狐の面と泣き虫の探偵
電気の消えた深夜の博物館。天窓からの月明かりで照らされた区画では、ガラスが割れ、中にあったはずの貴重な御霊石が無くなっている。そして、割れたガラスが散らばったショーケースのそばには血溜まりの中で倒れている一人の男性とその人物に泣きながら駆け寄る子供の姿があった。
またこの夢だ。どこかから俯瞰したような視点で目の前の出来事を眺めながら、ボクは思った。あの泣いている子供は十年前のボク、そして倒れて亡くなっているのは探偵だったボクの父だ。ボクの父はこの事件が起きた時、とある古物商から博物館に展示している御霊石が盗賊に狙われていると相談を受け、調査と警護を行っていた。
その日は展示最終日の前日で、警護が終わって父と一緒に博物館から帰宅するはずが、父から控室で待っているようにと言われ、待っている内にいつの間にかボクは眠ってしまった。目が覚めた時には既に館内は消灯されており、父に置いてきぼりにされたと早合点したボクは控室から出ると、出口を目指して静まり返った館内をおっかなびっくりしつつ歩いた。怖くて泣き出しそうになりながら進んでいくと、ボクの父が警護をしていた展示コーナーの入り口が目に入り、もしかしたらまだ父がいるのではないかと期待を胸に飛び込んだボクの視界に映ったのが、血を流して倒れている父の姿だった。
子供のボクが必死に父の体を揺すっている。あの時感じた掌の冷たさが脳裏に蘇る。父はピクリとも動かない。誰もいないはずの館内に子供の泣き声が響き渡る。何度見ても胸が苦しくなる。この出来事からもう十年経つというのに、ボクの心は未だにここへ囚われている。父親が殺されたのだから当然だ。忘れられるわけがない。でも、理由はそれだけではないはずだ。
へたり込んで号泣している子供のボクの背後にいつの間にか誰かが立っていた。幼少のボクとシンクロしてそちらへ顔を向ける。男性にしては背の低い人物がボクを見下ろしていた。本当にボクを見ていたのか、それとも倒れている父を見ていたのかは分からない。なぜなら、彼の顔を白い狐の面が覆い隠していたからだ。狐面の男性が片膝をついて目線を合わせると、ボクに優しく話しかけた。
「君、怪我はしていない? 大丈夫?」
ボクは彼に助けを求めようとしたがうまく言葉が出て来ない。そして、一度冷静になったせいで、直ぐそばで倒れている父がどういう状態なのかはっきりと認識出来てしまい、再び泣き出してしまった。
「お……お父さんが……お父さんがっ‼」
目の前の狐面は事態を飲み込んだ様子で、泣きじゃくるボクをギュッと抱きしめた。
「この人は君の父親だったのか。すまない。今の私にはこうする事しか出来ないよ」
そう言って抱擁してくれる彼にしがみつき、ボクは大声で泣いた。そして、泣きつかれてしまったのか、抱きしめてくれた彼の柔らかな匂いに安心したのか、子供のボクはいつの間にかまた眠りに落ちてしまった。
目が覚めると、ボクは椅子に拘束されていた。どうやら体に巻きつけられたロープの感触を抱きつかれていると勘違いし、十年前の記憶が呼び起こされてしまったらしい。ボクは体や椅子をなんとか動かそうとあがいてみるが、体はしっかりと椅子に固定され、椅子は床に打ち付けられておりびくともしなかった。
「おやおや。ようやくお目覚めですか」
声のした方に顔を向けると、依頼人である石川さんが杖をつきながら近づいてきた。ボクは老人を説得しようと声を張る。
「石川さん! 貴方が仕組んだ今回の事件のからくりは既に分かっている! 大人しく自首するんだ‼」
「自首? 何故そんな事をする必要があるんですかな? 私が保険金目的で展示品を盗まれたと自作自演した事は、探偵である御影さん、貴方しか知らないはずですよ? その貴方がこうして捕まっているのに、どうしてわざわざ自首なんてしなければならないのです?」
人の良さそうな顔を醜く歪め、石川さんは懐からナイフを取り出した。まさか。ボクはなんとかして拘束から逃れようと、必死に身動きできない体を動かそうとする。その動きを見て石川さんは邪悪な笑みを浮かべた。
「まるでまな板の鯉ですな。思えば十年前、貴方の父親も私の計画に気づいて止めようとして、その命を落としました。まさか、親子揃って私の邪魔をしようとするとは思いませなんだ。駆け出しの探偵と聞いて、油断しましたよ。
尤も、貴方は父親と同じく私に殺されてしまうわけですがね」
「石川さんが父を……?」
突然の告白にボクは暴れるのをやめて、目の前の老人を見つめる。父の仇は驚くボクを嘲り笑った。
