第二話『思惑』
兜を脇に抱え、領主館の一室に向かう使用人と騎士の姿があった。
騎士は髭を蓄え一見粗野な印象を受けるが、髪は綺麗に撫でつけられ歩みは堂々としたものだ。身にまとう鎧は手入れが行き届いているのが分かるほど磨かれており、見る人が見れば高貴な出の人物であることが伺える。
使用人は彼に気後れしたかのように、黙してただ先導する事だけに勤めていた。
その騎士が歩く廊下の先に、身なりの整った平民の姿が見受けられた。男はこちらに気づくと立ち止まり会釈する。
おそらく商人の類だろうと一瞬意識を傾けるだけに留め、騎士と使用人は傍らを通り過ぎる。
行先には、この城の主の執務室がある。恐らく今まで商談などを行っていたのだろう。
扉の前には護衛が立っており、自分が腰に携えた剣に視線を向ける。それに対し使用人は手を横に動かすと、護衛は了承したかのように会釈をした。
毎度必要な作法を経て、使用人が扉の向こうにいる主へ語り掛ける。
承認が得られたのだろう。使用人が扉を開け、仕草で室内へと案内する。
「執務中失礼いたします、ハルパ伯」
執務室に入り一礼する。
部屋の奥、まず目につくのは壁に掛けられた長柄の斧だ。異様な存在感を放ち黄金色に輝く斧は、今まさに作られたかのような鋭い光を放っていた。
そのまま視線を下ろした先には、書類を前に書き物をしていた小柄で老年の男が少なくとも表面上は歓迎するかのように大仰に頷いた。
このハルパの街の領主、ギレスレー・ハルパ伯爵が。
「ハルパまで遠路はるばるよく来てくれた、ブレスト団長。山脈を越え首都から遠く離れた地への旅路、さぞかし疲れたであろう?今日の業務も既に終わりかけでね。少し座って待っていてくれ」
気遣うような言葉と表情でブレスト・レブラン騎士団長を労うハルパ伯爵。
だが内心どう思っているのかは定かではない。彼の言う任務内容は決して気分の良くなるようなものではなく、面倒ごとの類だからだ。
「冬を間近に控えお忙しい中、我らを受け入れてくれたこと。そのお心遣い感謝いたします」
「うむ。ささやかだがホットワインなどを用意してある。席上に用意させるので、少し待っていてくれ。……ところで、エルダヴァニア公は息災かね」
「はっ。この度下された神命に、猊下の御心を計りきれぬ身を嘆きながらも、現状と擦り合わせ、ますます意気軒昂に大儀を叶えるべく邁進してございます」
その持って回った言い方の意味が伝わったのだろう。ハルパ伯が苦笑する。
「神命広布。確かに難儀な課題であろう。……うむ、どうにも筆が進まんな。今日はこれくらいにしよう」
ハルパ伯がペンを置き。執務机の前の椅子へ移ってくる。さして高くない身長に対し歩みはしっかりとしたものだ。前線から引いて久しいと聞いているが、まだまだ体は現役らしい。
ハルパ伯が席に着く。そこへちょうど良く給仕がワインを持ってきた。この近辺では見慣れないワインボトルで。
「……ハルパ伯。これはまさか……?」
「分かるかね?ボルデックス産のワインだ。最近手に入れたものでね。さすが、こちらにまで名声が聞こえてきただけのことはある」
機嫌よくグラスに注がれたワインを回すハルパ伯爵。距離が離れているため、噂でしか聞いたことのない名品は色さえ特別に感じられそうだ。
ふと、先ほどすれ違った商人の姿が脳裏に浮かぶ。執務室にまで入ることが出来る人物ということは、さて、そういう事だろうか。
「少なくとも我々は同じ苦難を味わう者だ。まずは手始めに噂に名高きワインの味でも共有しようではないか」
「はっ、ありがたく頂戴いたします」
ワインを口に含むハルパ伯爵に続き、グラスをゆっくり口に向かって傾ける。
鼻を突き抜ける香りと口に広がる芳醇な味わいは、確かに噂で聞いた通りの美味しさだった。
「ほぉ、さすが名品と謳われるだけのことはあります。今まで味わったことのない味わい深さです」
