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カナンの備忘録  作者: 久我義一
第一章 『難民居住地』
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第五話『目論見』

 さて、本当に困ったことになった。

 ヒューイは割れたガラス片を手に一人、思案する。


 盗みを働こうとした彼らは今、身なりの整った騎士に威圧され声も出せないでいる。別に騎士が凄んでいるわけではない。鍛錬によって研ぎ澄まされた存在に圧倒されているのだろう。

 特に逃げ出すそぶりも見せないため拘束等はしていない彼らは地面にへたり込んでいた。

 

 一目見れば盗人が、都市周辺部に住む難民であると看破できる。身なりは薄汚れており、中央部にいる貧民窟の住人に似ていた。財産も碌に持ち合わせていないだろう。


 さて。そうなると、賠償などは期待できなくなる。

 親も変わらぬ難民の身分だろうし、金の支払い能力はほぼないはず。

 奴隷として売り飛ばそうにも知識層でない東方人は値段が安い。労働力としてならまだ需要もあるが、あまりに年若い者ばかりなので相当安く売り叩かれるだろう。


 これが盗まれただけなら盗品を取り返した上で彼らを安く売り払ってしまってもよかったのだが、よりによってサンサラガラスを壊されてしまった。今、店にある一番高値が付く品を、だ。

 梱包材を詰めていたため全て割れていた訳ではなかったが、無事だったガラス全てを売り払えても大損だ。ただでさえ今回の収益はワインの放出でトントンだというのに。


 さらにハルパ伯爵の好意によって頂いた品というのも厄介さに拍車をかけた。

 本来であれば、街の外部の人間の視点から、ハルパの街の治安を守る者としての伯爵に盗難事件の責任があるとみなすことが出来る。

 しかし今後の口利きに悪影響を及ぼさないためにも伯爵の責任などは決して口にはできない。行商人の噂でハルパの街の評判が下がっても、自らの首を絞めるだけになるだろう。


 結果、責任の全てはみすみす盗人に商品を割られてしまった自分に帰結する。

 さて、如何ほどの損害になるだろうか。全く、どうしようもなく悪い。


 少し考え込むヒューイだが、近くにまだ立ち去っていない騎士がいることに気が付く。


「おっと。申し訳ございません、お騒がせしてしまって」

「……、いや、我々も、もっと早くに止めていられれば良かったのだが」


 ――?随分と人の良さそうな騎士様だ。恐らく他領の騎士だろうに、現地の軍が行うべき治安維持に気を砕くとは。


「警備隊も直に来るでしょう。賊の拘束は我々で行いますので、騎士様は本来の職分にお戻り下さいませ」

「……ああ、我々も任務の途中にある。しかし、あー、……一つ聞かせてもらいたいのだが、彼らはどのような処分になるのかね?」

「さすがに被害が大きすぎますから……。見せしめのためにも広場で斬首刑、首は晒されるでしょうね」


 少年たちは震え上がる。実際どのような処分になるかは現地の法次第だろうが、腹いせ半分で少々大げさなことを言った。

 すると何故か、騎士の方も反応しだす。


「……、そうか。しかし、彼らもまだ若い。穏便な形で罪を償う方法もあるのではないか?」

「ええ、確かに。彼らは若く、未来がある。奴隷となって他国に売られ、鉱山での労働か、お貴族様のお気に入りになるという道もあるかも知れません」


 先ほどよりも大分穏当な末路を言ったつもりだが、少年たちの顔色が戻ることはない。騎士も何かを悩んでいる様子で、納得する様子はなかった。


 ここに来て、どうやら難民の扱いについて譲れぬ何かがあるのではないかと感じ取る。

 それは損失を補填し得るものなのか、はたまた触れてはならない禁忌なのか。

 探りを入れて商機を見定めるべく、話を長引かせてみる。


「ああ、しかし割れてしまったのが、あの商品だったのは痛いですね。東の動乱のせいで、近年あの手のガラスはめっきり入ってこなくなってしまっているものでして」

「――ああ、私もよく知っている。私が所持しているわけではないが、本家で所蔵しているのを見たことがあるのでね。それを考えれば陰になっていてよく見えなかったとはいえ、声をかけたのは不用意だった。彼らが商品を落とすきっかけを作ってしまった訳だからね」

