早口なのが興奮を伝えてくる。スキップでもし出すんじゃないかという勢いでエレノアの足取りは軽かった。
まるで器の魔法使いとは思えないその姿に僕も破顔した。