かわいそうなおじさんのはなし
ララはその日日課の散歩中に、血まみれの人族の男を発見した。
一瞬死んでいるのかと思ったが、か細いが息をしているのを見て急いで家に連れて帰った。
家まで運んでくれた仲の良いの馬竜にお礼を言い、ララは治療を開始する。
ララには医療の知識はないが、ララの住む森にはとても不思議な「すごく効く薬草」が生えている。
馬竜達が怪我や病気になった時に食べる薬草で、ララも怪我をした時に試しに使ってみると驚くほど早く怪我が治った。
そんな「すごく効く薬草」を惜しみなく使い、血を拭った後の傷口に貼ったり塗ったりした。
さらに薬草をお茶のように煮出し、飲ませた。
……が、意識のない男は上手く飲んでくれなかったのでララは口移しで飲ませることにした。
ちょっとこぼれたが、男は飲んでくれた。
数回に分けて口移し、カップ1杯分を飲ませた。
血の気のなかった顔に少し色が戻り、か細かった呼吸が落ち着いた寝息のようになるまで、ララは寝ずに看病した。
「ん……」
男が目覚めた時、自分の現状を理解するのに時間がかかった。
自分の最後の記憶は、魔獣にやられ満身創痍で雪の積もる森の中帰る道も分からず力尽きて倒れたところだった。
死を覚悟したし、死んだと思った。
しかし今感じる痛みや暖かさは、男が確かに生きていると実感するのに充分な感覚だった。
(生きて…いるのか…)
目覚めたと言ってもまだどこかぼんやりとしている。
死にかけていたし、目覚めたばかりだから当然だ。
体は動かせそうにはないが、何とか頭と目を動かし周りを見てみる。
どうやら男はローテーブルのようなものに寝かされているようだった。
ローテーブルと言っても柔らかな毛布が敷いてあるので、全く固さは感じない。
視界の端に暖炉も見えた。
(ここは…一体…?)
変わらずぼんやりとしたまま、男は今見ている方とは逆方向に顔を向けた。
(!?)
そこには、ソファに横になって寝ている女性がいた。
寝ているため目は閉じられているが、美人だと男は思った。
驚いたからか美人が近くにいたからか、男は急に頭がはっきりしてきたような気になった。
そして、意識がはっきりしてきたと同時に痛みもしっかり感じるようになった。
「痛っ!…うっ…ごほっごほっ!痛っ!」
出た声は掠れ、声を出したことで咳き込んでしまい更に痛みを感じてしまった。
(いてぇ…やっちまったな…)
「……う、ん?……あ」
(!?)
声を出したことで彼女を起こしてしまったらしい。
目を開けた彼女の紫の瞳を見て、やっぱり美人だったと男はぼんやり思った。
「目が覚めたのね、良かった…!顔色も呼吸も落ち着いたからって安心してちょっと寝ちゃったけど、本当良かった。」
「えっ…と。…っげほ!」
「あ!ごめんなさい。今お水持ってくる。」
彼女はぱたぱたと走っていき、水を入れたグラスを持って戻ってきた。
「はい、お水。ちょっと頭触るわね。」
彼女はそう言って男の頭を抱え、そして男の口元にグラスを近づけた。
頭を支えてもらい、男は少しずつ水を飲む。
「あ、ありがとう。」
「いいえ、気にしないで。」
薄く笑う彼女の笑顔に男はしばし見惚れてしまった。
「あの、ここは?君は?……俺、森の中で倒れて…」
「私の名前はララ。ここは私の家。あなたは確かに森の中で倒れてたわ。」
「ララ……君が助けてくれたのか?」
「えぇ。1人で運ぶのはさすがに無理だったから、手伝ってもらったけど。」
「そうか……まぁ、そりゃあそうだな。」
男は立派な体躯をしているので、ララの言う通り女性1人で運ぶのは無理だろうと男も納得した。
「すまない。俺はキース、キース・オーグル。」
「キース。よろしく。」
「あぁ。助けてくれて本当にありがとう。死んだと、思った。」
キースの言葉にララは苦笑する。
「それはそうだと思うわ。私も最初見た時は死んでると思ったもの。でも、近づいてみたら息があったから。」
「そうか…」
「…えっと、意識も戻ったし多分もう大丈夫だと思うけど、まだ体は傷だらけだからもうちょっと寝た方がいいと思うわ。近くにはいるし、水が飲みたいとか寒い暑いとかあったらいつでも言って。」
ララにそう言われると、途端に眠気が襲ってきた。
確かに体はまだまだ休息が必要なようだ。
キースはララにもう一度お礼を言いたいと思ったが、言葉が口から出る前に意識が遠のいていった。
その後もララは献身的にキースの看病をした。