「とんでもない。私も見ていたわけではありませんが、盗難の目に合っていれば損害はもっと大きなものになっていたでしょう。果たして総額で幾らの損が出ていたか……」

「……もしやその品、元は伯爵様が所持していた物ではないか?そのガラスの欠片を見るだけで相当な値打ち物だと見て取れる」

「おお、素晴らしいご慧眼をお持ちで、さすが騎士様。目利きも相当なものとお見受けします。このガラスは値上がりを続けていますからね。中央であれば、相当な高値が付く事でしょう」

「……そうだろうな」

「伯爵様に頂いた品ということもありますし、やはり事を穏便に済ますことは出来ないでしょうね。伯爵様にお詫びも致しませんと……」

「――いや、伯爵様には私から言っておこう」

「!?なんと、それはありがたい!」


 騎士の申し出に、内心の驚愕を隠し笑顔で感謝を伝える。

 騎士は何でもないかのように鷹揚に頷いた。


「私から伝えた方がハルパ伯爵にも聞き入ってもらい易いだろう。この件に関わった身として、事を大きくすることは本意ではないからな。あとは金銭的問題とするがいい」

「はっ。有難く存じます」


 責が直接問えないとはいえ伯爵統治下の街で起きた事件。一介の商人を下手に攻め立てることはないだろとは思うが、確かに一言伝える必要はある。

 逆に言えば、自分が憂慮すべきことは突如被ったガラスの損害と伯爵へ伝える言葉を下手に責め立てるものにならないよう気を遣う事。穏便な言葉選びに心を砕く負担を減らすことは、いくらお人よしとはいえ身なりの良い、しかも大半が貴族相当の東方騎士が大した見返りもなく出張るほどの事でもない。

 事を大きくしたくないという言葉は紛れもない本心だろう。……いや、もしかしてそれが重要なのか?


 政治的理由か、個人的理由か。そこは分からないが商機があると感じ、目を光らせる。

 金銭か物品か、あるいは人脈の紹介か。場を収めるための代償を要求できるかもしれない。

 交渉を行おうと口を開きかけた時だ。


「騎士様とのお話しが終わったようですね。横から失礼しますが、お声がけさせて頂きます」


 突然近くから、しゃがれた声が聞こえてくる。


 周囲に人混みあったものの、騎士や商人を遠巻きにして見ているばかりだったはず。すぐそばには誰もいなかったはずだ。

 驚きの顔で、その人物を目にしてみる。


 手袋をした手で杖を突き、全身を少年たちと同じようなボロをまとった小さな人物。

 被り物の隙間から見える白髪と嗄れた声で老人と見て取れるが、素肌を見せぬ異様な風体に僅かに気圧される。

 周囲の観衆も老人が言葉を発して初めて存在を気付いたようで、驚愕の声が一斉に上がっていた。


 騎士も老人の不気味さに警戒心を露わにし、目にもとまらぬ速さで抜いた剣を突き付けていた。


「何者だ、貴様!」


 抜かれた剣は見事な銀色で、陽光に照らされ鋭い光を放っている。場違いながらも一瞬目を奪われた。

 一方の老人は向けられた剣の見事さを気にも留めていないようだ。剣を向けられているという状況にも関わらず丁寧に返答する。


「申し訳ございませんが、騎士様にここで名乗り上げると少々不都合が出てしまいます。……それでも、よろしいのでしょうか?」


 その不遜な返答に気色ばむ騎士だが、数舜後には何かに気づいたかのように顔色を変えた。


「まさか、ハ――――。……、いや。何でもない」


 何かを言いかけるも言葉を取りやめ、騎士は剣を収めた。

 そして姿勢を正し、先ほどと打って変わった丁寧さで老人に声かける。


「しかしその言い様ですと……、もしや伯爵の先触れが?」

「いえいえ、様子を見れば薄っすらと分かりますとも。さすがに如何なる事情かまでは……」

「……なるほど、分かりました。後日改めてお会いするということでよろしいか?」

「是非に。お会いできる日を楽しみにしています」


 老人の言葉に何を納得したのかは分からないが、騎士は老人をこれ以上問い詰めることをやめたようだ。

 老人は次にこちらへ向き直る。


「まずは謝罪から入らせて頂きたい。私の使者が誤って貴殿の商品を傷つけてしまった事。深くお詫び申し上げます」


 深々と腰を曲げる老人。彼は言った。使者、と。


 少年たちを見るが、何が起きたか分からない様子で一言も言葉を発しようとしない。唐突に表れた老人に理解が及ばず、ただ戸惑い狼狽えているだけに見える。

 商人は改めて老人に向き直り、顎を摩ってから言葉を発する。


「……色々と言いたいことはありますが、私は彼らを使者などではなく盗人と認識しています。路地の陰からこそこそと近づき、商品を持ち去ろうとしたこと。盗人ではなく何と言えますか?」

