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カナンの備忘録  作者: 久我義一
第一章 『難民居住地』
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第六話『策謀』

 時は数十分前に戻る。


 カナンは外壁の崩落部分を乗り越え街へと侵入した。

 恐らくジャリド達も少し前にここを通っているはずだ。


 以前街に入ったことがあるが、今日もここには人の活気があった。人の往来、井戸端会議、遊ぶ子供のはしゃぎ声。誰も彼も俯いて過ごす隔離居住地とは大違いだ。

 加えて小屋とは段違いに住みやすそうな、煉瓦造りの家屋たち。路地裏にまで歩きやすそうな道の舗装が施されている。


 そしてやはりと言うべきか、小綺麗な街の住人と比べて薄汚れた姿は非常に目立つ。街の中には貧民窟もあるのかもしれないが、自分は見たことも聞いたこともない。

 少なくとも近辺には貧民らしい装いの人間は見当たらないので、カナンの姿は行く道を選ばなければ相当浮くことになるだろう。


 カナンは少し迷い、仕方がない、と奥の手の一つを出すことにした。

 自分の手を見て、意識を集中させる。

 『思い出す』のは周囲の光景だ。数瞬前まであった光の情報を、全身で隈なく再現する。

 やがて手は透過し始め、周囲の光景に溶け込んだ。透過は全身に及び、姿はさながら透明人間と言っても差し支えない。


 これはカナンが訓練の末、会得した切り札の一つ。

 数瞬前まで存在した光情報を『思い出す』事による光学迷彩。

 世界が『思い出す』と定義することで実現した透過能力だ。


 ここまで来ると『思い出す』能力が何でもありのように思えるが、当然制約も多い。

 一つ目は影響を及ぼせるのが装着した服までという点。

 こっそり試したところ、他の人物まで透過させることは出来ないようだった。


 二つ目は思い出せる範囲はほんの数瞬前、一秒にも満たない過去までという事。

 訓練が足りないためか、映写機みたいに過去の映像を再現するには遡れる範囲が非常に狭かった。


 三つめは映像反映までのタイムラグ。

 能力処理が追い付いていないのか、激しく動くと移動先の映像反映が遅れてしまう。結果としてゲームの透過能力を持った敵みたいに、形の輪郭が歪んで見えてしまう欠点がある。

 遠目では誤魔化せるだろうが、人目が近いところはなるべくゆっくり移動したいところだ。


 とはいえ狭く曲がりくねった路地裏をこっそり歩くといった、時間のかかる隠密行動をとらなくていいのは、ジャリドたちに早く追いつきたい自分にとってありがたい。


 行商人がいるという西門広場に向けて、周囲に気をつけながら足早に駆けていった。




――――




 到着後、目の前にした光景に自分が間に合わなかったことを知る。

 疎らに人だかりができている中、人の隙間からは下馬する騎士と商人。そして屈強な男に見張られたジャリドたちが見えた。

 中にはイザクもおり、一様に怯えている様子だった。


 頭を抱えたくなるが、とりあえず状況を知るため彼らのそばへと慎重に近づいていく。

 騎士と商人は話し込んでいるらしく、なぜか少年たちに話を聞こうとする様子はないようだ。


 一瞬疑問に思うものの、すぐさま気づく。

 彼らは難民である少年たちを、話を聞くべき人間として認識していない。


 貧乏人が貧しさから盗みを働いた。街の中の人間なら取り調べたり、事情を聴くこともあるかも知れない。

 それが市民権も持たない難民なら?事情を聴くどころか、まともに収監されるかも怪しい。それどころか冤罪の可能性があっても、気にも留めないだろう。


 彼らの罪の裁量どころか、生死さえどうでもいいのだ。極論、犯罪の疑いだけで処刑してもいい。彼らの話を聞く必要がない。だから放置している。


 市民による余りの無関心ぶりに、お前は人ではないと言われたようで腹が立つ。

 ただ、すぐにこれは逆に好都合ではないかと彼らの話を聞いていって思い始めた。


 騎士は盗みの現場を見たようだが、どうやら事を大げさにしたくないらしい。穏便に事を収めようとしている雰囲気を漂わせている。

 商人は盗みの現場を見ていない。損害が補填されれば良いという利益重視の立場だ。


 ここで少し考えてみる。

 装いから、騎士は昨日来た騎士団の一人に間違いないようだ。記憶には、これ以上ない程の自信がある。

 冬が始まろうかという時期に、外部から来訪した騎士にどんな思惑があるのか。

 任務の途中?西門で騎馬に乗って?……という事は街の外?

