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わからずの恋  作者: 黒川えこう
プロローグ
6/8

決めれた

 夕食をどうしようかという時間になると、外出から戻ってきた明野と河合が様子を見にきた。

 玄関に出た桃子の足元を目ざとく見た河合は男物の靴があることに飛び上がって驚く。

「ちょっと! まさか塚本じゃないでしょうね!」

 ずかずかと入って行く河合に遅れながらも明野が続く。桃子は押しのけられて完全に出遅れ、ほんの数歩の距離をかなり遅れて後を追いかけた。

「これ、どういうこと」

 桃子の部屋にいた琴浦はくつろいだ様子で胡座をかいて座りテレビを見ていた。

「こんにちは」

 挨拶する琴浦に二人がそれぞれぺこりと頭を下げるのを後ろで見ていた桃子は、二人の間をすり抜けて奥に入る。

「お昼ごはんを持ってきてくれて」

「は?!」

「パンケーキもだっけ。じゃあ餌付けされてしまったわけか」

「あはは。まあそうだね」

 笑っている琴浦に毒気を抜かれた様子で二人は「お幸せに」と言い残し帰っていった。

 それもまた桃子には琴浦が魔法を使ったように思えた。一緒にいると不思議と物事がトントン拍子に進むのだ。

「琴浦さんて魔法使いですか」

「魔法使いは藤田管理官だよ。そうだ、火曜の食事断った方がいいよ」

「藤田管理官に聞いたんですか」

「まあね」

 喋りながら琴浦は机の上に置きっぱなしになっていた桃子のスマホを指差す。

「藤田管理官、たぶんメールの返信を待ってる」

「どうしてメールのこと」

「さっき見えた。未読件数すごいことになってるよ」

 見て見ると言われた通り、未読件数がかなり多い。最新の一件を読もうとすると、エントランスのチャイムが鳴った。

「まさか」

「ああ。どうしよう」

 ━━━━━━━━━━━━

 

 インターホンのディスプレイに藤田がいることを確認すると、桃子は琴浦と顔を見合わせる。

「こういうのがストーカーになっていくんだろうね」

 淡々とそういった琴浦は、裏口の有無を桃子に聞くと自分も帰るといって玄関へ歩いていった。

「一応確認なんだけどさ」

 立ち止まった琴浦がゆっくり振り返る。追いかけてきていた桃子の顔を覗き込むと緊張した表情を浮かべた。まるで犯人を前に身構えるようだ。

「君は僕を選んでくれたんだよね?」

 選んだことになるのだろうと思ったら途端に恥ずかしくなって声がでなくなる。酸欠の金魚が水面をぱくぱくやるように口を動かしながらうなずくので精一杯だった。

「よかった」

 顔を緩ませて絞り出したようにそういった琴浦が右手を持ち上げて言う。

「仲良くしようね」

 握手かと思って手をとると、引き寄せられてすっぽり腕の中におさまってしまった。

 こんなことをされるのはもちろん初めてで、どうしていいのかわからない。硬直していると、琴浦がくすくす笑った。

「この調子だと時間をかけた方が良さそうだ」

 琴浦はにっこりして離れていった。

「なんでもない。玄関の鍵はちゃんとしてね。ばいばい」

 翌日出勤すると職場は塚本の件でもちきりだった。なにせ出勤してきた塚本を藤田が捕まえてそのまま自分の個室へ連れて行くと、外に聞こえるほど強い口調で叱責したのだ。たまに『結婚詐欺』や『責任』といったキーワードが漏れ聞こえるので、その場にいて聞いてしまった人間はもれなく興味深そうに聞き耳をたてていた。