「そう言ってもらえると提供した甲斐があるものだ。最近交易にも力を入れたいと持っていてね。このような地方の名産が継続的に仕入れることが出来れば、街の隆盛にもつながろう」
そういってグラスを掲げるハルパ伯爵。
ふと今までワインに集中していたため、意識していなかったグラスに視線が移る。
この辺では東の交易品として、決して多いと言えないまでも少量流通しているサンサラガラスだ。
西のルマンガラスと違い色彩豊かな異国情緒あふれる絵柄が特徴。東の情勢がきな臭くなってからは市場に全く入ってこなくなり値段は上昇する一方だ。
このグラスも民間レベルでの交易が存続していた時代に入手した一品だろう。
「このガラスも交易の一つとなるのでしょうか」
「……うむ。いずれはそうなると良いのだがな」
ハルパ伯爵は椅子に体を預け、少しばかり遠い目をして言う。
「知っての通り、三つ巴の東の争いは二国間に絞られた。ブダウラ家はほぼ壊滅状態だろう。残るトゥフルー家とサマニダフ家だが、このままならトゥフルー家が権勢を握ると見ている」
「ビビリア半島の再統一ですね。記録によれば二百年ぶりと」
「アーセディア教国としては、そうなる前に東方征服に手を付けたいのであろう」
大陸西部から中央部にかけて広く信仰されているアーセディア教。その総本山としてノストラーム海に浮かぶ半島、アペネー半島に居を構えるアーセディア教国。
かの国からアーセディア教を国教とする各国に、神命として未開の地とされる各方面への征服事業推進が公布されたのは数年前の事だ。最近では神命広布と呼ばれている。
西部の果てのエスパレス半島。
南部に位置するイフェリア大陸。
北部一帯のティガー地方。
そして東部のビビリア半島への遠征。
公布に従い遠征業に従事するかは国次第だが、アーセディア教の影響下にある程、教国の意向を無視できない。
特にビビリア半島周辺は、かつてアーセディア教と諍いのあったサンサーラム教が信仰されている地である。
このエルダヴァニア公国は対サンサーラム教の最前線という事もあってアーセディア教に様々な便宜を図ってもらっているが、同時にアーセディア教に依存しているともいえる。耕作に使える土地が少なく、穀物の多くを輸入に頼っているからだ。
「我々としては供物を供えるために、嵐の中を突っ込む気にはなれんでね。何とか穏便に神命を果たせないかと苦慮しているところだ」
ハルパ伯爵が神命と領地に板挟みにされている心境を吐露する。
神命に依って東の征服事業に手を付ければ、真っ先に戦禍に曝されるのはハルパ伯爵領だ。教国の征服目的は本物であろうから戦争支援は十分な物となろうが、戦中戦後の見返りがある保証は定かではない。
それに、過去の因縁もある。
戦乱渦巻く東部に態々進出したくないというのはハルパ伯の紛れもない本心だろう。
さて、ここからが本題になる。ブレスト団長が率いる岩兜騎士団が訪れた理由、その本筋が。
「大公様も同じことを憂慮されています。そのため、先触れとして我々が参った次第です」
「……ほう、エルダヴァニア公が?」
話に前向きになったのを口調で表すハルパ伯爵。しかしまだ内容へ興味と訝しさが半々といった所だろう。態度には警戒心が見て取れる。
エルダヴァニア公は教国と地理的に近い。心情はどうであれ神命広布を推進する立場にあると思っていたが、という面持ちだ。
「ええ。まずは郊外にいる東の民と話し合う許可をいただきたいのです」
ハルパ伯爵は疑問に眉を顰める。
「話し合い?戦果を喧伝するために駆逐するのではなく?」
「ええ。我々は穏便な解決策を求めています」
にこりと笑むブレスト団長。ただその瞳は、ひたすら自国の益となるものを見据えていた。
――――
「ふむ……。収支は悪くない」
行商人としてハルパの街までやってきた男の名はヒューイ・アラカラム。彼は木札に書き記された取引の金額を見て独りごちた。
