奔放なお嬢様と腹黒メガネ
「今日は乗馬するわよ。一緒に来なさい」
「なんで俺が」
「乗馬はこの屋敷でお前が一番上手いでしょ。いいわね?」
「良くないですけどわかりましたよついて行きますよ」
常に上から目線、強気で勝ち気。
そのくせ俺が言うことを聞いてやるとあどけない笑顔を見せるその少女に、俺は今日も今日とてため息を吐いていた。
ふんわりとした長い茶髪に吊り目な青の瞳、スラリと長い手足、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる理想の体型。
大勢の男を虜にするほどの美貌を誇るその少女の名は、セイディ・ルン・ゴメリーという。名門貴族家であるゴメリー伯爵家の息女であり、十五歳にしてこの国の第三王子の婚約者というやんごとない身分の娘だった。
貴族令嬢といえばお淑やかな印象があるだろうが、うちのお嬢様はてんで違う。
ドレスよりズボンを好み、綺麗な花や宝石より野草や馬を愛する、そんな変わり者だ。
玉の肌に傷をつけたらどうするのだと俺がいくら言っても懲りずに外に出たがるし、俺と一緒に馬で遠乗りしたがるしで全く淑女らしくない。
どんなに躾けようとしても無駄だった。お嬢様はすぐに逃げ出す。そしてそれを日が暮れるまで探し回るのは俺。
彼女のあまりの奔放さに旦那様は頭を抱えているくらいだ。
俺も当然ながら迷惑しているが、仕方ない。お嬢様に同行しつつ、守るのが執事である俺の役目だからである。
「すごいでしょう! 今日はお前と並走できたわ。腹黒メガネ、随分な成長ぶりだと思わないかしら?」
俺を腹黒メガネという罵倒なのか何なのかよくわからない名前で呼びつつ、褒められるのを待つ幼な子のように目をキラキラさせるお嬢様。
無駄に可愛いその表情を見つめ、俺は再びため息を漏らした。
「確かにすごいですが、馬に乗るご令嬢なんて聞いたこともないですよ。貴女はもう少し未来の王子妃の自覚を持って……」
「はいはい。もう結構よ。まったくもう、うるさいんだから。私、王子様の妃になるなんて御免だっていつも言っているでしょう」
「どうしてです。第三王子殿下は見目麗しい方じゃありませんか」
「嫌よ、あんな男に嫁ぐなんて」
お嬢様は口を尖らせ、ぷいと視線を逸らせながら言う。
こんな会話をしたのは一体何度目か。その度にお嬢様に逃げられ、明確な答えを聞けていない。
ただわかるのは、彼女の好意が婚約者ではない人物に向けられているということだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
お嬢様の意思がどうであれ、彼女の結婚は政略的なものである。
今でも親しい付き合いの王家との関係をさらに良くしたいと考えるゴメリー伯爵家にとっては格好の機会に違いない。
それをお嬢様も理解しているだろうに、淑女らしくしろという周囲の言い分を全く聞き入れようとはしなかった。
来年には彼女は王家へ嫁ぐというのに……。
「腹黒メガネ! 今日は駆け落ちごっこするわよ!」
「駆け落ちごっこって何ですか。今日は第三王子殿下とのお茶会が」
「いいから!」
お嬢様は今日も俺を連れ出し、どこかへ行こうとする。
要するに第三王子と会いたくないらしい。そんなに婚約を破断にしたいのだろうか、彼女は。
「いけません。俺にだって立場があります。お茶会だけには参加してくださいって、いつも言っているでしょう」
「どうしてよ。婚前なのに私の体に触れようとして、しつこく匂いを嗅ぎまくって、足にキスしたがるド変態なのよ!? あんなのは嫌。絶対に! それともお前、私の言うことが聞けないのかしら?」
確かに彼女の婚約者である第三王子は、外面は完璧王子様のくせに実は匂いフェチで足フェチというとんでもない変態だと聞く。
が、腐っても王子なのだ。関係を悪くして婚約を破談にされ、そのせいで俺が執事職を解雇されてしまったら困る。
「後で一緒に遠乗りしてあげますから」
いつもならこう言うと、渋々ながらすぐに引き下がってくれる。
だからこの日も大丈夫だろうと、俺は思っていた。
でも。
「……今日はダメ」
お嬢様は毅然とした態度で言った。
「ねえ、大好きなら言うことを聞いて。命令……いいえ、これはお願いよ」
ああ、美少女にこんな風にお願いされて、聞き入れない男などいるだろうか?
