第十三話『襲撃』
事態が起こる少し前。
テントの中ではジャリドがハサム師の代理を務めようと張り切っていた。とは言っても指示することはハサム師がし終わった後なのでやることもなく、セナクから指導者の仕事内容や心構えを教わっているだけなのだが。
そんな中、同じく待機中でやることのないイザクが、灯された火種を前にギアのイメージを練習していた。
前にカナンと一緒に訓練したときは、はっきりとしたイメージが見えていたが、一人で行っている今は全く思い浮かばない。
火、炎、ランプ、燃え上がる、浮かぶ?どうやって?
火はどうしても火元から直接燃えるもので、空中で離れて燃える想像が浮かばなかった。
前に思い浮かんだイメージは、なにやら手から離れた物が燃えたように見えたのだが……。
考えがまとまらず、ランプをじっと見る。油に浸かった芯がノズルから突き出し、その先で火が燃えている様は昼間なのに妙な幻想感を感じさせた。
しばらく見つめている内、芯が燃えていかないことに気づく。薪はすぐ燃えて灰になっていくが、ランプの芯は先が黒ずんだまま燃え広がっていかないのだ。
こうしてまじまじとランプを見る機会がなかったため今まで気づく事がなかったのだが、考えてみれば不思議な事だと疑問に思う。
こうして火を見つめ続けたのを不思議に思ったのか。イザクの父であるセナクが席を外し近づいて来た。
「どうした、イザク。種火の番をしているのか?」
「父さん。ランプの芯がずっとそのままだけど、燃えていかないのかなって思ってたんだ」
「ああ、別にこれは芯が燃えているわけではないからな」
「え?芯が燃えてるわけじゃないの?」
「芯は下の油を吸い上げているだけだ。だから実際に燃えているのは下の油という事になる」
「へえ~、そうなんだ」
「なんだ、イザクはそんなことも知らなかったのか」
父と問答をしているとジャリドも興味を持ったのか近づいて来た。説明する人が二人に増える。
「確か、吸い上げた油が液体から気体になって、それが燃えているんだ。だから芯は焦げるだけなんだってさ」
「液体が、気体に?」
「そう、そもそも属性とは循環するもの。『水』は蒸発して昇り『空』になり、『空』は結露して落ち『水』になる。『土』は安定した土台となり、『炎』はそれら属性を混ぜ合わせる性質がある。イザクも将来、四属性を教わることになるだろう」
「そうか……、芯から気体が上がって、それが燃える……」
どうやら感覚は掴めたかもしれない。
体から炎は出るけど、体は焦げない。なら、燃えているのは体から発する何か……。
自分の手の平を見て、体から揮発する何かを幻視する。それは非常に燃えやすい何かで、宙を漂い、そして念じれば……。
「?何だ?」
唐突に父から疑問の声が上がり、集中が解けていく。
ジャリドも何かに気づいたらしく、テントの外を気にしだした。
「セナク?」
「少々お待ちを」
父がテントから外を窺う。
入り口を捲った瞬間、外の喧騒がイザクの耳に入って来た。
「早く逃げっ――!!」
叫び声とも悲鳴ともつかない音が遠くから聞こえてくる。一人ではなく複数人の声だ。
その上、人ではない獣の唸り声のような声も。
「!お前たちは待て」
「セナク!俺も行く!」
「駄目だ!イザク!ジャリドに付いていろ!」
「おい!俺はハサム師の代理だ!問題が起きたなら――」
「代理だというのなら、どっしり構えていなければなりません!ここで前に出るのは護衛の役割です!イザク!早くジャリドを――」
両者が押し問答し、イザクが動揺している中。
喧騒の方から来た男の一人がイザクたちのいるテントまでやって来た。
「セナク様!獣の襲撃です!」
「数は!」
「二十……、いや、三十以上!!狼や猪が大挙して押し寄せています!」
「何だと……!」
報告に衝撃を受けるセナク。その隙を突き、ジャリドがセナクを押しのけてテントから出る、遅れまいとイザクもテントから顔を出すが、広がっていた光景に追いかける事を一瞬忘れかける。
そこには、獣の襲撃というには些か規模の大きすぎる狂乱が広がっていた。
昼間にも関わらず、狼が人に牙を向け襲い掛かろうとしている。追い詰められなければ滅多に向かって来ない猪が、親の仇のように人を追い詰めていく。兎は普段の臆病さを忘れたかのように噛みついてきて、向こうでは見たこともない巨獣が人だったものを貪っている。
