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わからずの恋  作者: 黒川えこう
プロローグ
4/8

すなわち三つ巴

「驚いたよ。体調悪いなら無理しないで」

「すいません」

 琴浦の顔を見た途端、めまいがして座り込んでしまった。近くの病院まで連れて行ってもらい、診察や会計まで付き合ってもらい、帰りも女子寮まで送ってもらった。

 風邪と診断され薬も出された。今晩もっと熱が上がるだろうと医者に言われたのだが、今すでに体が辛い。

「無茶しないで」

「ありがとうございました」

 ふわふわして視界も悪い。

 琴浦から見れば、色っぽい隙だらけなだけなのだが病気の彼女をどうこうすることはできない。

(だがこれはあまりにも)

 タクシーの後部座席で支えるという大義名分のもと、琴浦は右手で桃子の肩を抱いている。

(天野さん)

 ぼんやりと目を開いてはいるが息が荒く怠そうにしている。

「天野さん、大丈夫?」

「うん」

(…隙だらけすぎるだろ)

「少し横になったほうがいいんじゃないかな」

「うん」

「…じゃあ、うちにくる?」

 うんと言われても嫌と言われてもどっちでもよかった。ただ少し男として言ったほうがいいような気がしただけである。

 丁度タクシーが信号待ちで止まった。ふと歩道に目をやると、藤田が歩いていた。目が合い、そして大きく口を開けてこちらを驚きの表情で見つめている。

(面倒なことになるな)

 タクシーを追おうとした藤田が鈍臭くつまずき転んだ。見るからに悔しそうな顔をしてこちらを睨みつけながらフェードアウトしていくのを横目にタクシーは走り出す。

(どっちにしても面倒なことになるのはわかっていたはずか)

 傍の桃子は肩で息をしながら眠っている。

 信号機の下についた地名を見てまた桃子を見つめた。次の信号を右へ行けば彼女が住む女子独身寮方面だ。

「運転手さん、次の信号を左に」

 左に行けば琴浦の自宅方面に向かう。

 運転手はチラリとバックミラーで琴浦を見た。先ほどの会話からするに、カップルとは思われていないだろう。

「……」

 何も言わないのは巻き込まれたくないからだろうか。それとも琴浦が疾しいことなど何もない笑顔で見ていたからだろうか。

 

 

 

 

 三つ巴とはよく言ったものだと思う。明野は河井とともにこれまでお互いが知っている情報のすり合わせを行い、現在天野に起こっている変化を語り合っていた。

 金曜の二〇時、女二人独身寮で呑んでいるなんて寂しい話かとオヤジどもには言われそうだが二人はこれほど面白いことはないと思っていた。

「正直桃子は田舎に帰って見合いでもするタイプだと思ってた」

 そういって缶チューハイを煽るのは河井だ。明野は大きく頷いた。

「やはり男というものはわからない。いや、ある意味わかりやすすぎるのかもしれないな」

「確かに。わかりやすすぎて、何かあるんじゃないかと思えてくる」

 三人がそれぞれ桃子に思い描いているであろうイメージを書き起こしたメモを手に取る。

 まずは塚本だ。塚本は、凹んでいるときに優しくされてそのまま懐いたのではと二人は考えている。根拠は二人がそれぞれ見聞きした塚本の桃子に対する姿勢である。メモの端には『シスコン?』と明野の文字で殴り書かれていた。

 次は藤田である。藤田は見るからにエリートといった容姿で、女性に対しても硬い姿勢を貫いている。しかし桃子にはなんだか隙を見せようとしている。最初に気づいたのは明野だった。桃子が藤田からもらったGPS付きのぬいぐるみ型キーホルダーを見て、藤田に対する見方が変わった。

「藤田管理官は天野を監視したいんだろうな」

「それはどうかな。私は藤田管理官がどうしていいのかわからないなりに考えた、天野を守る方法なんだと思う」

「守る方法?」

「そう…藤田管理官てたぶん童貞だし」

「!?」

 河井の言葉に驚愕した明野だったが、確かにそう考えると納得できる。

「なんとなく感じていたピュアさはそこだったのか」

「まあ勝手な想像だけどさ」

「じゃあ琴浦さんは?」

「あの人は…たぶん天野にとって一番厄介だと思う」

 厄介という言葉で表すには少し乱暴すぎるかもしれない。

 河井は缶チューハイの空き缶をビニール袋に押し込み、ひとつため息をついた。

「天野って責任感強いし、そこ攻められたらツルッと行っちゃうかも」

「うん…というか、それでいいんじゃないか?」

「ダメダメ! あの人女ったらしで有名だから! 今だって優秀なのに留め置かれてるのは、同期の奥さんと浮気を疑われたのが発端だっていう話だし、そういう人なんだって天野は知らないんだからきっと傷付く!」

