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カナンの備忘録  作者: 久我義一
第一章 『難民居住地』
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第八話『別離』

 帰路の途上、街の中を横断していく。市街は見たところ日常を保っており、盗難事件が起きた影響が些細であったことを物語っていた。

 瓦礫伝いに、『透過』によって壁の外へ出ていく。

 辿り着いた隔離居住地も、見た目は平穏を保っていた。


 今日の仕事をすっぽかしてしまったが、元より予定などあってないようなもの。今日一日自分の姿が無かったとしても、一人ぐらいにしか気づかれていなかっただろう。

 だが、明日から姿が見えなくなると騒ぎになるだろう。最近は良くも悪くも生活が安定しているため、失踪者などが出るとすぐ分かる。

 しかしそうなると、書置き一つだと足りないな……。


 父親はどうでもいいとして、周囲の反応が気にかかる。

 父のカンドは同年代か、少し下の者に好かれる傾向があったが、年配や若人、奥様方にはすこぶる評判が悪かった。反して、カナン自体は割と周囲に好かれていた自負がある。

 力仕事は出来なかったが按摩の仕事と人当たりの良さで、父親関係以外で嫌われた記憶は無かった。

 その為、連れ去られたと勘違いして難民が街に押し掛ける事態が頭に過る。


 ハサム師に話を通した方が良いかと悩んでいたところ、目的の一人であるイザクがとぼとぼ歩いているのを見かけた。

 無事に家まで帰れたのかと安堵するも、その顔に出来た痣を見て動揺する。

 急いで駆けてイザクに大声を掛けた。


「イザク!どうしたんだ、そのケガ!」

「あ?ああ、カナン。親父に殴られた」


 その簡潔に告げられた一言に、駆けた勢いのままこけそうになる。


「イザクのお父さんに?いったい何をして……」


 言いかけて気づくが、殴られるに値する理由に充分すぎる程の心当たりがあった。


「ジャリドの計画が失敗して、親父にそれがバレた。俺じゃジャリドを止められなかったんだ……」

「そ、そうだったんだ……。お父さんに相談できなかったの?」

「言おうとしたけど、ジャリドに朝一で口止めされたんだ。告げ口したら絶交してやるって……」


 典型的な悪ガキじゃないか。

 あいつはハサム師に、こってり絞られた方が良い。さすがに今回はハサム師の堪忍袋の緒も切れるだろう。

 痣の理由の呆れとイザクたちが無事だった安堵から溜息を吐く。


 そこでイザクが、言い辛そうにしているのに言葉を切り出してきた。


「それで、何だけどさ……」

「?」

「俺たち、街の中で謎の人物に助けられたんだけど……。――あれってカナンか?」

「………………」

「背格好とか、頭巾とか、髪とかさ、見覚えがあるんだ。声も、前にカナンが具合悪そうにしてた時にそっくりだったし。……あれ、カナンだろ?」


 ……まあ、イザクなら気づくかも、とは思っていた。

 恰好は即興だったし、老人の真似をするのに精いっぱいで、カナンの正体を本気で隠そうとした訳ではなかったし。

 ジャリド達はともかく、イザクとの付き合いは長いため正体がバレるのは覚悟の上だった。


「あー、それって、誰かに言った?」

「……ハサム師や親父には隠せなかった。心当たりがあるんだろって、すぐ見破られた。ジャリド達はその場にいなかったから、知らないと思うけど」


 そうか、ハサム師にはバレたか。まあ仕方ない。むしろ好都合と思おう。

 この居住地を離れるため、ハサム師には話を通しておいた方が面倒ごとは少ないはず。


 ずっと居心地悪そうにしていたイザクが、唐突に頭を下げた。


「ありがとう!助けてくれて。そんで、ごめん!カナンがやったって、隠しておきたかったんだろ?」

「んー。まあ、大丈夫だよ。そんなに怒られることはないと思うよ」


 イザクに笑いかける。

 イザクはさらに言い辛そうに、それで、と続けた。


「ハサム師が、カナンを連れて来いって言ってるんだ」


 そっか、なるほど。むしろ話が早い。

 色々と聴収したいこともあるのだろうが、商人との交渉の結果を交えて今後の見通しを告げるチャンスでもある。

 カナンはイザクとともに、ハサム師のテントへ向かうことにした。




 今までハサム師には数えたことしか会ったことがなかった。

 父とハサム師の確執が原因、という訳ではなく、単に会う接点がなかっただけだろう。

 久方ぶりに対面したハサム師には以前と変わらず、指導者に相応しい威厳が感じられた。周囲に控える側近が、さらに拍車をかけているように思える。


「まずはジャリドの祖父として、窮地を救ってくれた事に感謝をしたい」


 始まりはハサム師からの、感謝の礼だった。

 深々とお辞儀をし、見ればイザクの父を含めた周囲の大人も、同じようにお辞儀をしている。


「この居住地に暮らす仲間として、当然のことをしたまでです」


 ハサム師か、周囲の側近の威圧か。彼らの雰囲気に呑まれ、返答は固いものとなった。交渉の時のように、絶好調の能力を使わなかったことが悔やまれる。


 年齢にそぐわない返事に関わらず、ハサム師は気にした様子もないまま半身を起こした。

 ちなみにイザクはこの場にいない。内密の話としてカナンの案内後はテントから追い出されていた。


「イザクたちによれば話を収めるため、商人と話をつけると言ったみたいじゃの。どのような話があったかは分からないが、借金であれば儂が立て替えよう。まとまった金はないが、借りるところには幾つか当てがあるでの」