教えにある地獄が、まるで地上に顕れたかのようだった。その光景にジャリドも我を忘れたかのように立ち尽くしている。
そこにセナクの声が掛かった。
「ジャリド!西門へ民衆を連れ保護を頼め!治安維持の為なら兵も出してくれるだろう!」
「――なっ、俺が逃げるなど――」
「指導者が民衆を導かんでどうする!今のここの責任者はお前だろう!!」
セナクの怒声に口を噤むジャリド。続いて指示はイザクにも回って来た。
「イザクは東門へ!ハサム師に襲撃の事を伝えるのだ!」
「は、はい!分かりました!」
「頼んだ!」
そう言ってセナクは槍を手に、獣たちへ向き直る。
「ここは大人たちが食い止める。その隙に行け!」
視線の先には新たな獲物を見定める目で、先ほどの巨獣が顔を向けて来ていた。
赤い瞳の鬼相に思わず身が竦む。
その固まった体に檄を入れるためか、セナクが背中を叩いてきて叫んだ。
「行けっ!!!」
瞬間、硬直が解けた足で走り出す。
同じようにジャリドも、セナクも走っていく。
ジャリドは民衆へ呼びかけながら西門へ。セナクは槍を携え獣へと。
自分は東門へ。そう、ハサム師にこの事態を知らせねば。
任務を果たすべく、それぞれ別の方向へと走っていった。
「うおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!!」
背に父の雄叫びを受けながら。
――――
「おーい、フレン。店長はどこ行った?」
「親父なら地元の商会と商談中。夏季に向けて話し合いたいことがあるんだってさ」
昼下がりの馬車の陰。カナンはフレンと勉強中だったが、そこに現れたのは商人の一人、ミンデールだった。
「あー、すれ違ったか。倉庫について聞きてえ事があったんだが……ん?よお、カナン。勉強中か?」
「こんにちは、ミンデールさん」
ミンデールにカナンも挨拶を返す。
当初は接触しないようにと言われていたが、頻繁に出入りする商人と会わずに済むなど出来るはずもなく。
こうして挨拶を交わす程度に交流が出来始めていた。
「親父も夕飯前には帰ってくると思うけど、急ぎ?」
「いんや。冬開けすぐに出発するなら、借りてる倉庫内の量も調節していかねえとな。場合によっちゃ、大口取引も通貨中心の取引にしていかねえと」
聞いた話によると、市民相手は通貨取引が中心だが、現地の商店相手の取引は物々交換が基本らしい。価値がある程度安定している銀貨や金貨だが、裏を返せば取引後の儲けが出ないという事でもある。
その点、物品の取引は中央で売り捌ければ大きな儲けが見込める。行商であれば物品でやり取りしない理由がないとの事だ。
現在、街で借りている倉庫には、そうして取引で得た特産品が積まれていっている。ただ馬車に乗せられない量を溜めていっても、超過した分は置いていくしかないのだが。
「ま、今日明日に溢れ出るような量を持ってる訳じゃねえんだ。帰ってきてからまた話すさ」
「分かった。親父には帰って来たら言っておくよ」
そんなやり取りを交わし、ミンデールは場から離れていく。
と、その足が唐突に止まった。
「あん?なんだか騒がしいな……」
「?」
ミンデールの言葉に耳を澄ませるカナンとフレン。
最初は何も聞こえてくる様子がなかったが、段々と人の騒ぐ声が聞こえてくる。
「門の方だな……」
ミンデールが言いながら、門へと行き先を変えていく。
フレンも気になったのか、ミンデールに続いて門の方へ向かって行く。こうなっては勉強も中止だろうと、カナンも石盤を置いてフレンの後を追った。
向かった先、西門ではジャリドが門兵相手に何かを訴えている様子が伺えた。
以前の盗難騒ぎが脳裏に浮かび、思わず苦い顔が浮かぶ。
また何かやらかしたのかと思ったが、そんなジャリドに続くのは夫人や子供を中心とした難民の集団だった。皆憔悴しきった表情で、中には怪我をしている者もいる。
「何だ、ありゃ?」
「?カナン。アレ、何だか分かるか?」
「………………」
フレンの問いに何も答えられない。カナンにも何が起きているのか、皆目見当もつかなかった。ただ、盗難騒ぎの時に感じたような、嫌な胸騒ぎが治まらない。
周囲には先日の騒動と同じく、難民と距離を取るように市民の人だかりが集まり始めていた。
「獣の襲撃が来たんだ!猪や狼や、見たことのない魔獣みたいなのが!!」
魔獣、という単語がジャリドから発せられると、明らかに周囲の空気が変わる。
自分は見た事もないが、角のある獣の変異種だとか。それが難民を襲った?