 その様子を遠くに見ながら桃子は自分のやるべき仕事を淡々とこなす。

「天野さん。塚本さんとは仲良かったでしょう? なにか知らないの?」

 噂好きのお局さまが何度ももそう話しかけてくるが、桃子は小さく頷くだけだった。

「本当に? まあ、あなたはぼんやりしてるし気づかないでも無理はないわね」

 意地悪な言い方をされるのは慣れている。ここでなにか言えば面倒になるだろうと明野と河合に言われたことを思い出していた。

 やっと藤田の部屋から出てきた塚本は漂白されたように白い顔をしていた。桃子と目があっても何も言わずにフラフラとカバンをもって出ていった。

 入れ違いに書類をもって藤田の部屋に入ると、疲れた様子の藤田が椅子にだらりと座って電話しているところだった。

「はい。人事にはのちほど」

 受話器をおろすと、のっそりと立ち上がる。

「体調は良さそうですね」

「ご迷惑おかけしました」

「あのあと大丈夫でしたか。あの…スケコマシは現れませんでしたか」

 スケコマシなんて言葉を使う人間がいたのかと桃子はぱちくりする。

「琴浦警部補のことは僕に任せてください」

「大丈夫です。もう」

「いえ。ここははっきりしておかないと。それと明日の食事はキャンセルさせてください」

「はい」

 はっきりさせるなら今言わなければと桃子は下唇を噛みしめた。

「藤田管理官。わたし」

「安心してください。あなたのことは僕が守ります」

 電話が鳴り、藤田が受話器をとると桃子はすごすごと引き下がってしまった。部屋をでる寸前抱えていた書類の存在を思い出し、慌てて藤田の机の上に載せに戻る。藤田は目があうとかすかに微笑んだようだった。

 とうとうその日は言うことができなかった。火曜の食事はあちらからキャンセルされたがそれで問題が解決したことにはならない。

 自宅へ帰ってシャワーを浴びてベッドに倒れるとスマホが鳴った。ディスプレイには琴浦と名前が出ている。

「もしもし」

『お疲れさま。今喋れる?』

「はい。もうあとは寝るだけです」

 そういうと電話の向こうで琴浦がくすくす笑う。

「琴浦さんは訓練でしたっけ。お疲れ様でした」

『ふふ。ありがとう』

 溶けるような甘い声にドキドキしながら居住まいをただす。ベッドの上に正座していると琴浦が知ったらきっと笑われるだろう。

『塚本くんはどうなった?』

「謹慎だそうです。一応、未遂ですから」

 あのあと噂程度に聞かされた。塚本は所轄へ移動になるらしい。藤田がゴリ押ししたそうだ。

『藤田管理官は潔癖っぽいからね。それで明日は』

「キャンセルしたいと言われました」

『そう。ならよかったね』

 ふわっと琴浦があくびした。

「忙しかったんですよね。電話ありがとうございます」

『声聞きたかったからいいんだ。こちらこそ起きててくれてありがとう』

「さすがにまだ寝ませんよ」

『まだ風邪も治りきってないだろうから早く寝なさい』

「はい」

『よろしい。じゃあおやすみ』

「おやすみなさい」

 これがお付き合いというものなのかと、じわじわと顔をゆるませる。

(どうしよう。眠れない)

 寝なさいと言われているので律儀にベッドに潜り込んだが寝返りばかりうっていた。

 起き上がってベランダに出て見るとひんやりした風が髪を揺らす。

 他のひとはこういう時どうするのだろう。そうか、これがつまり好きになるということなのか。

 自覚すると今度は恥ずかしくなってしまった。もう琴浦は眠っただろうか。

 

 

 ━━━━━━━━━━━━

 