「それなんですが、私が今後、店で働くことが条件として決まりました。商人としての才能を見込んで、という事で。借金という形ではないので、お金の心配は無用です」

「なんと?――それは、奴隷という事ではなく?」

「まずは見習いらしいですけど、正式な従業員という形で雇われます。給金も出ます」


 周囲がざわつく。市民の差別意識や隔意は嫌というほど知っているためか、難民の子供を雇おうとする事態が理解できないのだろう。


「ただ彼らは行商でハルパまで来ています。冬が明ければ、自分は彼らと共に西にあるという商会に付いていく予定です。この居住地からは出ていく事になります」

「……西に?」


 ハサム師が驚きの顔で呟く。

 遠方に行くなど思いもよらなかったという事なのだろうか?それにしては驚き方が大きいので、やけに気になる。


「……父親はどうするんじゃ?」

「父に話せば、話が抉れるでしょう。黙って出立するつもりです。ここまで育ててもらった恩を返せないのは心苦しいですが、これ以上負担をかけない為にも、自分は西に旅立とうと思います」


 心にもないことを口に出し、ハサム師を納得させる。

 ハサム師は内心に気づいているのか、気づいていないのか。少し自分の考えに浸った後、改めてこちらに向き直る。


「決心は固いかの?」

「自分が決めたことですので」

「大変な旅路となるじゃろう。今以上にきつい人生を歩むことになるかも知れんぞ」

「覚悟の上です」


 問答を通し、カナンの考えが変わらない事を確認するハサム師。

 溜息を一つ付き、懐から古ぼけたペンダントを出した。


「よかろう。これを持っておきなさい」

「?これは?」


 見ると金属で出来た簡素な首飾りで、円形の枠に鳥をモチーフとした意匠が施されている。生国でよくモチーフに使われていたという鷹だろうか?それにしてはずんぐりむっくりとしているが……。


「お主の母親が持っておった物じゃ。カンドめが金を無心しに来た際に寄こした物よ、あの不信心者め」

「いいのですか?代価は?」

「いらぬよ。余所に売られたり捨てられたりするのが忍びなくて預かったが、そもそも売っても二束三文ほどの価値しかなかろう。とは言え、お主にとっては唯一残された母の遺品。持っておくと良い。きっと、力になるじゃろう」

「ありがとうございます」


 ハサム師に礼を告げる。

 ヒューイが母から貰った物はないかと気にしていたが、これの事だろうか?


「カンドにも話を通しておこう。奴にも親の情が……ある…………あるか?まあ、騒ぎそうじゃしな。ああ、どこへ行くかは誤魔化しておこう。街に突撃して騒ぎを起こされても困るしの」

「はい、よろしくお願いします」

「出発はいつかね?」

「明日には、出立しようと思います」

「それはなんとも急じゃの」

「色々と学ぶことも多いらしいです」


 おっと、そういえば……。

 半ば忘れかけていたが、ハサム師に騎士が来訪するかもしれない旨を伝えておいた。黙ったままだと、会話に齟齬が生じて話が抉れそうだ。

 来訪目的は分からないが、少なくとも敵対目的ではなさそうなこと。ハサム師がその場にいたと勘違いしていそうだったことなどを伝える。

 なんとも間抜けそうな騎士だ、とハサム師や周囲に笑いが零れる。


 その明るい雰囲気のままジャリドやイザク、按摩の仕事についての取り留めもない話を幾つかした。


 思い出話、というにはハサム師との接点が少なかったため、それほど深い話が出来たわけではない。ただ何となくだが、これを機に内容は何でもいいので話をしたかったという意思が伺える。

 あるいは、何か本当に話したいことがあるのを、言おうか迷っているようにも感じた。


 結局さして重要な話もなく会話は終わり、別れの挨拶に移る。大人の、特にハサム師や側近たちがよく使う正式な儀礼の言葉だ。


「金色の鷹の守護と共に」

「金色の鷹の守護と共に」


 ハサム師と話している間はずっと黙っていた大人たちも、挨拶だけは交わしていく。


「金色の鷹の守護と共に」


 最後にハサム師との挨拶が終わり、テントから退出する。

 その間際、閉じゆくテントの隙間からハサム師の言葉が僅かに聞こえた。


「これも宿命か……」


 去り際に見た姿は年相応に老いを感じさせるもので、先ほどまで感じられた指導者としての威厳を捨て去ってしまったかのようだった。




 自分の家で一泊し、隔離居住地での最後の朝を迎えた。


 カンドは昨日と同じく他で夜を過ごしたらしく、自宅には戻って来なかった。昨日カナンが仕事に行かなかったことを知っているのか分からないが、鉢合わせることなく家を出ることが出来るのはありがたい。面倒ごとなく別れる事が出来る。