疼く胸をグッと抑える。しばらく悩んだ後、出した答えは。
「後で怒られても、俺は責任を負いませんよ。お嬢様に脅されたって言いますからね」
「それでもお前執事なの?」
「一応は」
「本当にお前は……」
お嬢様は俺を引き連れ、屋敷を飛び出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
駆け落ちごっこと言うからには何かとんでもないことかと思いきや、いつもの馬の遠乗りと大して変わらなかった。
ただし一つだけ違ったのは、お嬢様が手綱を握る馬の後ろ側に俺が同乗したこと。
お嬢様の意図は不明だが、楽しそうにしているので詳しくは問い詰めないことにした。
波打つ茶髪が風に揺れて俺の鼻先に当たり、くすぐったい。
「お嬢様、今日はどこまで行くつもりなんです」
ふと俺が問いかけるが、お嬢様は答えない。
代わりに質問で返してきた。
「――ねぇ、お前は私のことをどう思っているの?」
あまりに関係のない話過ぎて、俺は首を傾げる。
どう、というのは一体どういう意味だろう。
「奔放で手がかかるお嬢様だと思っていますが」
「ふーん。それだけ?」
「お嬢様は俺にどんな答えを求めてるんです」
笑いまじりに答えた俺を、お嬢様は首だけで振り返ってまっすぐに見つめてきた。
青い瞳はいつになく真剣で、唇が震えている。彼女は大きく息を吸い込むと、言った。
「腹黒メガネ。私を駆け落ちする気はあるかしら?」
――ああ、とうとう言われてしまったか。
彼女の言葉……否、告白を聞いて、俺が思ったのはそれだけだった。
取り乱したりはしない。静かに、言葉を返した。
「ご冗談を。これは『ごっこ』で、本物の駆け落ちじゃないんでしょう? もし本気でも、駆け落ちなんてあり得ませんよ」
お嬢様は少しだけ、顔を伏せて。
しかしすぐにけろっとした顔で笑った。
「……なーんてね。そうよ、その通りよ。ちょっとはお前の動揺した顔が見られると思ったのに、残念ね」
その日は少し遠いところまで行って、本来王子とのお茶会が開かれるはずだった時間が終わる頃、一緒に屋敷へ帰った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その日を境にお嬢様は変わった。
今まで極端に嫌っていた婚約者との手紙のやり取りやお茶会への参加をやるようになったし、馬に乗るのもめっきりやめてしまった。
――お嬢様が俺に想いを寄せていることは、ずっと知っていた。
見て見ぬふりをしていたが、お嬢様がわざと奔放に振る舞って第三王子に嫌われようとしていた理由も、俺を振り回すわけもわかってはいたのだ。
出会ったのは三年前のことだった。
お嬢様が十二歳、そして俺が十四歳の時、新しく執事としてゴメリー伯爵家に雇われた俺はお嬢様に引き合わされた。
「ふん、お前が新しい執事なの」
鼻を鳴らし、ズカズカと俺の前までやって来たお嬢様。
彼女は俺を頭からつま先まで舐めるように見回すと、一言。
「まさに腹黒メガネね」
と、とんでもないことを言ったのだ。
「……え?」
「イケメンでメガネと言ったら腹黒って決まっているでしょう? だから今日からお前は腹黒メガネよ。わかったわね?」
随分偏見があり過ぎる言い分でギョッとしたが、あながち間違いではないので俺は言い返せなかった。
そんな風だったから最初はてっきり嫌われているかと思った俺だったが、その全く逆だったのだ。
お嬢様は俺を軽く罵倒するようなことを言いつつも、俺が馬で近隣の町に出かける姿を見て自分も馬を習いたいと言ったし、俺を連れ回すこともしばしば。
俺と一緒にいる時、本当に楽しそうな笑顔を浮かべるものだから、彼女の気持ちに気づいたのはすぐだった。
俺のどこに惹かれたのかわからずお嬢様の専属メイド――中年の女性で既婚者だ――に聞いてみると、「人恋しそうにしてるところでしょうねぇ。友達がいないのはお嬢様も同じだから。似た者同士は惹かれ合うっていうでしょ?」と言われた。
そんなものだろうか。俺にはよくわからない。
だが、どんなにお嬢様が俺のことを好きであろうが無意味だ。
彼女が十三歳の頃には婚約者ができてしまった。いや、それ以前に、例え第三王子の存在がなくとも俺とお嬢様が結ばれるなんてはずがないのである。身分差を差し引いたとしても、絶対に。
なぜなら俺は、ただの執事ではない。