寝ていても定期的に起こし水分を摂らせたり、傷口の様子をみながら適宜包帯の交換などを行った。
「すごい効く薬草」のお陰でキースはどんどん回復し、数日後には最初ララが寝ていたソファに座れるまでに回復していた。
早く治っていくのはありがたいが、傷に対して治るのが早すぎるとキースは不思議に思った。
「ララは、魔女なのか?」
「魔女?」
「いや、こんなに早く良くなるような傷じゃなかったと思ったんだが…ララが魔女なら、何となく納得もできるというか。」
「あぁ、そういうこと。」
キースの問いかけにララは笑って答えた。
「私は竜族と人族の間に産まれただけで、魔女じゃないわ。」
「竜族!」
ララに竜族の血が流れていると知り、キースは納得した。
竜族は美しい見目のものが多いと噂だからだ。
ララはキースが見たことのある女性の誰よりも綺麗だと思った。
紫の瞳もそうだが、一つに纏められた栗色の髪もとても柔らかそうだった。
「魔女じゃないのは分かったが、なぜこんな回復が早いんだ?」
ララは少し考えた。
「すごく効く薬草」のことを、話してしまって大丈夫なのかと。
キースの命を助けるために惜しみなく使ったから、もちろん傷は普通の人族が治る何倍も早くキースの傷は塞がり癒えていく。
それをキースが不思議に思うのも当然のことだった。
キースが悪い人とは思えないが、素直に話すのは憚られた。
魔女ということにしておけば良かったかもしれないなとララが思っているとーー
「話せないことなら、無理には聞かないし言わなくていい。」
「……え?」
「君は人族でもあるが竜族でもある。人族の俺に言えないことなんて一つ二つどころじゃないだろうしな。こっちは死にかけていたところを救ってもらって、こんな40のおっさんの看病を何日もしてくれた。そんな恩人であるララに、気になるから教えてくれ、なんてこと言える訳がない。」
さっきの質問は忘れてくれ、とキースはララに言った。
ララは母以外の人族と関わることはほとんどなかったが、周りからは人族は野蛮な人もたくさんいるから気をつけろとよく言われていた。
もっとも、森で暮らすララに人族と関わる機会なんて今まで全くと言っていいほどなかったが。
「……ありがとう。」
ララは素直にお礼を言った。
「いや、こっちこそ特に考えもせずに質問して悪かった。」
「ううん。気になるのは当然だと思うもの。」
「もし話す気になってくれたら、俺はいつでも聞くからなっ!」
そう言ってニカっと笑うキースにつられて、ララも笑顔になった。
更に数日経つと、キースは歩ける程になった。
キースの具合が良くなると同時に、キースの中で育っていくものがあった。
(これは……好きになるなって方が無理だろうよ)
優しくて美しい娘。
柔らかい笑顔を返してくれて、変わらず献身的に看病してくれる。
正直なところ、ララが自分に向ける視線に自分と同じ熱がないことはキースにも分かっていた。
分かっていても、気持ちは育っていってしまう。
年齢も、森でひとり暮らす理由も、恋人がいるかどうかも、ララのことは何も知らないと言っても過言ではない。
いや歳くらい聞けよとキースは思うが、女性に年齢聞くのは……と、要はひよっていた。
40にもなり、自国の騎士団の団長ともあろう男が、1人の女性に対して聞きたいことも聞けずにもじもじしているのは、側から見ていてきっと気持ち悪いだろうとキースも思う。
(どうしたもんかな……歩けるようになったし、そろそろ帰らないといけねぇよな)
体も大きく、顔も厳ついのもあり、キースはこれまで恋人と言えるような相手はいなかった。
騎士の職は自分に合ってるし、別に一生独身でも構わないとすら思っていた。
「お待たせ。ご飯できたから食べましょう。」
ララの笑顔を見るたびに鼓動が早くなり体も熱くなる。
「キース?」
その柔らかな栗色の髪に触れたくなる。
「…キース?」
その滑らかな頬に触れ、柔らかそうな唇に……
「キース!」
「うわっ!」
さっきとは違う意味で心臓がバクバクと脈打ち、汗がぶわりと吹き出した。
「大丈夫?具合、悪い?」
「いや!全然大丈夫だ!すまない、ちょっと考え事をしていただけだ!」
「そう?ならいいんだけど。ご飯、できたから温かいうちに食べましょう。」
「あぁ、ありがとう。」
思春期のガキか、とキースは盛大にため息をついた。
「……そろそろ、国に帰ろうかと思うんだ。」
「国に?」