 大きな声で一気に言った明野本人が驚いているようだった。

「あんたも天野のことが大事なんだね」

「河合だってそうでしょ」

 

 土曜の朝はなるべく早く起きて洗濯を済ませ、あとはゆっくり過ごす。テレビを見たり本を読んだり、朝食は食べたり食べなかったりで、昼はだいたいインスタントラーメンだ。午後は図書館に行くことが多い。少し遠回りして散歩がてら近所の野良猫を見に行くこともある。今日はどうしようかと思う前に、桃子は自分が風邪をひいたことを思い出した。

「天野さん、水分取ろうか」

 優しい男の人の声に頷きかけてそっと目を開けた。ここが自分の部屋でないこともすぐわかった。

 ベッドの横には琴浦が座り、にこにことスポーツ飲料のペットボトルを差し出している。

 桃子の眉が不安げに下がると、琴浦が言い繕う。

「送ろうと思ったら、君寝ちゃったんだよ。起きないし、家の場所知らないからさ」

「すいません! すぐ帰ります!」

「いいよいいよ。風邪ひいた女の子ほっぽりだせないし」

 もぞもぞと体を起こした桃子は、自分が昨日着ていたシャツ一枚で、履いていたスカートもストッキングもなくなっていることに気づいた。

 見回すと丁寧に畳まれた状態で床に置いてある。独特な畳み方のそれを見て自分がやったとわかった。

「これ着る?」

 差し出されたのは男物のジャージだった。

「お借りします」

 布団のなかでもぞもぞと着ていると、琴浦はそうだと思い出したようにキッチンの方へ行く。

 ジャージの上下をだぶだぶと裾を余らせながら立ち上がり見回してみると、古いアパートの部屋なのだがものが少ない分広々としていてセンスもいい。自分が寝かされていたベッドは一番奥の部屋にあるのだが部屋を分ける襖を取り払い、居間には大きなテレビがありその前に置かれたソファがおしゃれだった。

「こっちおいで。ごはん食べよう」

 食欲はないが言われるがまま行くと、琴浦がカフェボウルとおわんにそれぞれ雑炊をいれてもってきた。

「アチチ。ふう」

 スプーンもバラバラだし、揃いの食器というものはないらしい。

「熱いから気をつけてね。鳥雑炊だよ」

「琴浦さんが作ってくださったんですか」

「まあ一人暮らし長いからね。風邪ひいたときお袋が作ってくれるやつなんだけど」

 少しずつフウフウと息を吹きかけながら食べると、とても美味しかった。熱いのを一生懸命食べていると、隣に座った琴浦も同じようにフウフウやりながら食べている。目が合うとにっこりされた。

(なんでだろう。落ち着く)