このゴメリー伯爵家、そしてその周辺の重要機密を狙い、祖国に知らせるために送られた、隣国のスパイなのだから。
俺は、ここの隣国である大きな帝国で皇帝にお手付きにされた侍女の子だった。
皇族特有の赤い瞳を持って生まれてしまったせいで皇妃や腹違いの兄弟姉妹に恨まれた。しかし皇族の証である赤い瞳がある以上殺すことはできないらしく、幼少の頃から厳しい教育を受けた挙句、スパイとしてこの国に放り込まれることになった。
『皇族として認めてほしいならせいぜい帝国の役に立つことだ』
自分のやらかしで俺という子を作っておきながら、身勝手な皇帝はそう言って俺を突き放したのである。
瞳の色を隠すために特殊なメガネをかけて潜入したのは、ゴメリー伯爵家。
ゴメリー家は王家と親しく、それだけ国の根幹部分と関わることも多い。俺はゴメリー家当主、つまり旦那様が握る重要機密を盗み出すために執事として雇われることにしたのだった。
もちろん身分は偽り、極小商家の息子という名目で。
しかしいまだに重要機密は見つけられていない。その上、もう重要機密を盗み出す気すら無くなっている自分を自覚している。
だが俺は決して認めたりしない。お嬢様にすっかり絆されてしまっているということを。
だってこんな腹黒メガネと結婚したところで、お嬢様が幸せになれるわけがない。
例え嫁ぎ先が変態王子だとしても俺よりはマシだろうから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そして月日は流れ、お嬢様……セイディ・ルン・ゴメリー伯爵令嬢と第三王子ダグラスの結婚式の日がやって来た。
お嬢様は立派な桃色のドレスを纏い、いつになく美しく輝いていた。
そのまま馬車に乗って王宮へ向かう。
本来は屋敷で別れを告げるはずが、なぜだか俺も同乗することになった。彼女の最後のわがままだろうか。
そう思っていた俺は、甘かった。
「少し落ち着かないの。お前と一緒に散歩がしたいわ」
王宮に着いて馬車を降りるなり、そう言ってお嬢様は俺の手を引いて歩き出したのである。
いくら最後の思い出作りとはいえ、さすがに花嫁と手を繋ぐというのはまずいのではと思い慌てる俺をよそに、お嬢様はずんずん進んでいく。そして向かった先は、馬小屋だった。
「一体どういうつもりなんです、お嬢様」
「どうもこうもないわ。腹黒メガネ、今度はお前が私を後ろに乗せなさい」
「……は?」
「馬鹿ね。こんなところからはさっさとおさらばするのよ」
そう言うなりお嬢様は桃色の花嫁ドレスの裾をビリビリ破ったかと思うと、サッと馬に跨ってしまった。
「さあ早く」
……まったく、このお嬢様は奔放過ぎる。
どう言ってこの場を収めたらいいのかわからない。ドレスは破られてしまった。今更戻ったところでどうなるというのだろう?
「お嬢様。こんな場でふざけないでください」
「ふざけてなんかないわ? 私は大真面目なのよ。
あの変態王子の元から私を攫って、連れ出しなさい」
お嬢様の言葉に、俺は唖然とするしかなかった。
「でも、だって駆け落ちはもう諦めたはずじゃあ……!? だからこそ態度を変えて」
「そんなの、周りを油断させるために決まってるでしょ」
悪戯が成功した子供のようにお嬢様は笑う。
そして彼女は朗らかに言った。
「細かいことなんていちいち気にしなくていいわ。だから私を攫って行って、皇子様?」
次の瞬間、俺のメガネはお嬢様の手の中にあり、ずっと隠し続けてきた赤い瞳が顕になっていた。
この目で直接お嬢様の姿を見るのは初めてだった。いつもレンズ越しに見ていた彼女の顔が迫る。
「その瞳、とても綺麗よ」
ずっと恋しかった、初恋の人。
俺に初めて優しくしてくれて。俺をまっすぐに見つめてくれた、唯一の人。
惚れないわけがない。恋していないわけがなかった。
ずっと気づかないでいようと努めていた。こんな恋なんて諦めるしかないと思っていたから。
皇子と呼ぶからには、俺の素性をどこかで調べて知ったのだろう。
それでも彼女は俺を追い出さないどころか、こうして誘ってくれている。本当に俺を受け入れてくれるというのなら――。
嫌われ者の皇子という立場、隣国のスパイという身の上、そして己への劣等感。
今までの過去やしがらみを全部投げ捨て、俺はお嬢様の……セイディの手を取る。
そして勢いよく、馬に飛び乗ったのだった。
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