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森の奥には〇〇が暮らしている  作者: 高崎まさき
2.君との生活
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2-2 始まりの回想

2-2 始まりの回想


 結論から言えば僕はエレノアの好意に甘えることに、つまり一カ月この薬局の局員として住み込みで働くことになった。最初の二日は魔法薬を飲んでエレノアの手料理を食べて寝る……それだけしかしてないけれど。お陰で慢性的な軽い疲労以外はすっきり取れ体調は良好だ。顔色だって健康な人間のそれに戻り、三日目以降はしっかり労働に勤しんでいる。

 エレノアの年齢はわからないがおそらく年上。けれどそう僕とは変わらない二十代半ばから後半くらいだろう。一晩も大概だが、一カ月もひとつ屋根の下に暮らす。寧ろ互いに恋愛感情があった方が自然な関係が話し合いの末に始まった。

「僕は誓って貴女の寝込みを襲ったりしません」

「わかっているって。私、こう見えて人を見る目はあるんだから」

 エレノアは相変わらずケラケラと笑っている。能天気──そんな単語が脳裏を掠め僕は溜め息をついた。僕も彼女も大人で、だからこそ恋愛関係に発展してそういった流れに落ち着くなら別に問題はない……はずだ。けれどこれは彼女には告げない、僕の心の中の誓いだがエレノアがどんなに魅力的な人間だったとしても恋愛関係になるつもりはなかった。僕の事情にとってその感情は不要で、そしてエレノアに対する最大で唯一の敬意だからだ。

 そのためにも僕は彼女からの提案どおり帯刀と、それから室内の鎧の装着を許してもらうことにした。一線を引くのと僕の事情のために。申し訳なさそうに告げれば「私もそっちの方がやりやすい」と含んだ笑みを浮かべられる。やはり事情を読まれていると思わず焦ったように聞き返せば「あなたを食べる悪い魔女だと怖がられても嫌だからね」と唇を尖らせた。意外に根に持つ性格のかもしれない。鎧と言っても大昔のような身体を二回りほども大きく見せるものではなく、衣類の表面に装着する薄いプレートのようなものなので室内で生活を送っていても問題ないのだ。

 エレノアの家兼薬局は二階建てで、L字型の一軒家を改造したものだ。二階のLの縦の先にエレノアの自室、そこから横棒に伸びる廊下の真ん中あたりに階段がある。そして横の部分に三つ部屋が並んでいて、僕はちょうどエレノアの自室の向かい、つまりLの角のところの部屋を貸してもらうことになった。部屋は想像していたよりこざっぱりとしていて、そしてエレノアの申告どおり埃っぽかった。一人用のベッドとチェスト、円形の小さなテーブルに椅子があるだけの部屋だ。まるで以前住んでいた誰かが去った後のままのようで、下世話だが一瞬いたかもわからない過去の恋人の影が心に過ぎった。

「残り二つの部屋は開けないでね」

 水で湿らせた薄い布切れをテーブルに走らせながら、エレノアは革袋、つまり鞄から荷物を取り出している僕の背中に言葉を投げかけた。

「隣のですか?」

「そう。研究室と薬品倉庫、制御装置以外は自由にしていいって言ったけど前言撤回。まあさすがに人様の関係ない部屋を開けるような人じゃないし、研究室と薬品倉庫は鍵をかけてるけど」

「会って三時間の僕の何がわかるっていうんですか」

 この人は本当に警戒心がないのだろうか。

「態々悪ぶらなくてもいいの」

「でも」

「本当に悪い奴ならもう私の背に刃を突き刺しているだろうからね」

 思わず腰の剣を見下ろす。鎧は現在、本当に不安だが洗面所の吸水マットの上で乾かされている。僕の心の拠り所であり、自分の事情を忘れないための誓いは今はこの剣のみだった。

 もやもやとした苦いものが鳩尾に溜まっていく。誤魔化すように革袋から水筒を取り出し、わざと音を立てるように乱雑に置いた。

「鎧は」

「鎧は後で自分で運びます」

「大丈夫よ、一切触らないから。それとこの部屋の家具は好きに使っていい。クローゼットの中に毛布が入っているからベッドメイクは自分でやって」

 返事代わりにクローゼットを開く。中に衣装箪笥が置いてあり引き出しに“毛布”と書かれた紙が貼られていた。

「……意地悪な言い方をしてごめん」

 パン、と破裂音がしたので振り返る。エレノアが今度は乾いた布切れを取り出し軽く叩いたのだった。

「隣と、それから隣の空き部屋二つは物置になってるの。結構魔法薬局って使うものが多くて色々買って試してみたりして。ちゃんと整理して収納すればいいんだけど億劫で……。ちょっと人に見せるのは憚れるというか、引かれそうというか」