 すっかり食べて薬も飲み、桃子が洗い物をしようとすると琴浦がすぐに済ませてしまったので手持ち無沙汰だ。しかし不思議と居心地悪いようなことはない。

「体温計あるから使って」

「ありがとうございます」

 熱はまだ少し高めだが、昨日のような感じはしない。

「よかったね。ひどくならなくて」

「はい。ありがとうございます」

「じゃ、送ってあげるから帰ろうか」

「え」

 突然そう言われて驚いた自分に驚いた。まさかこのままここにいたいとは自覚していなかったのだ。

「ふふ。帰りたくなかったらうちにいてよ。いつまでも」

「すみません。わたし」

「いいよいいよ。ついでに苗字も変えちゃおうか。琴浦桃子って、どうかな。可愛いと思うんだけど」

 揶揄われているのだと思って赤面してしまうと、琴浦はゆったりと桃子の隣に腰を下ろしたまま笑っている。

「どうやったら君はわかってくれるだろうね」

「はい?」

「他の二人は相当やってたと思うんだよ。藤田管理官は職権乱用してるし、塚本くんは正攻法だ」

 二人の名前が出て初めてわかった。河合が言っていたことそのままだ。

「僕はどうしようって考えたら、もうズルい手を使うしかないと思ったのが始まり。エレベーターで君と一緒になったとき、今しかないって」

 じっと桃子の顔を見ているので、琴浦は鋭く観察しているのだろう。しかし桃子の頭の中はゴチャゴチャしていて自分でも何を思っているのかわからない。

 目の前の琴浦や、塚本や藤田が桃子のことを好いているなんて。

「風邪をひいた君を保護したとき、実は藤田管理官に見られたんだ。いつこの部屋に来るかわからない」

「住所知ってるんですか?」

「藤田管理官なら調べられるよ。だから、あの人が来る前に帰るほうがいいだろう」

「そんな」

「いたかったらいつまでもいて欲しいけどね」

 琴浦の部屋から駅まで歩いてすぐだというので帰ることにした。ジャージはそのまま着ていけばいいと言われありがたくそうすることにした。送ろうとした琴浦のスマホに上司からメールが入って藤田管理官が琴浦の住所を確認したというので、ここに残って対峙するという。

「やっぱり私もいた方が」

「大丈夫。負けないよ」

 そういって握りこぶしを作ってみせた琴浦の笑顔にホッとすると、桃子の頭の上に彼の手のひらが乗った。

「今度はゆっくり遊びにおいで」

 はいとは答えられずにいると、頬をむにっと摘まれる。

「天野さん。琴浦桃子になる件、考えておいてね」

「本気だったんですか」

「君に関しては割といつでも本気だよ」

 駅までの道は真っ直ぐなのに、桃子の足はふわふわと浮いて歩きにくいことこのうえない。早く帰りたいとも思うし、どこかに留まって自分に起きた出来事を思い返して考えたいとも思う。

 電車を待つホームのベンチに座ると、ビルの隙間から朝日が桃子の顔を照らした。眩しくて横を向くと、なぜか藤田がぜいぜいと肩を揺らして立っている。普段のパリッとしたスーツ姿ではなく、グレーのパーカーにすっきりしたジーンズを合わせていてなんだかとても若く見えた。

「なんでここにいるんですか」

 藤田の声はその全身と同じく震えていた。

「無理やり、連れていかれたんですよね」

 無理やりというより、意識朦朧の桃子を連れ帰ったのが正しいだろう。しかし今この藤田に何を言ってもわかってもらえないような気がする。メガネの奥の目は泣く直前のように赤くなり、せわしなく左右に揺れていた。

 何から説明しよう。とにかく風邪をひいていて、フラフラしていたのを琴浦が保護して病院へ連れていってくれたというのを、とても時間をかけて話すと、藤田はまだなにか疑ぐるようにジロジロと桃子を見た。

「証拠になるかわかりませんけど、薬袋が」

「わかりました。体調が悪いのにこんなことしてすみません」

「こちらこそ、ご心配おかけしたようで」

「琴浦警部補には僕から連絡しておきます。帰るんですよね? 女子寮ですか? 送ります」

 最後の方はまくし立てるようだった。桃子に拒否権はないのだとアピールしたような格好になって、藤田は少し気まずそうな顔をするがすぐにホームに入ってきた電車に桃子を乗せた。

 丁度ふたり分座席が空いていたので並んで座ると、桃子のスマホが鳴った。ディスプレイには琴浦と出ている。はっと気づいて隣の藤田を見ると、真っ赤な顔をして桃子のスマホを見ていた。

「いつのまに連絡先まで」

「エレベーターでのこと、お詫びをしたいと言われまして」

「…そうだ、君の体調が心配だから何かあったら連絡してくれないか」

「へ?」

「貸して」

 キリキリしながら桃子のスマホを取り上げると、素早く自分の連絡先を交換し登録してしまう。

「これでよし。何かあったら真っ先に僕へ連絡してくれ」

「はい…」

 

 女子寮に帰ると、玄関先で藤田はお大事にと言い残し帰っていった。自室に入るとどっと疲れが押し寄せる。とりあえず座ろうとバッグを置くと、スマホが鳴った。そういえば琴浦からメールがきていたのだと思い出す。