この街は久しぶりに行商が訪れたこともあってか、随分と娯楽に飢えていたようだ。西方の品々の物珍しさに興味を惹かれ、想定よりも客足が伸びている。
「おっと、その木箱は慎重に扱ってくれ。伯爵様からもらった貴重な品だ」
木箱を運ぼうとした部下の男そう指示する。
中身は僅かばかり譲ってもらった貴重なサンサラガラスの食器類だ。代わりに遥々持ってきた秘蔵のワインをほとんど放出したが、将来に向けての投資と思えば高くはない。
周囲を見回し在庫の状況を簡単に確認していた時、まだ幼さが残る声が自分を呼んだ。
「親父、帰ってきてたのか」
馬車の陰から姿を現したのは行商人見習いとして連れてきていた我が子フレンだった。まだ十代半ばにも達していないが、長旅に堪えた様子もなく調子は悪くなさそうだ。
吹いてくる風が運ぶ砂塵に顔を顰めながら、こちらに向かってくる。
「伯爵様への用事はすんだのか?」
「ああ、今後の展望についてな。以前渡したワインが殊の外気に入ったそうだ。今後交易路が確立すれば活きてくるだろう」
「……本当に交易なんてできるのか?」
そう言いながら、訝し気な視線を向けてくる。
「噂話をちょくちょく聞くけど、戦争が近いかもしれないんだろ?この街の近くが戦場になるかも知れないっていうし、商売出来る余地なんてあるのか?」
「あるとも。戦争というのは商人にとって大事な商機だ」
……そういえば、フレンは今まで市民に対する取引しか教えてこなかったな。
最近商売について意欲的に学ぶフレンに、教育がてら世情の話題を振ってみた。
「我々商人は品物があるところに訪れ、仕入れ、それを必要とする人の元へ届けることで成り立っている。今この地が必要とされる商品は、何かな」
「……伯爵様に持って行ったワインや干しブドウ、チーズ、飾り細工とか」
「うむ、悪くない。では逆に、この地にある商品とは何かな?」
フレンは先ほど積み込まれた木箱を見る。
「サンサラガラス?」
「正確にはそれらを始めとしたビビリア半島の特産品だ。この周辺にも鉄器や馬など見るものはある。しかし販路が確立されたそれらより、ガラスや織物のほうが中央で高値が付きやすい」
いいか、と人差し指を立てフレンに指南する。
「現在ビビリア半島の混乱でガラスや織物が入って来辛くなっている。しかしそれもアーセディア教圏内とサンサラーム教圏内の接触が断たれたことに由来するわけだ。しかし、ここに来て両国が交流する目途が立った。つまり、ビビリア半島の商品が入荷する目途が立ったともいえるわけだ」
「交流って、戦争が起きるんじゃないのか?」
「戦争も交流だよ。具体的には、戦地に行った兵士が持ち帰る品々や、流入してきた難民の所有物などがアーセディア教圏内に入ってくるわけだね」
フレンの顔が驚きに目を見開かれる。
ここら辺はまだまだ青いな。戦争で儲けるなど初歩の初歩だというのに。
「じゃあ、戦争が起こったら俺たちはそこで商売するの?」
「私たち、とは限らないな。アラカラム商会の人員が送られてくるだろうし、買取はハルパの街の商人が行い、我々はその商人と交渉していくかもしれない。差し当たってハルパ伯爵の胸先三寸だろう」
そう言葉を締めくくる。フレンは難しい顔をして、今話した内容を自分なりに噛み砕いているようだった。
ふと先ほどすれ違った騎士の顔を思い出す。装いといい、見慣れない紋章といい、恐らくエルダヴァニア公爵所属の騎士だ。わざわざ伯爵領まで訪れたということは、戦争の機運が高まっているという事だろう。
この時期に来たということは、冬を越え春の到来を待っての大攻勢だろうか?ならば丁度いい時期にきて伯爵との知己を得られたと思う。
ハルパの街に鐘が鳴る。
気づくと日は落ちかけ、街は夕日に照らされかけていた。
遠くを見ると壁の向こう、先ほど話に挙げた難民の先陣が炊事場の煙を上げていた。
その光景を見て、先ほどは敢えて言わなかったことを思い出す。
必要とされる品物は、物品だけに限らないということを。