「驚いているようですね。そうですよ。十年前に狐面の盗賊、野狐の仕業に見せかけて展示していた御霊石を隠し、それに気づいて説得しようとした安倍探偵を殺害したのはこの私です」
ボクが抵抗できないと確信し、石川さんは得意げに十年前の真相を話し始めた。
今回の事件と同じように、石川さんはとある事件で一族の血が途絶えた資産家が大事に保管していたという御霊石に多額の保険金をかけており、その当時にちょうど活動を始めた有名な盗賊、野狐から予告状が届いたと嘘をついてそこそこ有名な探偵だったボクの父に警護を依頼した上で、展示最終日の前夜に野狐の仕業に見せかけて御霊石を博物館から隠して、保険金と父から賠償金をふんだくろうとしたのだ。だが、その企みを父に気付かれてしまい、改心するフリをして気を緩めた父をナイフで刺殺、窃盗と殺人の罪を全く無関係な野狐に擦り付けた。
自慢話のように話す石川さんにボクは怒りが湧いてきたが、あの優しかった狐面のお兄さんがボクの父を殺した犯人ではなかったと知って、少し安堵した気持ちもあった。気持ちが顔に出てしまっていたのか、石川さんはボクの顔を見て勘違いして話しかけてくる。
「良かったですね。最期に父親の死の真相を知ることが出来て。それでは、貴方もあの世に送って差し上げましょう。大丈夫。苦しみは一瞬ですよ。
貴方は死後周りから憐れまれるでしょう。その若さで父親と同じく探偵となり、そして父親と同じように野狐に殺された可哀想な人物としてね」
銀色に輝くナイフが振り上げられる。ボクは自分の逃れられない運命を悟り、目をつぶった。恐怖に耐えられなかったというのもあるが、涙をこの仇に見られたくなかった。本当は泣き喚いて助けを請いたかったが、父の話を楽しそうに喋るこの異常者にそんな姿を見せて喜ばせたくなどなかった。
目を閉じてナイフが振り下ろされるのをじっと待った。
こんな事になるなら助手の信太に謝っておくべきだった。
両親のいなくなったボクを引き取って、高校卒業と同時に探偵になることを許してくれたおじさんやおばさんに申し訳ない。
様々な後悔が脳裏に浮かび、そして最後に思い浮かんだのは、十年前にボクを慰めてくれて、この一年間捕まえようと躍起になった狐面の盗賊、野狐への感謝の気持ちだった。
「それでは、さような……貴方、一体誰です?」
石川さんの声がボクではない別人に向かう。ボクもつい潤んだ瞳を開いて、顔を上げる。部屋の陰にいつの間にか誰かが立っていた。ボクよりも背の低いその人物は顔に白い狐の面を被っていた。
狐面の男性は何も喋らず、陰から出てボクらに近づいてくる。突然の侵入者に石川さんは混乱してしまったのか、ボクの背後に回ると人質のように首元にナイフを突きつけてきた。
「う、動くな! それ以上動けば、この探偵を殺すぞ!」
「ボクに構わずそのままこの人を捕まえて! どっちみち、ボクは殺されるんだ! それならせめて、貴方に恩を返したい! 野狐‼ 貴方に罪をなすりつけたこの人を捕まえるんだ!」
目の前にいる人物が野狐であるという証拠はどこにもない。だけれど、十年前から彼を追っていたボクには、確信めいた物があった。
ボクの言葉に逆上した石川さんは冷静さを失い、ナイフを高く掲げてボクに振り下ろそうとした。だが、その無駄に大きな動作を野狐は見逃さず、一瞬で間合いを詰めるとナイフを蹴り上げ、体勢を崩した石川さんにかかと落としをお見舞いした。床に叩きつけられた石川さんはうめき声を上げると突っ伏して動かなくなってしまった。
野狐は倒れている犯人を一瞥すると、椅子に縛られていたボクを解放してくれた。ボクの両肩を掴んで、見上げるような角度で面をこちらに向けながら、野狐が優しげに話しかけてくる。
「御影、怪我はしていない? 大丈夫?」
十年前と同じ言葉を聞いて、ボクは今までの緊張の糸がプツリと途切れ、野狐に抱きつくと大泣きしてしまった。野狐は少し戸惑ったように体を強張らせたが、ボクを安心させる為か、あの時と同じようにギュッと抱きしめてくれた。お日様のような柔らかな香りが嗅裂を刺激する。そして、ボクの意識は段々と薄れていった。
パトカーのサイレンの音が耳元で鳴り響き、ボクは飛び上がって目を覚ました。視界には綺麗な星空が映っている。どこかで横になっているようだ。ボクは毛布をめくって上半身を起こすと周囲を見回した。石川さんの豪邸の入り口でボクは毛布に包まれ寝かされていたようで、向こうでは刑事さんや警察官が皆忙しそうに動き回っている。
