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カナンの備忘録  作者: 久我義一
第一章 『難民居住地』
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第四話『破綻』

 夜が明け、隔離居住地に再び朝がやってきた。

 いつもと同じように朝食を食べ、それでも満たされない空腹を抱えて仕事へと向かう。


 『思い出す』能力があれば満腹感を思い出し空腹感も消えるのだが、それに慣れてしまうと気づかぬうちに餓死してしまいかねないため使用は必要最小限に止めている。

 以前倒れた時は低血糖か何かで死ぬ寸前までいった


 ふと昨日のイザクとのやり取りを思い出し、周囲を見回す。昨日のようにイザクが顔を見せるかもと思ったが、その様子は無いようだ。

 イザクに会えない日もあるが、不穏な話を聞いた翌日ということもあり何やら嫌な予感が沸き上がるのを抑えきれない。


 イザクに会えぬまましばらく歩いたところ、サフィーアが珍しく小屋の前に立っていた。何やら不安げに辺りを気にしている様子だ。

 近寄るカナンに気づいたサフィーアはすぐに声をかけてきた。


「ああ、カナン。いいところに来た」

「サフィーアさん。こんなところでどうしたんですか?」

「さっきジャリド達が門とは正反対だけど、街の方へ歩いていくのを見てね。用事があるとかならいいんだけど、こそこそした様子に何か嫌な予感を覚えて……」


 奇遇ですね。自分もですよ。


 嫌な予感は外れそうにないなと思いながら、これだけは聞いておかなければならないと質問をした。


「その中にイザクはいましたか?」

「イザクかい?確か……、うん、多分いたと思うよ」


 イザクが付いていながらか、と暗澹たる気持ちで息を吐く。

 イザクは押しに弱い性格をしている。抑えとしては力不足なのは充分予想できた。


「向かった先は門の反対って言っていましたよね?」

「ああ、あっちの方角だ」


 指された方角には岩壁が崩れて街の中に入れる箇所がある方向だった。

 木材で封鎖こそされているが壁が崩れている個所は複数あり、指さした方は本格的な補修はまだされていない場所だったはず。


 頭巾を被り直し、厳しい目でジャリド達が去った方向を見つめた。




――――




 岩兜騎士団団長ブレストは騎馬に乗った数人の団員を連れ、鍛冶場区域を通り過ぎる。厳重な管理区域を過ぎれば市民街へと出るのは遠くなかった。


 仕事場へ向かう者たちや、あるいは既に従事している者などが喧騒を成し街へと活気をもたらしている。

 その光景だけ見れば戦争の機運など感じられないだろうが、幾人かの耳聡い者たちは世情の不安を聞き知っていた。


 今まで対岸の火事だと思っていた東の戦争に関わる可能性。

 アーセディア教国に物理的、あるいは権力的に近い者ほど神命広布の影響を理解している。東の地であるハルパ伯領でも統治者層は戦争への備えを水面下で進めていた。

 反面この地域の住人は二百年間、交易を通してビビリア半島と交流してきたため危機感が鈍くなっている。

 小競り合いこそあれ、決して闘争のみで彼らと関わってきたわけではないため、逆に全面戦争の可能性を思い浮かびにくくしてしまっていた。


 アーセディア教国、いや、かつての戦争時に解体された旧ルマニウム帝国圏は知っている。宗教間戦争の激しさと悍ましさを。


 かつて両勢力の解体で痛み分けとなった戦争は、一時クローシス大地中央部を混乱の渦に叩き込んだ。その爪痕は今も各地に残っている。

 今のエルダヴァニア公国の前身もルマニウム帝国を構成する領邦として対サンサラーム教の最前線に立ち、戦火を交えた悲惨さを残してきた一族だ。


 レブラン家も戦禍の記憶を代々伝えてきた。

 死にゆく若者、行き場のなくなった老人、食う物なく餓死していく幼子。

 戦争後は名誉どころか帝国もなくなり何も得られず、新たな王の元、ろくな縁者もない中で瓦礫の街を再建することから始まったという。


 神の名の下に、未開の地の征服を。大変結構なことである。私にだって信仰心もあれば、異教徒に何も感じないわけではない。

 ただしその信義は、神命とやらのために如何なる被害を許容するという訳ではない。


 少なくとも戦争を回避する手段がある内は戦争以外の決着を模索し続ける。

 我が主君エルダヴァニア公も同じ思いなのは確認している。


 そのために重要なのが、このハルパの街に在留している難民たちだ。


「さて、確か難民たちの代表はハサムという老人だったか?」