「あぁ。ララに助けてもらってから10日近く経っただろう?歩けるようにはなったし、国に何も連絡もしてないしな。そろそろ帰らないと死んだことにされてそうだ。」
騎士団を預かる者として当然のことを言っているが、ララとの別れを考えると気が重くなるのは仕方のないことだろうとキースは思った。
簡単に会いに来れる場所でもない。
「そうね。そろそろ父が来る予定だから、キースの国の近くまで連れていってもらえないか聞いてみるわ。」
「親父さんが?」
「えぇ、私は1人暮らしだから父が定期的に様子を見に来てくれるの。」
「そうなのか。」
「本当はもうちょっと先の予定だったのだけど、この前キースの事を父に伝えたのよ。そしたら数日以内には行くって返事があったから、明日か遅くても明後日には来てくれると思うわ。」
「なるほど……」
キースには嫌な予感しかしない。
年頃(年齢は未だに聞けてない)の娘と同じ屋根の下に素性の知らない人族の男がいるなんて、キースが親でも同じことを言うだろう。
(しかし……明日か明後日か……)
国に早く帰りたい気持ちは嘘ではない。
キースが怪我をするきっかけとなった魔獣の報告もしないといけない。
騎士団長としての誇りもある。
(ただ……)
そんなキースが後ろ髪引かれるくらいに、ここでの時間は穏やかで優しかった。
その後の会話もなく食事は続いているが、沈黙がこんなに苦にならないのはキースにとって初めての経験だった。
ララとの繋がりを残そうとあれこれ考えたが全然良い案が浮かばず、無情にも時間は過ぎあっという間にララの父が来るという日がやってきた。
「多分、もう着くと思うわ。」
家の外に出ていたララが、入ってくるなりそう言った。
「わかるのか?」
「森が騒ついてるからね。」
「ざわ……?」
「騒つくというか…そわそわしてる、の方が近いかな。」
「そわそわ」
「うん。父は竜族の中でも力の強い方でね。そういう力の強い竜族が近づくと、森や、森に生きてる生き物達が活気付くのよ。」
「……人族にはきっと永遠にわからない感覚なんだろうな。」
やはり種族が違うとこんなにも感覚が違うんだなと、キースは理解させられた感じがした。
「そうでもないと思うわよ?」
「……え?」
「人族もお祭りやお祝い事で賑やかになったりするでしょう?あのなんだかわくわくする感じとか、雪が溶けて空気が暖かくなって草木や花が芽吹いていく感じとか……わかる?」
「あぁ……なるほど。それは、とてもわかる。」
「ふふっ良かった。」
(まいったな)
「ララ。」
「なに?」
「その……国に帰ってからも、連絡してもいいだろうか?」
「連絡?」
「あぁ。手紙でもなんでもいいんだ。ララとこのまま別れてそのままなのは……嫌だ。死にかけたことは災難だったが、それがあったからララに出会うことができた。これも何かの縁だと思ってな。だから……その……」
「キー…」
ララが何か言おうとしたその時、空気が大きく震えた。
同時に家の外でズドン!と重い物が落ちるような音がした。
キースは魔獣かと咄嗟にララを背中に庇ったが、ララはあら?と呑気な声を出している。
外を警戒するも、音がした後は平穏そのもので外からは鳥の囀りが聞こえる。
ガチャリとドアが開いた。
「ララ」
キースと同じくらいの体格をした精悍な男がララを呼ぶ。
「ゲイル?あれ、お父さんは?」
キースの背中からひょいと顔を出したララが男に聞く。
「俺が行くと言って代わってもらった。その男が例の人族か。」
「えぇ、キースっていうの。」
「そうか。」
そう言ってゲイルと呼ばれた男はキースに視線を向ける。
「ララ、俺はこの人と話があるからこのまま中で待っていてくれるか。」
「いいけど……意地悪なことしたらダメよ?」
「あぁ。あんた、ちょっと外に来てくれ。」
ゲイルと共に外に出たキースは、冷や汗が止まらなかった。
外に出た瞬間から、ゲイルからの敵意の篭った視線をバシバシ感じる。
「あ、あの……」
「お前がララに何もしていないのは分かっている。だが嫁入り前の娘の家に人族の男がいると分かっていて落ち着いていられる竜族の男はいない。」
「は、はぁ。」
「お前が少しでもララに手を出していようものなら、お前のことを再起不能にするところだ。」
「いや、えーと……」
キースが口を挟む隙もなく、ゲイルは言葉を重ねる。
「そもそもララの父もなんなんだ。ギリギリになって俺に言ってきやがって。あれは絶対俺の反応を面白がっていた。」