 琴浦と毎晩の電話とメッセージのやりとりをするようになって三日。桃子が台車に古紙を載せてエレベータを待っていると隣に琴浦が立った。

「天野さんかなって思ったらそうだった」

「お疲れ様です。訓練終わったんですね」

「警備の人数合わせに呼び戻されたんだけどいらなくなったみたいで。そうだ。今日これからタルト食べに行かない?」

 こくんと頷くと、琴浦もうなずいて微笑む。

「これ片付けたら終わりです」

「じゃあ下で待ってる」

「わかりました」

 琴浦はくるりと周囲を見回し、エレベータホールに二人きりなのを確認すると、台車の取っ手に乗せていた桃子の手に自分の手を重ねた。

「フレンチじゃなくてごめんね」

「タルト楽しみにしてます」

「…うん」

 なにか言いたそうにしていたが、琴浦はそれ以上何も言わず非常階段を降りていった。

 エレベータはまだ来ないのかと表示ランプを見上げると、隣に誰かきた。見ると藤田が立っている。

「お疲れ様です」

「今晩お時間ありますか」

「すみません。約束が」

「そうですか」

 やっときたエレベータに藤田が乗り込むと桃子も続いて入った。先客がすでに二人いて、どちらも藤田を見るなり目礼する。

 重苦しい空気に辟易としながら桃子は藤田の傍らで小さく立っていた。先客が降りると藤田が桃子に向き直る。

「約束というのは琴浦ですか」

 答えられず困って見上げていると、藤田は神経質そうに目を細めた。

「弱みでも握られてるんですか」

 ある意味ではそうだが答え方によって勘違いされそうだ。だからこそしっかり考えて答えねば。

 そう思って口を開いたのに、桃子が話し終わる前に藤田が桃子の肩を掴んだ。

「私はあなたの上司です。塚本のこともある」

「でも」

 すでに琴浦と付き合うと決めているのだ。一言それが言えればいいのに、桃子が喋ろうとすると藤田が首を横に振った。

「任せて。大丈夫です」

 藤田はさっきの琴浦との話を聞いていたのだろう。桃子が台車を片付けて自分のデスクへ戻ると、藤田も自分の帰り支度を済ませてやってくる。

「下にいるんですか」

「たぶんもういるかと」

「行きましょう」

 部屋を出ると河合とすれ違った。桃子と藤田が一緒にいるのを見て面白そうな顔をし頷く。

(あとで言うけど、今助けてほしいよ)

 エレベータは帰る人らがいっぱいだった。藤田は乗り込んだが桃子はさすがに遠慮しようとすると、後ろから来た人に押し込まれてしまう。藤田の胸元に顔を押し付けてしまい慌てて上を向くと、汗だくの藤田が上を向いていた。降りると逃げるように離れて頭をさげる。

「すみません。階段にすればよかったです」

「いいんです。大丈夫」

 額の汗をハンカチで抑えた藤田は、桃子を見つけてやってきた琴浦に気づくと

 敵対心むき出しに桃子の前に立った。

「天野さん、管理官も連れてきちゃったのか」

 苦笑いしている琴浦は、しかしあまり気にならないのか行こうかと歩きだしていた。

 

 琴浦が連れてきたのは本庁からほど近いところにあるカフェだった。表は賑やかだったのに、奥のテーブルは静かで話しをするにはよさそうだ。

 テーブルにつく前にタルトの並ぶショーケースを見ていると、琴浦が桃子の横に並んで同じように覗き込む。

「悩んでる?」

「桃のやつと、洋梨のやつとで迷ってしまって」

「シェアしようか」

「いいんですか?」

「藤田管理官に見せつけたいな」

「…それは流石に」

「えー?」

 振り返ると藤田がじっとこちらを見ている。

「ほら。もうわかりやすくこっち見てる」

 タルトは桃を選んだ。琴浦は洋梨にして、意地でもシェアすると笑った。

 テーブルに戻ると、藤田が一つため息をついた。

「はっきりさせておきましょう」

「俺たち付き合っています」

「い、いつから」

「天野さんが風邪ひいた時から」

「君が押しかけて、無理やり」

「天野さんが選んでくれました」

 ぐるっと二人の視線が桃子で交錯する。

「え、選ばさせていただきました」

 心臓が口から飛び出していくような気持ちだった。言い終えた瞬間、貧血になったときみたいに頭がクラクラする。

「…邪魔でしたか」

「お話できてよかったです。天野さんの上司に報告できたわけですから。これからは見守ってください」

「…失礼」

 コーヒーを半分残して藤田はさっさと帰っていった。最後は桃子のことを見ようとせず、ただ琴浦のことを睨んでいった。

「怖かったね」

 ヘラヘラしている琴浦が運ばれてきたタルトに集中するのを横目に、桃子は肩の荷が一つ降りたような気持ちになっていた。

「おいしい! 食べる?」

「食べる」

「お、やっと打ち解けてきた?」

「これでもかなりがんばってて」

「じゃあがんばらなくてもいいように、ひとつ進んでみる?」

「ひとつ?」

 琴浦がフォークに刺した切り分けたタルトを差し出す。食べろというのかとぱくりと食いついた。

「お、くるねえ」

「じゃあ琴浦さんも」

 同じようにフォークにさして差し出すと、琴浦はじーっと桃子を見ながらタルトを食べる。

「美味しい」

「うん」

 二人でもぐもぐ口を動かしながらタルトと幸せを噛み締めた。

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