 ……隔離居住地へ用があったというのは都合よく考えすぎか?

 しかしやけに難民に、というより難民との関係性を重視した物言いがひっかかる。少なくとも難民と敵対する立場の人間ではないように思えた。


 とりあえず判断を保留し、商人の方を考える。

 割られた商品はガラスのようだが、非常に高価な物らしかった。

 東からのガラスというが、恐らく難民が出る原因となった戦争のある地で産出したガラスだろう。欠片を僅かに見たが、色彩豊かなガラスの破片だ。


 ――以前、教科書で見た正倉院のペルシャガラスを思い出す。瑠璃色のグラスだったが、色彩は着いていなかったはずだ。少なくともそれよりは技術の発展した工芸品だと推測する。

 ガラスに彩色する技術……。陶磁器なら釉薬を知っているのだが、ガラスもそうなのだろうか?


 ペルシャガラス……彩色……陶磁器………………シルクロード?


 以前も考えたことがある。前世の世界で言うならこの近辺は中東とヨーロッパの境目ぐらいの文化圏ではないか、と。

 かつてのヨーロッパは、中国、中央アジア、中東を経てヨーロッパへつながる交易路、シルクロードで貿易が栄えていた。その流通品には磁器もあったはずだ。


 同じような文化圏なら、磁器も歓迎されるかもしれない。そしてそれは商人に対する取引材料になるのではないか?

 錬金術師ヨハンの逸話を思い出す。確か重要なのは高温の炉と原料。

 ついでにマイセンから青磁器や釉薬、日本陶芸のろくろから窯の構造まで、思い出せそうなものは何でも思い出す。

 生前は雑学が好きだったこともあり、様々な記憶が蘇る。

 中にはどこで覚えたんだといった知識も総動員し、交渉の勝算になりそうなものを洗い出す。


 張りぼて感は否めないが、なんとか交渉できそうな技術をピックアップした。彼らが真に求めている技術とは違うだろうが、金になりそうな知識なら受け入れるだろう。


 覚悟を決め、かつて自分が経験した絶好調の時を『思い出す』。

 思考は澄み渡り、心は平常心を保ち、体の動きは軽やかに、何でもできるという万能感が湧き上がってくる。


 カナンの切り札その二。過去のベストコンディションを『思い出す』。この能力のお陰で自分はどんな危機の中でも最高の調子を保つことが出来る。

 ただ効力としては麻薬みたいなものなので、普段使いは控えている。能力におぼれた場合、体の具合は逆に悪くなっていきそうだからだ。


 そうして準備を整えたあと、騎士と商人の会話の隙を見計らう。

 会話がひと段落着いたところで、透過を解いて彼らの前に姿を現した。子供だと侮られるため、老人の姿を演出しながら。


「騎士様とのお話しが終わったようなので、失礼ながらお声がけさせて頂きます」


 手は持っていた袋で覆い、地面に落ちていた木で杖を装い、声は風邪になった時の声帯を『思い出し』、逆に白髪を僅かに出すことで老年の男だと思わせる。

 最後に上手くいくかは分からないがハサム師のカリスマ性を『思い出す』つもりで声をかけた。今までしたこともない技術であるが、能力を発揮せずとも説得力の足しになればいいという思惑で。


「何者だ、貴様!」


 騎士が剣を抜く。銀色に輝く見事な長剣だ。普段であれば気後れしたかもしれないが、絶好調の自分は平然と答えを返す。


「申し訳ございませんが、騎士様にここで名乗り上げると少々不都合が出てしまいます。……それでも、よろしいのでしょうか?」


 出来れば、というぐらいの期待度だったが、目論見は成功したらしい。


「まさかハ――――。……、いや、やめておこう」


 剣を向けられるというハプニングはあったものの、どうやら騎士の方は自分をハサム師だと勘違いしたようだった。

 ハサム師の姿を知っている者がいれば架空の古老を装うつもりだったが、都合が良い。


「しかしその言い様ですと……、もしや伯爵の先触れが?」

「いえいえ、様子を見れば薄っすらと分かりますとも。さすがに如何なる事情かまでは……」


 嘘ではないため、すんなり言葉が出てくる。うん、勘違いする方が悪い。


「後日改めてお会いするということでよろしいか?」

「是非に。お会いできる日を楽しみにしています」


 何とか正体をはぐらかし騎士の追及を避けることに成功する。後日騎士がハサム師を尋ねたら?