今度はブツブツと独り言が始まり、ガシガシと頭を掻いている。
が、キースは少し引っかかった。
「あの。」
「なんだ。」
ゲイルにギロリと睨めつけられヒヤリとする。
「ララの父とあんたは言った。あんたはララとどういう関係なんだ?」
ララに年齢も聞けなかったヘタレが、ゲイルには聞きたいことを聞けた。
「ん?ララには何も聞いてないのか?」
ゲイルはその見事な赤髪を後ろに撫で付けながら言った。
「俺とララは番だ。」
番……竜族には皆番がいるというのは有名な話だ。
ララは半分だが確かに竜族の血が流れている。
番がいるのはおかしくない話だった。
(なんで、気付かなかったかなぁ俺は)
この数日間の穏やかな恋がバキバキに砕けた瞬間だった。
「お前、ララのこと好きになったんだろう?」
気持ちも伝えてない上に、別人からもたらされた失恋に呆然としていたキースだったが、ゲイルからの問いかけで現実に引き戻された。
「……ぐっ」
「まぁ、ララは優しいし可愛いし料理もうまい。特定の相手のいない人族にしたら、好きになるなっていう方が無理だろうな。」
ため息まじりにそう言うゲイルに、キースとしては同意しかない。
心をグサグサ刺されて言葉は返せないが。
「だがララは俺の番だ。申し訳ないがお前にララを渡すことなどできん。それに……」
心が満身創痍になってるキースに構わずゲイルは続ける。
「お前、歳は40だってな?ララは今年47だぞ。俺達は40で準成人、50で成人だからララは準成人だが、おそらくララは……お前のこと弟ってこんな感じかなーとしか思ってないぞ。」
満身創痍どころのはなしではない。
視線から敵意のなくなったゲイルに肩を叩かれた気がするが、なんの慰めにもならなかった。
今まででいちばん種族の違いを感じた瞬間だった。
「キース、なんだかへなへなになってる感じがするけど大丈夫?」
「大丈夫ではないが……大丈夫だ。」
「キース……ゲイル、キースに何言ったのよ。」
「事実しか言ってない。」
「もう……そうだ、キース。私と連絡とりたいって言ってたでしょ?だからこれ、あげるわ。」
そう言ってララはキースに薄紫色をした一枚の羽を差し出した。
「これは?」
「竜族はこの羽を使って連絡を取り合ったりするの。この羽は私の魔力を込めてるからどこから飛ばしても私に届くし、飛ばす前にキースの魔力を少しでも込めておけば私からの返事は真っ直ぐキースに飛んでいくわ。」
「そんな大事そうなものを、俺に?」
「前も言ったけど、私この森で一人暮らしでしょう?友達少ないのよ。」
ララは微笑んだまま続ける。
「半分人族だけど人族のこともあまり知らないし、キースに色々教えてもらうのも楽しそうだなって思ったの。キースがさっき言ってたみたいにせっかくの縁だもの、このまま終わりにするには確かに寂しいわ。だから、この羽を受け取ってくれると嬉しい。」
「ララ……」
「最初はキース血だらけで死にかけてたし、どうなることかと思ったけど誰かと一緒に過ごすって楽しいんだなと改めて思ったわ。」
「……俺も」
「弟がいたらこんな感じなのかなって思ったし、ゲイルと結婚して一緒に暮らすようになったらこれが毎日かぁって楽しみになっちゃった。」
「ぐぅっ…」
追い討ちが過ぎる。
「もちろん、キースからの連絡も楽しみにしてるわ。」
きっと心からの笑顔だろう、今まで見たどの笑顔よりも美しい笑顔でララが言う。
それを見てキースはなんだかさっぱりした気分になった。
自分とララが一緒にいる未来をこの数日妄想していたが、番の2人の間に入る隙間なんてあるわけがない。
それに、ララとの縁は途切れず繋がってくれた。
キースが望んでいた関係ではなくとも、こんな自分にこんな美しい笑顔を向けてくれる素敵な女性だ。
弟でもなんでもいいじゃないか。
命が助かった上にララとの縁ができた。
充分だ。
「俺も、ララからの返事を楽しみにしてる。」
ゲイルに連れられてキースは国に帰って行った。
ゲイルによると、別れ際キースはとても晴れやかな表情をしていたそうだ。
数年後、ララとゲイルの結婚の儀式に招待されたキースがいた。
幸せそうな2人を見てほんの少し古傷が痛んだような気がしたが、キースは心から2人の結婚を祝福した。
ラッキースケベにも意識がなくて気付かず、告白もできず、そもそも弟どまりだったかわいそうなおじさんでした。