 ディスプレイを見ると、メールが二件。一件はさっきの琴浦で、もう一件は藤田からだ。

 まずは琴浦のメールを開いた。

『 藤田管理官が現れないので、もしかしたら杞憂だったかな? 週末はゆっくり休んでしっかり風邪を治して。あとで忘れ物を届けにいくので住所教えてください』

 忘れ物と言われてまさかと慌ててカバンをひっくり返す。シャツやジャケット、スカートは入っているのにストッキングがない。

 よりにもよってストッキングだなんて生々しいと目眩がする。すぐさま琴浦にメールを返した。

『 変なもの忘れてごめんなさい。月曜警備課へ取りにいきます 』

 するとまたすぐにメールがきた。来週は訓練があって本庁へは出向かないという。向こうも気にしているようなので、桃子は女子寮の住所を教えることにした。

 女子寮といえば、普通男子禁制とかルールがありそうなものなのに、ここにはそういうものがない。ただ女性の警察官や職員が住むアパートで、住んでいる女性の家族や恋人が訪ねてきたり、時には泊まっていくこともあるような緩いところなのだ。

『 重ね重ね申し訳ありません。住所は―― 』

 ほんの数分のことなのに、ますます疲れてしまった。藤田と出くわしたことを言いそびれたがまあいいだろう。熱いシャワーを浴びて着替えようと立ち上がると、またスマホが鳴る。画面には藤田と名前が出ていた。

『 体調はどうですか。何度もメールして悪いが、さっき着ていたのはもしかして琴浦警部補の服ですか? 本当に風邪の看病だけか不安です 』

 一応その前に来たメールも確認する。

『 火曜のフレンチ楽しみにしています。月曜の時点で具合がまだ良くないようならキャンセルするので相談してください。お大事に 』

 フレンチがどうとか言っていたことを思い出し、もうこれは一人では抱えきれないと頭がパンク寸前だ。

(河合と明野に話したい)

 話すうちに自分の中で整理もつくように思うし、心細いのだ。

 フラフラしながらバスルームへ入り、熱いシャワーを浴びた。おかげで多少は頭がしゃっきりした。髪を乾かして肌の手入れなどしているとオートロックのチャイムがなった。一階エントランスに誰かきたらしく、琴浦がきたのかとインターホンのディスプレイを見ると、琴浦の後ろに藤田と塚本が立っていた。

「…今降ります」

 この部屋に男三人も上げられない。一階のエントランスには椅子と机があり、ベンチもあった。エレベーターで降りると、三人がそれぞれ睨み合うように立っていた。

「すいません。部屋が狭いのでここで」

「具合はどう?」

 琴浦はそういうと、紙袋を桃子に差し出す。受け取るとずしりと重く、覗くと畳まれたストッキングの他にスポーツドリンクやレトルトがいくつか入っていた。

「ありがとうございます」

 ちょっとした気遣いに嬉しくなって礼を言うと、藤田が横からヒョイと取り上げて琴浦に突き返した。

「差し入れは結構」

「忘れ物を渡しただけですよ」

 そのやりとりを塚本はギリギリと歯軋りしながら見ている。

「どうせまた嘘なんでしょう。エレベーターで桃子の腕掴んだ時だってそうだった」

 塚本が紙袋を押し付けあっている二人の横をすり抜けて桃子の前に来ると、正面から桃子の両肩を掴んだ。

「風邪で調子が悪い時だったんだろ? 判断能力が鈍ってる桃子を無理やり」

 揺すられて怖くなり、震え上がると琴浦と藤田の間で敗れた紙袋から中身が床に落ちた。ヒラリと桃子のストッキングが落ちていくのを、自分でも驚くほどの速さで桃子は掴み壁側に逃げる。

「…今の」

 琴浦はしまったという顔をして後ろ頭を掻いているし、塚本は顔を真っ赤にしてわなわなと唇を震わせているし、藤田はキョトンとしていたが琴浦や塚本の反応から何かしら思いついた様子でパッと両手で顔を覆った。

 心の底からストッキングなんて捨ててもらえばよかったと思う。

「すいません。もう放って置いてください。ごめんなさい」

 壁に張り付くようにしてオートロックを抜けるとエレベーターに飛び乗って自分の部屋に帰った。

「うぅ」

 エレベーターが目的階に到着し、ドアが開くと桃子の両目からポロポロと涙が溢れる。三人とも様子がおかしくて怖かったし、忘れ物を見られたのも恥ずかしかった。

「ひっく、ひっく」

 子供みたくしゃくりあげながら玄関ドアの鍵をあけていると、丁度明野が出てきた。コンビニにでもいくのかスウェットに上着を着た気軽な格好だ。

「どうしたの!」

 明野の大きな声で箍が外れたのか、桃子もワンワンと泣いてしまった。

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