兵士も通常なら、許可なく街に来た難民など追い返しただろうが、魔獣災害となると話は別らしい。外壁に囲まれた街であろうと被害を被ることがあるのだろう。伝令らしきものが走っていくのが見え、門兵も難民を追い立てる素振りを見せず、情報を聞き取りしているようだ。
「魔獣だあ?冬場も始まったばかりだってのに面倒な」
「ミンデール、魔獣は見た事あるのか?」
「遠巻きにだけどな、騎士団が追い立てているのを見た事がある。ま、そう心配する事もないだろ。伯爵領には質の良い兵士が多いっていうし、今この街には『山脈割り』とかっていう高名な騎士もいるって話だ。後れを取ることは、まずねえだろ」
ミンデールの楽観を示すように、兵士たちは動揺した素振りも見せず粛々と行動していった。異民族の最前線という事もあるのだろう。その行動に淀みは無く、兵士たちの練度の高さを示していた。
難民たちも対処してくれそうな事に安堵したのか、騒ぎ立てる音が止んでいった。その様子に市民も落ち着きを取り戻し、西門にいつもの平穏が戻りかける。
カナンも、ジャリドに会いに行くべきかそれと……別にいいか、と即決の判断を下せるぐらいに気が緩む。
「あ?」
その様子が一変したのは、難民の一人が他の難民の首元を噛んだ時だった。
一瞬呆けた声が響き、襲われた難民が押し倒される。
「なっ!?」
「おい!何している!」
一瞬にして騒然とする西門広場。
難民を噛んだのは怪我を負っていた女性だった。牙を剥き出しに、獣のような形相と赤い瞳で難民を襲っている。
他の難民複数人が引き剝がしにかかるが、見た目に寄らない怪力を発揮しているらしく引き剥がせない。
「うわっ、何をっ!?」
「なっ、お前もか!」
その内、女性だけでなく他の難民からも、人を襲う者が出始める。
兵士は警戒するように槍を難民たちに向けた。
「貴様ら!何をしている!この街の治安を乱すことは――――!」
兵の言葉を遮るかのように、とある男が兵に襲い掛かる。
横合いから来られたため、反応できなかったのだろう。体全体で伸し掛かられ、槍を振るう間もなく倒される。
「があああぁぁぁっ!!!!」
襲った男はジャリドだった。先ほどまで、興奮気味ではあったが理性的に会話出来ていた相手の突然の凶行に、兵も即座の対応を取れなかった。
「がふっ!ががぐ、くくくぁ、くそがああぁあぁぁががが!!!」
「ぐっ!やめろっ!」
ただの叫びか意味ある言葉か判別しづらい絶叫を発し、鎧の隙間から牙を突き立てるジャリド。必死に抵抗する兵士。
そしてその凶行は各地で、市民にも襲い掛かることになる。
「うわっ!来るなっ!!」
「逃げろっ!領主様に報告をっ!!」
「ぐっ!や、がっ、痛っ、ひぃぃいぃぃぃ!!」
突如眼前で繰り広げられる地獄絵図に、咄嗟に反応できないカナンとフレン。
その中で、二人の手を引く者がいた。
「おい、逃げるぞ!」
ミンデールが咄嗟の判断で、二人を連れ広場の外へと向かう。
「何が、何が起きて……?」
「フレン、何も考えずに足を動かせ!追いつかれる!」
人々を襲う難民は増えていくようだった。つい先ほどまで襲われていた者が、今は他の者を襲う側へと回っている。
気づけば難民どころか、襲われた市民すら暴動に加担するようになっていった。ジャリドに倒されていた兵士は赤い瞳を輝かせて、守るべき市民を襲うようになっている。
その時、門扉が僅かに開かれた。開門の仕組みは分からないが、そこに努めていた兵士も襲われたのだろう。外から侵入を阻む最大の壁が破られた。
そしてそこから、赤い瞳の獣が姿を現す。涎を垂らした捕食者と非捕食者が入り乱れ、民衆を標的に見定めている。
市街へと獣が解き放たれた。