「いえ。こちらこそその……すみません」

 何だ、そんなことか。僕は何となく安堵しつつ、部屋全体を見渡した。白の壁紙に淡いクリーム色のカーテン。オーク調で揃えられた家具が部屋の端と端にポツンと配置されている。つまり広いのだ、この部屋もといこの家は。おまけに温室を複数有している庭まである。この部屋だけで一人が暮らしていけるアパート以上の広さがあった。魔法使いが経営する薬局にどれだけの特殊な装置が必要かは僕にはわからない。けれどこの家の広さを考えればエレノアが片付けを行うのはかなりの労力を要するだろう。億劫になるのも無理はない。

「……掃除、しましょうか」

「え?」

 エレノアの方を向けばポカンと口を開けていた。

「整理整頓、結構好きなんですよ。だからここでの仕事に加えてくれれば」

「……考えさせて」

 エレノアが腕を組み眉間に皺を寄せる。その真剣さが何だか可笑しくて僕は声を出して笑ってしまったのだった。


◇◇◇


「何笑ってるのよ」

 対面に座るエレノアが不思議そうに首を傾げた。

「ここに来た時のこと、思い出して」

「ああ、あなたがずぶ濡れで幽霊みたいな顔をしてやって来た」

「そんなこと思ってたの?」

「怖いじゃない、幽霊って」

 僕は思わずふき出した。

「何よ」

「だって大真面目に幽霊って」

「いたら怖いじゃない。魔法が効くかわからないし」

 ダーンエイティーが入ったカップに口をつけ、エレノアの喉が上下した。

「幽霊ったらこっちに攻撃してくるのにこっちの攻撃は通らなそうだと思わない? 理不尽よ、理不尽」

「戦うこと前提なの? いるかもわからないし、いたって僕達に危害を加えてこないかもしれないのに」

「それは……そうだけど」

 だってぇ、と頬を膨らませるエレノアが一瞬僕から目を逸らし遠くを見つめた。視線を追う。するとソファの上に一冊のハードカバーの本が置かれている。昨日までなかったはずだけれど。

 立ち上がりそちらへ向かえばエレノアが「あ!」と声を上げる。近くに寄って見ればおどろおどろしい黒と紫が混ざった色の紙に充血した目玉が描かれていて中央に「恐怖! 魔の森の幽霊!」と何とも言い難いタイトルが記されていた。つまり、これは。

「エレノア……もしかしてホラー小説読んで怖くなった?」

「大丈夫だと思ったのよ、話題作らしいって先日店員に勧められて」

「何で怖がるかなぁ。フィクション。絵空事に決まってるだろ」

「怖いものは怖いでしょう。じゃあ貸すから読んでみてよ。眠れなくなるわよ」

「食事中も欠伸してたの、もしかしてこれのせいなの……エレノア?」

 エレノアが押し黙った。一瞬、部屋に静寂が訪れ、やがてクスクスと忍び笑いが響く。堪え切れなく僕が大口を開けれ笑えばエレノアもつられて歯を見せた。

 一頻り笑い、僕はダイニングテーブルへと戻る。行儀が悪いが立ったまま残りの紅茶を飲み干して空になった皿を持ち上げた。

「ご馳走様でした。……ほら、僕が洗うからエレノアは朝の魔力調整をやって」

「了解。お言葉に甘えて」

「今日の予定は?」

「魔力調整が終わったら温室を見回るでしょう。それから配達があるから」

 僕が流し台へと皿を運んでいるのを横目にエレノアは廊下への扉へと足を進める。その横顔はもう絵空事に怯える者ではなく、それこそ彼女が自称する凄腕の魔法使いのものだった。

 アイネの実が成るのを待ちながら軽口が叩ける程度の距離感で僕はエレノアの家で従業員として暮らしている。僕が訪ねて二週間目のことだった。

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