「それは誤解です。彼らが人目を避けて近づいたのは密命を帯びていたから。そもそも商品を持ち去ろうとしたのではなく、声をかけられた拍子に誤って落としてしまっただけでしょう。すべては見間違い。不幸な事故だったのです」


 現場を直接見ていた騎士に視線を移すが、彼は肯定も否定もせず、ただ成り行きを見守るだけに徹するようだ。

 衆人環視の中、粛々と返答を続ける老人に向き直る。


「なるほど、不幸な事故と。しかし彼らの行いによって私に損害が生じたのは事実です」

「勿論です。起きたことは事故とはいえ、責任は我々にある。その分を私が補填いたしましょう」


 ピクリと、自分の眉が上がった。


「……この度生じた損害は領主様が所持していた名品。とてもあなたのような人が支払える額とは」

「ええ、見ての通り。金も、金になりそうな品物もありません。しかし価値あるものは物品に限りますまい」


 老人の視線は、ヒューイが持っているガラス片へと注がれているようだった。

 一気に全身が熱くなるのを感じる。まさか、という思いと、難民は東の民だったはず、という期待の根拠で全身が熱くなる。


「釉薬……でしょうかね?赤色が見事で、確かに価値が高い物でしょう」


 思わず息を呑む。それは数多の職人が、どうしても再現できない色を指していた。説得力が格段に増す。

 老人は布越しだったが、確かに微笑みながら言った。


「とある品物の工法、その技術をお教えしましょう。あなたが得た損害に匹敵するどころが、はるかに超える財を齎すことを約束しますよ」




――――




 サンサラガラスの特徴は金属光沢で彩られた色彩豊かな文様や耐熱性、様々な形状のガラス工芸品にそれらが表現されていることである。

 長年謎に包まれていた技法で作られており、サンサラガラスに嫉妬しつつも魅せられた者達が再現に莫大な金額と年月を費やすことも数知れず。されど終ぞ出来上がることのなかった品物だった。


 その謎を、この老人が知っているかも知れない。


 ありえない話ではないとヒューイは思った。過去に起こった秘匿技術の拡散は、こうした難民や民族の移動によって起きたこともある。

 そもそも今回アーセディア教圏の東端部に来たのはサンサラガラス仕入れの段取りが本題ではない。


 サンサラガラスの製法を知る者を得る事にある。

 中央が必要とするものは品物に限らない。量産を可能とする技術こそ、喉から手が出る程に欲しい本命だった。


 そのため少年たちは帰し、老人のみ人目につかないところで交渉するという提案に乗る。

 老人は子供たちの去り際、何かを話していたようだがもはやどうでもよかった。


 馬車の幌を締め切り会談場所とするため、老人に背を向けランプに火を灯す。

 今思えば少々浮かれていたのだろう。老人の異様な気配も説得力の向上に一役買っていた。そのためトントン拍子に事が上手くいく感覚に乗せられ、老人がなぜ全身着こんでいたのか深く考えもしなかった。


「さて、それでは交渉に入りましょうか」


 その代償と言おうか。商売にあたって必要な疑う事を忘れていたという事実を、嫌というほど思い知らされる衝撃が襲ってきたのは。


「ええ、交渉に入りましょう」


 聞こえてきたのは、若いというか、幼いというべき高さの声。

 驚きに振り返り、その姿を見て更に驚くことになる。


 頭巾を脱いだ彼は老人ではなかった。そこにいたのは長い白髪を後ろで束ねた、褐色の少年。やたらと意識を引く琥珀色の瞳が、こちらを見据えてくる。


「それではまず、認識の擦り合わせから始めましょうか」


 先ほどの嗄れた声はどこに行ったのか、悪びれる様子もなく鈴が鳴るような声を発していた。

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