 カンドが仕事で街の中に入るような機会があるのは来年だろうし、そもそも商人の仕事は裏方だという話なので、今後街で偶然会うこともないだろう。


 日が出ない内に起きて出発の準備を整える。と言っても、持っていく荷物は服と昨日貰った首飾りぐらいだ。いや、ついでに食料も少し食べていくか。街でお世話になる内は食わせて貰えるだろうが、今日の朝食は多分用意していないだろうし。


 コゲかと思うほどに焼かれた黒パンは保存食としてとっておいたものだ。そのままではとても食べられたものではなく、水と一緒に流し込んで何とか胃の中に収める。

 口の中の酸っぱさと籾殻の感触を、これも最後になるかも知れないと噛みしめながら外へ出る。


 遠方が僅かに明らむぐらいの暗さの中を歩いていくと、見知った顔が近づいて来るのに気づいた。


「カナン!」

「イザク兄?」


 ようやく朝食番の女性たちが起きてくるといった時間、近づいて来たのはイザクだった。

 昨日、ハサム師のテントの前で別れた後は会えなかったため、随分心配をかけてしまっていたようだ。焦った顔で走り寄ってくる。


「カナン!出てくって本当かよ!」


 開口一番、出てきた言葉がそれだった。

 詰め寄る勢いで、息も絶え絶えに叫ぶ。


 イザクの顔を見るまでは忘れていたのだが、イザクにだけは街の中に行くことを話しておきたいと思っていた。これからの生活に気を取られて、すっかり頭の隅へ追いやってしまっていた。

 思い出さなければならない事に気づかなければ、『思い出す』能力も役に立たない。


 危うく心残りが出来るところだったと思いながらイザクへ説明する。


「うん。街の中へ仕事をしに行くんだ」

「それは……、俺たちのせいなのか?」


 その返答に、イザクが驚愕と後悔を、ない交ぜにした表情をする。

 自責の念に駆られているのであろう、その声は少し震えているようだった。


「違う。昨日の事がなくても、僕はここから出て行った。それが少し早くなっただけだよ」

「何でだよ!?俺たちと一緒にいれば良いだろ!?」

「……夢がある。大事な夢さ。だけど、ここにいるだけじゃ叶えられない。それを叶えられるかもしれない場所に、僕は行ってくるよ」

「カナン……」


 イザクは呟き、顔を伏せる。

 二人の間に沈黙が訪れ、次にイザクが顔を上げた時には何かを決心した顔をしていた。


「……カナン、俺も、……俺も一緒に――」

「イザク兄、父さんの後を継ぐんだろ?」


 軽くイザクの言葉を遮る。

 勢いを削がれたイザクが怯むが、すぐに言葉が返ってくることはなかった。

 どれほどの決意を込めた言葉かカナンには分からないが、少なくともカナンが進む道とイザクが望む道は同じ方向にない。なんだかんだ言って、イザクは父が好きで、父の仕事を誇りに思っていることは良く知っている。それにイザクに商人をこなせるとは思えない。


 だから、私事でイザクの道を歪めることは出来なかった。


「父さんと同じように、ここの人たちを導いてくれる人を守っていくんだろ?イザク兄の夢は、ここじゃなきゃ叶えられないじゃないか」

「――――カナン」

「まったく。ジャリドを諫められない様じゃ、まだまだだよ。全然足りないじゃないか。武器の扱いも学ぶんだろ?寄り道なんてしていられないじゃないか」


 そう言いながらイザクに近づき、その手を取る。


 この世界に生まれてから、初めてできた友達。

 思えば周囲に馴染めず、引きこもりがちだったカナンを外へと連れ立ってくれたのはイザクが最初だった。

 病気がちの母や反りの合わない父に代わり、居住地人々との縁を結んでくれたり、掟を教えてくれたり、森の注意事項や街との関係性などを教えてくれたのもイザクだ。


 ずっと手を引いて、兄としてここまで導いてもらってきた。

 大恩がある。昨日の事件なんか比じゃない程の恩が。それを、まだ全然返せていないことを思い出す。


「僕はここに戻ってくるよ。お金を稼いで、食べ物もいっぱい持ってきて、皆がびっくりするぐらい立派な馬車に乗ってさ」

「……うん」

「その時は、イザクも立派に護衛をしているかも。ハサム師やジャリドが居場所を良くして、ひょっとしたら東に帰っているかも知れないけど。……絶対、また会いに戻ってくる」

「……うん、…………うん」


 気づいたらイザクは泣いていて、自分も泣いていた。

 抱きしめ合って最後の別れを済ませる。


「ぜったい、ぜったいに、また会うぞ!」

「うん、約束」


 言葉を皮切りに体を離し、笑い合う。


「えっと、そう。金色の鷹の守護と共に」

「うん、金色の鷹の守護と共に」


 手を振り、イザクは居住地へ。カナンは街へ。

 二人は違う道を歩みだす。振り返ることなく、ただ前を見ながら。

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