 騎士が勝手に、ハサム師が知らぬ存ぜぬを通したと勘違いすることに期待しよう。後は知らん。


 騎士との話が終わり、今度は商人に話しかける。さて、ここからが正念場だ。


「まずは謝罪から入らせて頂きたい。私の使者が誤って貴殿の商品を傷つけてしまった事。深くお詫び申し上げます」

「……色々と言いたいことはありますが、私は彼らを使者などではなく盗人と認識しています。路地の陰からこそこそと近づき、商品を持ち去ろうとしたこと。盗人ではなく何と言えますか?」


 盗難しようとしたのは事実と思われるので、もっともな意見だ。何とか口八丁でその場を凌ごうとする。


「それは誤解です。彼らが人目を避けて近づいたのは密命を帯びていたから。そもそも商品を持ち去ろうとしたのではなく、声をかけられた拍子に誤って落としてしまっただけでしょう。すべては見間違い。不幸な事故だったのです」

「なるほど、不幸な事故と。しかし彼らの行いによって私に損害が生じたのは事実です」


 ふむ、やっぱり重要なのは真実ではなく金の方か。

 むしろそっちの方が話は早い。こちらが出せるのは儲け話の類だけなのだから。


「勿論です。起きたことは事故とはいえ、責任は我々にある。その分を私が補填いたしましょう」

「……この度生じた損害は領主様が所持していた名品。とてもあなたのような人が支払える額とは」

「ええ、見ての通り。金も、金になりそうな品物もありません。しかし価値あるものは物品に限りますまい」


 おっと、話に乗ってきそうな気配が漂ってきた。

 前のめりになり、先ほどとは目の光が違ってくる。何らかの金の匂いを嗅ぎつけたのだろうか?

 ここで判断の後押しに、ガラスについての知識を僅かにひけらかす。


「釉薬……でしょうかね?赤色が見事で、確かに価値が高い物でしょう」


 陶磁器貿易で人気だった景徳鎮。技法のひとつに赤絵とやらがあった記憶を思い出す。

 なにぶん、テレビや教科書やネットで流し見した記憶頼りで深い知識も持ち合わせていない。何とか彩色の共通項を捻りだし、出た言葉がそれであった。

 雑学が好きでWikiなど見るのも好きだったが、もうちょっと深く調べる癖もつけておくべきだったか。ボヘミアガラスの彩色法はよく見てなかったんだよな……。


 しかし、割かし適当に喋った内容に、何らかの関心を抱いた様子の商人。これはいけると、駄目押しの一言を発した。


「とある品物の工法、その技術をお教えしましょう。あなたが得た損害に匹敵するどころが、はるかに超える財を齎すことを約束しますよ」


 こうして陥落した商人との密談を成立させることに成功し、二人で幌馬車へと向かうことになる。

 その前にボロを出さないよう、これ以上余計なことをさせない為にもジャリド達を居住地へ帰させる事にする。

 若干、上の空な商人から了承の返事をもらい、ジャリド達の元へ向かった。


「皆は帰りなさい。後は私が話をつけておこう」


 話しかけると、彼らは互いを見合わせ、知らない人物であることを確認している。彼らは老人が同胞であると思ったようだが、見かけたことがない人物でもあるため不審がっているようだ。

 ジャリドが代表して聞いてくる。


「……申し訳ありません、非常に助かりました。ですが、あなたはどなたでしょう?お会いしたことがあるのかも知れませんが、声に聞き覚えがなく名が分からないのです」


 正体は分からないが恩人でもあるためか、丁寧に話しかけてくる。普段カナンに対する態度と違うため、どうにも違和感を感じてしまう。


「お会いした事はありますよ。ですが私も密命を帯びている身。詳しいことは明かせません」


 徹頭徹尾、適当なことを話して煙に巻く。

 ここを乗り切れればいいため誤解するような言い方をしたが、そのまま適当に騙されていてくれればいい。十歳未満の子供が、並外れた度胸で大人と交渉したというより真実味があるだろう。後は勝手に解釈してくれ。