「はっ、ブレスト団長。姿の詳細はいまいちはっきりしませんでしたが、老人であるということは共通していました」


 副官に確認をとると、昨日情報収集をした結果が返ってきた。


 街に来たばかりのブレストたちは、当然のことながらハサムという人物の容姿を知らない。

 そのためハサムと会ったことのあるハルパ伯爵配下の役人が同行を申し出てきてくれていたのだが、とある理由から断っていた。

 ハルパ伯爵自身を信頼していない訳ではないが、会談内容を吹聴されるような隙は出来るだけ見せたくない。騎士団の真の目的を考えれば猶更だ。


 そのため老人という情報と、彼の居場所の情報のみを頼りに会いに行く。

 話に聞いた限りでは歳もあってか遠出するような人物ではないようだが、出直すことになっても構わないと考えていた。


 ここで背後に向き直り、数人の部下へ注意を行う。


「今一度確認をとるが、此度の話し合いの目的は分かっているな?」

「はっ。難民たちへアーセディア教への改宗をとりなし、それを持って教国への一定の成果とする、というのが目的であります」


 部下の一人がはきはきとした物言いで答える。

 そう、それが今回ハルパの街へ派遣された岩兜騎士団の表向きの目的だ。


「そうだ。そのためにも決して圧をかけた物言いはするな。それと文化の違いもあり、何が逆鱗に触れるか分からん。お前たちは必要な時以外、決して喋らないように」


 部下たちへ行う念押しに、一様に帰ってくる了承の返事。

 その声を背にブレストは西門の方へと向かって行った。


 ハルパの街には東門と西門がある。難民たちは交易や行軍の邪魔にならないよう、門から離れた南に居住地を持っていた。

 事前に得ていた情報と合致するが、難民たちは統率が取れている。市民からは異教徒という嫌悪感はあるが目立った諍いも聞かず、他国の民に対しての配慮も行き届いているようだ。


 彼らがここまで大人しくしているのは他に行き場がないというのもあるし、彼らの教えの誇りによるものも大きいと考えている。

 裏を返せば良い条件と引き換えの改宗を迫ってもたやすく頷きはしないだろう。交渉が難航することは想像に容易い。


 ――まあ改宗は表向きの目的。本命は別にあるのだが――


 いずれにせよ何か月がかりにもなる難事である事は予想がつく。

 粘り強く、毎日であっても説得に通い続けるつもりだ。


 決意を新たに前を向き、西門前広場にたどり着く。広場には行商人が店を開き、客呼びをし始めている。

 周囲は人が集まり始め賑やかさを増してきているようで、店員と客の活気ある話し声が飛び交っている。


「駄目だって。ハサム師が許さないよ」

「言っただろ。言葉だけじゃ、もう無理なところまで来てる。俺たち……、いや、俺が何とかしないと」


 ふと、先ほどまで考えていたハサムの名を聞いたような気がして路地裏の目を移す。

 そこには暗がりの中、みるからに街の住人ではないボロを着た少年たちが数人。

 行商を行っている店を目指し移動している最中だった。


「やめよう、今ならまだ間に合う」

「そっちこそやめろって。気づかれるだろ」


 潜めた声の応酬をしている内に、彼らは店裏に止めてあった馬車の幌へとたどり着く。


「ほら、この木箱でいい。それを持ってさっさとずらかるぞ」

「そんな物を持って逃げ切れるわけないじゃないか!」


 一人の声が次第に大きくなり、集中していたブレストの耳に入ってきた。

 さては物盗りかと、ここまで来ては見過ごせなくなったために声をかける。


「お前たち、何をしている!」


 ひっ、と体を竦めさせる少年たち。その後に響く木箱の落下音。


 ガシャンと響いたのはこもった破砕音。落ちた木箱を見てみれば、昨日似た意匠を見た覚えのあるガラス食器が、

 無残に割れ、ガラス片が箱の外へ漏れ出していた。


 少年たちは誰何したブレストの鋭い視線と衝撃音から集まってしまった視線の中、身を竦ませて逃げ出すことも出来ないようだった。


 改めて見てみれば、その肌は程度の差こそあれ褐色で髪も黒に染まっている。街の住人でないことは外部の人間からしても一目瞭然だ。


 統率で纏まっているはずの難民が、街の中で盗みを働いた。


 その事実に、この後の予定がすべて瓦解した音を聞いた気がする。


「おやおや、これは困りましたねえ」


 背後からは昨日すれ違った商人が、感情の浮かばぬ笑みで近づいてきていた。

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