ボクは状況を確認する為に立ち上がろうとすると、すぐ隣から声が聞こえた。
「まだ寝てろ。怪我は無いけど、精神的な負担はまだ回復してないはずだろ。大人しく休め」
聞き覚えのある声だ。顔を向けると、ボクの助手である葛ノ葉信太が地面に手をついて腰をおろした姿でこちらを見つめていた。兄のような信太がそばにいることにボクは安堵してまた泣きそうになるが、意地悪くからかわれるのが嫌でグッと我慢すると、どうなっているのか説明を求めた。信太が伸びをしながら答える。
「俺と喧嘩した後、お前が家に帰っていないっておじさんたちから連絡があってよ。んで、しょうがないからスマホに電話かけてみたら繋がったは良いけど、ボソボソと誰かと会話している声が聞こえたんだよ」
「電話が繋がった? でも、ボクは拘束されていてスマホに触れなかったんだけど……」
「暴れてるうちに運良く体のどこかが触れて、通話状態になったんだろ。
電話はちゃんとは聞こえなかったけど、石川さんとか自作自演とかそんな言葉が飛び出してきたから、お前が犯人と対峙してるんだと察して警察に通報したんだ。
そんで、俺が警察よりも先にここに駆けつけたら、地下室で倒れているお前と石川の爺さんを見つけたってわけ。
石川の爺さんはさっき警察に付き添われて病院に搬送されたぜ。命に別状はないみたいだが、歳が歳だから念の為な。お前も外傷はないみたいだけど、一応この後来る救急車に乗せられて病院で検査だ。注射が怖くても泣くんじゃないぞ」
いつもの弄りにボクは若干腹が立ったが、今はそれに突っかかるよりも確認しなければならないことがある。殺されかけたボクを助けてくれた、命の恩人についてだ。ボクは信太の腕を掴んで、ゆすりながら尋ねる。
「野狐は? 野狐はどこにいるの?」
「野狐? へぇ、あの盗賊がここにいたのか。いや、おかしいとは思ってたんだよ。身長がデカいくせにどんくさいお前が、どうやって拘束を解いてあの爺さんをはっ倒したのかって」
「自分がチビだからって僻まないでよ。そんな皮肉を聞きたいわけじゃないの。野狐の姿は? 信太が着いた時にはあった?」
信太はゆっくりと首を横に振った。ボクはそれを見てがっくりと肩を落とす。せっかく助けてもらったのに、お礼も言えなかった。それに十年前の事についても話したかったのに。
「そんな落ち込む事ないだろ。相手は十年以上窃盗を続けている盗賊だぞ? お前を助けたのだって、どうせ気まぐれだって。
アレか? 不良が野良猫に優しくしているのを見て、ギャップ萌え〜とか言っちゃうタイプか?」
「人の事を野良猫扱いしないで貰いたいな。
それに野狐はそんなんじゃない。ボクがピンチの時にかっこよく助けてくれた恩人だから。それなのにお礼の一言も言えずに気を失っちゃったなんて、情けなくて涙が出てくるよ」
また泣き虫と煽ってくるかと思いきや、信太は落ち込んでいるボクを見て小さくため息をつくと、肩に腕を回してきた。
「あー、なんだ? お前のおかげで人殺しの汚名をすすぐ事が出来たんだろ? それだけでアイツもきっと満足してるって。
だから、そんなメソメソするなよ」
ボクと信太はしばらくそのまま何も言わなかった。信太の上着からいい香りがしてきて、なんだか落ち着く。ボクはそれが少し気恥ずかしくて、いつもの調子で軽口を叩いた。
「……なにそれ? もしかしてボクを慰めようとしてくれてる? 信太のキャラと違いすぎでしょ。ってか、全部終わってからノコノコやって来た信太がなんで野狐の気持ちを代弁してるの?」
「このクソガキッ……!」
いつものように信太が怒り出したタイミングで、ボクを迎えに来た救急車が石川邸へとやって来た。ボクはスタッフに案内されながら救急車へと乗り込む。
「なぁ、御影」
バックドアの開いた救急車の外から信太が尋ねてきた。
「野狐はお前の命の恩人だとして、これからどうするんだ? もう追うのは辞めるか?」
ボクは少しだけ考えると、信太の顔を見つめて答えた。
「ううん。確かに野狐はボクの恩人だけど、宝石や骨董品を盗む盗賊なのは変わりない。だから、絶対にボクが捕まえて、彼に罪を償わせるよ」
バックドアが閉まる直前、ボクの答えを聞いた信太の顔はどこか満足げだった。
お読みいただきありがとうございました
思いついた短編その2です
長編にも出来そうな設定ではあったのですが、今書いている途中の話に更に長編を抱えてしまうといつ完結出来るか分からなかったので、回想とクライマックスだけで書いてみました
だいぶ内容を割愛しているので、機会があれば長編に書き直してみたいです