 騎士にも了承をとったが、少年たちは壁の外への退去処分という形になった。それと同時にこの場は解散となったらしく、騎士の一声で野次馬共々、散り散りに去っていく。

 謎の老人の正体が気になる民衆も多かったが、騎士が解散を宣言した以上、残ることに拘る者はいなかった。好奇心で下手に目をつけられては堪らないからだろう。

 後に残されたカナンは、西門へと向かって行く彼らを尻目に商人の後へ続く。


 さて、ここからが本当の交渉だ。

 この騒動を今の境遇から脱却するための足掛かりと変えるために。とりあえず正体を明かすことから始めよう。

 嗄れた声を出すのも疲れたし、商人とは今後とも長く付き合っていきたい。




――――




 西門広場にて解散していった民衆の中。

 その中の一人に、とある男の姿があった。


 周りと比べ、特に浮いた外見をしているわけではない。周囲の市民と変わらぬ格好をし、周囲と同じく人の流れに沿うように帰路に就く。

 路地を曲がり、坂を上り、時にはすれ違う人と談笑しながら歩を進める。


 やがて男は、何の変哲もない一つの家屋へとたどり着いた。

 躊躇いなくドアを開け、家の中へと入っていく。

 物がほとんどない空虚な部屋の中心に、ぽつんとテーブルと椅子が置いてあった。そこに腰掛ける、奇妙な男が一人。


「おや、お早いお帰りですネ」


 妙なイントネーションのある言葉を放つその男は、顔の半分を包帯に包まれていた。露出した方である右目が、やけに赤く光っているように見える。


「面白ぇ見世物がありましたっすよ、隊長。公国が神命にやる気がないっての本当そうだ」


 買い物籠をテーブルの上に置きながら、隊長と呼んだ男の前の椅子に腰掛ける。

 購入したパンや果物などを品定めするように漁る隊長。


「ヘエ、どんなことがあったんですカ?」


 隊長に西門広場で起こった難民の盗難騒動について話すと、機嫌良さそうに笑いだす。


「随分と胆力のあることデス。袈裟懸けに斬られてもおかしくない状況だというのニ」

「難民はどうでもいいっすが、騎士の方は問題っす。剣の騎士装、ありゃ『山脈割り』だ」

「ホ。確か、オストリヌス公国の挙兵を、ボルカ山脈を越えて止めた英雄さんですネ。……我々の存在が気取られた可能性ハ?」

「残念っすが、今のところは何とも言えないっす。ただ詳細がばれてるなら、俺たちがこんなところで、のんびり出来ていないと思うっす」

「フーム、偶然カ、何らかの情報を察知して派遣されたカ。何はともあれ、準備だけは怠らないようニ。接触はどうなっていますカ」

「ちょうど良さそうな人材を見つけているっす。簡単に誘いに乗ってくるとは思うっすが、秘密保持には期待できそうにないっす」

「作戦決行後は一気ニ、ですネ。他が当初の予定通りナラ問題ないでショウ。『山脈割り』は私が押さえておきマス」


 その返答に男は驚く。

 今回の任務は今後の影響も考えて、存在を匂わすことすら厳禁の秘密作戦だ。騎士の到来は想定外だが、交戦は避けるべきものとして厳命されている。


「良いんっすか?正体バレするかも知れないっすよ?」

「構いまセン。この国で私を知る者はいないでしょうシ……」


 そう言いながら、懐から木で出来た仮面を取り出す。目と口の部分が空いたシンプルな仮面だ。

 目の前に仮面をかざしながら、隊長が心底楽しげに笑う。


「見られてしまってモ、燃やしてしまえば良いんですヨ。跡形も無く、ネ」


 男は隊長の放つ異様な雰囲気に、我知らず唾を飲み込む。


 ハルパの街に潜む陰謀が、静かに鎌首をもたげてきていた。

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